その日は週末だったので、吉崎と加藤は、神戸支社の社用車でドライブに行こうと言うことになった。目的地は米奥地区。この土地は、周りに建物が無く、平坦な土地がどこまでも続く為、山陽高速道路の高台にあるパーキングエリアから全貌を見渡せるらしい。ということで、パーキングエリアで、二人は車を降りて、その地を見渡した。住所も決定していないような土地の集合体ということで、道路も整備されておらず、生い茂った森の真ん中に田園風景が広がっており、たまに店があったりする程度だ。二人は、そのパーキングエリアから道路を飛び越えて外に出た。ガソリンスタンドの隣に八百屋があって、その向こうはいきなり森になっており、その前面は田んぼが広がっている。加藤には、なんとも奇妙な土地のような気がしてきた。思ったよりも人はいるのだが、みなヒマそうだ。歩いていると、皆、吉崎と加藤を振り向く。ジーっと見ないまでも、チラっとみるのだ。何か注目されているような気分。なんとなく、午前中なのに、もう黄昏ているような雰囲気の時間、というか、土地の雰囲気だ。息苦しい。 「本当は、住所などはあるんだよ。だって、人が住んでいるのに、郵便物も届かないし、第一生活できないもんな。」 吉崎の言うことはもっともだ。が、いやな雰囲気の他は特に普通の田舎の奥地に広がる田園風景とさほどは変わりないが、どうも常に誰かに見られている気がすることが、さらに空気を重くする。 「実は、木本建設から、この米奥に調査グループが入っているんだ。測量とかやってるんだけど、そのうち、そのデータは早川さんの所へも行くと思うよ。データベースが完成したら、それらをコピーしといてくれ。全体像にならないと、なかなかイメージわかないからね。」 「了解。」 なんとなく、いやな雰囲気の上に、雨までパラついてきた。二人は早々に車に戻って、発進させた。目指すは京都。日本海を見て蟹を食うのが当初の目的だ。 二人は、晩飯に蟹をたらふく食った。1杯1500円の蟹を3杯。魚屋の前の道路にンコすわりで、醤油は魚屋から借りた。土建屋の観光旅行はワイルドだ。
加藤は、立川の現場管理のために東京支社へ戻った。東京支社へ戻れば、それそれでまた多忙な毎日が続く。仕事は立川の現場管理だけではないのだ。四本商事を初めとする消防設備の保守を年間契約している顧客の書類作成や、顧客との調整の為に、大阪、神戸と違い、外回りが多い。その合間を縫って、木本建設に行っては、東京支店のPCネットワーク構築と、営業情報、現場情報をはじめとするデータベースを整備しなければならなかった。最近では、部署内の社員も、ケーブルを引き回す事くらいはできるようになったので、加藤は、パソコンの設定などを行えば、十分に活用できるくらいの環境になってきていた。 そんな中、加藤が珍しくカクナカ東京支社で事務処理をしていると、神戸にいる吉崎から連絡が入った。 「今、三友建設から来ている二人は、何をしている?」 「何、って別段いつも通り、変わりなくヒマそうにしてますよ。」 「ふうん。長谷川部長は、相変わらず三友建設に行ってるのかねえ。」 「日中、フラっとどっかに出かけてるので、その間に三友建設に行ってるかも知れないですけど、最近では、支社長室にも入っていかないところを見ると、行ってないか、行ってても空振りでしょう。」 「そうか。ちょっと、暫く東京に居て、大屋さんと長谷川さんが何をやってるのか見といてくれないかなぁ。」 「え?今言ったような報告でいいんですか?長谷川さんがどこに行ってるのか、とか尾行しないとわからないっすよ。長谷川さんに、どこに行ってたか聞くのも、不自然だし。」 「いや、変わった事があったら、こっちに連絡くれるだけでいいや。」 「はい、わかりました。」
それから何日もしないうちに、朝二人が出勤して来なかった。 加藤は、その日朝から3階にある経理部に行っていたが、2階にある事務所に降りてきたら、岸部が慌しく、誰かと電話連絡を取っている。加藤は事務をしている女性の坂本に聞いてみた。 「なんか、今朝は慌しいみたいで、長谷川部長も来てないけど、何かあったの?」 「あのね、今朝突然に、大屋支社長と長谷川部長はクビになっちゃったみたいなの。」 「ええ〜っ!今朝突然クビになっちゃうものなの?」 「ここは、なっちゃうかも。」 岸部は、電話の受話器を置くと、血相を変えて走り出した。どこへ行くかと思いきや、扉を開けて外へ出て行く。加藤は、露骨に笑うと、岸部の後を追いかけて行った。 行けば、カクナカ東京支社と駅の丁度中間くらいに位置するところにある喫茶店に、入っていった。
「まったく、ヤツは何を考えているんだ。」 大屋は、走ってくる岸辺を窓越しに見ながら、コーヒーをすすって吐き出すように、前にいる長谷川に呟いた。言葉が汚いわりに、覇気がなく、途方に暮れている感じだ。 岸部が入っていく喫茶店の中に、大屋と長谷川二人が面と向って座っていた。 「さあ。でも僕らのために、岸部さんは大変そうですねぇ。」 僕らのため、と言ってはいるが、その長谷川はいかにも他人事のようだ。 「ヤツってのは、倉田だ。」 実は今朝、岸部が出社するなり、倉田から、大屋と長谷川を東京支社に入れるな、という連絡が入ったのだった。そして、普通に出社してきた長谷川を岸部は追い出してしまった。倉田教とも言える岸部は、倉田の言うことに、口答えをする事は滅相も無い事だったし、倉田の言うことは絶対だった。まずは長谷川に事と次第を伝えると、長谷川は仕方なく駅に向った。これから出社してくるだろう大屋を捕まえて、二人で交戦しなければならない。 長谷川は、別にこんな会社に未練は無いが、自分のノートパソコンを会社に置きっぱなしだ。あれが惜しい。 30分ほど外で待っていると、大屋が支社に向って歩いてきたのを捕まえた。長谷川は大屋に事情を説明すると、とにかくわけを知りたく、岸部を呼んだ。大屋にとっては理由は明確だった。いつまでも三友建設から仕事を取ってこない大屋と長谷川に、倉田は業を煮やしたのだ。倉田は契約どおりに、大屋と長谷川に月々の契約金を払っている。大屋と長谷川は、契約通りの仕事をしていない。倉田にとって、明確な解雇の対象になりうる。が、いつも通りに出社してきた支社長に対する仕打ちにしては、あまりにもひどすぎる。 長谷川も、毎日三友建設に行くのが日課になったし、これからバンバン仕事を取ってきて処理できるはずだ。と大屋は思っていた。 とにかく、呼び出した岸部に事情の説明を詰め寄ると、岸部は倉田社長の指示である、の一点張りだった。電話も無いので倉田と直接話すわけにも行かず、とりあえず、事務所に入って、私物だけでも取りに行かせるよう倉田に折衝するように岸部に命令し、自分らは喫茶店で待機した。 なんとも惨めだった。一体この先、どうすればよいのかわからない。 「会社に戻って、出向を解いてもらわないといけませんね。」 長谷川は、ヌボーっと大屋に言って、たばこの煙を吐いた。 「お前は幸せだな。」 長谷川の言う、会社とは、三友建設の事だ。 「おれたち二人は、一体何しにここへ来たんだろう。」 自問するように大屋は長谷川に言った。無論、大屋の納得のいく言葉で、長谷川が答えてくれるとは思えない。 「でも、会社の命令だったですからね。」 珍しく長谷川が単刀直入に答えた。大屋は、それでなんとなく納得できたような気がした。そうだ、会社の命令だったのだ。カクナカに来て初めて長谷川からの冴えた答えだったが、すぐ首を横に振った。「おれも幸せ者だな。」 「おれも、お前も、いい笑いものだぞ。」 そこへ岸部が入ってきた。 「社に入って、私物を取ったら、すぐ三友建設に帰るように、倉田社長から指示がありました。」 岸部はそれだけ言うと、早々と社に帰っていった。 大屋は、飲みかけのコーヒーを飲み干し、窓の外に目をやると、そこに加藤が立っていて、目が合った。
加藤は、今か今かと固唾を飲んで事務所で待っていると、大屋と長谷川の二人が入ってきた。大屋は、そのまま支社長室に入ると、荒く扉を閉めた。 「どうしたんすか?」 加藤は長谷川に聞いてみた。長谷川は、加藤に事情を説明した後、 「加藤君も、気をつけな。いつ放り出されるかわからないよ。」 長谷川は、こんな立場になっても、加藤を気遣っていたが、加藤は、こんな状況を楽しんでいた。加藤にとっては、他人事だった。 「そうか、加藤君は、倉田社長に気に入られてるもんね。」 事は、そんな単純なものではない。決定的に違うのは、カクナカから金が支払われている大屋たちの立場と、手弁当でカクナカに来ている加藤たちには圧倒的なギャップがあった。それは取りも直さず、滝川の戦略である。加藤は、改めて滝川の先見の明に驚嘆したくらいである。 支社長室から、怒鳴り声が聞こえてきた。扉を閉めているとはいえ、防音効果の無い、安物の壁に仕切られた支社長室である。会話は外まで筒抜けだ。 長谷川は、そのやり取りの結果を待つものだ、と加藤は思ったが、長谷川はそそくさと自分の荷物をまとめている。今朝出社してきて事情を知ったとすれば、こんな信じられない話はない。これは仕事を取って来い、という脅しであって、本当に帰されるなどとは、普通思わないよな、と加藤は思う。 「本当に、今日を持って退社なんですか?」 もくもくと荷物をまとめている長谷川に加藤は聞いた。 「もう、居たくもないね。毎日やることも無いし、大屋さんの説教も聞き飽きた。」 「毎日、三友建設に行って営業するのが、忙しそうだったじゃないですか。」 「いや、結果はわかりきってるじゃん。大屋さんには、三友建設に行くって言えば、それ以上は何も言わないからね。喫茶店にある漫画、全部読んだよ。」 加藤は長谷川がうらやましかった。そんなヒマな生活に加藤は憧れた。できれば、サボって喫茶店で1日中漫画を読んでいたかった。1週間でもいい、そんな生活に浸れれば、それだけできっと満足だったろうに、長谷川はそんな生活を、もう半年近く続けている。 「もったいないじゃないっすか。」 加藤のテンションは、めずらしく上がった。
「長谷川、帰るぞっ!」 大屋が支社長室から出てくるなり怒鳴った。 どうも、大屋と倉田の電話でのバトルは決着がついたようだ。その直後、岸部あてに倉田から電話があったようだが、加藤にとって、決着がついたのであれば、他は興味が無い。外に出て、二人を見送り、持っていたケータイから吉崎に電話をかけた。吉崎に今朝起こった事を報告すると、アッケに取られていたようだ。 「なんだ、そのまま出て行っちゃったのか?二人とも。」 「なかなか、壮絶なバトルだったようですよ。長谷川さんは、一人でクールだったですけど。」 「内容は聞いた?」 「大屋さんは、期間を切っていたようですけど、受け入れられないところを見ると、それも却下されたんじゃないですか。どうも、長谷川さんも毎日営業に行くと見せかけて、サボっていたようですし。」 「ふうん。その辺を突かれたのかなぁ。」 「結果じゃないですかねえ。日ごろの報告だったら、恐らく岸部さんから情報入ってますよ。岸部さんなんか、長谷川さんの行動、見てるんじゃないですか。」 「可能性はあるな。岸部さんなんて、倉田さんの命令は絶対服従だろ。」 「みたいですよ。」 「おれは、もうちょっと三友建設が粘ると思ったんだよ。追い込まれてどんな行動に出るか見たかったんだけど、あっさり幕引いちゃったな。」 「明らかな三友建設の人選ミスか、ハナっから計算どおりで大屋、長谷川両名を送り込んだのか、そこは知りませんよ。」 「人選ミスだろうな。三友建設は、本気で港湾計画に食い込む気だったからね。この前、滝川支店長が、三友建設の営業本部長に会ったときは、大屋は何も報告に来ないって嘆いていたらしいから。」 「ほう、滝川支店長と三友建設の営業本部長ですか。」 「営業本部長と言えども、取締役だからね。位はどっこいだな。」 「本当は、長谷川さんの動向も含めて、おれの報告はその営業本部長にも入るんじゃなかったんすか?」 「鋭いねえ。でも、こんなに展開が早いとは思わなかったから、報告するまでも無くなったな。」 明日は我が身か。加藤は、ブルっと身震いした。
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