山口は地元の帯山中学、熊本高校を出て1年の浪人生活を経て晴れて熊本大学医学部に合格した。父は熊本市民病院に勤務する内科の勤務医で、涼は現役で熊大、大分大、久留米大学を受験した。久留米大学医学部のみ合格したが母親が授業料、アパート代など計算し、とても勤務医の給料ではやっていけない事を知り断念。久留米大学に行くのを辞退した。一年間の無味乾燥の浪人生活に入った。浪人生活は家から壷渓塾という予備校に通い、熊大医学部に合格した後は本学の硬式テニス部に入り体を鍛え勉学に励むつもりだった。医学部は医学部のテニス部にも本学のテニス部にもどちらも入る事ができる。ただし、3年になると忙しくなるので本学のテニス部にはいっている者も医学部のテニス部に全員は入りなおす。一年後榊奈津がテニス部にはいってきた。1年後輩である。それまでは普通に楽しくクラブ活動をやってきたが奈津がテニス部にはいってきてからは涼の生活に活気が出てきた。医学部の2年の時だったが毎日が楽しくていつか告白しようと思っていた。医学部2年の春には自動車学校に行き免許も取った。テニスの練習中はいつも知らず知らず奈津を追っていた。涼が2年の6月頃田辺芳子が話し掛けてきた。丁度奈津が3年生の女子とラリーをしていて周りから声をかけているときだった。 “山口先輩は何時も奈津を見てるんですね。” “あっつ。田辺君か?いや、そうでもないよ。” 山口はとっさに嘘を付いた。恥ずかしかったのだ。 “奈津に興味が有ったら紹介してあげるけど、私、仲がいいんだ。” “いや。そんな必要があったら、自分で言うから、同じクラブだし。” “ふーん。” というような会話はあった。ただ涼の思いに反して夏の合宿までは2人の接近は全く無かった。夏の合宿で高森の国民休暇村で昼食後3時間の空き時間ができたので、山口の車で男2人、女3人で阿蘇の噴火口を見に行ったのがとても楽しい思い出だった。奈津は助手席に乗りいつもよりよく話し掛けてくる山口涼に非常にいい印象を持ったようだった。涼はその時どきどきしながらも一生懸命運転し、奈津との会話を楽しんだ。合宿後の全国大会での試合は3回戦まで行ったが敗退し、本学でのテニスの試合は終わった。2年の夏休みは家族でオーストラリアに行った。姉の県立大学4年の静代が “海外旅行に友達と行きたい。” というのを父親が、 “それじゃあ家族で行こう。” という事になって、家族4人でオーストラリア旅行に行った。姉の旅行のとばっちりで、自分も行かねばならなかったのは最初は不満であったが、ゴールドコーストで楽しむと、始めていった海外を満喫できた。ゴールドコーストに行ったおかげで人生は勉強以外にも、楽しみも大事だという事を知った。今までは勉強が自分の一番大事な事だと思っていた。父を見て育った為に医者にとっては一生が勉強だと思っていた。父が酔っぱらって内科から大学院で研究のため派遣された病理学教室の研究の話を聞くのが好きだった。 “今は良く分からないが、一生懸命勉強して分かるようになってやる。” といつも思った。父の話は遺伝子の話から病気の話など非常に高度な医学の話が酔っぱらって出てきた、 “肺胞蛋白症はGM-CSFが欠損する為に起こる事を証明したのはお父さんだよ。GM-CSFノックアウトマウスを作って肺胞蛋白症ができた時は嬉しかったなあ。IL-5トランスジェニックマウスをもらってG-5マウスを作り、あっつG-5マウスとは両者のマウスをかけ合わせて作るんだが両者のマウスをかけ合わせたマウスは肺胞蛋白症が少し軽快するんだ。何故だと思う、IL-5, GM-CSF, IL-3は同じ作用機構を持つ鎖を持つからなんだ。” 涼には全く分からなかったが、 “今は分からずとも、勉強して、きっと分かるようになってやる。” と思って勉強に励んで来たのだ。 そうこうしているうちに秋になり、奈津と付き合ってもらおうと何回か試みるが、先輩や同級生が申し込んで断られた話を聞きながら断られるのが恐くてついつい延び延びとなった。自分の送別会の時奈津の帰るのを見て、今日を最後に会う事も少なくなるし、追いかけて断られないような言い方でおつきあいを申し込む、何とOKだったのだ。 その日は嬉しくてすぐに手に入れたメールで、 “ありがとう。今日は嬉しかった。今度の日曜、早速熊本城に行かないか?” と送った。 “嬉しい。熊本城は400年祭があっていて、是非行きたかったの、喜んでお供します。” というメールをもらって、本丸御殿の建設中の熊本城を散策した。 “あの時今年になって本丸御殿が完成したら一緒に行こうといっていたのに。なんで?” サッカー部やラクビー部など部活に行っていた者たちが戻ってきた解剖室で頭の入らない解剖をしていた。 サッカー部の吉村は高校からの同級生である。彼は代々木ゼミナールで浪人生活を送った。 “山口。お前しっかりせんか?どぎゃんしたつや?” 吉田が答える。 “女にふられたげな。” “女にふられたぐらい何や。俺なんて大学はいってから5、6回振られとるわ。” “しょっちゅう、申し込んでは振られとるお前とは違う。” と何時もなら言っていたが、今日はその元気もなかった。 “お前なア、御遺体に申し訳ないだろう。しゃんとせんや。” この言葉で目がさめた。 “そうだ。僕達は人の生命を預かる大事な仕事に付くんだ。今週1週間はきちんと解剖をやり遂げなくては。1週間後彼女に会って理由を聞こう。” と割り切ると、黙々と解剖を続けた。 吉村が、 “おっつ。山口が蘇ったぞ。” と言って彼も又、黙々と解剖学の手引きを片手に実習が続いた。
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