JR新神戸駅で吉崎がたばこをふかしている。 ここのところ、カクナカ神戸支社では、本来の消防設備工事が順調に売上を伸ばしており、吉崎を筆頭に、主任である小林は当然ながら、部長である岡部までが、忙しく現場を飛び回っていた。土木が自分のフィールドである吉崎は、土木工事に対して建築基準法を役所が検査する確認検査などは慣れているし得意とするところだが、消防法に基づき消防署が検査する消防検査は、勝手が分らない為に他の連中に比べて疲労感が激しい。この時は、何も考える気力が無いままたばこをふかしていた。改札から人がパラパラと降りてきた。ビジネス街から離れているせいと、在来線の接続が不便なこの駅は、日中利用客が少ない。 「よお、こっちだ。」 吉崎は、木本建設の土木支店から来た若い社員を見かけると手招きして呼び寄せた。 「お疲れ様です。」 若い社員は手短に挨拶を済ませると、いきなり茶封筒を出して吉崎に差し出した。 「さんきゅ。こんなもん新幹線で運ばせて悪かったなぁ〜。」 「いえ、支店長直々の命令ですから。でも気が気じゃなかったです。」 「まあ、そうだろうな。メシでも食ってくか?一応神戸に来たんだし、神戸牛でも食わすよ。」 「ありがとうございます。」 「それにしても、厚いな。50万ってこんな厚かったっけ?」 「いいえ、百万円あるって聞いてます。今井課長がおっしゃってたんで、間違いないと思いますよ。」 「へー。百万の現金を新幹線で運ぶんじゃ、気が気じゃないわな。」
吉崎は、今井に電話をかけた。 「おい、百万なんて聞いてないぞ、加藤はああ見えても金使うのがヘタだから、20万も使わん。おれが百万も持ってたら使っちまうぞ。」 「あはは、倍にして返してくれれば使っても構わんすよ。支店長が言うには、加藤がシステムに何かシコむのに、金が必要なら使わせる事と、来週から米奥に調査班を入れるから、そいつらの面倒も見てくれってさ。」 「予定では、随分後の話だと思ってたけど、来週入るのか?予定通り6人?」 「人数まで知ってましたか。名簿送りましょうか?」 「いや、港湾計画の連中に知れると波及がわからんから、FAXはまずい。口頭でいいよ。」 「そうだろうと思って、名簿は、百万の封筒に入れときました。後で見といて下さい。」 「わかったけど、加藤一人の面倒で手一杯なのに、さらに人数増やす気か。」 「6人は1週間もいないから。最後の1日に酒飲ます面倒だけでいいと思います。」 「それで、百万で足りんのか?」 「やりくりして下さい。」 「確信犯だったか。相変わらず今井は仕事ができるなあ。」 吉崎は、たっぷりの嫌味をこめた。 「支店長は、70万プラス消費税って言ってました。加藤に20万、6人に50万。」 「感謝するよ。次回の土産は、今井だけ神戸プリン2個だ。」 「30万円上乗せで神戸プリン2個だから、効率がいいね。」 嫌味の応酬になった。
「シャンデリア、きれいだなぁ〜。」 加藤は、新神戸オリエンタルホテルのロビーでソファにふんぞり返り、上を見上げていた。目から力が抜けていくような体たらくだ。 吉崎が、約束の時間に現れ、そんな加藤を見つけた。 「どうした?その格好?だらしないぞ。」 「あ、お疲れ様です。」 加藤は姿勢を正して吉崎に向いたが、頭は上を見上げたままだ。 「クビ、どうした?」 「何か、寝違えたようにクビが回らなくなりまして、今日は、この格好のままです。」 「がはははは、そうか、よく帰ってきたな。滝川支店長と、加藤は洗脳されてもしょうがないって結論になったんだよ。そのクビは、洗脳と格闘したストレスだな。」 「いやぁ、毎晩、港湾計画の講習会でしたよ。ひょっとしたら洗脳されてるかも知れない。」 「すぐチェックインして、マッサージを受けろ。今日から、ルミナリエっていう神戸の祭りだ。夜迎えに来るから、町に繰り出そう。」 「マッサージは美人がいいんですけど。」 「ここで呼ぶと、おじさんが来てたよ。気持ちいいと評判だ。」 「ええ?がっくり。」 マッサージは、おばさんが来た。加藤の希望には、今一歩及ばなかったようだ。
三宮から、人ごみにまぎれて歩いていくと、東遊園地に着き、屋内にも似た光量であたりが眩しかった。遊園地と言うのは名ばかりで、それほど大きくも無い公園というよりも、広場といった感じだが、その面積をこれだけ明るくするネオンの数も相当なものだ。辺りはアベックも多く、幻想的な雰囲気を演出している。 加藤は目を細めて辺りを見回した。隣には、早川ひとみが微笑んでいる。というシチュエーションを期待したが、吉崎が珍しそうに、使いきりカメラをパチパチと撮影しているのみ。この場に土建屋二人の観光客はツラすぎる。 二人は、歩をどんどん進めていき、元町方面を目指した。ネオンがどんどん寂しくなっていき、最期にゲートを模ったすばらしいアーチに行き当たった。 吉崎と加藤は、なんとルミナリエを逆行していたのだった。 ルミナリエは毎年12月に、淡路神戸震災の鎮魂のイベントとして行われ、その後、年に500万人以上の総動員数まで膨れ上がるが、厳しい順路設定や、歩行者を含む通行規制等が敷かれるのは、その翌年からとなった。 加藤は、クビをさすりながら、「マッサージは、効くな。」と思った。
翌日、新神戸の改修工事中のテナントへ入った。薄暗い中で、作業灯だけが明るい。 消防中間検査を明日に控え、消防設備だけが急ピッチで進められていたが、全体的な工事の進捗も、テナントのオープン日程が決まっている為に、検査が終われば、手を早めるだろう。 実は、吉崎が、加藤をカクナカ大阪本社から連れ出す目的で、テナント改修工事の現場視察を組んだ。カクナカ神戸支社の仕事を、加藤に見せたかったと言う事も事実で、吉崎の加藤に対する、アピールである。 加藤は、感慨深いものを感じながら現場内を見て回った。つい何ヶ月か前まで、加藤は、作業服を着て、死に物狂いで現場の中で仕事をしていたのだった。加藤は、ボーっと現場内を見て回ったが、一部「?」と思うところがあった。カクナカ神戸支社の主任、小林を呼んで施工図を見せてもらった。なんとスプリンクラーの、散水口であるヘッドの数が足りない。スプリンクラーは、水を撒く半径が決まっており、消防法では、室内に余さず水が撒けるよう指示される。それは、申請図面で決定されており、消防検査時にはチェックされる事である。 特にテナントの部屋割りなどが変更されたわけでも無い様子だったが、建築図と、テナントが持っている図面の相違から、スプリンクラーの天井の中の配管が迂回した結果のようだ。全体に寸法が足りず寄っていた。その結果、ヘッドの数が足りなくなったようだ。小林は、今始めて気付いたらしく、慌てていた。配管そのものを手直しするには、他の工事との取り合いのため、工期そのものを延長することになる可能性が高いようだ。加藤は、若干の修正と、不足した箇所へヘッドを増やし、申請図を変更する事と、その他2、3通りの打開案を吉崎と小林に提言した。 「へえ。さすが餅は餅屋だねえ。」 感心したように吉崎が加藤に言った。 「毎日こんなことしてたんですよ。ごまかし方も板につきます。」
加藤は、その足で、なつかしの早川ひとみがいるオウクに向った。早川ひとみは、涙ぐまんばかりに加藤を迎えた。 加藤は、男の幸せを見つけた気がした。このまま早川ひとみを連れて、どこか遠い世界に行きたい。 データベースのデータ入力は、加藤がいない間に8割がた終了しており、今は、地図との連携を果たす為に地形図をデータ処理して緯度経度の入力をしていると言う。 今回の加藤の役目は、この入力された緯度経度を元に、実際の地図の位置をビジュアル化するプログラムを組む事である。 Mapfan2という、VBコードにより制御できる地図ソフトがある。米奥地区の地図は、民家も特徴もないこともあり、地図としては、まことに貧困であるが、オウクが抱えている地図情報の東西南北の位置関係を把握できる事もあり、加藤は、このソフトを使う事にした。吉崎から渡され、潤沢な予算があるが、通常の個人ユーザ向けのソフトなために、1本1万2千円程度のソフトである。加藤は、Lotus-ApprochのDBデータをExcelVBAを介してMapfan2に表示させる方法をとった。 今回は、かなりのプログラミングの知識を要するため、早川ひとみに教えるという立場をとらずに、加藤主体で作業を進めていく。が、早川ひとみも、これまでデータベースを開発してきたというプライドもあってか、加藤の横につき、そのプログラミングまでも吸収しようとしていた。 実際は、前回加藤がLAN接続した3台のオウクにあるPCのうち1台にデータベースを入れ込み、そのデータベースと地図を連携させ、3台で保守をするというシステムを細部まで把握する事は、かなり骨の折れることだ。 加藤は、木本建設でネットワークを構築する知識や、AS/400の講習で培ったデータベースの知識、プログラミングの知識を総動員して、このオウクの住所録を構築している。さらに、オウク社長小幡は、オウクで組まれているこのデータベースを、テイヨウに導入された3台のPCとも連携させようとしていた。加藤は、カクナカで動いているOS/2を使ってのネットワークを考えたが、小幡は、カクナカと連携させる事を拒んだ為、独自で純粋な加藤と早川が構築するネットワークとなる。カクナカがネットワークを構築した時代から数年経ち、Windows3.1から、時代のOSはWindows95に切り替わり、ネットワークを構築する事は比較的楽になっているとは言え、早川の知識だけではそこまでの構築は不可能となってきていた。 「オウクからテイヨウまでは、500メートルくらいの距離なんです。ケーブルを500メートル引きますか?」 早川は、これまで絶望的だったが、加藤が来た事で、冗談も言えるようになってきた。 「ぼくは、設備が商売なんで、ケーブル引けって言われれば引きますけどねぇ。一人じゃ無理なんで、早川さん、手伝ってくれますか?」 無論、こんな現実離れした計画を実行に移そうなどとは思ってもいない。 「テイヨウの3台のパソコンって、もう来てるんですか?」 「あるんですよ。新品ですよ。森田さんが持ってきてくれたんです。」 森田とは、オウク、テイヨウに出入している営業担当だ。50歳も過ぎた森田は、この港湾計画に全てを賭けていた。実は、この港湾計画のために、小塚商会というOA機器のバイヤーのような会社も傘下に加わっているが、この小塚商会と鹿鳥建設の共同出費でオウク、テイヨウにPCを入れていた。 テイヨウには、実はPCを入れてはいいが、PCに関する知識を誰も持っておらず、ただ机の上に放置してあるだけの状態となっていた。 「驚いたな。どんどんパソコン化が進みますね。早川さん、大忙しなんじゃないですか?」 「もう、ここでデータベースを整備するだけで、手一杯です。」 「テイヨウのPCは整備されているんですか?」 「全然わかりません。ここのパソコンみたいに、ネットワークで繋がってたりしませんよ。この前電源を入れてみましてけど、何もわからずサッパリでした。」 計画は壮大なようだが、PCを実際に使うのは、オウク、テイヨウにおいて、早川ひとみだけになっているようだ、が、この住所録のデータベースを両方が必要なのであれば、全てのパソコンをそれ用にセットアップしなければならない。 オウクで入力したデータをテイヨウで使うと言う役割がはっきりしていれば、これらのセットアップはやりやすい。加藤はその辺の確認をしたが、エンドユーザ側の常の意見として、使い勝手ははっきり決まっていないようだ。 「わからないことは、ウチたちが勝手に決めちゃっていいと思います。そのために加藤さんに相談してるので。」 「そうっすか。それでは、オウクでは、すでに稼動しているネットワークなので、別にテイヨウのネットワークを構成します。データは、フロッピーでも落とし込んでテイヨウにコピーすれば、コピーした日時の最新データが見れますよ。」 「なるほど、PC同士を繋がなくても、その方法がありましたね。」 「全て、自動にするには、オウクからパソコン通信にデータをアップロードして、テイヨウは、その後パソコン通信からダウンロードするって方法もありますが、月々費用がかかりますよ。初めは、フロッピーでやり取りして、行き詰ったら別の方法を模索すればいいです。」 「そうですね。」 PCについて経験が浅いと、上層部からの指示により、ネットワークを構築しろ、と言われると、どうしてもネットワークを構築する行為を行いがちだが、ネットワークを構築する意味を考えた時は、その代替案がいくらでもある。この場合は、ネットワークを構築する事よりも、住所録のデータを共有でき、オウクと、テイヨウの両方で利用できれば、当初の目的は果たされることを加藤は突いた。 テイヨウで構築されるネットワークは、オウクと同じ3台を結べばよいので、経験済みであるし、造作も無い事だったが、二人がオウクのPCネットワークの整備、テイヨウのネットワークの構築を終えた頃は、もう事務所の中の誰もが業務を終えて帰ってしまった頃だった。 「遅くなっちゃって、すいません。こんなにてこずるとは思わなかったものですから。早川さんは、先に帰ってても良かったんですけど。」 「ウチが帰っちゃったら、加藤さんは、このビルから出れなくなりますよ。」 「それもそうですね。」 「ところで加藤さん、神戸ルミナリエって知ってますか?今ちょうど、期間なんです。ご案内しますよ。」 「早川さんと二人っきりで?いいですねぇ。実は、初日に吉崎さんと二人で見てきたんです。ロマンチックな場所に、ロマンのかけらも見つかりませんでした。」 「あはは、男の人二人っきりで行く場所じゃないですよね。ウチといってもロマンチックになるとは限りませんが、通り道なので、行きましょう。」 加藤は、「いえいえ、ルミナリエじゃなくてもロマンチックですう。」とか思ったが口には出さなかった。口に出したら、これまで抑えていたものが込み上げそうだったし、滝川の教えに背き、身の危険があるかも知れないからだ。だが、本当に加藤を懐柔する為に、早川ひとみを使うか?しかも、加藤を懐柔する必要が、倉田や、小幡にあるか?という思いも加藤にはある。早川と二人になると、加藤は常にこの葛藤と闘っていた。
ルミナリエ、元町のゲートに二人はいる。今日は、逆行などしない。ゲートを二人でくぐり、盛り上がる気分と共に、東遊園地のクライマックスである広場にたどり着くのだ。二人で話をしながらの道筋は、いとも簡単に広場に着いた。二人は光の中にいて、気分も最高潮。早川は加藤の腕に絡まってきた。それが自然な行動のような気が加藤にはしていた。 「もうちょっと歩きましょうか。」 加藤は、できるだけよそよそしく早川に言った。 暫く歩くと、天使たちが賛美歌を歌っていた。立派な舞台が組まれ、紅白のテープが垂れている。20人ほどいる天使たちの中央に、女神がいた。清んだ通る声で賛美歌を歌っている。加藤と早川は立ち止まって見た。ギャラリーもすごい数だ。青いバックのネオンが神々しく見え、すごい演出だった。歌が終わった時、静寂の中、鐘が鳴り響き、紅白のテープが外賓の紳士たちによって切られた。実はこの日、震災によって長い事閉鎖されていたデパートのオープンに合わせ、神戸のウリのひとつである、ガス灯通りの灯入れ式だった。 クリスマスが近い事と、阪神淡路大震災からの完全復活を記念するイベントで、否が応にも盛り上がる神戸の町。震災を経験している早川にとって、感慨深いイベントのはずだ。回りの人たちを見ると、泣いている者がいる。拝んでいる者もいる。 清んだように鳴り響く鐘の音をバックに、青みがかった闇の中に浮かび上がる女神。ガス灯の光が目に突き刺さる。 加藤は早川を見た。早川は目から涙をこぼして、点火されたガス灯を食い入るように見ていた。 加藤は、「早くホテルに帰って、エロビデオでも見て寝よう。」と、真剣に思った。
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