信次が奈津と別れ、美千代と結婚することを決心したのは美千代の父が原因であった。信次には美千代がなんだか軽い女のように思えていた。実は信次にとっての理想の女性は兄嫁の慶子であった。慶子は兄との幼馴染みであったが、結婚にいたるまでは相当兄は苦労した。いわゆる慶子の父の反対にあっていたのだ。信次も慶子はとても真面目な娘だと昔から知っていたし、父親が厳格でとても娘を可愛がっていたことも知っていた。近所の人達も、 “迫田さんの娘さんをもらうのは大変だ。” と噂していた。 詳しい経過は知らないが、兄と慶子が付き合い始めてから、何回も慶子の父が怒鳴り込んできているのを信次は目にしている。慶子の父は荒尾の万田炭坑に勤めていた鉱夫だった。平成9年に閉山となってからは三井関係の仕事をしていたが父親一人で慶子を育てて来た、父一人娘一人の中のいい家族だった。娘一人を育てる為に相当な苦労もしていたようだ。どうやって父親を説得したか詳しいことを信次は知らないが、付き合い始めて結婚まで、あしかけ三年はかかったようだ。今は子供二人を持ち、共稼ぎの夫婦で、慶子の父の由貴人も孫を良く可愛がる隠居老人だが、由貴人の反対を押し切って結婚にいたった兄を見て来ているので、信次には結婚とは親は反対するもんだという、ぼやっとした概念があった。そこで思い掛けない美千代の父の反対で逆に結婚の意志が固まったのだ。 “美千代は決して軽い女ではなかったのだ。厳格な父に育てられていたのだ。” という思いが強くなり、 “結婚しよう。大昔のナイーダとの事は終わりにしてもいい。” という結論にいたったのであった。 結論付けてからの信次の行動は早かった。メールをした翌日の夕方仕事が終わって帰り支度をしている美千代を会社の近くの白川沿いに誘い、散歩をしながら、 “僕は、うまい言葉は言えないが、結婚しよう!” と言った。美千代はこの間の自宅での出来事もあったし、予想外の言葉に泣きじゃくってただただうなずいていた。しかし次の言葉には涙もおさまってすぐに反対した。 “それでね。二人で暮らすとなると経済的にも大変なので実家に帰って梨農園を継ごうと思ってるんだ。まだ誰にも話してないんだが、ついて来てくれるね。” “嫌よ!私達二人で稼いだらなんとかやっていけるわよ。私も熊本を離れる気はないし、どこかにアパートでも借りてやっていけばなんとかなるわよ。我が社には住宅貸し付け制度もあるし、マンションや一戸建て住宅も安い金利で買うこともできるのよ。私経理と住宅費用の貸し出しの役もやっているから詳しいけど、何人も住宅の貸し付け制度を利用しているのよ。私達も借りて家を建てましょうよ。” “そうだなあ。家を建てるのか?思ってもいなかったなあ?でも二人の給料で家まで建てられるの?” “大丈夫よ。みんなやってるもの。こないだ結婚した鳩野さんなんて貴方より給料がやすくて、奥さんはスーパーのパート職員で家を建てたのよ。鳩野さん達に比べたら私達の給料を合わせたらきっともっと楽なはずよ。” “じゃあ。二人でなんとかやっていくか。今度の土曜日に荒尾まで来て両親に会ってくれ。兄貴夫婦にも紹介したいし、俺の親友も紹介するよ。” “うん。私も今日帰って両親に話すから。お母さんきっと吃驚するわ。弟も喜んでくれると思う。” 美千代はあえて父親の名前は出さなかった。 “絶対に父親も説得するんだ。” という強い気持ちが押し寄せて来た。 “反対された場合は、状況によって子供がお腹の中にいるのを武器にしなくては。” と、そこまでの思いが美千代には決心とともに浮んでいた。
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