白金台、新田相談役のマンション。100u以上のリビングの天井からシャンデリアがぶら下がり、薄暗い部屋の中を、ボヤっと照らしている。ホームバーが片隅に、と言ってもこれ見よがしに設置してある。高級ソファが置いてあって、20人以上が一度に座れるんじゃないかと思うくらいの大きさだ。じゅうたんは毛足が長く、靴で上がり込んでいるせいか、ふかふかと沈み込む。 「まったく、家賃はいくらなんだ?」 と、大屋は見回しながら思った。対面にはカクナカ社長の倉田と、相談役の新田女史。こんな所では、ウィスキー、ロックでいきたいところだ。と大屋は思ったが、2ヶ月前に酒の席での大失態と、その結果として、目の前の倉田に迷惑をかけている。ここでまさか、「ホームバーがあるなら酒を飲ませろ。」とは言えない。 倉田も酒は飲まない。いつもホットコーヒーだ。そのホットコーヒーをすすりながら大屋に言った。 「体のお加減はどうですか?」 「その節は迷惑をかけてすまない。もう頭の傷はすっかり良くなったし、雨でも降らなければ肩の方も痛みはない。もう働けるよ。」 「それは良かった。」 と、倉田は満面の笑みを浮かべて大屋を見つめながら続けた。 「大屋さんもお分かりと思いますけど、ウチもかなり苦しいので、タダで金払うわけにはいかないんですよ。」 倉田は、カクナカと大屋、長谷川との間に交わされた契約金のことをストレートに言った。大屋は、倉田を遮るように言った。 「あぁ、もう体は回復しとる。長谷川もいつでもスタンバイOKだ。仕事もバリバリこなせるよ。」 倉田は、大屋の言い訳を微笑んで見ていた。コーヒーをすすった。 新田女史が横からキツい声で大屋に言った。 「木本建設は仕事を持ってきました。」 大屋は新田をギロリを睨み、言い返した。 「おう。加藤を現場に行かしとる。」 「大屋支社長は何をしてらっしゃるのですか?」 一体、この女は何を言いたいんだ?と大屋は思った。木本が仕事を持って来た。自分の部下である加藤に現場を管理させた。部長である長谷川も承諾している。加藤に手抜かりがあれば、長谷川がなんとかするだろう。彼も百戦錬磨、とは言わないが、設備を20年以上も経験している。そんな40戸のマンションごとき大屋にとっては、何の苦労もない新築工事だ。取りも直さず、加藤とて、設備の現場管理をして5年目程になる。もういっぱしにやってもらって、そんな物件にいちいち上司の手を焼かすほどでは困るのだ。 「では、言葉を変えます。三友建設は、何をしてらっしゃるのですか?」 大屋は、全てがわかった。 大屋の心中では、倉田が仕事を持ってくるはずだった。倉田が精力的に動いて、ゼネコンからカクナカに仕事を持ってくる。東京で処理できるだろう工事を、大屋であり、長谷川、加藤がこなしていくはずだった。そのための設備人材集めではなかったのか。 そんな事に、苦しいカクナカがわざわざ高い契約金を払うわけがないだろう。と倉田の顔が言っていた。大屋は、とっさに立ち上がって叫んだ。 「おれたちは仕事を待っていたんだっ!」 「待っていたのでは仕事は来ません。」新田は無機質な冷たい声で大屋に言った。 「おれたちは、設備だ。現場の人間なんだ。工事があってそれをこなしていくのが仕事だ。」 「とにかく、三友建設に行って仕事を取ってきて下さい。なんでもいい。カクナカには今、仕事が必要なんです。これはカクナカと大屋さんが締結した、契約なんです。」 倉田は、大屋から視線をそらすことなくキッパリ言った。
大屋は一人でエレベーターの中で考えた。 おれが営業だと、ふざけるな。三友建設では前途洋々だと言われた。「大屋さんの人を育てる能力を今こそ活かす時だし、活かす場所だ。」と上司も言っていた。営業の連中にも、営業が経験した事のないビッグプロジェクトに設備の部長が挑戦することに、やっかみも出た。契約金もふっかけた。おれに仕事をさせたら、そんな金額じゃ収まらないという自負と気概があった。 カクナカの事務所を思い出した。長谷川一人と、若造が一人。今にも潰れそうな事務所に頼りないメンバー。いまさら古巣に「仕事を下さい。」などと泣き言は言えない。 「長谷川をやるか。」ポソっと呟いた時に、エレベータは地下1階の駐車場に着き扉が開いた。 そこには、岸部が待っていた。 「お疲れ様でした。」 岸部は大屋を車へ促すと、自分は運転席に行き車を出した。 「今の話、知ってたか。」 大屋は運転する岸部に、独り言のように聞いた。 「いえ。」 岸部は運転する視線をはずさず、いつもの声で答えた。 「こいつも敵だったな。」そう思い、大屋はため息をついた。 「明日は雨だ。」 大屋は言った。 「へ?天気予報聞きましたん?」 と、関西弁で岸部が聞いた。 「肩が痛む。」 大屋は、いまいましげに肩をさすった。
加藤はご機嫌だった。久々の作業服だ。他の奴は作業服で外を出歩くなど、みっともない、会社の恥だ、土建屋だ、辞めてしまえ、くらいの勢いだったが、加藤など、作業服のまま電車まで乗ってしまう。身軽さがたまらなく良かった。 駒込から新宿を経て立川へ。旧国鉄遊地をJRが手放し、そこへマンションを建てる。JRの土地だったために、広大な上に駅前だ。その一角、地べたが建物の形に掘られていた。根伐が開始され、杭の打設は終わっているようだ。 雨が降っているため、工事は中断している。 加藤は現場事務所を見つけると、扉を開いて事務所に入っていった。 「ちわー。設備の加藤です〜。」 「おー。」っとそれだけ。なんともツッケンドーだった。 事務所の中は二人だけなので、どちらが所長か一目瞭然だ。加藤は、その二人とも初対面だった。自己紹介の後加藤は状況を説明した。 「木本からカクナカに出向していて、今は木本の看板で設備担当っす。自分でも良くわかりません。」 と、手短に説明した後、 「ま、とりあえず普通にやっていくんで、図面とか書類とかチェックしたいんですよ。提出書類ありませんか?」 「知らねぇ〜なぁ」 と、所長からはなんとも気のない返事。 「へ?打合せ議事録とかは?」 「見た事ねぇーぞ。」 「施工図は?迫田さんが来てチェックしてると思うんですけど。」 「施工図なんてねぇーぞ。それに迫田なんて1回も現場来てねぇーぞ。」 やられたっ!加藤はとっさに思った。 部長の田口は、「今のところ迫田が現場に行って管理してるし、そのまま引き続き迫田が管理するから、加藤はたまに現場を見て状況だけ把握してればいいよ。見るくらいしないと岸部さんに立つ瀬ないだろ。」と胸を張って言い切っていた。設備部にいた頃、田口に騙されまくっていた自分を思い出した。 「本当に週に1回しか、来れないのかね?おれ」と加藤は思わずにはいられなかった。 「所長、とにかく、業者さん呼びますわ、おれ。設備と電気。所長、連絡先教えて下さい。」 「知らねぇ〜よ、おまえが知ってるはずだろ。設備なんだから。」 ええ〜ぇえ?この目の前の所長は何も知らない。ここまでぶっきらぼうだと、加藤の立場を理解できないのは当然として、木本建設、すなわち自分の会社から状況を聞いているかも定かではない。ましてや、自分の現場に出入りする業者の連絡先もわからないような、おろかな所長なのだ。 加藤は一気に自分の考えを切り替えた。所長は頼りにならない。恐らくここにいない設備部の迫田も同様だろう。現場を見回しただけで、施工図が必要なこの時期に施工図が無い。よって時間が足りない。 加藤は現場の電話を借りて、木本建設設備部へ電話をかけた。武田恵美子が電話口に出た。 「あ、加藤さん。例のね、データベースを支店長のパソコンで使えるようにする日が決まったの。今週来れる?」 と、武田久美子がのんびりした口調で加藤に聞いてきた。 とりあえず、指定された日に木本建設へ行く予定を手帳に記入すると、電話を持ち替えて武田恵美子に伝えた。 「課長はいる?いない?じゃ部長に代わって下さい。」 保留音の後、田口のダミ声が電話の向こうから聞こえてきた。 「あ、部長、迫田さん、立川に来てないみたいっすよ。書類も図面も無いので、週1回の現場管理じゃ追いつきそうにないです。カクナカとは、本当に週1回って言ってあるんですか?」 と聞いたところ、田口から、 「おかしい。迫田は行ってるはずだぞ。」 「所長は来てないって言ってるし、事務所ン中も来た形跡がないっすよ。なんたって書類が無いくらいだから。」 「あぁ、確認しとく。これは吉崎さんに言ったのか?」 「いやぁ、言ってないです。吉崎さんの耳に入れとくようなことですか?」 「あぁ〜、いや、こっちでなんとかするから、言わんでいいよ。」 「よろしくお願いします。それで・・・」 加藤の受話器が不通になった。田口が一方的に電話を切ったのだ。まったくせっかちにもほどがある。 設備部長である田口は、極めて普通に迫田が現場を管理しているものと思っていた。それよりも加藤が気になったのは、田口がこの話を吉崎の耳に入れることを警戒していることだった。吉崎は、今ではカクナカに出向してる身だし、その人間に設備部のおかげで現場がうまく管理されていないことを悟られるのがカッコ悪かったのだろう。部長が部下の管理を隅々まで見れるとは思っていない。 「ましてや、田口だし。」と加藤はつぶやいた。 吉崎に報告すると田口は言っていたが、体裁を取り繕い、おそらく吉崎の耳には入るまい、と加藤は思った。ひょっとしたら、田口は体裁を取り繕うこともしないであろう事も加藤にはわかっていた。 加藤は、カクナカ東京支店へ電話をかけた。 「加藤です。岸部部長はいますか?」 「あぁ、ごくろーさん、どう?久しぶりの現場は?」 と電話の向こうは呑気だった。 「岸部部長、すいませんが、久しぶりすぎてどうもカンが狂っちゃって。しばらくは週に1回だと体もしんどいので、、週に2、3回くらいに増やしても構わないですか?とりあえず、明日も現場に来ようと思ってるんです。」 加藤は、とりあえず感想まじりに岸辺に言い訳をし、希望を伝えた。 「あぁ、ええよ。早くカンを取り戻してや。これからバンバン仕事来るでぇ〜。」 とハートフルな返答が返ってきた。 「すいません。すぐに追いつきますから。」 と、加藤は他人事のように返答し、電話を切った。 「なんだって?」 隣で加藤の電話のやり取りを聞いていた所長が、興味深げに聞いてきた。 「あぁ?これから業者さん呼んで話します。待ってる間、図面チェックしますよ。」 加藤はこれだけ所長に伝えると、ため息をつき、「なんかみんな思惑と違くない?」と一人でつぶやき、頭に浮かんだ者たちに向かって語りかけた。 現場事務所の窓から見える現場を一回り眺めて、進捗状況を掴もうとした。雨が鬱陶しかった。
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