土曜日の朝、数十回のメールを出してやっと、奈津からの返事を受け取った。熊本城の本丸天守閣が、完成してそれを見に行きたいから午前中だけならと言って熊本城の入場口に10時に待ち合わせだった。涼は9時半頃から来て待っていた。9時50分に奈津は現れた。ベージュのワンピースに、小麦色に焼けた肌が印象的であった。やや困ったような顔をしていた。 “何度もメールをして御免。迷惑だった?” “ううん。そんなこと無い。私も本丸天守閣を早く見たかったから。” 土曜日の朝なのに熊本城の入場口は人が溢れていた。 “熊本城の人気ってすごいんだね。こんなに人が多いよ。” “沖縄の首里門を押さえて、全国で1位だったそうよ。” 歴史好きの奈津はもうわくわくしていた。涼にとってはどうしても付き合いを続けて欲しくてそれどころではなかったが、吉田の言うように、 “好きな男がいてもいいから友達として付き合って欲しい。” という台詞を何時言うかのタイミングを考えることも今日の大きな目的だ。 実際に好きな男ができたとは考えたくなかった。しかし別れるのは絶対にいやだ。そして別れる理由は聞くなと言う。涼は当たり障りの無いことから聞いた。 “テニス相当うまくなったそうだね。今年も選手で出るの?” “うん。団体戦と個人戦と出るから大忙しよ。今日も1時から練習なんだ。涼さんも練習でしょ。” “うん。今日は3時から練習なんだ。入場券は2枚買ってあるから入ろうか?” “ええ。じゃあお金払うわね。” “いいよ僕が無理矢理誘ったんだから。” しばらく沈黙の後、 “ありがとう。じゃあ御好意に甘えるわ。” いつもと違ってやや他人行儀の奈津に、 “やはり別れようと思っているのだ。” と感じ、その気持ちを前面に出さないように明るい声で、 “この石垣を作るのに加糖清正は大阪城を作った人達を関西から連れて来たそうだね。” あえて奈津の好きな歴史へと話を持って行った。 その言葉は奈津の琴線に触れたみたいだった。 “この石垣は近江の穴太衆(あのうしゅう)が作ったそうよ。この有名な武者返しも、加藤清正とその家来飯田覚兵衛と穴太衆との工夫の結果だと思うわ。” “ふーん。興味深いね。” 奈津は熊本城について話し始めたが、その話も敵の侵入を待ち伏せで防ぐ為、折れ曲がった石垣を超えたとこで止まった。 “うわー。橋ができているわ。橋を超えたところに本丸御殿はあるのよ。” パンフレットなどで本丸御殿の事を読んでいる奈津だったが、実際見ると感慨深いもののようだった。 “橋は帰りに渡りましょうね。こっちから回ると地下の抜け道を見れるそうよ。” 本丸御殿の一部に見て奈津は涼へのよそよそしさが、完全に消え去っていた。右側を回って本丸御殿の地下を見て、左へと回ると本丸御殿の正面に出る。後ろには熊本城の天守閣がそびえ立っている。 係りの人にビニール袋をもらい靴をそのなかに入れて手に持ってなかに入った。まず、熊本城の昔の模型が置いてあった。今現在の姿より建物の数が多い。 歴史や展示物、以前の食事を作る場所があった。その場所には昔食べていたメニューが置いてあり、近くの店で3000円で食べられるようになっていた。 熱心に見て回っている奈津にとても話は切り出せずに涼は奈津にくっついて回った。大広間を抜けると話題の昭君の間である。漢の宣帝の時、賄賂を出さなかった為、宮廷画家に見にくく絵をかかれ、匈奴に泣く泣く嫁に行ったが、匈奴では幸せに過ごしたと言う美人の王昭君の絵が描いてあるふすまに多くの人が写真をとっていた。 係りの人が、 “ここでは写真をとってもいいですが、絵が痛むのでフラッシュは炊かないで下さい。” と言っていた。 昭君の間を抜けると絵の復元図と、西南戦争の時の焼けた銃の展示があり、本丸天守閣の内部の見学は終わった。 ビニールを箱に入れて、涼は、 “今、11時過ぎたけど、練習は1時からだろ。昼御飯一緒に食べないか?話もあるし。” 熊本城から下通りに向かって歩きながら、涼は話したかったことを話し始めた。 “君に好きな人ができていてもいいから、僕とも付き合って欲しい。熊本の歴史ある場所を一緒に歩こうよ。その歴史を聞いてあげるから。” 奈津は歴史全体が好きだが、熊本の歴史にはとても詳しい。歴史の話をする時はいきいきしている。涼はその奈津の興味を利用した。 “それは嬉しいけど。” 奈津は信次との事を考えていた。 “700年前に恋人だったから、永遠の愛を誓って死んだから、再びこの世で必ずしも結ばれる必要があるんだろうか?” 心のなかの葛藤は続く、 “山口涼とは話も会うし、尊敬もしている。今でも好きである。でも愛してはいない気がする。かと言って今でも信次いや、シャルム王子を愛しているかは分からない。何せ時代が違う。あの時代は女性は不自由だった。奴隷のようにアルハンブラ共和国に連れてこられ、好きでもない相手に嫁がねばならなかった。その相手は奥さんは何人もいた。シャルムと愛しあったのも選択肢がそれしかなかったからだ。今のように自由に好きな人を選べる状況ならシャルムと愛しあっただろうか?そう思った瞬間何かが閃いた。お母さんはダリアなんだ。何故だか分からないがそんな気がした。きっとそうだわ。ああ、じゃあお父さんはナハトム王だ。ダリアが追って来たんだ。素敵!ダリアはナハトムを本当に愛していたんだわ。私は果たしてシャルムを本当に愛しているんだろうか? 全くナハトム王の妻以外は選べない立場でアルハンブラ帝国にやって来て、そういう意志を失った自分に対する反逆の為シャルムとああいう関係になっただけかもしれない。この世界に来て熱情がまだ残っていて肉体関係に及んだが、はたしてあれはあれでよかったのだろうか?” 奈津が考え込んでえいるのを涼は邪魔をしない。黙ったまま下通りのしゃれた店の前に着いた。 “ここのランチ美味しいんだ。ここでいいだろう。デザートにケーキも付くんだよ。” “ええ。” 奈津の考えはさらに続く。ここで静かに邪魔をしないのが涼のいいところだ。涼にとっては、奈津が結論を出さないのが幸いである。もう涼の最大の切り札を出した。後は奈津の答えを待つだけである。 “信次に比べて涼は能力も高い。今は医学生だがやがては医者になる。私は医者の奥さんになるのかもしれない。そうすると好きな歴史の本を読んで家庭を守って行けばいいのだ。信次と結婚してもどうやら安サラリーマンのようだし、結婚した後も、経済的にいきずまったら2人のなかはどうなるか分からない。今の世の中そういう離婚が増えている。私と共働きになるかもしれない。その時は私も忙しいだろうし今みたいに歴史の勉強ができるのか?” やがて料理の注文が来て、2人とも日替わりランチを頼んだ。涼は静かに水を飲んでいる。 奈津はふと涼の顔を伺った。 端正な顔にテニスに日焼けした小麦色の肌が目立っていた。何となく知的な姿が目に眩しい。顔色は困惑しているように見えた。 “こんな人をこんなに困らせて、私はなんて女なんだ。” 突然そんな感情が押し寄せて来た。 “私の方からもお願いします。私と付き合って下さい。詳しいことは今は話せないが、そのうち話そうと思います。” 涼の顔がパッと明るくなった。
|
|