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作品名:建設業サラリーマンの冒険 作者:Sita神田

第16回   喜んで罠に飛び込みたい
2階を後にした加藤は、1階の倉庫へ向った。東京支社と違って、照明も明るく、風通しも幾分良い。奥では、おじいさんが、粉末消火器に薬剤を詰めていた。
加藤は、おじいさんに声をかけてみた。1日に5本程度の消火器薬剤詰め替え。それだけを仕事としているようだ。回りを見回すと、乱雑に積み上げられた材料といい、まさにこれらも出し入れされているように、一見とられるが、加藤は製造年月日を見た。4年前の材料だ。
「急速に潰れたんだな。」
加藤は思った。カクナカは、本業を忘れ、全てを港湾計画のためだけに存在しているのだろうか。
更に奥を見てみた。乱雑に積まれたダンボールを掘り下げると、中からIBMのロゴの入った箱。あった。宝だ。加藤は、全ての箱を開けてみた。ケーブル、マウス、キーボード、マニュアルも何点か見つけた。
「ロルムフォン、さっき赤木さんが話していた奴だ。」
驚いたことに、デジタルPBXの技術資料までがこの箱に詰め込まれていた。
4階のガラス張りの部屋の中にあったもの。それはPBXだった。
ほか、CISCOのマニュアル。トークンリングの基板。よく捨てずにとっておいてくれた。
「もっとも、こんな状態じゃ、捨ててあるのと同じだ。」
加藤は、必要な書類、書籍をまとめて2階へ再び上がり、これらの宝を赤木さんに見てもらった。
「ほう、よく見つけましたなぁ。もう捨ててもーた、思ってました。」
それっきり興味は無さそうだ。
「おれ、持ってていいですか?」
「そんなもの、誰もいりまへんわ。見てもわからへんし。」
「ありがとうございます。」
加藤は、先ほど気になったものを見つけた。トークンリングがそれだ。2階のパソコンの裏を覗いて見た。ケーブルが2本ささっているボードがある。入力と出力だ。

パソコンとパソコンを結ぶ、ネットワーク、事にカクナカの2階事務所内での結び方をローカルエリアネットワークと言い、通称LANと呼ばれる。ハブにケーブルの上端を接続し、パソコンのLANボードに末端を接続する。この接続を、ネットワークに参加させるパソコンの台数分接続させるイーサネット方式は、この後、爆発的に普及する。それに先駆け、カクナカ大阪本社では、AS/400、OS/2と、IBM色の濃いネットワークでは、トークンリングと言う、イーサネットとは別のLAN方式を取っていた。ハブから接続したケーブルを、パソコンに設置してあるトークンリングLANボードへ接続し、その片端を次のパソコンへの接続に使い、そうして接続されたケーブルが、最期のパソコンに接続された時、元接続の出発となったハブへケーブルを接続する。伝送信号である、トークンがグルっと一回りする事から、トークンリングと呼ばれた。
この頃から、トークンリングは、イーサネットの優位性に圧され、姿を消した。加藤は、このトークンリングをネットワークの専門書では見たことがあり、存在は知っていたが、見るのは初めてだ。

そんな加藤のところに、来た時に受付カウンターにいた女性がやって来た。
「加藤さん、なんでも、パソコンの担当者と言う方が見えて、会議室にいらっしゃいます。」
「分りました。すぐ行きます。」
女性は、会議室まで加藤を案内すると、ノックをし、扉を開けて、加藤を会議室へ誘った。
中に一人、座っているのが見えた。加藤は、女性に聞いてみた。
「あの、他に誰か来るんですか?」
「いえ、あと、加藤さんだけと、倉田社長に伺っております。」
倉田は、この会議室の中で、加藤と、この担当者の二人きりで話をさせるつもりなのか。加藤はそう思い、気が楽になったような気がした。
「初めまして、カクナカの加藤です。」
「聞いてますよ、加藤さん、カクナカじゃないんですよね。」
名も名乗らない、加藤と同年代くらいのネットワーク担当者、いや、元ネットワーク担当者は、ぶっきらぼうに加藤に口を開いた。
「早速なんですが、カクナカの社内システムを見ろ、ということで、困っちゃってんですよ。あの、こちらもゼネコンなもんで、こういうことは、からっきしでして。」
「経理財務に、IBMのAS/400を使ってます。ファイルサーバにOS/2を使ってます。物理的に場所は分りません。また、どこかにルータ機能を持たせたOS/2があって、それらで、本社と、東京、神戸をISDNで結んでます。」
「AS/400とLANは接続されてるんすか?赤木さんは、パソコンでAS/400のデータが見えると言ってましたが。」
「物理的には繋がってますね。でも、パソコンが見てるデータは、インポートされたデータを見てるだけだと思います。」
「思う、ということは、他にそれを知ってる方がいらっしゃるんですか?」
「部署には、15人からいたんです。誰が何を担当していたか、忘れました。」
加藤は、一瞬のうちに想像した。15人の部署が、予算の上限なしで、IBMを業者として社内システムを組んだ。6階建ての自社ビルにいる消防設備業者が、この時代に使うシステムではない。バズーカでゴキブリ胎児をするようなものだ。なんとなく、ちぐはぐなアンバランスがこのビルにはあった。大きなガラス張りの部屋を作り、コンピュータを置き、大事に鎮座させる。反面、倉庫に担当者を追いやり、1日消火器に薬剤を詰めさせている。
「すると、AS/400から、どうやってデータが流れてるかも分りませんね。」
「僕等は、カクナカが潰れたとき、全員リストラされたんです。その時から見たら、事務所の中も、だいぶ様変わりしている。組織も変わっているでしょう。残念ながら、力になれませんね。」
「そうですか。どうもありがとうございました。何か分らない事があったら、連絡して聞いてもいいですか?わたしも頼るところがこう無くっちゃ。」
「あの、僕の今のところは、連絡が取りずらいんです。まず連絡は取れないと思っていただいた方が。」
「そうでしたか。」
加藤は、「今日は、コイツ、よく来たな。」と思った。リストラをされてつらかっただろうけど、腹いせにそれなりの資産であるシステムの一部をかっぱらって行った。その残った資産で細々とやっている会社のシステムを説明しろと呼ばれたのだ。
こいつら15人のクビを切った時、同時にここにあるシステムもリストラすべきだったのだ。これだけの規模になれば、それなりに保守費用もかかるだろう。ゼネコンから、ちょっとパソコン好きのお兄さんを呼んできたからって、どうなるものでもないのだ。
「パソコン好きのお兄さん?そろそろおじさんな歳だっけ?おれ」
なぞの担当者を送り出しながら、加藤は自問自答した。

「どうだった?」
いつの間にか、吉崎が加藤の後ろに立っていた。
「恐らく、手の施しようもなく、この中のシステムは無くなりますよ。でも、かろうじて経理部門の部分は生きてるみたいです。AS/400がどこまでもつかはわかりません。」
最近は、加藤にも吉崎の言わんとすることが、なんとなくだが読めてきた。
カクナカの中の情報は、システムからは読みきれないだろう。だが、経営状態を把握できるだろうデータは、可能性は極めて低いが、無いことはない。
加藤には、このカクナカが、港湾計画などと言う、こぞって大企業などが動く計画の軸になるような、大それた団体には見えない。
それは、ここにいる吉崎にも、土木の支店長であり、吉崎と加藤を、カクナカに送り込んだ滝川も同感かも知れないのだ。
こんなことを、他の、カクナカを、いや、倉田を支援する大企業が見えないわけが無い。倉田は、何を「エサ」に、また、何の勝算があって、これらの大企業を動かしているのか分らなければ、滝川たちは負けるのだ。

「そうか。帰ったら、講習会に行くんだろ。」
「はい。受講表が届いたんで、今井さんには礼を言っときました。来週から行きます。」
「頼むわ。」

「吉崎さん、加藤君。」
原木が受け付けロビーにやってきて、吉崎と加藤を見つけ、叫んだ。
加藤は、振り返って原木を見た。急いでいるようだ。
「今、車を回しますんで、下におりてください。社長たちは一足先に行ってます。」
吉崎が、聞いた?
「どこへ?」
「食事ですよ。加藤君は、そのまま荷物を持って来て下さい。ここへは戻らへんから。」
「はぁい。じゃ、会議室に行って荷物取ってきます。」
加藤は、二人にそう言い残し、エレベーターへ向った。
原木は、吉崎に、車を下に着ける旨を伝え、外に出て行った。
吉崎は、その場でタバコに火を点けた。


車は、5分も走らないうちに目的地に到着したようだ。コスプレなボーイがやって来て、車の扉を開いた。降りて見上げると、一流ホテルらしい光景が加藤の目の前にそびえ立っていた。
暗くなった夜の中に、オレンジを基調とした照明がやたらと照らされ、幻想的に見えた。
原木は、そのまま車をボーイに預けると、吉崎と、加藤の二人を案内してホテルの中に入った。
磨かれた大理石の床に、高い天井。天井からは巨大なシャンデリアが垂れ下がっている。見るたびに、深々と頭を下げるボーイたち。
ホテル受付カウンターが、横に伸びている。30mはあろうか。原木は、二人にこの場で待つように言うと、その窓口のひとつに行った。
吉崎は、チラと加藤の方を見ると、また原木に視線を戻しながら行った。
「見栄を張るにも、ハンパじゃねぇーな。今晩一晩でいくら使う気だ?」
加藤は、自腹じゃなければ、それでいいや。と思い、何が食えるのか、楽しみだ。
しばらくすると、原木が戻ってきた。
鍵を二つ。そのうちひとつを吉崎に、もう片方を加藤に預けた。ボーイが後ろに付いていた。
「お荷物をどうぞ。」
ボーイは、加藤に話しかけ手を差し出した。加藤は自分の荷物をボーイに渡した。
「二人とも、部屋に行って、荷物を置いたら、2階のこの店に行って下さい。お待ちしておりますよ。」
原木は言う。
吉崎は、荷物もなかったが、鍵を受け取り部屋へ行くようだ。
そこで原木と別れ、ボーイに連れられて二人はエレベーターへ乗り込んだ。
なんと、ボーイは最上階のボタンを押した。
加藤は、あごが地に落ちるかと思った。生まれてこの方、ホテルの最上階など、廊下にすら行った事がない。吉崎を見たら、楽しそうだ。

部屋に入ると、鏡張りの壁になっている廊下を歩いた。鏡に取っ手が付いている。扉が鏡だ。対面の扉を開けると、異常に広い部屋に2面が巨大なガラス張りの窓になっていた。向こうに川が見え、橋には渋滞した車が、光の川になっていた。
天井が高い。窓の脇にボタンがあった。押すと、電動でカーテンが閉まった。
窓の外を見ていた加藤は、部屋の中へ振り向くと、すぐ近くに、コテコテと凝った修飾が施されたハンガースタンドがポツンと立っていた。
加藤は、ハンガースタンドと言うものを初めて見た。その向こうの方に、ダブルベッドが二つ、間を空けて並んでいた。
「こらぁ、すげぇ〜。」
それしか言いようが無かった。

吉崎と待ち合わせて、一度ロビーに降り、2階へエスカレータで上がった。1階から、吹き抜けになっているから2階が見える。
「こらぁ、落ち着かねぇな。」
流石の吉崎も、いささか面食らったようだ。
高級な出入り口に、高級なカウンター、その向こうに、貴族が使うような長いテーブルがおいてあり、テーブルの上には飾りつけ。その向こうに昼の4人に取り囲まれるように倉田が座っていた。この上なく上機嫌な笑みを浮かべている。
「ようこそいらっしゃいました。二人とも座って。」
宴会が始まった。
倉田がうれしそうに加藤に話しかけた。
「歓迎会、まだだったやろ。だいぶ遅れちゃって申し訳ないんだけど、今日がそれや。遠慮なくやってや。」
加藤は、倉田をめちゃめちゃ好きになってしまった。こんな歓迎を受けた事は、初めてだ。と思ったが、滝川にも歓迎会を盛大に受けた事を思い出した。う〜ん、滝川支店長もめちゃめちゃ好き。加藤は、滝川、倉田、両人に、尻がちぎれんばかりにシッポを振っていた。
「大丈夫かなぁ、こいつ。」
うまそうに肉に食らいついている加藤を見た吉崎は、そう思った。

デザートが出た頃は、すでに夜10時を回っていた。もう3時間以上もいた事になるが、あまり苦にもならず、加藤はこの場にいれた。倉田は加藤に聞いた。
「どう?半日本社を回ってみて。」
「ええ。東京支社とは比べ物にならないビルですね。あまりの綺麗さにびっくりしました。」
「そやろ。で、社内システムの方は、どうかね。まだまだ使えそうか。」
「今日お会いした担当の方は、全てを把握していませんでした。短時間で一気に社内システムをどうにかしようとするには負担が大きすぎます。」
加藤は、分ったような分らないような極めてファジーな回答を返した。
果たして、倉田は、
「わかっとる。時間はよーけある。加藤君は、このまま大阪におったらええ。システムを見てくれ。大阪には、見る物もたくさんあるからな。」
すかさず、吉崎は口を挟んだ。
「加藤は、東京で、立川の現場を見てもらわなくちゃならないですからねぇ。このまま大阪では、立川が不安です。」
「おお、そやったな。加藤には立川もまとめてもらわなアカン。ところが、立川もさることながらだ、明日見せるがな、こっちのシステムは急ぐのや。神戸や。」
「はい。」加藤は、その一言で切り抜けようとした。

加藤は、朝5時に起きた。昨夜は、とにかく異常に疲れた。現場に出ている時には、体力的な疲労は良くある事だ。大阪に着てからは、とにかく心理戦のやり取りをしているようで、気疲れによる疲労が激しかった。
「ピシっ!」「ピシっ!」
窓ガラスが鳴っている。
ベッドから半身起こして、窓の外を見た。昨夜の出来事、と言うか、昨日の出来事は夢ではなかった。あ〜やだやだ。シャワーを浴びに、シャワールームに行った。12畳もあろうかと思われるほどの広さのゴージャスなシャワールーム。磨きがかかって光っている大理石の床。なんとなく、うんざりだった。所詮平民は平民なのだ。こんなところにいたら、息が詰まって、死んでしまうかもしれない。荷物をまとめて、早く部屋を出よう、と思った。が、時間がまだ早いと思っていたら、内線がなった。内線に出たら、フロントだった。これから朝食を部屋まで運んでくると言う。待つ事にした。運ばれてきた朝食を食いながら、平民も、1日くらい富豪の生活もいいだろう、と思ったのであった。

部屋を出る時に、吉崎に連絡をした。外せない仕事があり、もう神戸に帰っているとの事だ。まめに連絡を入れるように、吉崎は言った。
「まぁ、ちょくちょくは無理かもしれないけど、何も無くても連絡くれ。明日の晩は、加藤を神戸に泊めるから、こっちで宿を取る様に倉田さんにも話した。せめて夕方には必ず連絡するんだぞ。」
吉崎も、昨夜のこのゴージャスっぷりに辟易したらしく、ナーバスになっているようだ。
ロビーに行って、カウンターにキーを返却すると、案の定、
「清算はお済ですよ。それと、ご伝言があります。間も無く、お迎えが到着するようなので、このままお待ちください、とのことです。」
加藤は、了解を告げると、ロビーにあるソファに、どっかりと腰を下ろした。朝から虚脱感が襲った。そう言えば、誰かに頼らないと、何も出来ないな、おれ。ここがどこなのかも分らん。
程なくして、昨日社長室で挨拶をした、松岡がロビーにやって来た。松岡は、カクナカが潰れる前から勤務している、生え抜きで、純粋なイメージをかもし出している。
「おはようございます。昨夜は、よー眠れましたか?」
加藤よりも、かなり年配者だと思われるが、嫌味の無い態度で加藤に気遣ってくれた。
「立派なホテルのサイコーのベッドでぐっすりです。昨日はありがとうございました。」
「今日は、送らせてもらいま。社長が神戸でお待ちでっせ。」
「ありがとうございます。ここがどこだかすら分らないもので、」
「あはは、そうでっしゃろな。神戸まで車で参ります。乗って下さい。」
「すいません。」
表に回ると、松岡の乗ってきた白の商用車が置いてあった。後ろには、配管材料が載っていた。
「あぁ、これだよ、これ。おれはこんな感じがいいんだよなぁ。」と加藤は思い、懐かしさも半分、商用車に乗り込んだ。
「汚いところで、すんまへん。これしか空いてなかったもんで。」
「いやぁ、こっちの方がいいです。」
それでも、全然調子のいいのいい商用車に乗って、松岡と加藤は、神戸を目指した。途中高速道路に乗ったりもしたが、20分程で、高速を降り、市街地を走り出した。
「ここが神戸、三宮ですねん。震災の時は、この辺もひどかった。」

1月17日、日本の歴史にも大きく刻まれた、阪神・淡路大震災である。マグニチュード7.3の直下型大地震であり、神戸から、淡路島にかけて、甚大な被害をもたらせた。神戸でもっとも人の集まる繁華街、ここ三宮には、海側から山側へかけて活断層が走っており、この活断層が活動した為に、なかでも大きな被害が目立ったようだが、こうして見てる分には、そんなことが起こったことすら信じられないくらいの復旧ぶりである。
「人間の力は、すごいですわ。この辺りは、もう駄目か、思てたんですがね。」
松岡から、そう聞きながら、加藤は眺めたが、車から見える光景は、至って普通そのものだ。
「あれが、神戸市役所ですわ。」
ビルになっていて、それほどしゃれたほどでもない建物が目の前にそびえ立っていたが、神戸市役所は、加藤もニュースで見たことがあった。2階の部分が丸々潰れ、3階が乗っかった形になっていた。
「着きましたで。」
加藤は、そう言われて、車を降りた。松岡も車を降りるには降りたが、
「このビルの6階になります。ここから先は、ワシらもよー行けんのですわ。」
まぁ、ここまで連れて来てもらっただけでも、恩の字だった加藤は、松岡に丁重に礼を言うと、その場で別れた。
どこにでもあるような、極普通の事務所ビル。見回すと市役所の前の通りだけあって、恐ろしく広い国道が走っていたが、交通量はそれほど多いわけではない。ところが、国道の真ん中で大々的に工事をやっており、未だ大震災の余波は、覚めやらなかった。
そろそろ夏も終わり、秋も深まろうと言う頃なのに、日差しは強く、ちょっと暑い。

それでも、綺麗なビルであった。外壁は、薄く青いタイル貼りで、自動ドアから中に入ると、広めのエントランスの壁は、石貼りだった。エントランスから3基あるエレベータのうちのひとつに乗り、先ほど松岡に言われた6階に上がった。
6階に上がり、エレベータホールから左右に伸びる廊下があった。正面にぽっかり受付カウンターがあるが、誰もいない。会社名は、「株式会社オウク」と書いてある。本当にここで良いのだろうか。覗くと事務所がオープンになっており、打合せブースが並んでいた。
カウンターの上に内線が置いてあり、それを手に取ろうとしたところ、中から人が出てきた。
「あ、倉田社長にお会いしたいのですが、こちらにいらっしゃいますか?カクナカの加藤です。」
加藤は、出てきた人に聞いてみた。私服で極めて軽装の女性だった。
「加藤さんですか?ああ、こちらです。」
そのまま連れられ中に入った。
カクナカ大阪本社とは、また趣の違う、広いオープンな事務所にゆったりとしたデスクが並び、まばらに人がいた。女性が多いが、みな私服だ。オープンで窓が大きいせいか、非常に明るい。その中に、倉田がコーヒーをすすりながら、堅物そうなおじさんと話をしていた。
「加藤君、こっちや。」
倉田は、いつものようにやさしい笑顔で、加藤を見ると、自分のところへ手招きをした。
加藤は、倉田に挨拶をし、昨晩の礼を言った。
「紹介しとこ。古川さん。何をやっとるか知らんが、パソコンで困っとるらしいわ。手貸したってや。」
名前を言われた古川は、
「何やっとるか知らん、って倉田さんもけったいやわ。」
と言うや、
「加藤さん、パソコンを繋げて、ネットワークやろう思てますねん。」
と生真面目そうに言うと、パソコンを指差した。
「設定がある、思うんやけどな。ワシ、macならわかんねんけど、Windowsはさっぱりや。手貸したって下さい。」
「はい。ではすぐにやりますか?」
加藤が言うと、代わりに倉田が答えた。
「古川さんなんて、どないでもええねん。実はこっちが先やねん。早川さぁん。」
と倉田は、大声で叫んだ。
古川が、ネットワークで繋げたいと指差した方向にあったパソコンを使っていた、早川と呼ばれた女の子が来た。
「こちらが加藤さんですか?」
「加藤です、初めまして。」
「首をながぁ〜くして、お待ちしてましたよ。」
早川は、首を伸ばすと、ケラケラと屈託なく加藤に笑いかけた。
「こ、こ、これが神戸ギャルというものかっ!笑った顔がなんともかわいく、初対面の一言目が、この人懐こい会話。」
加藤は、倉田の両肩をガシっとわしづかみにし、「やったな倉田。」と暖かい言葉を投げかけ、抱擁し、両手で愛を込めて倉田の背中をバンバンと叩いた。
「新宿で、データベースをやって欲しいと、名前を出したやろ。この子が早川ひとみさんや。よう面倒見たってや。」
倉田に言われ、加藤は、倉田を抱擁している妄想から覚めた。
覚めたと同時に、加藤はある事を思い出していた。
滝川支店長は、ヤクザである倉田は加藤を抱え込むために、どんな手も使うと言っていた。命令もするだろうし、金も使うだろう。時には女を使うぞ、とわざわざ吉崎と加藤を料亭に連れて行ってまでも忠告した。
「お、恐ろしい罠だ。おれは罠にはまってしまうかも知れない。が、それもいいかも知れない。」
加藤は、一瞬のうちに覚悟を決めてしまった。


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