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作品名:建設業サラリーマンの冒険 作者:Sita神田

第6回   手土産は突貫の現場
時代はWindows95だった。昨年末発売になったWindows95は一種社会現象となり、秋葉原では、午前零時に打上げ花火と共に販売が開始され、単にパソコンのOSと言うだけのソフトウェアパッケージに人が群がった。宣伝も大々的にぶち上げられ、Windows95を買えば何でも出来るような文句に踊らされた輩も少なからずいた。
加藤の後輩は、現在流行の最先端、と言うだけでWindows95を買ってきた。箱を開けたらCDが入っていた。CDラジカセに入れたが、ジーっと回ったまま曲数も表示されない。一体コレは何なのかもわからないまま、箱の中に同梱されていたマニュアルを読むこともめんどくさく、開く事もしなかったので、誰にも聞くことも出来ず、しばらく放置しておいた。秋葉原を歩いていたら、どこかで見たようなロゴの宣伝が掲げてあった。良く思い出したら、この前買ったWindows95ではないか。なぁ〜んだ、パソコンが必要だったんだ、と加藤の後輩はそこで気付き、買ってきたWindows95を普通ゴミと一緒に捨てた。

Windows95の出現によって、ビジネスシーンが大きく変わろうとしていた。
Excel、WordとOffice製品と呼ばれるソフトが充実し、表計算などのソフトで見積書などを作った方が、計算ミスも無く、何よりもパソコンで印刷した見積書はかっこいい、と誰もが思う事になるのは、少なくとも建築業界は、まだもうちょっと先。
実は、ローマ字を思い出しながら、キーボードのキーを捜し、運良く日本語が打てたとしても、誤変換でスペースキーを連打、うぉ、ぎょ、などの文字が出て来ようものなら、トライ&エラーを109回は繰り返し、表の大きさを変えるにも2時間は悩まなくてはならない世の建設業サラリーマンは、紙に鉛筆で字と数字を書き、電卓で検算も含めて5回くらい計算した方が、まだ時間的に有利だった。

時代的にはそんな状況だったので、一気に普及するわけではなく、まだまだ既存のパソコンなどはWindows3.1で使っている企業も多かった。
木本建設設備部にある、たった1台のパソコンも例外ではなく、Windows3.1がそのまま使われており、加藤の作ったデータベースは、めでたく実を結び、かなり便利重宝に使われている。データ量もほとんどキングジムの顧客ファイルを見ることなく検索できるまでとなっていた。設備部以外、特に建築工事の事務部署では、事務処理として、せめて、対外的な書類だけは活字にしよう、と言う事で、だいぶ前からワープロ専用機を5台も導入していた。が、一たび竣工書類作成時期ともなると、大忙しだったが、忙しいのはワープロを扱える者だけで、他の者はワープロ担当者に打ってもらう文書の下書きを手に、待ち状態だった。
加藤はそんな状況をみて、待っている現場員に、こっちのワープロが空いているんだからこっち使えばいーじゃん。と言った事があったが、現場員から帰ってきた言葉は、
「どうやって使うのかわからない。」ズッケコだった。

そのような状況の中で、経営者層は、真剣にパソコンの導入を考えていたようだ。
木本建設の東京支店の支店長である片岡は、特にパソコンの必要性を考えていた。世間を見ても、ビジネス誌を読んでもこれからはパソコンを使いこなす事により、効率化を確保する記事が目白押しだった。自分も支店長室にノートパソコンを置いて使ってみた。だが、今ひとつピンと来ない。我が社においてパソコンを使うと言う事はどういう事か、一体どこに、どう使えば良いのかがさっぱりわからなかった。
毎週一度、支店長は各部の部長を集めて部長会なるものを開催していた。工事部の部長が、しどろもどろながら、今週工事が遅れ始まった現場の名を伝えて、対策を報告する。支店長である片岡は、その報告に矛盾点を見つけ、そこを突く。工事部長は、たった今気がついたのであろう、「はぁ、その件につきましては現在調査中でありまして・・・」などと取り繕った。
「バカヤローっ!、真っ先に手を打っとくべきだろうっ!」
などと、片岡は怒鳴っている。
一通り、部長連中が怒られたところで、片岡が切り出した。
「ところで、パソコンを有効に活用している部署はあるか?あ、無いぞな。そーだよな。」
と、独り言のように呟いた後に、
「パソコンを活用することで思いつくことがあったら、ドンドン取り入れていきたい。提案を待っている。」
と、怒鳴った。
「恐れながらっ!」
と、田口が立ち上がり、カクンと腰を折った。
「我が部には1台パソコンを導入しておりまして、みなが便利重宝に使っております。」
「何っ!1台のパソコンをみな便利にかっ!」
「御意」
「有効に活用しておると申すか。」
「御意」
「ええぇ〜い、どのように活用しておるのじゃっ!」
支店長と、設備部長の格差とは、かくも殿様と足軽ほどの差があった。

設備部では、武田恵美子がパソコンに向ってパタパタとデータを打ち込んでいた。
加藤が作った建物管理システムに、不足していたデータを追加入力している。データベース化されているので、追加するデータも、物件を検索して定型入力とされているので、打ち込みやすく、データが増えるごとに検索もやりやすくなった。
武田恵美子の背後からにゅうっと顔を出したものがいた。支店長の片岡だった。
「あ、ご苦労様です。」
武田恵美子は言って、立とうとしたところで片岡は言った。
「これが、建物管理システムか?」
どうやって使うんだ?と片岡は武田恵美子に聞いた。
「あぁ、例えば・・・」と、画面に向って、所長の項目のところに「片岡」と入力した。30件ちょっとが瞬時に画面にダラっと表示された。
「おおっ!」
なんと片岡はこれだけで感動したようだ。
「ファイルを見ながら打ったので、恐らく合ってると思うんですけど」と武田恵美子は言った。
「おぉ、合ってる合ってる。おれが所長時代にやった現場だ。懐かしいなぁ〜。」
「そう言えば、この近くに現場があって、遊びに行った記憶があるけど、所長は誰だったかなぁ〜?」
次に、武田恵美子は、似たような住所を検索してみた。3件がヒットした。1件は片岡が所長だった現場。もう2件は大崎という所長がやった現場だ。
「あぁ、あの現場は大崎が所長だったんだっけな。随分規模が大きかったような気がしたが、これで見ると・・・」と、片岡が独り言を言ったところで、武田恵美子が、
「地下1階、地上8階ですね。2,400uだそうです。」
と答えた。片岡は、しばらく設備部の1台のパソコンにかじりつき、後ろで田口がそんな光景を満足げに見ていた。

加藤は、ヒマな生活を大満喫していた。何たって仕事が無いのだ。やりたい事をやりたいようにやる。倉庫の整理もやった。事務所の大掃除もやった。書庫のファイルの整理もやった。拾ってきたパソコンのデータを覗いてみた。ん〜、やっぱサブコンのやる事は進んでるなぁ〜、と加藤は思った。
消防設備の検査資料と言う事で、全ては様式が決まっている。ワープロなどでデータを入力して印刷すれば、ある程度書類が量産できるのだ。たいしたものだ。
そんなところへ、加藤あてに電話があった。吉崎だった。
「お疲れ〜。どう?カクナカ。」
「お疲れ様です。のんびりしていいところですよ。」
「なんだそりゃ?」
加藤は、今まで馬車馬のように働かされた毎日のカタキをとるようにのんびりしていた。そう思っていたが、のんびりと言う加藤の言葉は、吉崎には嫌味に聞こえたようだ。
「まぁ、周りに人がいたら答えづらいだろうから、はい、といいえだけでもいいから答えてよ。今の仕事はヒマ?」
「はい」
「長谷川部長は、ヒマそう?」
「はい」
「大屋支社長は会社に来てる?」
「いいえ」
大屋支社長、名前は聞いたことある。が今の加藤にとってはどうでもよく、だからなんだ?と思った。怪我をして会社に来られないと聞いた。つくづくおかしな会社だな。と思った記憶が加藤にある。
「うん、わかった。今度飲みに行こう。」
「はい」
電話は切れた。

土木の支店長である滝川は、建築の支店長室にいた。滝川は片岡に言った。
「なんか仕事ねぇーかなぁ?」
「なんかって、なんです?」
片岡は滝川に聞き返した。この二人の力関係は滝川の方が上のようだ。
「カクナカに言った加藤に仕事を与えたいんだよね。なんか適当な現場ねぇーかな。」
「三友へのアテツケですね。着工したばっかりの現場があるので、あとで設備の田口部長へ話しときますよ。加藤には、現場管理させるんですか?」
「うーん。せめて週一が良いとこにしたいね。基本的に加藤には事務所にいさせたい。」
これは、現場を管理するという事は、現場に行かなくてはならない。加藤が現場に行く頻度は1週間に1回程度で、それ以外は事務所にいて欲しい、と滝川は言っている。
「田口部長に話しておきますが、加藤のことでひとつ条件があるんですが。」
と片岡は、うまい具合に滝川がやって来たな。と思い、条件を滝川に話した。

岸部が加藤の所にやって来た。
「加藤くん、吉崎さんからワシに電話があって、木本さんが仕事くれるらしいで。呼ばれたんで、いっしょに行こう。」と言ってきた。
駒込から秋葉原なのだが、岸部は車で行くと言い張った。加藤は渋滞とかしないのかな、と思ったくらいで、特に反対する決定的な理由も無かったので、便乗する事にした。

「大屋支社長、それでは行って参ります。」と岸部は、支社長室の扉を開けて、挨拶しているのが見えた。
「それじゃ、たのむなぁ〜」と支社長室から、大屋の声が聞こえた。
この頃、大屋は頭の傷が完全に塞がり、カクナカに出て来ていた。だが、右腕が思うように動かないらしく、体を傾けている。加藤とは挨拶をした程度だ。
水道橋を抜けて、慣れたように運転する。
加藤は、現場をあちこち行っているので、わりといろいろなところを出歩いているが、いずれも電車で動いているので、道路となるとこうは行かない。「岸部さんは、大阪出身なのに道に詳しいな。」などと思っていたら、見慣れた光景に来た。木本建設だ。地下駐車場に車を停めて、勝手知ったる、で岸部をエレベーターへ案内し、真っ直ぐ設備部へ向った。
2週間前まで毛嫌いしていた設備部へ向う廊下も、妙に懐かしかったし、こうしてサブコンの立場で上司について設備部に入るのも、ものすごく違和感があった。
同僚、先輩が、こちらを見てニヤニヤしている。どうも加藤が来る事は、みな事前に知っていたようだ。

「この度は、仕事を頂きまして、ありがとうございます。」
と、岸部が切り出した。
「いえいえ、こちらも加藤が大変お世話になってまして。」
と、田口も当たり障り無く返答する。
今回の設備工事の説明があった後、「それでは。」と田口は話を終わろうとしていた。加藤は慌てて遮った。
「あの、この工事の図面と見積もりは?」
当然ながら、設備担当者はその工事の設計図、見積書、その他仕様書、打合せ議事録等が無ければ仕事は出来ない。
着工したばかりの現場と言う事は、言葉変えれば、今や着工してしまった現場。加藤は、着工して工事が始まっている現場に乗り込む事になるのだ。

「あ、そうですね。越権になるかも知れないのですが、この工事は他の方が担当されるんですか?それとも、こちらの加藤が?」と田口は聞いてきた。
岸部はすかさず答えた。
「ウチには設備全般を見れる人間がおりませんので、加藤くんに見てもらお、思てます。」
「あ、それは丁度いい。図面も今製本に出してまして、持って行って頂ける設計図書もいま切らしているものですから。あとで加藤くんに持たせるか、現場で見るようにして下さい。」
岸部が聞いた。
「了解しました。あと週一程度に加藤くんは現場に行って管理すれば良いですね。」
「そうですね。それとこちらで現場打合せを行いますので、現場である立川と、この設備部と行ったり来たりになると思います。」
「早速、今まで現場に行っていた担当者との引継ぎに入りたいと思うんですけど、岸部部長はどうされますか?」
「あぁ〜、それではワシはいても仕方無いので、これで・・・」
と、田口は岸部を追い返すように、しかも加藤そっちのけで打合せを閉めた。
「それではっ!」と岸部が立ち上がったのと同時に田口も立ち上がった。田口は岸部をエレベーターまで見送るようだ。
岸部と田口が離席したのと入れ替わりのように武田恵美子が入ってきた。
「あぁ、久しぶりですねぇ〜。」と、間延びしたように加藤が武田恵美子に話しかけた。
「あの、実はね〜。あのデータベース、支店長のパソコンに入れて欲しいの。」
入れて欲しいって、パソコンにデータベースかよ。「ちぇっ」とかふしだらな想像をしつつ、加藤は武田恵美子に聞いた。
「いいけど、そらまたどうして?」
「わたしが支店長の前で、あのデータベースを使ったら、羨ましがっちゃったのよ〜。できるぅ?」
「うん。支店長のパソコンにLotusってソフトを入れて、あのファイルを設備のパソコンから支店長のパソコンにコピーすれば使えるよ。」
「ほーぅ、ちょっとあたし支店長の予定、見てくるね。」
とうれしそうに打合せブースを出て行った。
そこへ田口が戻って来て言った。
「おう、立川の現場は山田所長だ。初めてか?」
そこで、今までの設備担当は、先輩の迫田が担当だった事。物件は極普通のマンション新築工事であること。これまで通り、迫田が設備担当として入っているから、加藤はたまに現場に行って岸部に報告できる程度でよい事、その他の時間を木本建設に帰ってきて、別の仕事をして欲しい旨を伝えられた。
「別の仕事って言うのはだな、例のデータベースの件だが、部長会でおれが、設備部は最先端だ。パソコンをこんなして活用してるっ!って報告したら、支店長が羨ましがっちゃって、いま武田さんに対応させてるんだけど、武田さんに協力してやってくれぃ。今日は支店長いない見たいだけど、武田さんに調整取らせて、後日連絡するから。」
どいつもこいつも、片岡を羨ましがらせていることを加藤に自慢してるのか?
「早く帰りてぇ〜なぁ、めんどくせぇ。」と、加藤は思った。

加藤は、なつかしの設備部で、今度担当になる現場の図面を見ていた。適当に口裏を合わせるための担当だ、と言っても、やはり気になる。
そもそも、どうして、そんな事が必要なのか加藤にはわからなかったが、もう今となってはどうでも良かった。
さっき田口の言っていた、現場打合せが木本建設の設備部事務所である、と言ったのは、まぁ方便で、加藤を支店長のご機嫌取りに利用する事は明白だ。データベースをパソコンに入れ込んで機嫌が取れるなら安いものだ。
図面も見積も、カクナカに持って行かせたくない理由は、恐らく請負金をカクナカに見せたくなかったのだろう。週に1回と束縛する理由が良くわからない。今の加藤はヒマなのだ。パソコンでゲームをやっちゃうほど時間を持て余しているのだから、やろうと思えば、現場に常駐すら出来る。その方が、万事丸く収まるはずなのだが、週に1回の現場管理と言うことに、イヤにキッパリと田口も岸部もこだわっていた。
「まぁいいや。」と、加藤は思った。どうせ何から何まで良くわからないのだ。
それより、現場だっ!久々の現場だ。作業服で電車に乗っちまうぞっ!
加藤は、なんとなく光が差してきたような気分だった。
「土木の今井課長がおまえを呼んでたぞ。打合せが終わったら来てくれとさ。土木の購買課に行け。」
「あ、わかりました。すぐ行きます。」と加藤は田口に告げ、立ち上がった。
そこへ武田恵美子が入ってきて加藤に行った。
「今日は支店長、出かけてるみたい。明日にでも言ってみるね。」
「あー、そーっすね。こちらも予定を組むようにします。」
と、加藤は言い残して設備部を後にした。

購買課とは、主に、受注した工事を関連業者へ振り分けて、発注する為の窓口となる部署で、時に安い金額で発注したい木本建設と、高い金額で受注したい業者との攻防の舞台となる。社外には勿論だが、社内に漏れてもあまり良い結果を招く会話をしているわけでは無いので、購買課自体が部門の中でも特に隔離された空間に設けられているのが常である。
加藤は、トンネルのようになっている通路を通って購買課に入った。
果たして中には、加藤を呼んだ本人である今井と、その向かいに、吉崎が足を組んでタバコをふかしていた。
「おお、そろそろ来る頃かと思ったよ。岸部さんは帰ったの?」
他でもない吉崎が加藤に話しかけた。
「あ、お疲れ様です。」
加藤はちょっと驚いた。吉崎は神戸に行ってるものと思っていたからだ。神戸に単身赴任していると聞いていたわりに、いつも東京で会う。一体この人は何の仕事をしてるんだ?

「どう?立川の現場、イけそう?」
「いやぁ〜、どーですかねぇ?」
と、加藤は吉崎にカマをかけてみた。なぜ吉崎が、たった今受発注の成立した立川の現場を知っているのかわからないが、さっきの田口の話した内容によれば、木本建設がカクナカに仕事を発注した事実が主旨であって、加藤がその現場をうまく納めることは特に重要では無い。着工時から竣工時まで、担当者が週に1回行くだけで収まる現場などあるわけが無い。必ず週に2回、3回、いや、時には毎日その現場に行き、時にはそこで徹夜しなければ収まらない現場がほとんどだ。
吉崎が出向中とは言え、カクナカの人間となっているならば、加藤にいい加減な気持ちで現場管理をされては迷惑なのだ。石にかじりついてもその新築工事を成功させ、第2、第3の工事を受注しなければならない。
「あそ、ま週に1回でもカクナカ抜けて、息抜きでもすればいいよ。毎日ヒマこいてるのもうんざりだろ。」
と、吉崎も、わざとトボけた返答を加藤に返した。
「作業服はカクナカの作業服ではなく、木本建設の作業服を着て行くんだよ。加藤はあくまでも木本建設の設備担当として現場に入るんだ。作業服は持ってる?」
加藤は出向に出て3週間。未だ現実みのない出向に、いつ設備に戻っても良い様に、作業服は捨てずにとってある。
「大丈夫です。とってありますよ。」
「あ、そう。もし必要だったら、ここの今井に言って。土木から用意するから。」
今井が横から割り込んできた。
「必要な時があったらすぐ用意するから、寸法教えといてよ。」
加藤は辟易していた。どうもこの出向はおかしい。あまりにも上げ膳据え膳過ぎる。
これまで、「設備」という特性上、現場の中ではよそ者扱い、内勤の者には現場扱い、普段1人で現場へ行ったり来たりしているので、部内の結束もどうもイマイチ、という加藤にとって、孤立感が強く、虐げられてきたような思いがあったので、ひねくれていると言うか、斜に構えて物事を見る、と言うか、知らず知らずのうちに、あまり人の親切や、特に褒め言葉を鵜呑みに傍受できない精神構造になっていた。
「ところで、加藤はパソコンが得意なんだって?」
ヒマだの、パソコンだのと、どうして吉崎は加藤の一部始終を知っているのだろうか。加藤は、吉崎にちょっと不気味さを感じた。しかも、「パソコンが得意。」とはまた抽象的過ぎる。困惑している加藤を尻目に吉崎が続けた。
「片岡支店長も、加藤の腕をだいぶかってるみたいだねぇ。」
今井がすかさず続けた。
「こっちにも教えてくれよ。そろそろ購買業務もパソコンで管理しなきゃな、と思ってたんだ。数字もべらぼうに多くてね。」
書類をベラベラめくりながら、加藤の方に視線を移すことなく言った。
机の上には書類の山だ。パソコンを置くスペースなどない。
吉崎は、聞こえなかったかのように全く別の話を切り出した。
「ところで、三友から来た支社長と設備部長は、毎日何をやってるの?事務所からあんまり出ないの?」
加藤は吉崎の真意を計りかねたが、別に隠し立てする事でもないので、正直に答えた。
「大屋支社長は、まだ体の調子が悪そうで、1日事務所の中をプラプラしてますよ。長谷川部長は、体の調子が悪くなさそうだけど、1日事務所の中をプラプラしてます。」
「ふーん、三友建設に行ってる気配も、三友建設から電話が入ってる気配もないの?」
「気配は全くありませんね。事実はどうかわかりませんけど。」
と、加藤はありのままに吉崎に伝えた。
「大屋支社長はな、」
吉崎は組んでいた足を崩し、加藤に身を乗り出して、声を潜めて加藤に話しかけた。
「大屋支社長と長谷川部長は、三友建設からカクナカに仕事を持ってくる為に、三友建設から来たんだ。」
今までの吉崎の柔和な顔が険しくなり、加藤の目を覗き込んだ。加藤は、
「営業活動してる風じゃないっすけどねぇ〜。事務所でもヒマだって言ってるし。」
加藤は、実際に大屋が「ヒマだ。」と言ってる場面に遭遇したわけでもなく、長谷川と「ヒマだ。」と言い合ったわけではないが、
「こう、仕事が無くちゃね。加藤君も持て余すだろう。」
と、なんとも、嫌味のような愚痴のような、なんとも救いようのない問いかけを、それこそ毎日のようにしていた。加藤にそんな嫌味を言った所で何の救いにもならない。これは、「暇だなぁ」と、加藤の耳には聞こえていた。
「大屋支社長は、カクナカ社長の倉田さんが、カクナカ東京支社に仕事を用意して、それを長谷川部長がガシガシこなしていくって思ってるらしいんだな。」
「長谷川部長がガシガシ・・・って、実働はおれしかいないっすよ。他3人ほどいるらしいけど、どっかに常駐していて、おれも会った事がないっす。」
「あぁ、ま、それは置いといて。まずは木本から加藤に手土産を持たせた。」
「へ?」
ますます加藤はわからなくなってきた。吉崎の話をまともに聞いていても、理解が出来ない。加藤は頭の中を整理した。
カクナカは、一回は潰れた消防設備会社だ。消防設備会社が、起死回生に設備工事全般を請負うということで攻勢をかけたところ、そんなメンバーがいないから、加藤が木本建設からカクナカに出向した。加藤がわかるのはここまでだ。
木本建設と、カクナカの関係といえば、加藤が出向前に担当していた、八潮工業団地の新築工事にカクナカが業者で入って来た、ということだけだ。
「カクナカは、工事案件を持ってるんだよ。と言うか、将来工事案件を持つんだ。ビッグプロジェクトだ。港湾計画と呼ばれている。」
と、吉崎は、初めて港湾について語った。
「おれたちはその港湾計画の営業活動をしているのさ。」
吉崎は加藤の顔を見て、説明しなければ先に進めないと判断したのだろう。当たり前だ。
それを聞いていた今井が補足説明をした。
「土木の中では、神戸プロジェクトという工事名称で工番を取ってるから、この営業活動には予算が下りるんだよ。加藤が立川の現場にいく交通費なんかもこっから下ろすからおれに請求上げて〜。」
「カクナカ大阪本社には、鹿鳥建設、阪環工業、三居銀行、日本HAL、小塚商会が入ってる。本社だからそれなりの人数だ。神戸には、おれ。東京は三友建設と加藤が入っているって訳だ。それぞれ役割が違うけど、みんな港湾計画を狙ってんだよ。」
なるほど。三友建設も、木本建設も、みんなカクナカをお客さんと思ってるわけだ。
それにしても、あの掘立小屋を倉庫にして、その倉庫の上に机を持ち込んで、「事務所だ」と言っているカクナカと、吉崎の言うビッグプロジェクトってのがどうも結ばらない。
「まぁ、それについては難しいからね。」
と、なかなか吉崎も引っ張るようだ。
「おい、今井、メシ食いに行こう。腹減った。」
「いーねぇ〜。何食う?」
と、今井は、ゴリゴリやっていた書類を閉じた。
「加藤は、何が食いたい?」
吉崎は、柔和な顔に戻って加藤に振り返った。
「肉がいーっすねぇ〜。」
「おっ、ナイスアイデア。おれはステーキ食っちゃおうかな。」
と今井は舌なめずりしていた。


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