事務所のビルの地下1階に、床屋がある。おやじが一人。このおやじに任せておいたら、ビシっと七三別けなんかにさせられるんだろーなぁ〜。と加藤はいつも思っていた。 いつもヒマそうで、世に配られる全ての新聞を毎日制覇してるだろー。とか、新聞を読んでいるオヤジを見て思ったりするのだが、床屋はず〜っとそこにある。潰れないもんだなぁ〜、とか誰かも言っていた。 その隣に喫茶店がある。こちらは上が事務所なので、それなりに盛っているようだ。たまにエレベータの中に、コーヒーをお盆に載せて運ぶエプロン姿の女の子に会ったりするのだが、どこかの会議室なり、応接室なりに注文されて地下1階の喫茶店からそこへ行くようだ。何ヶ月かすると女の子は変わっている。もう、何人も違う女の子を見ている。 加藤は、この間と違う女の子を見つけるたびに、「長続きしないのは、仕事がキツいから?でもヒマそうだよな。時給が安いんだなぁ〜。」とか思ったりする。
この女の子も、先日の子と違うなぁ〜、と考えた矢先に、 「加藤、こーわんって知ってるか?」 とだみ声が降って来た。加藤は、部長の田口といっしょに、この地下1階の喫茶店にいた。加藤は、視線を部長の田口に戻した。加藤にとって、部長の田口などより、喫茶店のウェイトレスの方に興味がある。が、わざわざ喫茶店に部長が部下を呼び出すことも、まずあることじゃない。ひょっとしたら、初めてのことかも知れない。仕事に関係あるのかないのかもわからないけど、どちらにしても獲るに足らないことだ。 何よりも、加藤は、この田口という部長が嫌いだ。
田口曰く、「部長たるもの、いつもデンと構えて、ここ一番の時に出て行くものだ。ここ一番以外は出ていくものではない。」 と、部長と言えども平社員とちょぼちょぼのサラリーマンに、ここ一番なんてものは存在するはずも無く、よって仕事を放棄しちゃってるの?と思えるくらいに仕事をしないヤツだった。 若い者を育てる、と言う名目であれやこれやと部下の仕事にケチを付けるのだが、「そのピントのはずし方は、わざとだろうっ!それとも天然かぁ?」と思わせる程の場違いっぷりを発揮していたし、エラそうな態度で現場に来たと思ったら、何をしに来たのか、部下に説教を始めて、建築の社員が、「田口部長ってエラいんだなぁ〜」と思ったところで引き上げると言う、「オレ最高」オーラを出すことに余念がない人間だったからだ。「田口部長ってエラいんだなぁ〜」と思っている建築の社員ってのは、田口の妄想の中だけで、決まって田口が現場から出て行った後、建築の社員に、 「あの人、何しに来たの?加藤の上司だから、加藤はわかるよね。」ってな疑問と、虚脱感を残していく。 そんなヤツの話をまともに聞いたところで、コーヒーがうまくなるわけでもない。 「こーわんだよ、こーわん。知らんのか?こーわん」 「こいつ、放送コードギリギリだよ。誰かコイツを黙らせてくれ。」とか思いつつも、加藤は、 「知りません。」とキッパリ答えた。 「んなの、どーでも良いから、事務所に戻してくれ。まだ積算の途中なんだよ。」 顧客データベースが完成したわけじゃないのだけれど、加藤の所へは積算業務が回ってきた。 上司がデータベース優先で、他に回すはずの積算業務が加藤のところへやってきた。 「どーしたわけだよぉ」と加藤は思ったりしたが、程なくして自分の甘さを呪う事になった。他へ回すはずの積算業務は、回るアテもなく上司が発言しただけで、結局加藤に回るはずの積算業務は、当然のように加藤に来た。 「データベースの優先順位は上だと、あんた言いましたよね。」とケンカを売ったところで満足のいく値でケンカが売れるわけも無く、「ま、とりあえず回したんだけど、結局は加藤がやる羽目なんだよな。」と苦しい言い訳をされたまま、回している間に積算の項目が埋まって行くはずも無く、その間、無駄な時間が流れただけに過ぎなかった。 それもこれも、この部長である田口の不甲斐なさだと加藤は思っているし、他の同僚もそう思っている。今に始まったことではないので、加藤はあきらめて積算業務を始めることとなったが、データベースをやっている間に期限は近づいてきているわけだから、普通に現場から帰ってきて積算をしていたのでは間に合わない。この日は現場に調整をとって業者間打合せを明日に伸ばし、積算の時間に割り当てた。明日は明日で他の現場の打合せがあるけど、3時間の打合せを1時間に圧縮すれば、1時間移動して1時間を今日行くはずだった現場の打合せに当てられる。毎日そんな事の繰り返しだった。 日曜日に打合せをしようと持ちかけると、現場も業者もそれだけは断ってきた。加藤はホっとした。
ひとつの会社が潰れようとしていた。 その会社は時代に乗った会社だった。経済バブルと呼ばれた時代、このバブル期に会社を拡大し、これから時代を担うだろう情報化の仕事まで手を出した。もともとの生業は消防設備。新築現場に入って行き、スプリンクラー設備や防火設備やらを工事していく。巨大なビル建造ともなると、1つの仕事だけでも潤ったが、そんな仕事がゴロゴロと入ってきていた。 そこの社員は、高級外車を何台も乗り回し、夜な夜な札束を持って飲み回った。会社はいろいろな新事業に手を出し、中でもこれから伸びるであろうコンピュータ業界まで足を踏み入れて来た。後にIT化なる言葉も生まれる。 本社は大阪。 東京にも進出し、大阪本社と東京本社に分け、その他、神戸、福岡、静岡と各地に事業所を、破竹の勢いで拡大したという業者だった。がその辺が災いしたようだ。経済バブル時代と呼ばれる時期もほんの瞬間的な現象であり、そろそろバブルもはじける、と噂されていた時期だった。その時代のかなり初期の頃に、この会社は経営難に陥った。 その日、大阪社員が集められ、経営破たんした状況を経営者の口から告げられた。 その会社の現社長、合田社長が壇上に立ち、「我々は、甘かった。」と涙ながらに訴えた。ワンマンであったこの会社の経営判断は、全てこの合田社長が取り仕切っていた。「私は甘かった。」と言わず、「我々・・」と言ったところにまだ甘さが残っている。 涙を流す合田社長とは対照的に、感情を表に出さない男と女が、合田社長の後ろに立っていた。その後ろに4人の男。 「だが、まだ望みはあります。こちらにいらっしゃる倉田新社長と、その相談役であります、新田女史に経営委譲します。これで、このカクナカは救われるでしょう。」 この会社の名前は、カクナカという。かつて、カクナカ防災と言っていたが、拡大した折にグローバル性を前面に出し、カクナカと改名した。 岸部は、この光景を社員の側から見ていた。 もともと岸部設備工業と言う、カクナカから仕事を受注する会社の社長だった岸部は、合田社長といっしょに大阪でのして来た。岸部は、合田社長の腰ぎんちゃくと呼ばれようとも、合田社長に尽くしたのだ。その甲斐あって岸部設備工業もまた繁栄したが、そんな関係だったことがかえって仇となり、カクナカと共に衰退した。 いよいよ、岸部設備工業が潰れる、となった時に、岸部に転機が訪れた。 岸部は合田社長を通してこの新社長に取り入り、どういうわけかこのカクナカに再就職した。しかも、これまたどういうわけか、頭を丸めた。カクナカの連中には、コレまでの悪行を悔いて、清算し、これから全身全霊カクナカに尽くしたい、と語った。 「悪行ってなんだよ、カクナカ、岸部がこれだけでかくなるのは、やっぱ裏でなんかやってたのか?」ってな噂も流れたが、この時の真相など今潰れ行く会社にとっては取るに足らないことだ。 女の隣に立っていた男が壇上に上がってきた。50代前半を思わせるが、体格がよく、ダンディな雰囲気を醸し出している。 よく通る声で、 「私が新社長の倉田です、以後よろしく。」と手短に挨拶をした。 変わって、隣に立っていた新田相談役が壇上に上がって来た。 岸辺はプンと化粧の匂いが立ち込めたような気がした。だいぶ歳をとっているが、おばさんと呼ぶには失礼な気がするようなプロモーションだ。唇紅をやけに赤く塗っている。 自信の塊のように胸をはり、やけにキリっとした声で、集められた社員たちに向かってしゃべり出した。 「あなた方は今まで合田社長に甘ったれていた。合田社長はみんなに頼られ、もう限界です。これからは、こちらの倉田社長があなた方の指導者です。倉田社長について行けない人は即刻辞めて頂きます。仕事はえり好みをせず、どんな仕事も喜んで引き受ける事。」 このセレモニーは、大阪本社に続き、東京でも行われた。 合田社長は、東京でも同じように泣いた。
倉田新社長の仕事。それは、かなり精力的だった。 ゼネコンに掛け合い、とにかく外堀を埋め始めた。最大手、スーパーゼネコンと世間では称される企業を何社も相手取り、カクナカの将来性を語った。それは、途方も無い話だった。 現在、隠密進行中の国家事業がある。それは、日本に国際ハブ空港を作り、その空港を囲むように国際都市を形成づくるもの。政府は、コレを直接管理する企業を、近い将来認定する。この認定企業こそが我がカクナカだ。 要点だけ掻い摘んで文章にすると、こんな感じだ。正気なのだろうか。しかし、様々な業種の企業は、続々と賛同してきた。大手スーパーゼネコンも何らかの協力体制を敷いてきた。それは、カクナカに人材を送り込んで来るもの。直接資本金を捻出するもの、仕事を世話するもの、と多種多様にわたりカクナカを支援し始まったのだ。 おおよそ、こんな大言壮語、雲を掴む様な話、デッチ上げに違いないと思われがちだが、もしも本当だとしたら、企業は絶好のチャンスに乗り遅れる。とりもなおさず、この支援を始めたのはゼネコンだけとは限らず、銀行は言うに及ばず、大手コンピュータメーカー、ソフトウェア会社、事務用品メーカなどまでが挙って、なんらかの支援を始めた。この辺が多くの企業の判断を鈍らせ、夢のような話に多くの者を惹きつけたが、企業が諸手を挙げてカクナカを全面協力してきたわけではない。各企業は、出すぎず引っ込ますぎずの姿勢を保って、もしもガセネタだったとしても受ける傷は最小限に、ホントの話だとしたら、他の企業を出し抜ける位置というのを微妙なさじ加減を測りながら、意識して入って来るのだった。 このうねりは、海を埋め立て空港を建設することから、「港湾計画」と呼ばれることになった。
木本建設がこの「港湾計画」に参画したのは、ずっと後期の事だった。とにかく金を回さなくてはならないカクナカにとっては、どこが支援してくれようとも、金があればありがたかった。我ら、消防設備業者だ、などと言っていられない。なんでも良いから金をくれ。どこでも良いから金をくれ。同情するなら金をくれ。と言う状態だったので、「いっちょかみでも仕事してみますかぁ〜。」と釣った木本建設にカクナカは食いついた。 しかし、見方によっては立場は逆で、カクナカから見たら「木本建設も仲間に入りたかったらスルーで良いから仕事よこしなさい。」ってな強気な姿勢を見せた。この頃には、カクナカも「港湾計画」によって、話題性は十分確保出来ていたからだ。 スルーで良い仕事というのは、仮に3000万円で請け負った仕事を3000万円で他の業者へ発注する。買ってきた物を買ってきた値段で売る。という一見損も得も無いように見えるが、企業にとってはそこが大事で、受注と発注のゆるぎない証拠があればその会社は潰れずに存続することが出来るのだった。
岸部は、拠点を大阪から東京へ移した。 カクナカを支援するために人材を送り込んだ大手ゼネコンとの連携をとるため。と言うと聞こえはいいのだが、倉田新社長に忠誠を誓った岸部は、自ら志願した。 理由はいくつかあった。もう大阪にはいたくない、と言うのが本音だ。合田社長と共に会社を拡大するために、時には人に恨みを買うこともしただろうし、カクナカについてこない業者をなじったりもした。今や、その業者との立場も逆転した。 毎日毎晩飲み遊んでいた新地にも、もう行くことは無いだろう。新地では、女にモテた。合田社長と二人で飲みに行けば、女が群がった。しかし今の岸部は、二人で新地に行っても女にモテないことを知っている。そう、群がっていた女の目当ては、合田社長でも自分でもない。金が目当てだったからだ。その目当ての金を今の岸部は持っていない。 そんな大阪にいても、自分が惨めになるばかりだ。 そんな折、相談役である新田女史からも、忠告があった。「あなたは、合田社長から独立する時が来ました。」と。
新田女史は、カクナカの相談役として倉田新社長と乗り込んできたが、決してカクナカに席を置くことは無かった。白金台に構える200uの広さを超えるマンションに自宅兼事務所を構え、得意とする姓名判断により人に行く道を示す。新田相談役を、大先生と呼ぶ弟子たちも20人と、ここの所大所帯になってきた。この白金台のマンションに出入りする人物は、大企業の社長、都市の資産家、地主、と主に財界に顔がきくメンバーがほとんど。時に、交遊会と称して、これらのお客を集めて、親睦会を執り行い、新田相談役は主催も務め、これらお客同士の交流に一役かっている。 この時の新田相談役は、「先生」と呼ばれ、この交遊会に初めて手伝いと称して裏方から見た岸部は、新田相談役をいつしか「先生」と呼んでいた。
大手ゼネコン、三友建設からカクナカ東京支社に送られてきた人員は、2人。それぞれ、カクナカ東京支社長、東京支社設備部部長の肩書きを付けられた。この二人は、三友建設からカクナカに発注される工事の案件をモリモリと精力的にこなしていく、と考えていた。会社からの指令は、「これから、カクナカを支援していく。ついては、カクナカ東京支社を盛り立てて、ついては、将来カクナカから発注されるだろう巨大工事案件をこなすべく受け皿となって欲しい。」と、バラ色の将来が待っているかのような口ぶりだったが、設備部部長に就任した長谷川はあまり気乗りしなかった。 なぜなら、三友建設の中では、将来を語る営業案件で、将来バラ色になるような事例が少なかった為だ。ことに、広げた風呂敷が大きければ大きいほど現実となった事例は乏しい。 かつて同僚が、PCBを分解するプラントを建設するという情報を聞きつけ、営業を開始した。150億のこの案件は、無論社内でも話題となり、営業にかけた費用は1500万を超えた。その営業費用も150億の物件を受注することになれば、回収することなど造作も無いことだった。だが、ついにそのプラントが現実に着工されることは無かった。
それとは対照的に、大屋は浮かれていた。もともと三友建設の中では、50人の部下を抱える設備部の部長なのだ。サラリーマンの出世街道にのり、願いが叶ったと言ってよかった。が、何かマンネリした毎日をボーっと過ごすことにも若干飽きがきていた。定年には、まだ3年もある。だが、まだオレはやれる。と思っていた。何をやれるのかはわからん。だが、これでは終わらんぞっ!という気概だけはみなぎっていた。ここらで一丁、死に花を咲かせてやるわぃっ!とまでは思わなかったが、それと似た感覚が大屋の頭の中をよぎった。そこへ持って来て、出向の話が転がり込んできた。 「ビッグプロジェクトのキーとなる企業がある。カクナカという傾いた消防設備業者だが、きみの手腕でこのカクナカを立て直して欲しい。コレは三友建設の総意だ。」 と、なかなか心地よいおだても入れられ、体よく送り出された。 大屋はカクナカの支社長の肩書きで送り込まれた。堂々としたものだ。カクナカからの月々の契約金も確定した。建て直しが成功した暁には、この契約金も倍に、いや、ケタ違いになる。さらに設備だったら、35年以上も叩き上げた自信がある。サラリーマンから腕1本で稼ぐ男になる。奥歯の奥に力がみなぎってきた。
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