ひとたび電車に乗れば、殺人的な冷気が首を絞めつけるようだ、とにかく寒い。外との気温差はいかほどかと思うのもつかのま、一縷の隙もない動きで空いている座席に腰をおろしたわたしのちょうど正面にうら若い男、あれは何色と表現すればよいものか、しょうもない、強いていうと茶色がベースの服の襟にかけられたサングラスがひどく下品で無意味で猥褻で不快なことこのうえないと思っていたら、カチカチカチカチと勢いあまる音。音の主はわたしのすぐ隣、真っ赤に塗装されたPSPを手にした女が常人にはおよそ真似できないであろう圧倒的な指さばきでもって、モンスターハンターをプレイしているではないか。この電車がいくら秋葉原に向かっているとはいえ、電車のなかでPSPをやっている女ってのもそう見れるもんじゃない、いったいどんな顔をしているのだと気づかれない程度にほんの少し首をまわし横目で、ちらと見、なるほど納得した。たしかに電車のなかでモンスターハンターをやっていたとしても、まあ、あり、飲み込めますよってな顔だ顔面だ。顔もあれだが、目もちょっとすごい、つーか、怖い、つーか、PSPの小さな画面を所狭しと微々たる動きを示しているし、さらにすごい、特筆すべきはやはりPSPにいくつもあるボタンを高速で規則的に操作している指の機動性、運動性ではあるまいか。その動きたるや、じつによく訓練されているなと感心しながら、指、顔を何度も拝観していると、不意に一瞬、にやりと女が笑ったように見えた。うまくモンスターを退治できたのか。はたまた狙っていた素材を獲得できたのか。なんでもいいが、冷めてバンズがへにゃへにゃになったフィレオフィッシュみたいな面しておいて、にやりと笑うな、笑ったようにもみせるな、不気味だわとつい思ってしまう。そんなことを思ったところで1円にもならないのにと舌打ちをしたくなる。生欠伸がでる。
ああ、にしても、こうして呆けているだけで、わたしは退屈であった。退屈だからとはいえ、子供の頃から乗り物酔いがひどいため電車に乗っている、いままさにこの状態で本などを読めるはずもなく、音楽再生装置もない、しょうがないのでなんとなしにほとんどなにも考えず中吊り広告のひとつに目をやると、「取り壊された遊園地、酔い痴れる、復活祭」とこれはわざとなのか落書のような字体で書かれてあった。いったいなんの広告だろう、ドラスティックな山吹、紫、ピンクなどが主体の配色、下着姿の女の下半身だけが中央部分にぼんとあってどうにも色気ゼロ、四隅にはどことなくだが天使を思わせる物体が半裸で水銀灯のような肌の色なのによぼよぼでどうしようもないってな具合でイラストが描かれてあって、遠目だとカラフルな色合がやけに整合されているようにもみえ、きれいで、けれど、わたしの座っている位置からでは細かいデザインが確認できず、結局なんの広告なのかよくわからない。わからないならわからないままでもいいか、それよりいま電車はどのあたりを走っているのだ、飯田橋あたりか、と思ったのは、窓の外に神田川をボートで遡ろうとする微妙な人々が、光景が見えてきたから。ボートを漕ぎ、なにか楽しいことがあるのかな、得することでもあるのかなと考えてしまう。しかし厭味がない穏やかな川の流れ。水面が反射される光とともに揺れている。そこへひそかに漂う汗の臭い。すぐさま周囲を確認、恐らくはわたしの斜め前方に立つ、肉が腐乱して変色したみたいな色の背広を着た壮年男性から発せられているであろうその臭い。ファーストコンタクトは地味め、されど、一度感じてしまった臭さはそれなりの濃密さでもって記憶を汚染し、神田川やら水面を反射する光やらはそっちのけ、少なくとも電車を降りるまでわたしを苦しめるのである。
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