珍しく、大屋と長谷川が二人っきりで神妙な顔つきで会話をしていた。 ビジネスデスクに、簡単な打合せテーブル。ここ、カクナカ東京支社長室には、観葉植物も置いてあり、日の当たらない部屋の中を、ささやかながら明るさを演出するかのように、と思わせるが、枯葉も中にはあり、かえってわびしい雰囲気をかもし出している。 大屋が、自分の肩をさすりながら長谷川に言った。 「三友に行って来いや。」 「何か、仕事でも?」 「営業活動だよ。三友に行って、仕事を引っ張ってくるんだ。」 「そんな、ポっと行って仕事を取って来れるほど楽なもんなんですか?それに、ボクも三友に行くのは、出向以来で、随分久しぶりですよ。」 「おまえは、設備をやりに来たんだよなぁ。」 大屋は、搾り出すように長谷川に呟いた。 「なんでも、設備の仕事がたくさん来て、今に人が足りなくなるような事を言われましたが。」 「その設備の仕事ってのは、どこから来るか聞いたか?」 「いいえ。」 「おれもだ。おれは倉田が他のゼネコンから取ってくるような意味に捉えていたよ。事実、木本から仕事が来たが、たった二つだ。」 「これから増えるんじゃないでしょうかねぇ。」 長谷川は、さらに呑気に大屋に答えた。 「これから増える仕事に対しては、加藤君だけじゃ手薄ですよ。今新宿に常駐してる山川さんたちを呼び戻さないと。山川さんに聞いたら、まだ当分帰れないらしいって聞いてます。」 「お前は平和だな。今回、加藤が大阪に行く話聞いてるか?」 「あぁ、加藤君が言ってました。何しに行くんでしょうね。大阪で工事でも受注したのかな?」 「加藤に聞いてないのか?加藤と岸部の二人から報告あったぞ。」 「システムがどうの、とか言ってましたけど、仕事の話は聞いてません。」 「おまえ・・・。そのシステムが仕事で大阪に行くんだよ。」 大屋は、一抹の不安を覚えたが、決して怒らないように自分を抑えた。今や、この中で味方と言えば、この長谷川、たった一人なのだ。それにしても、大屋の目から見ても、この男は頼りなさ過ぎた。 「で、三友に営業活動って言うのは、そのシステムと何か関係があるんですか?」 大屋は、一瞬、怒りで我を忘れそうになった。こいつは、全て分っていて聞いているのか、それとも天然なのか。はたまた、あらゆる秘策を胸に秘めて、わざとトボけているのか。残念ながら前者であろう、と大屋は思った。 「頼む、何でもいいから、お前が三友建設に行って、カクナカ東京支社のために、設備の仕事を持って来てくれ。お前が仕事を持ってきてくれたら、その後はおれがなんとかする。」 大屋が、こんなに噛み砕いて部下に説明したことは、ここ何年も無い。
長谷川は、久しぶりに三友建設本社設備本部にやって来た。もう、離れて、かれこれ2ヵ月半になっている。古巣である設備本部は、相変わらずで、総勢20人程度がひとつの部屋にゆったりと座っていた。支店の設備部ともなると、現場を直接管理することから、業者とのやり取り、現場とのやり取り、はたまた施主とのやり取りで電話は鳴りっぱなし、現場に行く担当者、現場から帰ってくる担当者と、まさに戦争状態でごった返しているのだが、ここ、本社設備本部は、全国に展開している支店設備部の総括と言う、管理部門特有の時間の流れがあった。そこは、設備の規定を発信したり、統計を取って本社へ報告、などの比較的ロングスパンで執り行う作業がほとんどの為、20人全員がその時間の流れ方に慣れ切っている。ここに1年もいれば、支店の設備部に帰りたいと思う者は一人としていない。 「おう、久しぶりだなぁ」 長谷川を見るなり寄ってきた者がいた。設備本部に在籍している、長谷川の同僚だった。いや、長谷川はもうカクナカに出向している為、元同僚と言うべきか。 「いつ戻ったんだ?また設備本部に席置くのか?」 「いや、まだカクナカにいるよ。今日は仕事を貰いに来たんだ。」 「へー。随分精力的に活動してるんだなぁ〜。」 「なんか、仕事ないかなぁ。カクナカが出来るような設備工事。なんでもいいんだ。」 「そんなの、ここに来たってあるわけ無いだろう。おまえ、ここに何年いたんだよ。」 「そうだよな。どこへ行けば仕事があるんだろう。」 「さぁ。どっちにしたって、本社に来たところで、ラチはあかないぞ。支店に行かなきゃ。支店の設備だって、あるかなぁ?あります。ってな感じには行かないだろうな。」 全くその通りだった。長谷川は、この同僚に、支店の設備部に口の利ける者がいないか、いたら連絡をしてもらえるように頼んだ。 同僚は、二人ほどその場で連絡をしてくれたが、一人は現場でそれどころではなく、一人はお客さんの所へ打合せに行っていて、連絡をつけられるのは夜との事だ。 「どうする?夜まで待つか?」 「いや。出直す。また来るよ。」 「お、そうか。なんか大変そうだな。がんばれよ。」 同僚は、他人事のように長谷川を励ました。確かに他人事だった。
翌日、長谷川は再び、昨日の同僚の所へ出向いた。同僚は言った。 「あれ?昨夜、ヤツから電話があってな。仕事の件、聞いてみたんだよ。カクナカに電話かけたけど、お前、帰っちゃった後だったからなぁ。女の子が出たけど、聞いてない?」 「あ、机に付箋が貼ってあったけど、あれかなぁ〜。」 「伝言くらい、見てやれよ。」 「うん。あんまりボクあてに電話がかかってきたりしないから。で、どうだった?」 「ない。って言ってたぞ。」 「え?それだけ?どんな仕事が出来るの?とかいつから入れる仕事があるよ、とか条件なんか言ってなかった?」 「さぁ、あんまり根掘り葉掘りは聞かれなかったなぁ〜。」 軽く放心状態っぽくなっている長谷川に同僚は聞いてみた。 「カクナカには、大屋さんが行ってるんだろ。大屋さんに口利いてもらった方がいいぞ。お前じゃ無理だよ。」 長谷川は力なく答えた。 「うん、そうだな。」 帰り道、長谷川は悩んだ。行けば仕事がもらえるものだと思っていたのだが、現実は、そうそううまくいかない。そもそも、首尾よく仕事が来たとしても、その後どうしていいのか分らない。加藤のように、自分の会社からきた仕事は、自分で現場管理するのだろうか。いや、おれは部長だから、現場を直接見るのは加藤の役目であり、今、新宿に常駐している山川たちの役目だろう。彼らが現場で壁にぶち当たった時は、行って全面的にバックアップする覚悟はある。 その前に、仕事が無い。もう2ヵ月半仕事を待っていたが、仕事は来なかった。これからも仕事の来る見込みは、限りなくゼロパーセントに近いのではないだろうか。 そんな事を思っていたら、カクナカに着いていた。長谷川は、錆び付いた鉄骨階段を重い足取りで2階へ上がった。
雑多な人で、真っ直ぐ歩けないような東京駅で、やっと新幹線のホームを探しだした。何せ、新幹線に最期に乗ったのはいつだったか思い出せない。それにしても、平日のこの時間に、この人数、これが全員出張なのか?まさか観光ではあるまい。 加藤は、まるでおのぼりさんのようにウロウロキョロキョロと挙動不審のようだ。 改札を抜けて、自分の乗る新幹線の時刻を確認し、ホームに上った。ホームにはもう人が並んでいたが、加藤は指定席のキップを買ったので、ゆっくり自分の車両が着くホームに行った。ジュースなど用意してすっかり旅行気分だ。が、これから行く、カクナカ大阪本社を思うと、気が重い。 つい先週貰ったばかりのケータイをやおら取り出して、吉崎のケータイに連絡した。吉崎に自分の乗る新幹線と、新大阪に到着予定の時刻を告げると、タイミングよく新幹線がホームに滑り込んできた。乗り込んで、キップに書いてある自分の指定された席に着いた。 「ん〜、隣にかわいい女の子来ないかなぁ。」 気の重いカクナカ本社のシステムのことなど忘れて、隣の空席をジっと見た。 来たのは、太ったおじさんだった。座るなり、エラい勢いで弁当をかっこんでいた。
カクナカ神戸支社では、吉崎が、加藤から連絡を受けて外に出た。加藤が、大阪本社に入る前に倉田に会っておきたかった。それまで忙しく、大阪まで出向く事が無かったので、倉田にも会えずじまいだったから、これから加藤が大阪に滞在する間は、せめて加藤についておこうかと、吉崎は思う。倉田と加藤がいっしょにいるところを、吉崎は見たことが無い。加藤の報告を聞いていて、それなりの倉田の加藤に対する印象は読めるのだが、真意はどうしてもこの目で見るまで判断できない。 「吉崎専務、いらっしゃいませ。」 カクナカ本社についた吉崎に受付嬢が声をかけた。 吉崎は、カクナカ神戸支社に、専務取締役支社長の肩書きで出向してきている。 「倉田社長はいる?」 「本日は、神戸へおいでですが。お約束で?」 「あぁ、いなければいいや。直接会っとこうと思っただけだから。」 「13:00には戻られますが。」 「その時間は、いっしょに会う予定だから、また来るわ。」 言い残して、吉崎は本社ビルの中に入っていった。 「くそ、入れ違いか。まぁ、せっかく来たんだから、中を見ていくか。」 吉崎は、事務所に入るなり、新たな目で見回した。もう何度もここには来ている。見慣れた光景のはずだったが、これから加藤がやってくる。加藤はここに、違和感無く入ってこれるのだろうか。加藤は、倉田の期待に答えられるのだろうか。そう思って見回すと、これまでとはまた印象が違った。特に、見回すと、30台ほどあるパソコンをせわしなく社員が使っている。木本建設など、1台もパソコンを入れていない部署があるくらいだ。 「加藤は、これらを何とかできるんだろうか。」 ボソっと吉崎は呟いた。 パソコンなど分らない、また分りたくも無い吉崎にとって、ほとんど絶望的な光景に見えた。 「吉崎専務、こんにちは。」 振り返ってみると、吉崎よりも、見た目年長者の社員が作業服の上着を着て立っていた。ここ、カクナカ本社では、上着は作業服を着るのが一般的のようだ。 「こんにちは、松岡さん。」 「今日は、午後から違いますの?」 松岡と呼ばれた社員は、コテコテの関西弁で吉崎に話しかけた。 「時間が余ったもので、先に寄っておこうかと思ってきました。」 「社長も今日は、楽しみにしとるみたいやで。我々もでんがな。よろしゅうたのみます。」 加藤が来る事は知れ渡っているようだ。とりあえず、挨拶もホドホドに、吉崎はカクナカ本社を出て、新大阪駅に向った。
「おお、大阪だぁ。ついに来た。大阪。」 別に憧れの土地でも、なんでもなかったが、とりあえず加藤はそう思ってみた。 歩きながら、着いた報告でも吉崎に入れようと、ケータイを取り出したところで、そのケータイが鳴った。 「あぁ、吉崎だけど、迷ってないか?おれは改札にいるよ。」 加藤は、改札を見た。ケータイで通話をしながら立っている吉崎を見つけた。 「吉崎さん、見つけました。今改札出ます。」 と言いつつ、改札を出て吉崎と加藤は合流した。 「ご苦労さん、腹減ってるだろう、メシ食おう。ここは、地下がレストラン街になってるんだよ。何食う?」 「肉がいいっすねぇ。」 「おお、うまいとこ知ってるよ、行こう。」 「ゴチになりまーす。」 吉崎は、加藤を見つけて、なんとなく安心した。
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