霊台橋に行く途中で石井さんの霊台橋についての説明が続く。 “霊台橋は昭和43年に国の重要文化財に指定されました。霊台橋ができる前には木橋がかけられていたが、再三流失したことから惣庄屋の篠原善兵衛が二度と流されることの無い石橋の架橋を発案し、自らも出費して種山石工の卯助に建設を依頼した。卯助は兄弟の宇市、丈八さらに大工の伴七と供に弘化3年1846年に工事を開始しました。ちなみに丈八は後に通潤橋を作る橋本勘五郎の事です。大工事にもかかわらず梅雨と台風の季節を避けて六ム七ヶ月の工事期間で工事を終わらせた為、大工事の心労で卯助は二度と石橋を造らなくなったと言います。” バスが霊台橋の上流にかかる橋を渡りきって駐車場に車を止めた。降りて前面に見事な石橋が見える。バスガイドの長野さんは、 “皆様この橋を御鑑賞された10分後に橋の前に見えるあの料理店でお茶の支度をしてございます。あの店から見る橋も見事ですよ。” 涼と奈津は霊台橋を渡り橋の斜横にあり、かわの横にある料理店に向かった。坂を降りた料理店の駐車場の方が橋がよく見えるからだ。そこでしばらく橋を見て橋の写真をとっていたらみんなが店に入っていったので二人も続いた。みな2階に案内された。そこは丁度橋が正面に見えた。そこでも奈津は写真を撮った。畳の席に細長い台が置いてあり、その上にはお茶と楕円形の平たいお餅様の物が置いてあった。お茶の5個当たりに1つ大きな急須も置いてある。奈津と涼は隣同士に座り、おのおのついた順にお茶をのみお菓子を食べていたので二人ともお茶を飲み、お餅を食べた。 “美味しい。” 奈津がつぶやいた。それは芋とあんこが中にはいったお餅様の料理だった。涼も美味しいと思ったので、 “ほんとに美味しいね。” と同意した。そして、 “今度ここに料理を食べに来ようか?” と言うと、 “いいわね。きっと料理も美味しいわよ。” と答えたのでここぞとばかりにせめたてた。 “今夏休みだろう。人吉に帰るの少し延期させない?” “えっつ。何で?” “二人でね、熊本中の歴史的な場所にドライブしないかと思って。僕が、車の運転するよ。熊本城に行った時言っていただろう鷹の原城や佐敷城跡を見たいって。菊智城も見てみたいと思わないか?” 歴史好きの奈津を攻め立てる。奈津の壷を逃さなかったのですぐに落城した。 “いいわ。行きましょう。石橋もまだたくさんあるようだし、城跡もいろんなところがあるようよ。私詳しく調べておくわ。それは楽しみだわ。” 涼はこれでこの石橋ツワーに参加した目的を全て果たした。 “じゃあ明日の朝迎えに行くね?” “朝早い方がいろいろ回れるね。私お弁当を作って、待ってるわ。” “お昼はどこかで食べようよ。” “勿体無いし、二人で景色の良いとこで食べるお弁当は最高よ!” 涼もまだ見ぬ菊智城で食べる弁当の事を考え心時めいた。 “じゃあ朝七時頃迎えに行くね。” “楽しみだわ。” お茶を飲み川の上に聳え立つ優雅な霊台橋を堪能しながらそのような話をしていた時、、バスガイドが、 “次はおけだけばし(雄亀滝橋)に行くのでバスに戻って下さい。” という声でみな名残惜しそうにバスに向かった。 “すごくいいとこにお茶を飲めるようにしてあるんだね。” 奈津の言葉に涼もうなずいた。涼の心はもうここにあらずという状態だった。 みなバスに戻り石井さんの説明が始まる。 “雄亀滝橋は田んぼに水を引く為の柏川井手と呼ばれる水路の一部をなすアーチ型水路橋です。昭和49年に熊本県重要文化財に指定されています。岩永三五郎によって架橋されました。この橋は霊台橋にも通潤橋にも手本となった初期の石橋です。” その説明をしてる途中でバスはもう動き出して止まっていた。細い道でバスが止まっていた。そこにバスが止まるとその道では小さい車がすれ違うのがやっとの程の道である。幸い車通りは殆どない。さらに細い人が独り通れるくらいの草道をみな石井さんを先頭にして歩いていく。横には綺麗な水が気持ち良く流れている。その水はやがて橋の上、雄亀滝橋の上のまん中の部位を流れていく。 “うわーすごい!” 何人かが叫ぶ。 石井さんは水音に負けないように声を張り上げて話す。 “見てお分かりのように水路と橋が絶妙に組み合わされています。非常に素朴ですがすばらしい技術が見られます。” 皆思い思いに歩き回り、狭い橋が人で一杯になる。奈津と涼は向こう側まで渡り向こう側から橋をながめたり写真を撮影したりして静かな場所に人が溢れている違和感を感じ取っていた。 “ここも二人で来たらすごくいいとこだろうな。” と涼は思った。 その時1番後ろにいるバスガイドが、 “そろそろ戻って下さい。次は通潤橋にいき食事にします。” と彼女も水の音に負けないくらいの大声で皆を呼んだ。皆バスに戻ったが狭い場所なのでかなり時間がかかった。
|
|