山口涼は石橋について全く知らなかった。石橋ツワーに参加したのはただ単に奈津と会って話をしたかったからだ。座席は奈津の横、バスガイドから5列目の通路側の席だ。バスガイドから見るとこの席が1番目立つ。当然バスガイドと目がよく会った。 涼から見るとバスガイドが直接話し掛けるように思える。色白の20代後半の そそるようなタイプの女性である。 “皆様、本日は朝早くからお集りいただいてまことにありがとうございます。36名の皆さんが全員お集りいただきました。定刻になりましたので出発させていただきます。お世話をさせていただきます運転手は桜井、バスガイドは私長野陽子と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。” さらに続ける。 “さて本日の予定は、まず東陽村まで行って、石匠館を見学します。石匠館の館長さんが、皆様に石橋の事を詳しく話していただきますが。その館長さん石井洋司様が、その後我々と行動をともにしてくれます。そしておのおのの石橋についても説明してくれます。説明の必要でない方もたくさんいらっしゃるでしょうけど、その方は自由に行動して下さい。とにかく石橋について分からないことは石井様に聞くことができますので、どんどん御利用くださいませ。それでは石匠館までの道を約1時間半御歓談くださいませ。” そうすると涼の後ろから田島が声をかけた。 “どんな石橋を巡るか予定は言わないんですか?” “それは時間の都合で石井様が変更為さるのではっきりしたことは申し上げられないのですが、霊台橋と通潤橋は必ず回ると思われます。詳しくは石井様にお尋ねください。” “分かりました。” バスの中ではかなり顔見知りの人も多いようで様々なとこで話が盛り上がり始めた。田島も後ろや横の人と話していたが、少し周りと雰囲気の違う二人に再度話し掛けて来た。 “榊さんは通潤橋には行ったことがあるそうですが、山口さんはどこかにお巡りになりましたか?” 奈津と小声で話していたので、 “うるさいなあ。” と思ったが、 “はい。子供の頃父母に連れられ霊台橋と通潤橋には行ったことがあります。” と答えたが、行ったことは覚えているがあまり記憶が鮮明ではなかった。テレビでは何回か通潤橋の放水シーンを見たことはある。 “石井さんは他の石橋にもつれていってくれますが、みんないい橋ですよ。今日はどこに連れていってくれるんでしょうね。楽しみだなあ。” すると奈津が田島に向かって、 “以前のバスツワーでは何ケ所くらい回ったのですか?” と聞いたので、 “時間の都合と石井さんの都合によって違いますが、だいたい7、8ケ所は回ると思いますよ。” “ふうんそんなに石橋があるんだ。” と石橋について殆ど知識のない涼は思った。にぎやかなバスの中の歓談を率いてバスは御船から甲佐の方面をこえ、八代市泉町と言う道路標識の場所にかかった。涼は奈津に、 “このへん田舎だね。” と話した。さらに、 “熊本って1時間もするとこんなにのどかなとこに来るっていいよね。” と言った。 “そうね、堅志田城跡はこの辺かしら?” 歴史に詳しい奈津に対してその城跡の事は何も知らない涼は、 “その城跡の事は初めて聞くけど誰のお城なの?” “うん。阿蘇氏が支配してたの。” そして、氷川ダムの横を過ぎ川沿いの道にかかると、 “もうすぐ東陽村よ。ここはねショウガの生産で有名なのよ。そして種山の石工の話は知っているよね?” もしかしたら知らないかなと思って周りに聞かれないような小さな声で聞いて来た。涼もこの話は周りから見ても知らないと不味いのだなと思いながらも、 小さな声で、 “御免。知らない。” と答えた。奈津はさらに小さな声で、 “東陽村にはね、種山の石工集団が住んでいてね、その人達が熊本の主な石橋を作ったのよ。さっき田島さんが話していた藤原林七と言う人がその始祖に当たる人なの。詳しいことは館長さんが話してくれると思うわ。” 涼にとって種山の石工集団は初耳だった。東陽村も来たことがなかった。 バスはやがて右に折れ橋を渡ると石匠館についた。元気そうな老人がバスを迎え、 “私は石匠館の館長の石井です。今日バスツワーの説明をさせていただきます。まずはこの石匠館の中にお入りください。今日は大分多いですね。ガイドさん。今日は全部で何人いるんですか?” “36人います。” “じゃあ。18人ずつに別れて、半分は小野さんに説明してもらいましょう。” 後ろに立っている女性が、 “小野と申します。前の18人はついて来て下さい。バスをさきに降りた18人がついていった。奈津や涼、田島達は石井の後に従った。
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