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作品名:踊れどら焼き子さん 作者:えんぴつ

最終回   1
 9時25分 鈴木屋で30個のどら焼きが焼きあがった.
 中身のボリューム,焼き加減どれをとっても均一な仕上がりだ.最後の仕上げとして,店主の鈴木甚六が「鈴木屋」の焼印を押すことで,どら焼きは晴れて店先に陳列される.今回の組にどら焼き子も完成したことになる.そして今は誰かに買われていくのを,店の前の通りを眺めながら待っている状態だ.




「あたしの中身もカスタードがよかったな」
 どら焼き子をうらやましげに見つめながら,隣の列に陳列されているタラコマヨネーズ入りのどら焼きがつぶやいた.
 それを聞いていたどら焼き子の後ろに居たカスタード入りのどら焼きが答えた.
 「こんな甘ったるいの勘弁してほしいぜ!おれはソーセージかタラコ入りがよかったよ.カスタードを買ってくのなんて女か子供くらいだ.やつらときたら食べきらないで,ゴミ箱へポイッだぜ.先行きが悲しくなるぜ!」
 「いいじゃないのよ!あたしなんて腹ペコの男子高校生かくたびれたリーマンに買われる運命なのさ!おいしいなんて一言っもいわずぺろっと食べられちゃうんだから!」
 「まったく,最近のどら焼きときたら中身が変わるとこうも贅沢になるもんかねえ!」
 店の薄暗い隅のほうに並べられているあずき入りのどら焼きが誰となくつぶやいた.
 「食べてもらえるだけでも,ありがたいってのに,誰に食べられたいとか,こうはたべられたくないなんて!舶来の材料を使ってるからこうもひねくれたどら焼きが出来上がるんだ!」
 事実,鈴木屋で使用している原材料のほとんどは輸入ものだ.しかし,それはあずきにもいえることであった.





あずき入りどら焼きは店の創業以来売られ続けている.中身のバリエーションが増えたのはここ10年来のことで,それからというものあずき入りの売れ行きは下がっていき,今ではチョコかカスタードが鈴木屋のチャート1,2位を長く独占している.
 かつて客の目に付くセンターに鎮座していたあずき入りはその座を追われ,今では店の隅でほそぼそとご隠居といった風を呈している.


 

 


 9時35分.どら焼き子が誕生してから10分が経過した.人間の世界では生まれた直後よりも,20年後くらいのほうが容貌は美しく,また知的な能力は生命を終えるまで発達し続けると聞く,それ故に人間の年齢においてはどの年齢がもっともその人間にとって価値があるかを推し量るのははなはだ困難といえる.しかし,どら焼き年齢においてはそのような考えはまったくあてはまらない.
 どら焼きにおいては,焼きあがった瞬間がそのどら焼きにとってもっとも価値が高い.引き立つ香りと口の中でひろがる風味は限られた時間のものであるからだ.しかし,その価値は,時間と共に2次曲線を描きながら下がっていく.だからどら焼き達は早く買われていくことを願い,美味しいうちに食べてもらえることを強く望んでいる.
 冷めて硬くなったどら焼きは輝かしい来世を願って,家畜の飼料を扱う業者に回収されていく悲しい運命が待っている.
 





―――中身の違いがどうだというのか,まして中身の同じカスタード入りどら焼きたちの間でさえでさえ,焼き加減の美しさ,ふっくらとしたボリューム感の優劣を競っている!
ほぼ自分と同じ姿形をもったどら焼き達に囲まれ,些細な違いを誇張して競い合うどら焼き達を見てどら焼き子はいらいらして吐き気がしている.それは虚無なんていう高尚なものではなく,120円のどら焼きに許されたささやかな生まれ出づる悩みにしか過ぎないものだろう.
「そう,かっかするなよ.なるようにしかなんねんだから」
声をかけたのは,根強いファンに支持されているジャンボどら焼きだった.
「俺たちどら焼きはよぉ.形はどうであれ,食べてもらえりゃいいじゃねえか,すりゃそいつの体ん中で,血となり肉となり行き続けられるってもんよ!うんこになって,出ちまうかもしんねえけどな!がははは!」
「うん〜そうかもね...」
こんなに小難しいことを考えないことがどんなに楽か,沈めてはわきあがる疑問を必死に抑圧しながらどら焼き子は答えた.
「...まぁ,あんま考えすぎねえことだぞ!」
「...これください.」
店に現れたのは山高帽を被った初老のおじいさんだった.
トングはジャンボどら焼きをつかんだ.
ジャンボどら焼きはおじいさんのバッグにおさまると,バッグの縁から半身を出しどら焼き子にそっと手を振ってておじいさんに連れられていった.
どら焼き子にとっても自分がどんな人に買われていくのか気になるところだ.だが,その人物を知るということは,後は食べられてしまうだけで,どら焼きとしての人生の終わりを宣告されるに等しい.だから,そのような立場にあるジャンボどら焼きを複雑な思いで,どら焼き子は見送った.







 10時35分.どら焼き子が誕生してから1時間が経った.これから運命の歯車が回りだす.
店の前に現れたのは,23歳くらいの女性だ.店の周囲は土地柄,広告代理店や出版社が多い.この女性もどこかに勤めるOLといった風情である.休憩時間を利用して,今日の昼食を買いに来たのであろう.
「チョコとソーセージとタラコ入り下さい.えーっとそれとカスタード入りも.」
「はいはいどうもね.」
店主の甚六が手際よく,チョコ,ソーセージ,タラコを袋に詰めていく.
―――できれば,この人に買われたい!
どら焼き子は心の中で叫んだ.他のカスタード入りのどら焼き達も目を輝かせてトングを凝視している.しかし,他のどら焼き達を見た途端,どら焼き子は心の中で何かが,すーっと引いていくのを感じた.
―――たかが,どら焼きのくせして,何を意気込んでんのよ.誰に買われようが同じじゃないのよ.
トングはどら焼き子を通り過ぎて,かつて自分の焼き加減を自慢していたどら焼きをつかまえた.
つかまったどら焼きのうれしそうな顔!彼女は選ばれなかったどら焼き達を眼下に見ながら優越感に浸っている.それは一種,嘲笑ともとれる表情だった.選ばれなかったどら焼き達もうらやましそうにそれを見上げている.
選ばれなくたって,どうってことない.どうせ,食べられるだけなんだから...どら焼き子はそう思い込もうとしたが,なぜか自分が落ち込んでいるのを感じた.
が,その瞬間だ,どら焼きはトングから滑り落ち,コンクリートの地面に落ちてつぶれてしまった.なかからとろりとカスタードが溢れ出した.
「ありゃりゃー,どうもすみませんね」
トングは,素早くどら焼き子をつかんで,袋に押し入れた.
―――えっ?
とっさの出来事にどら焼き子はどうなったのかよくわかっていない.
それから10分後の今,どら焼き子はOLの抱える紙袋に揺られ,OLの勤める会社を目指している.隣のスターバックスのコーヒーが温かくてどら焼き子はちょっとだけ焼きたてのあの頃の自分を思い出していた.







「私のことおいしいって言ってもらえるかな。」
昼食の時間が目の前に迫った今,どら焼き子は生地にダマがないこと,中身のカスタードが漏れていないかを入念に調べてみた.
―――そもそも私を買ったあの人は甘党だろうかそうでないだろうか.甘党ならば,他のどら焼きよりもまず先に私を食べるだろう.そうでない場合,私はデザートの位置づけかな.だとしたら,私は最後に食べられることになるなあ.
まあ,何にせよ私の人生ももうすぐ終わりだ.
そういえば,もうジャンボどら焼きは食べられてしまったのだろうか.一度に食べられずに2,3日に分けて食べられたりして...冷蔵庫にしまわれちゃうなんて,たまらないだろうな.冷たくて暗いとこにじっとしてるなんて,酷い!
食べられるってどんな感じなんだろ.口の中ではまだ私は存在するんだろうか?のどを通り過ぎたらもういなくなるのかな?胃では...?いつかどろどろになっちゃうのかな.痛いのかな.今はふわふわでしっとりしてるのに,食べられたら他の食べ物とごちゃまぜになって,私は誰でもなくなってしまうだろうな.
食べられたいのになんだか怖いよ...
咀嚼と消化.人にとって何のことはないただの昼食.人生で何回も人は食事を経験するが,そのたび毎に,食卓に上る食物は何かしらの生き物の命が絶たれているということを想像するのは,困難だ.おいしいものを食べたい人に対して,おいしく食べられたい食物.どら焼き子にとってもその気持ちは同じだった,だから今一度おいしく食べられることを願って勇気を奮い立たせた.






どら焼き子の入っている袋が突如,ゆらりと傾いた.かと思えば,一定のリズムを刻みながら袋は揺れ続ける.そして,どさっとどこかに静止した.袋の中に一筋の光が差し込んできた.
―――蛍光灯だ...。
袋の中に手が伸びてくる.暗闇を蛇が獲物を探すように手は彷徨いながら,どのどら焼きから食べようか考えているようだ.つかんだのは,タラコマヨネーズ入りだった.どら焼き子はほっとしたとともに,降りれない各駅停車がまた一歩確実に終点に近づいたのを感じた.
タラコ入りを平らげた後はチョコ.合間にコーヒーをはさみながらも,ペースは落ちず,どら焼き子が食べられるのもすぐそこだ.待っている間は長く感じられた時間も,今はとても早く感じている.
そして,蛇はどら焼き子を捕まえた.
ひとかじり,ふたかじり.
中身のカスタードが外の空気に触れて,スースーする.
薄れていく意識の中で,どら焼き子は思うのだ.
―――案外,涼しいわ...。





 目を覚ますと,あたりは真っ暗でひどく寒い.
―――ここはどこだろう.食べられたらこうなるんだ.意外と意識もはっきりしている.なんか,あっさりしてたな.
目が慣れてくるとどら焼き子を魚の目玉がぎょろりと睨んだ.あたりを見渡すとたまごやら牛乳パックがあるのも確認できた.
暗闇,雑多な食材そして迫り来る圧迫感.
どら焼き子は気がつく.自分が今どこに居るのか.そう,冷蔵庫の中に居るのだ.居場所を知った途端,どら焼き子は急に寒くなってきた.
―――よりによって冷蔵庫に保管されるなんて...。
静まり返った冷蔵庫の中は,食べてもらえることを健気に待ち,忍耐を必死で持続するものともうそんな望みは絶たれ早く生ゴミに出してくれといわんばかりに投げやりな空気を作り出しているものに2分されている.なかでも消費期限が切れた食材は忘れ去られたように奥のほうに配置されている.おそらくウインナーだろうか?どら焼き子を自分の身の上を重ね合わせるといたたまれない気持ちになってしまい目を向けることもできなかった.
―――おそらくOLは昼食でどら焼きをすべて食べきれなかったのだろう.そして私だけ家に持ち帰って,冷蔵庫に入れられたというわけか.冷蔵庫に入れられたからってすぐに捨てられるというわけではない.私の中身はカスタードだ.冷えたって洋菓子のようにまた,違うおいしさがあるじゃない!第一,悲観的に考えてたら本来はおいしいはずの私がまずく見えちゃいそうだし!
どら焼き子は自分を叱咤した.叱咤せずにはいられなかった.この暗闇の中で少しでも,投げやりな気持ちを出したら,自分も冷蔵庫の中に忘れ去られた食材の仲間入りし,やがては冷蔵庫の一部になってしまいそうな予感がするのだ.
それからというもの,冷蔵庫は何度も開けられた.暗闇の中に光が差し込むたびに,保管されている食材たちは色めき立つ.差し込む一筋の光が目の前を照らし,やがてベールとなってどら焼き子を包むたびに,私が選ばれるんだと期待するが外の世界に抜け出していくのは,自分とは違う食材たちだった.






 それから3日が経った日のことだ.どら焼き子は,光の中から現れた手に包まれるように外の世界に飛び出した.
そして,ごみ箱に投げ捨てられた.
寒くはないこと,体が水平を保っていないこと,鼻が曲がりそうな臭い,他にも冷蔵庫にいたときと違いはたくさんあるがもっとも大きな違いは,どら焼き子がもはや食べ物として認識されなくなってしまったこと,自分がゴミくずになったことだった.
もう何も考えたくはなかった.これ以上自分を弁護してもいっそう惨めな気持ちになるだけだった.このまま,成り行きに任せて存在を消そう.どら焼き子の体と心は驚くほど統制が保たれていた.ただ,その統制というものは生へのエネルギーではなく,向かうあてを見出すことの困難なものであったが.



木曜日の可燃ごみに,どら焼き子は出され,直ちにごみ収集車に回収された.冷凍食品の包み紙,ペットボトル,ビニール傘様々なものがどら焼き子を囲んでいる.
木曜日に出されたごみにもまれどら焼き子の体に傘の柄や木の枝が刺さり,解けた毛糸が絡まり,血痕の染みのできた小さなティッシュペーパーの塊がこすれ,ビー玉がめり込み,どら焼き子の中からカスタードが流れ出し,あたりのごみを覆った.
どら焼き子は周囲に身を任せながら静かに目を閉じた.



「...お嬢さん!...お嬢さんったら!こんなとこで何してんの.」
目を開けると視界にはぼんやりと,50歳くらいの男が見下ろしているのが見えた.
「この埋め立て場にどうやって入ってきたんだ.立ち入り禁止だってのに.とにかく年頃の女の子が何も着てないってのはまずいから,これでも着ろよ.」
男に手渡されたのは,着古したジーンズとTシャツだった.
「こんなもんしかないけど,勘弁してくれよな.着替える間,向こうむいてっから早く着替えてくれ.」



男は埋め立て上の脇にあるプレハブ小屋に女を連れて行くと,粉末の煎茶をポットのお湯で溶かし,差し出した.
「それにしても,あんたみたいなきれいな人がどうしてこんなとこにいるんだい.」
男は不思議そうな顔で女の顔を覗き込みながら問いかけた.
木の枝のように細く長い手足にスレンダーな姿態,焦点の定まらないビー玉のような純粋な茶色い目,毛糸のようにやわらかくつややかな黒髪,やや上気してうす桃色がかった頬,カスタードクリームのような滑らかなきめと甘い芳香を放つ肌.なにをとって男にきれいと言わしめたのかは定かではないが,女は成熟しきれていないあどけなさの残る華奢な体と無邪気な笑顔をたたえながら男の顔を見返していた.
「わからないの.目を開けたらここにいたの.」
「わからないつったってね...」
「第一,着ていた服はどこにやっちまったんだい.」
「服なんて着てなかったから.」
「なに,じゃあ,おまえさんあれかい,夜の仕事でもやってんのかい.」
女はつま先をこすり合わせてもじもじしている.
「...まぁ...なんか嫌なことでもあったんだろうな.」
「これ,返さないと.」
「あ!ああ,いいから,いいから!どうせ着るものなんて持ってないんだろ.」
女がTシャツを脱ぎだすのをさえぎって男が,言った.
「ありがとう...」
「あんた行くあてはあんのかい?」
「どこに行けばいいかもわからない...」
「とんだ拾い物しちまったな...」
「じゃあうちに来るか?ただし一日だけだからな.女かこってるなんてうわさが立っちまったらたまんねえからな.」
「いいの...?」
女は満面の笑顔で男をみた.男はもう何年も見ていなかった若い女の笑顔を見た気がした.



木造2階建ての二階,所々錆びた階段をかつんかつんと音を立てながら上った一番手前の部屋が男の居宅だ.軋む扉を開けると,垢じみた作業着と食い散らかした惣菜弁当が足の踏み場もないほど散らかっていた.色味のない灰色の部屋の風景に競馬と週刊誌のショッキングな色彩が目を引く.男にはもう長いこと妻も子供も居ないことが視覚と鼻をつく臭いから感じられた.
「まあ,汚ねえとこだが,気楽にやってくれよ.」
散らかった部屋を足の踏み場所を探しながら女はどうにか万年床の布団に腰を下ろすことができた.
「あんた,その布団で寝ていいからさ.」
「でも...」
「おれあ,こっちで寝るからよ」
男はワンカップ焼酎の空き瓶とコンビニ弁当のくずを片付けて,一畳ほどのスペースをつくり,バスタオルとロングコートで即席の寝床をこしらえた.


狭い六畳間に男の寝息が聞こえてきた.
男が眠ったのを見て女はそっと近づいて男の寝床にもぐりこんだ.男の汗の臭いがする布団の中は暖かかった男の背中にぴったりくっついて添い寝していると女は次第に安心した気持ちで満たされていくのを感じた.





ひさしに滴がはじける音で,女は目を覚ました.部屋の中は暗いが窓に目を向けると外はほんのりうす白くなってきている.男はまだ幸せそうな寝息を立てて,眠っている.
男が目を覚ます前に部屋を出なければならない.女はそう思って男を起こさないように静かに部屋を出た.
大粒の雨に打たれながら階段を降りると雨水がはねて足の甲を濡らした.通りに出ても雨がアスファルトに打ちつける音だけが耳に入る.四辻に立つが四方に人影は見えず,女だけがひっそりと立っていた.
あたりを見渡してから,自分の体を眺めると女はやっと自分が何者でもない誰かになれた気がした.それはもう随分長いこと悩んでいた問いに答えが出た瞬間であったのかもしれない.
心のたがのはずれた体が自然と動き出した.
しなやかに伸びる手足に大粒の雨を受けながら,滴の衣をまとい雨と踊る.
フラミンゴのように足を曲げてのピルエット,花から花へ蜜を摘む蜂のようにパドゥシャ,鈴が鳴るように楽しげに,百合が囁くようにやさしく雨音に合わせて躍動する.水滴を反射した肌は輝いているように見えた.



雲の切れ目から太陽がのぞいた頃,おとこはむっくりと起き上がった.部屋の中を見渡しても,女が居ないことにすぐ気づいたが,驚きはしなかった.こうなることをを予想していたのだ.女が居たことがもう遠くの出来事のようで,本当は女なんてこの部屋に居なかったのではないかと感じられた,部屋の中にとどめられた甘い匂いが唯一女が確かにこの部屋に居たことを物語っていた.男は頭をかいて大きなあくびをすると再び横になった.




浮遊する微小な水滴を空に帰す大気.
水たまりに映る雲を覗き込む女の子.
屋根の上にどこかの動物園からやってきた孔雀.
道路の真ん中に落ちているどら焼きを見つけたのら犬.



気持ちよく晴れ渡った午後だった.


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