「あぁ、土木の吉崎課長は知ってる?」と、ダミ声がまた聞いてきた。 「コイツは、喫茶店にまで呼び出して、ワケのわからんことばかり聞いてくる。なぞなぞでもする気でこの多忙なオレを呼び出して、またいつもの嫌がらせか?」 と、不遜にもそう思っている加藤は、露骨に発言に表した。 「土木なんて、知らないっすよ。部長の聞くことは、サッパリわからないので行っていーっすかっ」 「なんだ?なんか急ぎの仕事かかえてるのか?」 加藤は、今運ばれてきたコーヒーを、田口の顔にぶっ掛けて、テーブルを蹴り倒した。 「あ、ちょうどグッドタイミング、こっちです、こっちっ!」 と、ダミ声の部長、田口は叫んだ。 加藤は、田口の顔にコーヒーをかけてテーブルを蹴った妄想から覚めた。 「あぁ、吉崎です。」 見た感じ40半ばくらいだが、それにしてはさわやかな風貌と口ぶりに、「こんな人がウチにいたんだ。」と、とっさに加藤は思った。 まぁ、こんな地下の喫茶店に田口と二人きりよりも、まだ救われるかな。と加藤は思った。 「加藤です。」と、一応自己紹介には自己紹介で応対するくらいのことは、加藤と言えども知っている。 「まぁ、こーわんの事も、この吉崎課長が良く知っているから、追々聞いてくれ。」 とダミ声部長が言った。「おぉ?こいつも偉そうに人に聞くわりには知らんのか?おぉ?」と思っただけで口には出せない。加藤もまたサラリーマンだ。
その言葉を待っていたかのように吉崎は説明を始めた。 「カクナカという消防設備業者があって、そこには消防設備の専門のメンバーはいるんだけど、設備全般を見れる人材がいないんですよ。いえ、これから設備の工事を受注しようと思っているらしいんだけど、メンバーがいないんじゃ話しにならないと言われましてね。」 加藤は、ちんぷんかんぷんだった。 それが「こーわん」なのか?一体、こいつらは、何をおれに吹き込もうとしてるんだ?それともおれの頭が悪すぎるのか?カクナカって聞いたことあるぞ。この上司は部下をペテンにかける気か?やりかけの積算はいつできるんだ?今度のウェイトレスはちょっとかわいいぞ。いろいろな思いが加藤の頭の中に渦巻いた。
「吉崎課長、たった今加藤は急ぎの仕事を持っているみたいなんですよ。それの引継ぎ期間も考慮しなきゃならないんですがね。」と田口が吉崎によそよそしく言った。 加藤は、気に食わなかった。部下に対してはことごとくエバってる田口。部外者には、これ見よがしな低姿勢で応対する。ゴマをする手が加熱して煙を吹きそうだ。土木と言えども課長にすら敬語を使ってやがる。しかも、引継ぎ期間だ?と、考えたところで加藤は、はっとした。 「こいつらはおれをどうにかしようと、こんなところへ呼び出してる。」 もっとも、部長くんだりがわざわざ、なぞなぞなどのためだけに部下を喫茶店に呼び出すわけも無く、加藤が気づくのが遅いと言えば遅いのだが、社内の動きに疎く、興味も無い加藤にとっては、ここで気付いたのも奇跡に近かった。
「でも、まぁ8月1日はずらせないので、それまでに引継ぎ等ありましたら済ませて頂かないと問題になります。」と吉崎は言った。 それに続けるように田口が加藤に向かって言った。 「まぁ、今聞いたとおりだ。抱えてる仕事をおれに出せ。他に回すから。」 「他に回すぅ?性懲りも無くいつもの決めゼリフかよ。今度はウソじゃねぇーだろおなぁ。」 加藤は思わずにはいられなかった。 まだ加藤にとって、肝心の事がわからなかった。カクナカが設備の仕事をしたがっているが、面子がいないって事はわかった。8月1日までに加藤は誰かに今の仕事を引き継がなくてはならないってことも、今の会話で察しはつく。 「カクナカは、聞いたことあるよね」 吉崎は続けた。 「はぁ、八潮工場新築工事の設備業者です。冠ですがね。」 冠というのは、いわゆるいっちょかみ業者の事で、頭に付けるだけで他、実働をしない事を指す。一般的には実は無いけど、ブランド名だけ欲しいような場合に契約に基づき名前だけ冠するようなケースの時に使われる言葉だ。 加藤は、嫌味もこめて、カクナカという業者を知っている旨を答えた。 「加藤は、岸部さんとも話をしてるんだって?」 「書類が必要だったので電話をかけただけです。会った事はありません。参考にする書類とかはもう送りましたよ。」 「ふーん、随分丁寧にしてあげたんだね。」 と吉崎は感心したようだったが、なぜこんなところでこんな会話をしなきゃならないのか、加藤にはさっぱりわからなかった。そんな加藤のわからないっぷりを察してか、吉崎が説明を始めた。 「単刀直入に言うと、これから加藤には、ウチから出向という形でカクナカに異動してほしい。普通、異動する場合は、本人に打診して希望をそれなりに聞くもんだけど、今回は悪いけど問答無用。でも心配する事無いよ。出向先は駒込。ここからも30分くらいだから、通勤も苦にならないと思う。給料は木本建設から出すから、条件も変わらないよ。」 「異動日は、今話が出たように8月1日。普通はその後も引継ぎとかで猶予があると思うんだけど、これは先方もあることなので厳守なんだ。それまでに身の回りは整理しといて。おれは、もうカクナカに入ってるんだよ。」 ん〜、こんな田口の話よりもよっぽどわかる。要するに設備の人員のいないカクナカに出向して、設備業務やれってのね。 土木の吉崎もカクナカに行っていると言うことだが、設備の仕事をする奴が欲しいのに、土木が行って、何やんの?と加藤は思ったが、そんな疑問よりも、もっと大きな疑問を吉崎に投げかけてみた。 「で、こーわんってのは、何なんですか?」 「あー、加藤はわからなくていーよ。」 吉崎は答えた。 加藤の口は、パカっと音をたてて開いて、戻らなかった。
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