「と言うことで、ゆかりちゃんってえキョコタンの友達が救急車を呼んだらしい。」 あまり深刻な風でもなく原田が益田に説明をした。 「それでキョコタンは、怖くて夜帰れなくなっちまったってことか。それじゃ、その友達のゆかりちゃんとかって所に転がり込んじゃえばいいのにね。」 「何でも一週間ばかりゆかりちゃんのところに避難したら、夜中じゅう5分おきに電話が鳴るもんだから、二人ともノイローゼ寸前まで行っちまったらしいぜ。」 「なるほど。生きた心地もしねぇな。それで、その上司から逃げる為に引越しするってか。賢明と言えなくはないけど、そううまく行くかな?」 「うまく行くさ、大丈夫。」 原田が、あまり深く考えないのは、いつものことなので、益田もそれ以降は考えないようにした。それでも、 「伊庭の言っていた、恭子が抱いている別の恐怖ってのは、この事なんだな。」 と頭をよぎった。
加藤は、今までに女の子との付き合いはあまりなく、女の子の部屋と言うものをあまり見たことが無かった。 「女の部屋ってのは、どーしてこんなコマゴマとしたものがいっぱいあんだ?」 まるで味の素のビンが大量にあるかのような机の上を片付けながら、首から下げたタオルで汗を拭いていた。 「おーい、加藤くん、こっちに来てタンス動かすの手伝ってくれないかな。」 「はーい。今行きます。」 加藤は、呼ばれてタンスの右側に手をかけて、掛け声と共に持ち上げた。タンスの左側では、恭子の上司がタンスのあまりの重さに唸りを上げている。 その光景を遠目で見ている原田と益田が肩を寄せ合ってヒソヒソ話をしていた。 「おいっ!何だよありゃ。タンス運んでるぜ、秋本。あのおっさんがキョコタンのストーカーだろ。おまえどーゆー段取りしてんだよ。おれは、加藤連れて帰るぞ。」 「聞きたいのはこっちだ。でも、本当に今までのは何だったんだろうな。なんかキツネにつままれた気分。」 原田がキツネにつままれた気分になるのも当然で、秋本がそこにいることが不思議なのは当然ながら、秋本が部屋に出入し、引越しに手を貸していながら、恭子に何も変わったところは無く、極普通の日常的な引越しになっている。とても、夜、秋本が出現したことにより半狂乱になった恭子とは思えないほど別人である。 原田と益田、二人寄り添う姿の上には、はてなマークが数限りなく浮かんでいる。そこへ、 「みなさん、冷たい物買って来ました。一息入れて下さ〜い。」 ゆかりが、近くのコンビニに行ってジュースを買って戻ってきた。 「二人とも、そんなところでコソコソしてないで、いっぷくしなよ。」 恭子が、原田と益田に、ゆかりが持ってきた缶ジュースを配った。
やっとのことタンスをトラックの荷台へ運び終えた加藤の所には、ゆかりが1本キープしたジュースを持ってきた。 「あたしは、恭子の元同僚で、ゆかり。キミはあの二人の後輩くんなの?」 「二人の後輩で、加藤です。よろしくお願いします。」 とりあえず、一番下っ端っぽいので、加藤はヘリ下って挨拶した。 「こちらこそ、よろしくお願いします。でも、よくこんな所に来たね、何の先入観も無いように見えるけど。」 「へ?こんな所?先入観?一体、何のことやら、さっぱり分りませんが。」 「何も聞いてないの?恭子とあの秋本課長とかって人の関係。」 「聞いてないっすよ。秋本課長とも今日初めてです。勿論、恭子さんとも初めてですが。」 「秋本課長と、恭子は同棲してたんだよ。今日は、恭子が秋本課長断ちするための引越し。」 「ああ、そうなんですか。」 加藤にとっては、別段どうでもよく、昼飯の献立よりも重要な話題とはどうしても思えない。原田と恭子の関係も、薄ぼんやりながら匂ってきてはいるが、まぁ、そんなところだろうな、と言う雰囲気はかもし出しているように加藤の目には映る。 「秋本課長は、夏だと言うのに、頭への風通しが良さそうだが、直射日光が頭皮に直に届く紫外線もかなり多そうな毛の本数なのだが、そんなのも許容できる女性もいるんだな。」 と思いもしたが、そんな歳にしては未婚なのかよ、という思いも渦巻く秋本の複雑な容姿は、加藤などピヨピヨ新入社員にとって、仕事以上に不可解な男と女の関係を余計わからないものにしていた。 そんな考えのまとまらない加藤に、ゆかりはなおも続けた。 「それなのに、恭子はどういうつもりで秋本課長を手伝いに呼んだのか、ホント理解に苦しむわ。」 「秋本課長断ちって、本当は、恭子さんは秋本課長に隠れて引越しをするはずだったのを、一緒になって引越ししちゃったら目的もわかんなくなっちゃうってところっすか。」 「そ。あっちの方で二人がヒソヒソやってるでしょ。全くもって不可解なんじゃないかな。」 なるほど、原田と益田の手もおろそかになるのも無理は無いほどに頭を寄せ合って、さっきから井戸端会議だ。 「まあ、おれは引越しが無事済めばいいことなんで、後の処理は関係者の皆さんにお任せするという事で、首を突っ込まないようにします。人間関係はよくわからないもんで。」 「もう、キミも関係者の一員だよ。かわいそうだけど。」 なんとなく不吉な言葉を残し、ゆかりはフフフと笑いながら、まだ荷物の残る部屋に入っていった。 それにしても、恭子と秋本を見たら、なんとなく原田の付け入る隙は微塵も無いように感じて、 「原田先輩もかわいそうに。」 加藤が思うのも無理は無いような情景であった。 女が男を選ぶ基準ってのも、かくも様々なり。恭子が選ぶ男の基準ってものを加藤なりに考えても見たが、一体何が魅力でこんな現象になってるのか、見れば見るほど不可解であった。 秋本は見れば、未婚には見えない。人間的魅力も、数いるライバルたちを蹴落としていくだけの絶賛されるだけの光彩を放っているようにも見えない。先輩である原田が、鼻息荒く恭子にアタックしても撃沈されるようにはホトホト見えないのである。 「男女の関係は理屈じゃないんだなぁ。」 付き合った彼女もいない加藤は、また自分が成長したような気がした。無論錯覚である。
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