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作品名:群青色の木の下で 作者:会田葉介

第2回   2

 ショウさんの傍らに腰を下ろした。老人は如月の顔を一瞥しただけで、またぼんやりと空を仰いだだけだった。一瞬ショウさんの目が寂しげに歪んだように見えたが、すぐにいつもの毅然とした態度に戻った。
「ショウさん。老後ってどんな感じなんですか」
 あらたまった口調で如月は切り出した。
「なに」とショウさんは眉をひそめた。
「どんなことを考えて毎日を送っているんですか。どんな気持ちで、どんなライフスタイルで、どんな悩みがあって、どんな楽しいことがあって……」
「なんで早くくたばらないのか、そう言いたいんか。先生」
 気だるそうに答える。
「教えてください」
 如月はあえて真剣な面持ちでショウさんに向き直った。
 ショウさんはいささか戸惑ったらしかった。
「別に老後っちゅうても変わらん。仕事やってた頃にくらべて朝ゆっくりしとって、少し食欲がなくなるぐらいや」
「じゃあ、もっと細かく尋ねてもよいですか」
 ショウさんは無言だった。ちびた煙草を投げ捨てると、ポケットから箱を取り出し、再び火をつける。その動作がよどみなく、昔からのヘビースモーカーと錯覚してしまうほどだったので如月はすこしだけ胸に痛みを覚えた。
「まず、ショウさんの趣味って何なんですか」
「わからん」
 ちゃんと考えてくれたようで、答えるまでに一瞬の間があった。その一瞬が如月には嬉しくおもえた。少なくとも真面目に答えてもらった。本当にわからないのだと判断してもよいのでは、と思えた。
「楽しみは」
「孫が成人する。だがそんなことどうでもいい。ワシの楽しみは一瞬や。一瞬」
「一瞬って……何の一瞬」
「それがわかれば苦労はない」
 はぐらかされたような妙な答えだった。一瞬の快楽。そういう意味だったのかもしれない。後先のことなどどうでもいい。刹那的で直接的な快楽。飲酒だのセックスだのギャンブルだの。無口なショウさんの心の内を探るには少し推論が必要だった。ただ心を閉じているわけでもなく、ヒントは小出しに与えてくれる。受け取りようによっては幾らでも想像が膨らむヒントを。
「煙草を吸うのはそのためですか」
「ちがう」
「じゃあなんで」
 ショウさんは答えなかった。
 まるで玩具を取られた子供のような、無念そうな顔をしてひとつ息を吐いただけだった。
「わかりました。じゃあ嫌いなものは」と如月は話をかえた。
「先生、あんたワシを馬鹿にしとるのか。ボケると人は舐めるが、先生まで同じなんか」
 ショウさんがこんな大きな声を出すとは思わなかった。駐車場の端にいた鳩がたじろいで飛び立った。ホームにいた面々が窓のガラス越しにこちらを振り向いた。ショウさんは唐突に怒ったのだった。
 なぜ。
「すいません」
 とりあえず如月は頭を下げた。
 ショウさんは顔を赤くして肩で息をしていた。おそらく働き盛りの十和田昭六だったら拳骨の一つも繰り出していたのかもしれない。質問がストレート過ぎたのか、知らず彼の地雷を踏んでしまっていたのか。
「すいません」
「もうええ」
 そっけなく返すと、ショウさんは立ち上がった。ゆっくりと太股の砂をはたくと、ホームに向かって歩き始めた。突風が吹き、身体がぐらついたが如月を見ようとはしなかった。
「また、お話を聞かせてください」
 ショウさんがホームの中に入ってゆく。如月も後を追った。廊下で彼に追いついたが、ショウさんはふてくされたままだった。やや憮然として如月は独白した。
「ショウさん。分かった振りはいくらでもできますけど、実際はわからなくて……知らなくてもいいことは世の中に沢山あるけど、知らないといけないのに知らないことのほうが圧倒的に多くて、私はそう思ってます」
「ワシはお前みたいな口だけの臆病モンが嫌いや」
 その言葉に、如月はわかに苛立ちがこみ上げた。臆病モン?そりゃあんたのことじゃないか。こっちは命の心配をしているってのに。そこまで考えて、やっぱり自分もわかった振りをしているだけなんじゃないかという気がしてきた。
 なぜ自分は苛立ったのか。
 ほんの数分の間に如月の心は右へ左へ、重心を定める暇もなくあわただしく揺れていた。


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