「伊庭さんとご一緒の方、名前はなんとおっしゃるんですか?」 原田は、恥も外聞も無く、マイクを通してインタビュー気取りで、伊庭と一緒に現れた女性に向けてマイクを差し出した。 「福田です。」 「わあお、美しいお名前ですね〜」 それらの、まことに調子のよい声が、スピーカーを通して益田の頭に響く。せめてエコーを消してくれぇ〜。益田は叫びたい衝動に駆られたが、隣の女性もそれなりにノっているようだったので、益田もガマンした。ことの他気を使うようだ。それはそうと、「福田」という苗字にかわいいもヘッタクレもねぇーだろ。 「下の名前は何ていうのかなぁ〜?」 エコーと大音響が、益田の頭に響き続ける。 「恭子って言います。」 「かわいいっ!キョコタンと呼ばせて頂いてよろしいですかぁ〜。」 もう、好きにしてくれ。益田は、グラスを空にして腕組みをすると、寝る体勢を作った。
いくら原田が脳天から蒸気を上げるほど上機嫌に歌っていようとも、その時間は永遠に続くわけは無い。四人は誰とはなしに「帰ろう。」と言うことになった。 益田は、喜び勇んで帰り支度をし始まったが、ここでまたひと悶着始まってしまった。 原田が、恭子を送ると言って聞かない。 恭子も丁重に断っているが、断り方に毅然とした態度が無く、まんざらでもなさそうだ。原田はと言えば、そんな恭子の態度にグイグイ押し込むように、下心をミエミエどころか、惜しげもなく曝け出し、強引かつ巧妙に恭子と二人きりの世界を構築する作業に没頭している。 益田としては、そんな事はどうでもよく、ひたすら睡眠をとりたいが為に、タクシーを捕まえるべく国道に向って歩き出した。 そんな益田の後ろから声がした。先ほどまで一緒だった伊庭の声だ。 「今日は原田に任せたわ。」 益田は、そんな唐突な伊庭の言葉を飲み込めないでいた。 「福田さんを原田に任せたってことですか?」 反射的に、益田は伊庭に向き直って復唱するように聞いた。 「恭子はストーカーに纏わりつかれてるんだ。ここ一週間ばかりエスカレートしてるみたいなんだよね。」 「え?ストーカーですか?」 「夜は帰りたくないんだそうだ、恭子。」 「それで、今日もこんな時間まで飲み屋にいたわけか。でも原田と一緒にいたら同じだと思いますけど。あいつはストーカーよりもタチ悪いんじゃないかな。」 「後は恭子次第だからいいんじゃない?彼女の恐怖は、まだ別のところにあるみたいだから。」 「恐怖?」 「ああ。まあそれはあたしの口から言う事じゃないな。それじゃ、あたしは明日の朝早いから、コレで失礼するよ。」 「はい、お疲れ様でした。」 益田はなんとなく不思議な、禁断の世界の話を聞いたような気になり、後味の悪い思いをした。
原田と恭子を乗せたタクシーは、閑静な住宅街の中に、一際寂しい路地を入ると、何も無いところに突然現れたようなアパートの前で止まった。街灯の数も極端に少なく、その灯りは夜の闇をなお一層強調するかのようで、かえって不気味に見える。 「ここがキョコタンちか、なんか真っ暗だね。」 終電もとうに終わった時間の夜中の住宅街にいて、明るいわけが無いのだが、ただの酔っ払いに理屈はない。 「今日は、どうもありがとう。おかげで助かったわ。」 恭子は、原田に礼を言うと、タクシーを降りた。なんと、それに続いて、原田が恭子に続きタクシーを降りてきたのだ。 「もう、ここでいいんだけどな。原田君はこのタクシーで帰って。」 「え〜?ここまで来て、それはないでしょー。せめてタバコでも吸って、それから帰るよ。」 タクシーは、扉をバタンと閉めると、そのまま去ってしまった。 「あ〜あ、この辺じゃ、国道まで出ないと、タクシー拾えないよ。」 「え〜、その時は、キョコタンの所に泊めてよ。」 「最初からそれが目的だったんじゃないの?」 原田と恭子は、夜中の路地で言い合った。 とその時、真っ暗な路地の中から、影が浮かび上がった。その影は、二人にドンドン近付いてくる。 二人に向って、と言うよりも恭子を目がけて来る、と言った方が妥当だ。 男は、恭子の腕のムンズと掴むと力任せに自分に振り向かせ、叫んだ。 「恭子っ!遅いじゃないかっ!」 振り向かされた恭子は、男の顔を見ると、みるみる顔色を変えていった。その目に恐怖と、得も知れぬ力が込みあがってくる。 「キャアアアーーっ!」 ついに叫び声を上げた。その叫び声は人気の無い住宅街の真っ暗な路地にこだました。 恭子は、渾身の力を込めてその男の手を振り解くと、半狂乱になってその場から逃げ出した。 「恭子ーっ!」 男は、恭子の後を追う体勢になったところで、原田がその男の肩を掴んだ。 「おまえ、何者だ?」 原田は、今の異常な出来事で酔いがすっかり飛んだようだ。 「おまえには関係無い、どいてろ。」 関係ないでは済まされない。こちとら、いい雰囲気で、この先すばらしい世界を垣間見る期待で、胸も股間もはちきれそうなのだ。関係無いのはこの男の方だ。原田の目は挫折の怒りで燃えていた。 「てめえ、キョコタンが嫌がってるだろう。ふざけた事やってんじゃねぇ。」 「おまえは恭子の何なんだ?」 「おれは、キョコタンの同僚の者だ。お知り合いになったのは今日だが。」 原田の、どういうわけか自信たっぷりに吐いた言葉の次に聞いた男の言葉は以外だった。 「おれは、恭子の上司だ。」 「ええ〜〜?」
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