夕方から雨が降るという天気予報は外れて、雲の切れ間から輝く星が見えた。
理沙子は非常階段を降りながら、空を見上げた。 時刻は午後九時を過ぎたところ。やたらと長い会議の後、不平や不満が心に渦巻いていたが、理沙子はそれを言葉にするのを好まなかった。
今夜は何を食べようか。もう時間が遅いからお茶漬けにでもしようかな。
駐車場で理沙子を待っていたのは、五年の時間を共にしている軽自動車だった。青山理沙子、三十四歳独身。物心付いたときから母子家庭で一人っ子。寂しいという感情に鈍感になるように努力して生きて来た。 高校を卒業してからずっと働いて、このところは体の具合の悪かった母親の介護をしていたが、その母親も乳がんを患い昨年亡くなった。
母親の介護を重荷に思ったことが無いと言えば嘘になるが、亡くなってしまうと大きな喪失感に打ちのめされた。 食べるものの心配も自分ひとりだけ。帰る時間が遅くなっても連絡する相手もいない。数少ない女友達も、みんな家庭を持ち子育てで忙しい。 孤独な人生だなぁと、理沙子は苦笑した。気楽でトラブルも少ないからそれでプラスマイナスゼロと考えるしかないか。 助手席の黒い熊のぬいぐるみの頭をポンと軽く叩いて、理沙子は家路に着いた。
桜並木の坂道を登り、大きな銀杏の樹で有名な神社の奥に古い住宅地に、理沙子の家があった。理沙子の母の生家だった。古くて小さな家で、介護が必要な母親の為に庭を潰してベッドのある部屋から直接、車椅子で出入りが出来るようにしていた。
大きな駐車場に、小さな軽自動車がぽつんと納まっているのはおかしな光景だった。
理沙子の帰宅に気がついた隣の犬が小さく唸る声が聞こえた。この犬も老犬で、飼い主も一人暮らしの老婆である。息子が二人、都会で家庭を持っているそうだが、もう何年も帰省していない。 休日にはその老婆を連れて買い物へ出掛ける予定である。昔は理沙子の母親が買い物に付き合っていた。今は理沙子がその役目を引き継いでいる。スーパーの店員の中には、二人を祖母と孫だと信じて疑わない者も多かった。
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