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作品名:ゴミ屋敷の息子 作者:えんぴつ

最終回   1
「息子のお前にとやかく言われる筋合いはない.わしが自分の家をどのようにしようがわしの勝手だ.そんなことより外に行って遊んで来い.」
「妙なことはもうやめてくれ!俺の気持ちも考えてくれよ!」
僕の怒りを無視して,怒鳴る親父の文句はいつも決まっている.
――――こんなやり取りもう何百回も繰り返してる.
 親譲りの無鉄砲というわけでは全然ないが,僕は坊ちゃんと呼ばれている.というのも,「ゴミ屋敷のお坊ちゃん」という皮肉を込めて,そう呼ばれている.
 僕の住む家はゴミ屋敷だ.夕方のニュース番組でこの手の家はたまに特集を組まれたりする.たいていゴミ屋敷には,とんでもない住人がいて,よくわからん持論を振り回して,ただひたすらに自我の赴くままにゴミを収集している.近隣の迷惑も顧みずに....。
僕の親父もその類のカテゴリーに属する人間だ.親父は米の炊けない電気釜やタンス,ソファ,中身の飛び出た綿布団...あらゆるものをこの家に集めてくる.だから,いつしかこの家はゴミ屋敷と呼ばれるようになって,僕に坊ちゃんのあだ名がついたのだ.
どうして,親父がゴミを集めるのか,一人息子の僕ですら知らない.
けど,周りの人からは,しっかり僕もゴミ屋敷の住人―――坊ちゃんとして認知されているのは間違いない.
 そもそも,僕の名前は小宮山一杯,ひらがなにすると,こみやまいっぱい.ゴミ山いっぱいと何度も聞き間違えられてしまってきた.名前にまでゴミが絡むなんて..。
 今までも,このことで登校拒否になるほどいじめれてきた.親父に相談しても,「お前の好きなガンダムを拾ってきた.」(たいていコケシ)とか「ドラ焼き食うか?レモン風味だ.」(消費期限はとっくに過ぎている)といった,でまかせに惑わされて僕の悩みの矛先は巧みに捻じ曲げられていた.ドラ焼きを食べ終わった後,僕はゴミに囲まれた机でいくつもの夜を一人で泣き繋いだ.
 母親は僕が物心着く前に出て行ってしまった.そりゃあこんな家に好き好んで住みたいとは思わないだろう.いつの日か僕をこの家から救い出してくれる母親は,僕だけのミューズであることを信じている.

 


――――教頭の長話が,今日はいつになく長い.
教頭が話している間,僕は頭の中でミスチルのイノセントワールドをいつも歌っている.この曲がちょうど終わる頃には,教頭の話も終わっているのだ.けど,今日は教頭の話が,劇団四季のライオンキングばりにロングランしている.
クロスロードへと移る曲間に僕の喉を鉄の臭いのする液体が通過した.
―――ぽたりっ.
制服に赤い染みができた.
―――鼻血だ...!
あわてて僕は前方に座っている山本君にティッシュをもらおうとするがあいにく彼はもっていない.
それで,後ろの青木君にも頼んでみるがやっぱり彼も持っていない...
――――ぱさっ――
この場面をどう切り抜けようかと思案していると,僕の足元に消費者金融のポケットティッシュが滑り込んできた.
目を上げると奥野細道子さんがこちらを見ながら,
―――大丈夫?
と口を動かしていた.
「ありがとう」をいうべきだったが,鼻血を出している自分がぶざまで奥野さんを見れずに急いで,ティッシュを鼻に詰めてしまった.
息をすってもすっても鉄の臭いしかしなかった.奥野さんがくれたティッシュの匂いをかぎたいのに...
一時間目が終わる頃には,とっくに鼻血は止まっていた.でも,僕は5時間目が終わってからもずっとティッシュを鼻に詰めていた.
放課後,家に帰ってからゴミだらけの部屋の中で奥野さんにもらったティッシュを壊れかけの電気スタンドに照らしてみた.
鼻血と鼻水でまみれた真っ赤なティッシュの塊は僕以外の人が見たらただの汚いゴミに過ぎないだろう.でも僕の鼻血はドラクロワの描く赤よりもっと情熱的で,ティッシュがなんだか僕の心臓の一部のように感じられた.
だから僕は何時間もティッシュを眺めたんだ.それで,ベッドの枕元にある壊れた洗濯機の脱水槽の中にティッシュを大切にしまった.
その日から僕は奥野さんのことを気が付けば考えるようになっていた.




――――奥野細道子さんは,美術部に所属している.
なんたら菩薩だとか,馬の頭をした観音がパンダと戯れる画だとか洗濯物をしている絵なんかを描いている.
昼休みには,一人弁当を持ってどこかに出かけていく.どこに行くのかは誰も知らない.
クラスのみんなからは,実はすごい大食いであるとか,校舎の3階のトイレでタバコをすっているとか昼休みの間だけ化仏になれるなんていう噂が囁かれている.
だからクラスでの奥野さんはちょっと浮いた存在だった.
奥野さんはいつも考え事に耽っているような佇まいと,3秒後の未来を見つめるようなぱっちりとした深遠な黒目をしている.
僕と奥野さんはクラスの同級生で取り留めのない世間話をよくしていた.会話をしてても,話し終わった後には何を話していたか,よく覚えていない.
唯一覚えているのは,
「坊ちゃん家の勝手口の扉,蝶番のはずれた感じが素敵だね〜!」
「正面玄関はゴミでふさがっちゃってて,勝手口からしか出れないんだよ」
「じゃあ,あれいつも開けっ放しなの?」
「冬は寒いんだけどね.」
「あはははー」
という会話くらいだ.




―――――3時間目の社会の授業
午後一の授業はクラスの誰もがこっくりこっくり眠気と戦っている.
先生が黒板に大雑把に東京湾の地図を描いていた.地図をチョークで指しながら
「....特に江東区のこの地域は夢の島なんて呼ばれているところだな.どうしてかわかるか?....小宮山?」
「....ゴミが埋め立てられているから....ですか?」
「....そうだな.」
 その瞬間,クラスがどっと笑いに包まれた.
 笑いの鳴り止まないクラスメートをかき分け,奥野さんを横目で見ると,机の下でジョジョの奇妙な冒険を真剣な表情で読み進めていた.
 ―――今の出来事は聞き逃したようだな―――.
奥野さんが僕の家がゴミ屋敷であることはもちろん知っている.けど,改めてゴミ屋敷を突きつけられるとやっぱり恥ずかしくなって,居ても立ってもいられなくなる.クラスのみんなに笑われるのは何回も経験しているが好きな人の前でみんなに笑われるのはやっぱりつらいのだ.
難を逃れ僕は安心してうとうとしてきた―――.




――――ひょっとしたら,坊ちゃんというあだ名だけが一人歩きし,誰も僕がゴミ屋敷の住人であることなんて気にも留めず忘れてしまっているのではないだろうか.薄暗い電気スタンドの下でそんなことをよく考える.
でも,たちどころに僕を取り囲むゴミの山が目に飛び込んできて,そんな考えを吹き飛ばしてしまう.
さっきまで,月明かりを目指して窓ガラスに体をうちつけていた蛾がサッシの上で動かなくなった―――.




ジ,ジジー,ジジ,ジー
親父の拾ってきた,目覚まし時計の音が部屋の中を響き渡る.
いつ通りの動作で,アラームを消し,
いつも通りの動作でテレビのスイッチを押す.
部屋のテレビは画面がブラウン管に移るまで3分かかる.
画面がぼんやりと白くなり,人らしきものが浮かびあがる.
しかし,画面に現れたのは大塚アナウンサーではなく,予想に反してジャパネットタカタの社長だった.
――――なにかがいつもと違う...
画面の左上の時計表示に目をやるとデジタル時計が「10:33」を示していた.
どうやらいつもなら眠っているうちに3時間早く進んでしまう目覚まし時計が,今日は正確に時を刻んでしまったらしい...。
僕はあわてて,学校の準備を始めた.
すると外から何やら騒がしい声が聞こえてきた.
窓を開けて見下ろすとスーツを着たきれいな女性から親父がマイクを突きつけられている.マイクには夕方のニュース番組の名前が貼りついていた.
女性の後ろには,カメラを持った30代後半くらいの男の人と,大きなマイクを構えた20代前半くらいの男の人が,やはり親父に体を向けていた.
「すごい臭いですよね.近隣の方の迷惑ではありませんか?」
「どうして,ゴミをお集めになるんですか?」
「片付ける気はないのでしょうか?」
マイクを持った女性が,次から次に質問を浴びせている.
親父は質問を無視して,昨日拾ってきた電子レンジを,タンスの上においてみたり,やっぱり下の方がいいかと配置に迷い思案している.
それでも,レポーターの女性の質問は止まらない.
僕は急いで着替え階段を降りて勝手口を出た.
女性レポーターは僕を認めると,たちまち僕の方に走ってきた.
「住人の方ですか?」
「あちらの方の息子さんですか?」
「このような家に住まわれてどのようなお気持ちですか?」
「学校でいじめられたりはしませんか?」
僕は何を答えればいいのか,わからなくなり黙りこんでしまった.
フル回転する頭の中で,視界に入ってきたのはマイクを持った男性が勝手口の蝶番に引っかかったコードを思いっきりひっぱり,勝手口の扉がはずれる場面だった.
――――僕だって好きでこの家に住んでるわけじゃない.生まれたときからこうだったんだ―――.
そう心の中でつぶやいた.ただ,奥野さんがほめてくれた勝手口.家に入るための唯一の扉が,静かに崩れていくの見たら,胸が苦しくなって,視界がぼやけてきた.
「親父も僕もこの家が好きなんです.ほっといてください.」
僕の口から出たのは今まで考えたこともない言葉だった.
女性レポーターが次の質問をする前に,僕は学校に向かって走り出した――――.




――――学校に着くと昼休みはもう終わりかけていた.
教室とは反対方向のグラウンドに目を向けると一人の女子がこちらに歩いてくるのが見えた.
奥野さんだった.
手を振ると,奥野さんは走ってやってきた.
「あれれ〜坊ちゃん今日は遅いんだね〜.」
おちょくるように奥野さんが話しかけてきた.
「寝坊しちゃってさ.」
「奥野さんはいつも昼休みにあると教室を出て行くけど,どこにいってるの」
「理科室の裏だよ」
「どうしてそんなところに」
「あのあたりたんぽぽがよく生えてんだよ.坊ちゃん知らねえのかい〜.」
「ふぅーん」
「興味なさそうだね.」
「そんなことないよ.」
「たんぽぽの成長って早いんだよ.毎日見てても,次の日見たら種の子供たちはいつのまにか巣立しちゃってるんだから.」
奥野さんは3秒後の未来から言葉を手繰り寄せるように話す.
「そんなことあんま考えたことなかったよ.」
「だからね,たんぽぽを見てると,今日っていう一日がすごく大切に思えてくるの.どうでもない一つ一つの出来事が,すごくいとしくなっ―――.」
言い終わらぬ内に,奥野さんの筆箱が手から滑り落ちて2Hから6Bまでのステッドラーの鉛筆と練り消しがあたりに散らばった.
奥野さんは,膝をそろえて,髪を耳にかけながら,鉛筆を拾う.
――――好きだ...
僕は独り言のようにつぶやいた.風音にかき消されるくらい小さな声で.
奥野さんは練り消しに付いた砂を指でこそぎ落としている.
――――君が,――――好きだ...
僕と奥野さんの間を,昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた.
無表情に奥野さんが上目遣いに僕を見上げる.
すくっと奥野さんが立ち上がる.
――――言わなければよかった.
言葉が血管を通して体中を巡るのを感じた.
―――やわらかな春の風が奥野さんの髪間をゆっくりと通り過ぎる.
沈黙の3秒後,不意に奥野さんが僕を見てにこっと微笑んだ.
月曜から花曇りの日が続いていたが,その日は春を感じさせる暖かい木曜日だった.




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