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作品名:お医者さんが死んだ 作者:はめ子

第1回   伊藤さんが死にました
 今年は冷夏らしく、雪が畑を覆い隠すほど降り積もった。村役場の放送では気候制御システムの故障ですので外出しないでくださいと言っていたけど、遊びたい盛りの僕らがこの一大イベントを見逃すはずもなく、小学校が終わると同時に、友達と季節外れの雪合戦を満喫した。翌日には気候制御システムが回復したらしく、また30度を超える猛暑が帰ってきたけれど、僕の体は急な温度差に耐え切れずに、風邪をひいてしまった。

 高度に発達した科学によって、子供の体は薬の投与でしか体調の管理ができなくなってしまったのだ。だから風邪をひいた僕がすぐに病院に向かうのは当たり前で。そんな子供の体質を、大人たちは問題だと言っているらしい。今朝も風邪をひいて病院に向かう僕を、両親は悲しそうな目で見ていた。僕には、それがなんでかわからないけれど。

 僕たちが病院につくと、ヒィ、と風船から空気の抜けるような声が病院の待合室に響いた。壁一枚隔てた診療室から届くあわただしい気配と怒鳴り声。僕は少し怖くなって、いつもより熱のある手で姉の手を強く握る、更に強い力で握り返された。

 何かを察したらしい姉は僕と目線を合わせずに、大丈夫だから、と何度か繰り返した。僕はそれがどういう意味かわからなかったけれど姉を心配させないために、怖くないよ、と答えた。言葉にすると本当に不安が消えた気がしたので、続けて、大丈夫だよ、と言ってあげた。姉は一瞬こちらを見て、悲しそうに顔を歪めた。

 しばらくすると騒がしかった診察室が静まり返り、ドアが力なく開いた。今年四十路を迎えた白衣の天使は呆然と待合室を見渡してから震える唇を開く。

「お、お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」

 病院内ではお静かに。静寂を呼びかけるポスターの横で白衣の天使は声もなく叫んでいる。もちろんお客様の中からお医者様は名乗り出ない。それどころか、もはやこの村に医者はいない。医者はどこだ!村の外だ!!だがしかし、村の外では核による死の灰が降り積もり、シェルターで包まれたこの平和な田舎からは出ることはできない。

 僕らは陸の孤島で、弱りきった体のメンテナンスもできずにさび付いていくしかないのだ。少なくとも、医者がいなければ、僕の風邪が治ることはない。科学の恩恵を受けて弱った僕らの体は、薬で調整しなくては腐ってしまう加工品なのだ。

 病院内に暗いざわめきが走る。僕が不安になってあたりを見渡すと、同じクラスの伊藤さんが暗い顔でうつむいていた。一人でうつむいている伊藤さんを見た僕は、姉と手をつないでいるのが急に恥ずかしく感じて、茫然自失といった様子の姉の手を振り払って、伊藤さんに体調をたずねた。

「昨日、飲んだ薬、間違ってたらしくて」

 そう言った伊藤さんは息をするのも苦しそうに見えた。薬によって体調が変わる僕らにしてみれば、薬の間違いは即座に死につながる危険な間違いなのだ。僕は苦しそうな伊藤さんが心配になって、背中をさすってあげた。嬉しそうに、ありがとう、と言った伊藤さんがかわいくて思えて、僕がドギマギしていると、伊藤さんは何度かセキ込んで、血を吐いて倒れた。

 伊藤さんと一緒にいた女の人が金切り声をあげる。たぶん、この人が伊藤さんのお母さんなんだ。自分が焦っているのか、冷静なのかもわからないまま、僕は倒れた伊藤さんの背中を何度もさすってあげた。けれど、薬によってしか体調の変化がない僕らには、それはまったく意味がないんだ。そう考えた時に、僕は両親や姉が僕を見つめる瞬間に悲しそうな表情を浮かべる意味がわかった。僕も死ぬかもしれない。そう思うと、怖くなって。僕は伊藤さんから走って逃げた。


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