「寒い。」 ユキは、あまりの寒さに目が覚めた。 月明かりが明るすぎるくらい辺りを照らしていた。傍らに焚き火の番をしているマモルが座っている。 夢じゃなかった。今まで過ごしてきた日常とあまりに違いすぎた現実は、夢のように過ぎて欲しかったが、マモルの姿が、強烈な現実としてユキの前にあった。 「食うもんが必要なんだろ。途中にあった店から持って来た。寝袋もあるよ。」 「ここはどこ?」 起きて、焚き火にかけてある湯を、マモルから貰って飲んだ。 「う〜ん、富士山の近く。」 「ちょっとあんたっ!あたしに何かしてないでしょうねっ!?」 身を守るように体をクネらせて、ユキはマモルに向って叫んだ。 「何を?」 そう言えば、こいつはロボットだったんだ。昼間の悪夢のような記憶がよみがえってきた。 「ふうん。ロボットは来ないの?」 「この辺りには無線のネットワークが無いから、来れないんじゃないかなぁ。」 「あんたは動けるの?」 「うん。おれはアナログだからね。」 「ふうん。」 ユキの意識は朦朧としていて、全然頭が働かなかった。が、焚き火に当たると、さっき飲んだ湯も手伝ってか、体が温まってきた。 「ここには、人間がいっぱいいるよ、ほら。」 なるほど、遠いところに焚き火がいくつか見える。 「やった。人間たちだ。生き残ってるのがまだいる。あの人たちに合流しよう。」 「もう行く?」 マモルが無機質にユキに聞いた。 「行くよ。このままじゃ、いつ殺されてもおかしくないわ。」 「あ、そう。じゃ、ここでお別れだ。じゃね。」 マモルは立ち上がり歩き出した。 「ちょ、ちょ、ちょっと、どこ行くのよ。あんたも行くのよ。あたしを一人にしないでよね。」 「おれはロボットだから、あの人たちの敵だよ。ノコノコ出て行ったら、壊されちゃうかも知れない。」 「う〜ん、その可能性はないとは言えんなぁ。」 ユキは腕組みをして考えた。腕組みをしながらコテっと横になり、寝袋を開いて、中に潜り込んだ。 「あたし、寝るわ。あんたは今晩一晩、あたしを守りなさい。」 「高飛車な女。」 ロボットのくせに、マモルは辟易している。
機械が明かりを落とした日から、2回目の夜だ。ネオンも街灯も無くなってしまったこの世の中の夜は、文明社会に慣れきったユキにとって、何も見えない漆黒の闇に等しい。その夜を打ち破るように、虫の鳴く音や、カエルの鳴き声が、月が照らすやさしい明かりの中で響き渡っている。 初めて聞く鳴き声たちなのに、異様に懐かしさが込み上げた。 「本当は、人間はこうやって暮らしていかなきゃいけないのかも知れないな。」 ユキは思った。
夜が終わろうとして、空も白み始めた頃、ユキとマモルは昨夜見た焚き火の場所に歩き始めた。こうして明るいところで見ると、立派なテントが張ってあったりして、かなりの人が生き残っていそうだ。 「いい?あたしのそばを離れないでよ。もし、身の危険を感じたら、あたしを連れて逃げ出しなさい。」 ユキは、なぜかマモルが逃げ出す時は、自分もいっしょでなくてはならない気がしていた。マモルを壊すような人たちだったら、自分も仲良くできないな、と思っただけである。 「別に、おれだけ逃げればいいんじゃん?ユキは人間なんだし、足手まといだからな。」 「あたしがおまえを破壊するぞ。」
テントに近づくと、ことのほか大人数だった。新たな生存者に、テントの中の人たちは沸いた。 人々は、テントの中に、ユキとマモルを招き入れると、温かい食べ物を勧めてくれた。 「ありがとう。」 ユキは答えたが、 「おれは食わない。ロボットだから。」 ぎゃふん。自分からバラしてどーすんだっ!?ユキは、顔面から血が無くなったかと思うくらい血の気が引いた。 「こ、こいつ、ロボットだぞおっ!」 テントの中がパニックになった。 「何?ロボットっ!?」 遠巻きにいた、頭髪が後退しているおじさんが、マモルに駆け寄ってきた。 「捕獲しろっ!」 「子供は避難しろっ!」 瞬間的にユキはマモルを見ると、マモルはすでに跳躍しようとする体勢に入っていた。 「マモルっ!」 叫んだのは、ユキではない。頭髪が後退しているおじさんだった。 「佐渡教授っ!?」 「こつはロボットじゃないっ!ロボットじゃないんだっ!」 佐渡教授と呼ばれた男は、マモルをかばうと同時に、渾身の力を込めて、みんなに向って叫んだ。
「佐渡先生が実験している人形だって事はわかったがよ、本当にコイツ暴れださないんかな。ホラ、前の時もロボットは突然暴れだしたろ。」 テントの中にいた男たちの中の一人が、佐渡教授にとも、皆にとも聞かせるでもなく呟いた。 ユキは売られたケンカを買うかのごとく、そいつに噛み付いた。 「あたしは、ロボットショーのパニックから、こいつに助け出されたのよ。暴れるなら、とっくに暴れてるはずでしょっ!」 「そうかも知れないが、縛らずとも平気かね。」 「おれたちは、ロボットのおかげでひでぇ目に合ってるんだぞ。」 やいのやいのと収集がつかないくらいの不平不満が渦巻いた。
「おれは、今回のロボットたちの氾濫は、マザーブルーが原因だと考えている。」 佐渡は、皆に向って叫んだ。好き勝手な言い分たちは、それなりに納まり、みな佐渡に注目した。 「なんとかマザーブルーのソフトウェアを見て、それを確かめたいんだが、こんな状況では、マザーブルー、というか、ネットワークに接続する手段すら無い。」 落ち着いたところで佐渡は切り出した。 なぜこんな事態に、ロボットが人間たちに牙を剥くようなありえない状況になったのは、何が原因なのか、今もって誰もわからない。 佐渡は、みなの前で、教授と呼ばれちゃったもんだから、佐渡本人もいい気になっちゃったし、回りの皆も、 「佐渡は教授で頭がいい。」 と思い込んだようだ。実際、このテントの中の何人かは、佐渡と顔見知りであるし、事実、佐渡は、近くの工業大学の教授をしており、自分の研究室でコンピューターの研究をしていた。 ユキは、佐渡に問いかけてみた。 「それは、マモルと何か関係があるの?」 「パーセプトロンって聞いた事あるかい?過去、フランク・ローゼンブラットと言う学者が研究していたコンピューターさ。コンピューターと言っても、学習装置って呼んだ方が適切なシロモンだ。」 「学習装置ぃ?」 ユキはマモルの顔を凝視した。 「ぜんっぜんそんな高尚な装置に見えないわよ、これえ。」 マモルは、この時、殺意について学習した。 「マモルの頭の中は、ノイリスタというシリコンセルを、人間の脳細胞と同数程度である150億個ほどを詰めた、化学的な人工頭脳なのだ。いや、頭脳と呼ぶよりも、電池の一種かな。」 佐渡は、ユキの発言を無視して先を続ける。 「ええっ?マモルは、コンピューターで動いてるんじゃなくて、電池で考えて動いてるってこと?」 「概念的に言えば。」 なぜか佐渡教授は、バツが悪そうにトーンを落とすと、続けて説明した。 「パーセプトロンは、あまりに混沌としているから、カオストロン、などと冷笑されてきた歴史を持ってるんだ。人間の脳細胞も同じだが、ただあっただけでは働かない。これらが、互いに結合する事でマモルの知識が増えるのさ。」 マモルのボディの中を形成するものは、ノイリスタという一種の神経細胞で構成されているが、このノイリスタの束、電池頭脳や、その他の神経を教育するのは、佐渡教授の役目であった。教育と言うよりも、躾と言った方が的確かも知れない。マモルを動かす全てのプログラムは、インプットするのではなく、徹底的に仕込むのである。仕込まれたプログラムは、まったくの偶然であり、奇跡的にこれら150億個あるノイリスタの一部を結合させてゆく。その結合の仕方は、極めてランダムで予測不能なのだ。時には物覚えが悪く、時には、自分から学習する事もある。 「要するに、人間の脳と同じってこと?」 「思考のプロセスは、極めて近いものと信じて作っとる。」 「マモルが、アナログ式のロボットだって言ってたのは、そういう事だったのね。」 「ただ、ヤツもコンピューターの端くれだな。ごく稀にデジタルな神経でノイリスタを結びつける時があるのだ。その部分は、普通のコンピューターと接続する事が出来る。」 「ひょっとして、マモルも今ロボットを動かしてるネットワークに入っていけるって事ね。」 「その通り。モデムに相当する装置も背負ってるし、マモルをマザーブルーに接続できれば、あるいは何とかなるかも知れない。」 「ちょっと、それでマモルも狂っちゃったら、どうするの?」 「もったいないけど、マモルを壊すっきゃないな。」 「ちょっとあんた、それでも人間なの?マモルは見た目人間なのよ。」 「見た目はね。でもロボットだ。」 「別の方法を探しなさい。マモルが危険じゃない方法。ないの?別の方法。」 「さあ、マザーブルーに接続するには、マモルを使うしかないし、マモルの行動も思考も、まったくの予測不能だ。吉と出るか凶と出るかは賭けだな。」 佐渡教授ってのは、いい加減なヤツだ。とユキは思った。マモルのいい加減さも、こんないい加減なヤツに教育された結果だったのだ。
「それじゃ、行って来るわ。」 マモルが後ろから声をかけてきた。 「行くってどこへ?」 「通信圏内に入らないと、マザーブルーには接続できない。ここから2kmも南下すれば、通信圏内に入ると思うよ。」 マモルの代わりに佐渡教授が答えた。なんと、マモルはすでにマザーブルーに接続する気マンマンになっている。 「マジでマザーブルーに繋ぐの、コイツ?」 「マジ。」 「マモル、あんた怖くないの?」 「別に。」 ノリが軽いな、コイツ。 「あたしもついて行くわ。何かあったら圏外に引きずり出すからね。」 「おう、頼むわ。」 マモルは、ポップにユキに頼んだ。 「マザーブルーの全てのポートは、1085584231に接続すれば、なんとかなる。」 「え〜?覚えられないよ。手に書いて行くわ。」 コイツ、ホントにコンピューターか?ユキの頭までおかしくなりそうだった。
|
|