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作品名:群青色の木の下で 作者:会田葉介

第3回   歯がゆいってなんだ!

「あのモトさん。折り入ってお願いがあるんですが」
 夕食後、如月はモトさんの個室に赴いた。地元の友達から送られてきた箱入りの林檎が土産だった。
「よかよ。如月くん。何かよくわからんけどワシは如月くんのことなら何でも聞くけん」
 喜色を浮かべモトさんは如月が皮を剥いた林檎をほおばった。70歳で総入れ歯とは思えない咀嚼の力強さに、モトさんの生命力の強さがにじみ出ている。ベッドに横になり、細かい字がびっしり埋まった週刊誌を老眼鏡片手に読んでいた。
「実はショウさんのことなんですが。今日煙草をまた吸っていたんです。朝方。ですから注意しました。自暴自棄にでもなっているのかと。そしたらショウさん『自暴自棄に、なれるもんなら、ええわな』ってぼやいたんです」
「へぇ」
「ひょっとするとショウさんの煙草って……自殺のつもりなんじゃないかなって」
 週刊誌から目を離し、モトさんはしげしげと如月の顔を見つめてきた。
「如月くん、考えすぎかと思うが」
「いえ、その後ショウさんと色々話したんですけれど、やっぱりどうしてもそう思えてきて」
 如月はショウさんとのやりとりを話して聞かせた。モトさんは一度も相槌を打たなかったが、神妙な顔をして聞きいっていた。色々考えているみたいにも見え、また意識が宙に浮いているようにも見えた。
「どうして自殺だと思ったとかね」
 一通り話終わると、モトさんは目を丸くして質問した。朝方の会話から自殺という言葉には飛躍がある。如月は少し戸惑ったが、意を決してモトさんに自分の考えを話した。
「私が煙草のことを楽しみの一種なのかって質問したとき、ショウさんが悲しそうな顔をしたんです。多分、私が分かってくれなかったことが寂しかったのかなって思って。意地悪な言い方になってしまうんですけれど、ショウさん、認知症になって生きる希望を失って、結局死を選ぼうとおもって、でも勇気が湧かなくて、それで煙草で自分との折り合いをつけたのかもって思ったんです。肺ガンで死ぬなら自分で手を下さなくても、病気が勝手に殺してくれますから。生きるのは辛くても生きたくて、死にたいけれどその勇気がなくて、結局決断を先延ばしにした結果が……煙草だったのかなって……」
「それで」
「ショウさん、ひょっとすると自分の意気地のなさを恥じているのかもしれないなって思ったんです。男らしくないって。そう考えれば、私の朝の質問って、ショウさんの気持ちを反故にしたのかなって」
「やっぱり如月くんは優しいんだな」
 モトさんは林檎をかじった。重たいテーマの割に、あっけらかんとした表情だった。「そんで、ワシへのお願いって」
「今のショウさんは、なんというかマイナス思考すぎます。もっと生きることを楽しんで欲しいって思う。でも緩やかに死に向かっている人を諭すなんて自分にはできないなって思ったんです。言葉が見つからないし、何を言っても空疎に響いてしまう気がして。ショウさんにはこれからも私は話しかけますけれど、モトさんからも説得してもらいたいって思うんです」
「如月くん、あんたのいうことはわかるけど、もっと気を楽にしとうほうがいいよ」
 モトさんはにこりとして言った。
「そんなに肩に力いれんでいいとよ。別にそこまでショウさんのこと親身になって考える必要はなかし、ショウさんもそこまでのことは望んでない。自分のことは自分でケリつけられるから、他人事と思っていいとよ」
「でも、自殺ですよ」
「わかった、わかった。ショウさんにはワシから言っておくから、別にそこまで考え込まなくてもよか。逆にワシは、今の如月くんが歯がゆくてしかたがないわ」
「……私がですか」
「そうたい。いつもどおりにしとってかまわんとって。『先生』が湿っぽくなると、ホーム全体が暗くなる。普通にしとくのが一番。元気にジジィどもの世話を焼いてくれるんが、一番ええ」
「そんなこと」
「ええから。ほら、古さんが呼んでるったい。いってやらんと」
 確かに古さんの声が聞こえた。
 どうやら誰かが発作を起こして苦しんでいるらしい。如月を呼ぶ声が食堂の方向から聞こえる。ひょっとすると、食べ物を喉に詰まらせたか。今日の夕飯にはサトイモの煮付けがあったはずだ。
「モトさん、お願いしますね」
 そういい残して、如月は部屋を後にした。
 モトさんの一言、歯がゆいという言葉が如月には異物として胸に残った。
 どうして歯がゆいのだろう。
 他人から見れば今の自分は歯がゆく映るのだろうか。歯がゆいということは、きっと自分の今の行動が生ぬるいとか、方向違いとかそういう意味なのだろう。
 でも、ショウさんは死に向かってる。誰かが会話し理解してあげて、自殺する必要はないといさめて、心変わりしてもらって、そうしなければショウさんは本当に死んでしまうかもしれない。歯がゆくなんか無いはずだし、むしろまっとうな選択のはずだった。頑固なショウさんを説き伏せるには、誰かがこうしなければいけない。漫然と見送るなんて自分にはできない。
 食堂についたら、何の事は無い。騒ぎはすでに収まっていた。どうやらサトイモは関係なく、持病の差し込みで大げさに慌てた入居者が、テーブルにあった小鉢を割ってしまっただけらしかった。
 それでも古さんは青白い顔をして、如月が来るなり、薬は、と迫るようにいった。如月は倒れている患者に水を飲ませて落ち着くように言った。胃痙攣だが重症ではない。深呼吸しただけで症状は軽くなった。いつものことだったが、「よかったぁ」と古さんは目に見えて安堵していた。
 これも老人ホームの日常だった。そのたびに古さんは慌てていた。
 そんな古さんの様子をみて、如月はふと思った。
 みんな死の重さを知っている。
 その温度も実感も、自分や若い職員を除いて全員が共有している。だから、日常茶飯事の出来事でも誰もが慌てふためく。身近な人間の死を実感できているのは、介護者の自分ではなく入居者なのだ。自分達は窺い知ることも出来ないし、それについてあれこれいう資格はないのかもしれない。ひょっとすると明日は我が身。そんな世界に身を置いているのならば、ショウさんも自分と相容れないのは当然かもしれない。
 でも、ショウさんを除く殆どの者は、日常を悲観することなく淡々と過ごしている。
 他人事と思っていいとよ――
 そうか、と如月は思った。
 他人事じゃないと、老人ホームでは暮らせない。


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