会社に戻ると、美千代がやってきた。 “大丈夫だった?” “ああ。” そして美千代を後に残し、部長への報告が先だと思い、部長のとこに行った。 “すいません。人身事故を起こしてしまいました。最初は骨折だと云われ入院になったのですが、後で間違いと分かり退院となりました。被害者を家まで送っていたので遅くなりました。” “軽症だったのならそれでいい。早速仕事に戻ってくれ。水前寺の川崎工業の空気清浄機の設置のための見積に行ってくれ。あそこは厳しく言ってくるが値段を下げたらいかんぞ。成るべく高めにな。” 川崎工業の見積は大変な仕事である。成るべく高めなんてとてもできない。しかし部長の命令に逆らう訳にも行かず、水前寺へ行こうとしていた。 美千代が付いてきた。 “どうだったの?” “うん。川崎工業の見積に行かされるんだ。” “それは大変ね。でもそうじゃなく、事故のほうよ。” “まあ、大事なくて済んだようだ。” “ふーんよかったわね。” 美千代は何か女性独特の感で違和感を感じていた。しかしそれがなんであるかは具体的に分かっていない。 “後で寮に行くね。何時頃伺えばいいかしら。” “いや、保険会社に電話したりいろいろあるから今日は来ないでくれ。又今度な。” “今度って、何日よ?” “御免。急ぐから。” もう夕方近くなっているので早めに行かねば見積がとれない。慌てて会社の車に乗り込んで水前寺へと向かった、駐車場の自分の車を見ると、左のバンパーが少しひしゃげていた。 “あれもなおさなければな。” 信次は呟いた。
奈津は、信次が帰った後、少し後悔した。 “体を許したのは軽率だったかしら?” ぼーっと干してあるシーツを見ながらそう思った。丁度、授業がない時間だったので奈津は芳子に電話をかけた。 “もしもし。奈津だけど。” “はい。芳子です。具合はどう?” “うん。実はね、骨折ではなく、以前からの病気で有痛性分裂膝蓋骨という病気だって。もう退院してきたのよ。” “じゃあ。私クラブさぼってあんたの下宿に行こうか?” シーツが干してあったので、 “だめよ。今日は足も痛むし。明日学校にはいけるから明日会おうよ。クラブには行ってよね。私が足が痛むので休むって言ってもらわなければならないし。” “分かった。行くよ。夏の大会も近いしね。” “明日は必ず行くから、じゃあね。” と言って電話を切った。それから山口涼にメールを書いた。 『 山口涼様。 御免なさい。何も理由は聞かないで、お別れしましょう。 いろんなところに連れて言ってもらってありがとう。 今度からは別の人を連れて行ってあげて下さい。 』 何故だか分からないがひとすじの涙が奈津の目から落ちてきた。
山口涼は解剖実習の真っ盛りであった。一体目を終わったら、9月からは2体目にはいる。1体目は下半身であった。 涼は膝関節を解剖して膝蓋骨を外し、関節腔の中の半月板を観察していた。 “おい山口飯食いにいこうぜ。どうせ今日は夜中までかかるだろう。” “そうだな。膝関節も大体見終わったし。ひと休みするか。” サッカー部、野球部、ラクビー部は5時前後にクラブに行ってしまっているが、テニスは解剖のために休んだ真面目で勉強熱心な山口と、部には入っていない吉田は夕食を食べに近くの食堂まで行った。早めに食べて再び解剖をしに行こうと思っていたのだ。7時を過ぎるとクラブに行っている人達も終わって解剖しに来る。 山口は携帯電話を見てメールがはいっているのに気ずく。奈津からだ。 メールを見て驚いた。慌てて電話をするが電話は出ない。 “どうしたつや。山口。女にでもふられたつや?” “女にふられた。” “ほんなこつや。冗談やろ。俺は冗談で言ったつばい。” “本当にふられた。電話にもでらん。あぎゃん大切につきあったのになんでやろう。” “理由ば聞いてみらんね。” “理由は聞かないでってメールに有るとたい。この忙しい時に困った事が起きた。” “頑張らんと終わらんけんが、解剖が終わってからにしろよな。面倒な事は。” “うん。しょうがないだろうな。みんなにも迷惑がかかるし。” 食事後山口はとぼとぼと解剖室に向かった。1体目の解剖が終わるのは後1週間かかる。
|
|