助けた少年の手を引いてテントに戻ると、子供の悲鳴に気付かないほど熟睡していたはずの三人が、のんびりと着替えている場面にでくわした。見慣れない少年の姿に、童顔が目を丸くして驚く。 「その子……あ、もしかして本当に子供を作っちゃ──」 「ぶん殴りますよ?」 彼らの身支度が終わるのを見計らい、私とルビニさんは朝食の配膳を始めた。 ボウルのような椀にルビニさん特製の野菜スープを注ぎながら、森で起きた一連の出来事を簡単に話すが、途中から男性陣は食事に没頭してしまった。 諦めて、私は少年にも椀を差し出す。 「君もどうです? お腹、すいているでしょう?」 少年は見知らぬ大人たちに囲まれて萎縮してしまっているのか、一言も発さず、おずおずと椀とスプーンを受け取った。しばらくスープを凝視して、ようやくそれを口に運ぶ。 だが、一口食べた途端、少年は豹変した。 「ん!」 まるで予期せぬ幸運にでも遭遇したように目を見開き、スプーンをガシャガシャと慌ただしく動かして、スープを貪りだしたのだ。よほど空腹だったのか、あるいは角がトロリと蕩けるまで煮込まれた野菜をお気に召したのか……十中八九、後者だろう。 全員が競い合うようにおかわりを求めた結果、大鍋はすぐ空になってしまった。 「お姉ちゃん、お兄ちゃん、さっきは助けてくれてありがとう」 椀を置くと、少年は開口一番にそう言った。すっかり打ち解けてくれたらしい。 「いや、当然のことをしたまでだ──ところで、君はどうして森の中に?」 ルビニさんが優しい口調で尋ねると、少年は溌剌とした声で答えた。 「僕、この森にある村に住んでいるんだ。でも、朝食のキノコを採りに行ったら、いきなり熊に襲われちゃって……」 「村!?」 少年の声を遮って、私たち一同は声を揃えて叫んだ。 〈地図〉を失って久しい《エルジュ王国》は、周辺に他国がなかったため、自国以外に人が住んでいる土地を知らない。かつて行われた南方調査でも、ついにそれは見つけられなかったという。 もし少年の発言が本当なら、これは開国以来の大発見になるだろう。 「しかし、妙ですな」 ふと、トルコさんが腑に落ちないといった感じに首を傾げた。 「サフィールとカルネオルはこの森を通過したはず。だが、二人の調査用紙には村の存在なぞ書かれていなかったが?」 「見つけられなかったんですよ」 トルコさんの疑念を、童顔が落ち着き払った声で一蹴した。 「彼らは道に迷うことなく、まっすぐに雪山を目指し、たった二日でこの森を抜けています。なにも隅々まで探索したわけじゃない。仮に村が森の外れにあったとして、二人がそれを見つけられなかったのは当然と言えます」 「なるほど。こりゃあ遭難した甲斐があったってもんだ」 ルビニさんが、この四日間の苦労を忘れたかのように、あっけらかんと笑い立てる。 その能天気な頭を小突きたい衝動をグッと抑え、私は少年に詰め寄った。 「あの、もしよろしければ……」 「うちの村に行きたいんだよね?」 これまでの会話から察してくれたらしく、少年は即座にうなずいた。 「いいよ、僕も今から帰るつもりだから案内するね。助けてくれたお礼だよ」 少年の承諾を受けて、私たちはすぐさまテントを片付けて出発の準備を整えた。 道中は少年に先導してもらう。彼の足取りは実に軽快で、私たちを四日も迷わせた暗緑色の迷路を、まるで確かな道標でも見えているかのようにヒョイヒョイと進んでいく。 「すごいですね。どうやって道順を覚えているんですか?」 「う〜ん……生まれたときから住んでるから、身体が勝手に覚えちゃったのかも」 やがて、密集していた木々がプツリと途絶えた。 日差しを遮るものがなくなって、視界がパッと明るくなる。 「ようこそ! 僕たちの村へ!」 そう言って胸を張る少年の肩越しに、木造建築の建物が軒を連ねていた。 敷地としてはさほど広くないが、牛や鶏の鳴き声が絶えず聞こえてくる家畜小屋や、瑞々しい葉を茂らせている畑を見る限り、日々の暮らしに困窮している様子はない。世俗的な贅沢から切り離されている景観には、安穏とした風情が流れている。 「牧歌的な村ですね」 「ボッカテキ?」 私の率直な感想は、少年には伝わらなかった、 「とりあえず、村長のところに行こう。きっと力になってくれるよ」 歩き出した少年の後ろに続いて、幅の広い道を進む。 道すがら、村人であろう通行人が目に入った。彼らの服装はデザインこそ簡素だが、袖や裾には蔓草をモチーフにした凝った模様の刺繍が施されている。純朴そうな出で立ちだ。 「じいちゃんはね、この村で一番大きな家に住んでるんだよ」 少年は村長のことを親しげにじいちゃん≠ニ呼んだ。 「本当は宴会とかで使う集会場なんだけど、管理してくれる人がいないからって、じいちゃんが住みながら掃除とかの手入れをしてるんだ。奥さんも子供もいないから、ずっと一人で」 その建物は、村のもっとも奥にそびえていた。 ほかの民家と同じ木造建築だが、厳かな重厚感を漂わせる色合いから、ほかより高品質の木材が使われていると分かる。建物自体の大きさも、一般の民家の多くが一階建てであるのに対し、その村長宅は三階建てだ。家というよりも屋敷と呼びたくなる。 「じいちゃーん、お客さんだよー」 そう言って、少年はノックもせずに屋敷のドアを開く。 その奔放さにちょっとショックを受けながら、私たちも屋敷の中へと入る。 室内は全体的に薄暗かった。家具が少なく、壁に絵すらかかっていない閑散とした様相は、なんだか買い手のつかない幽霊屋敷といった具合だ。だが不思議と不気味ではない。床のシミや壁についた細かな傷が、人肌を感じさせる生活臭を醸しているおかげだろう。 窓際には、褪せた紫色のソファーが置かれていた。布地がだいぶくたびれたそれに、白髪の老人が腰を曲げて座っている。 すると、少年はまるで同世代の友人の家にでも遊びに来たかのような気安さで、トコトコと老人の傍まで歩いていく。彼の足音を察したのか、老人が筋張った首を大儀そうに回した。 「おお、おまえさんか」 老人の声は嗄れていたが、不自然な震えや掠れがなく、とても聞き取りやすい。 「さて、お客さんとはどういうことだい?」 「あのね、さっき森にキノコを採りに行ったら──」 少年は私たちとの出来事を簡潔に説明する。 「──で、あの人たちはソーナンが困ってるんだって。じいちゃん、なんとかしてあげてよ」 「そうかそうか。では、あとはワシに任せて、おまえさんは家に帰りなさい」 「うん! お願いだよ!」 少年は従順にうなずき、私たちの横を通り過ぎて退室した。 ドアが閉まった直後、村長の窪んだ眼窩が私たちをまっすぐに見据える。 「皆さん、あの子が世話になったようで……ささ、もっと近くへ来てください」 「はい」 手招きされ、私たちは村長の前で横一列に整列する。 すると、村長のやたらと澄んだ眼差しが、私たち一人一人を慎重に窺いはじめた。 遠目からでは分からなかったが、この老人の顔には満遍なく皺が刻まれており、人間というよりはささくれだった古木のような風貌をしている。その萎びた肉体には荒ぶる狼の野生こそ残っていないが、かわりに暗闇でも獲物を逃がさないフクロウの知性が潜んでいる。 少しして、理知的なフクロウは頭を深く下げた。 「改めて、ようこそ。わたしがこの村で村長を務めている者です」 警戒心のない所作に胸を撫で下ろす。どうやら不審人物扱いは免れたらしい。 ルビニさんも安堵の笑みを浮かべて、恭しくお辞儀した。 「歓迎にあずかり光栄です。自分は隊長のルビニ・クォーツと申します。このたびは遭難して八方塞がりだった我が部隊を迎え入れていただき、心より感謝しております」 「いえ、聞けばあなた方はわたしの幼い友人を助けてくださったと。そのお返しです。こんな老いぼれの家でよろしければ、何日でも泊まって旅の疲れをとってくだされ」 「美しい厚意、ありがたく頂戴します」 そこでルビニさんは頭を上げて、ゆるりと相合を崩した。 「……ところで、自分たちは《エルジュ王国》より遣わされた騎士であり、我が国の悲願である〈地図〉の完成のため雪山を目指しております。もしご存知でしたら──」 「やはり《エルジュ王国》の方々でしたか。その銀鎧を見てすぐに分かりましたよ」 「え?」 ルビニさんの薄い唇がポカンと丸く開く。 その分かりやすい反応に、村長は目尻の皺を深くして柔和に微笑んだ。 「そんなに驚くことはありません。わたしも元は《エルジュ王国》に住んでいたのだから」
「六十年前のことです。王国の北端に住居を構えていた人々、そのごく一部が、新たな大地を求めて旅立ちました。その一団に、わたしとわたしの両親もいたのです」 そのような切り口で、村長は村の成り立ちを訥々と語り始めた。 「国に不満があったわけではありません。あの恵まれた国において、国民が無理を強いられることなど滅多にありませんからね。単に、祖先より脈々と受け継がれる開拓精神に抗えなかったというだけです。いや、血は争えないものですな」 ほっほっほっ、と愉快そうに声を膨らませる。 「元は大陸の端に住んでいた祖先が、長い旅を経て《エルジュ王国》を築いたように、わたしたちも自らの足で新世界に踏み出したかったのです。ですが、何事もそう上手くはいきませんでした……」 そこで、村長は微かに視線を落とした。 「威勢よく旅立ったものの、生憎、皆さんの言う雪山に道を阻まれてしまいました。そうした次第で、やむなく森の中に作られたのが、この村というわけです」 なるほど。つまり、ここの村人はルーツを辿れば皆エルジュ国民であり、この出会いは念願の異文化交流にはなりえないということか。 だが、今は落胆するよりも気にかかることがある。 それを口にしたのは垂れ目だった。 「雪山を越えようとは思わなかったんですか?」 そうなのだ。山頂にアラクネが待ち受けてはいるけれど、山自体は丸三日もかければ登頂できると報告されている。故郷を捨てるほどの覚悟を据えた彼らが、その程度の障害で夢を断念したというのが、どうにも釈然としなかったのだ。 だが、村長はそれまで穏やかだった顔色を途端に青くした。 「とんでもない。あの雪山を越えることなど不可能です」 さして大きくないが、有無を言わせぬ迫力を孕んだ一声が、室内の空気をズンと重くする。 「このあたりの気候は温暖だというのに、あの山だけは、まるで呪われているかのように年中氷に閉ざされています。そんな環境で生きていられる動物は少ない。いるのは恐ろしい黒痣ばかり。そして何より……」 ふぅ、と苦しげな息継ぎを挟む。 「溶けない雪に覆われた大地は崖を隠し、絶えない吹雪は登山者の方向感覚を狂わせます。それが二、三日で登りきれるならまだしも、実際はどんな屈強な男だって十日はかかります」 「十日!?」 その日数に、悲鳴を上げたのは私と垂れ目だった。この軽薄な男と行動が合致してしまうなんて、この上なく不本意であったが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。 「そんなのおかしいです! だってカルネオルの調査用紙には──」 私はひどく上擦った声で、二年前に雪山を登ったカルネオルの存在と、彼が残した調査用紙の記述について説明する。 すると、村長は疲れきった声で小さく呟いた。 「……あなた方の情報が嘘だとは思いません。ですが、わたしの両親を含めた数多くの者が雪山に挑みましたが、あの悪路を三日で踏破できるはずがないのです」 「でも、それじゃあ……」 「わたしの思うに、その騎士さんとやらは特別な訓練を受けていたのではありませんか? 険しい雪山を、安全かつ迅速に登れるような」 「そんなものは──!」 ありません、と言いかけて私は声を詰まらせた。 確かに、サフィールとカルネオルがそうした特殊訓練を受けていたという記録はない。 だが、彼らは王国史上最強と謳われる特級騎士だ。常人には耐え難い条件下でも、その卓越した身体能力で強引に乗り切ってしまったのではないか? その考えに至った瞬間、私の脳裏に昨夜の反省会での話題が蘇った。 カルネオルたちは三日で越えた草原。それが私たちだと五日間もかかった。 そして、迷うことなく二日で抜けたという森。私たちは未だにそこから出られない。 ──すべての謎が一本の線で結ばれる。 (なるほど。そうゆうことだったんだ……) 私は唐突に、その非情な現実を理解してしまった。 私たちの旅路は、カルネオルたちが歩んできたものに比べ、なぜか予定日数を著しく超過してしまっている。その原因が、たった今わかった。 彼らは特別で、私たちは凡人だった。それだけの、実に単純な理由だったのだ。 前述したとおり、特級騎士であるカルネオルたちの身体能力は一般のそれを遥かに凌駕しており、一般人と比べれば歩くペースも早いだろうし、休憩の時間も少なくて済む。そんな天才が歩んだ軌跡を、人並みから逸脱できない私たちが同じ歩調で辿れるはずがない。 「…………」 心を破かれたようだった。口に出せる言葉はなく、ただ両肩が無意識に震えだす。 人間離れした超人が書いた調査用紙と、目の前にいるなんの変哲もない老人の忠告。そのどちらが正しいか……いや、どちらが自分たちに即しているかなど明白だ、 私の絶望を見透かしたように、村長は乾いた声で言う。 「悪いことは言わない。今日はここに泊まって、明日は国へ帰りなさい」 だが、素直に首肯する者はいなかった。 誰もが相反する感情とのせめぎ合いに苦しみ、ただ下唇を強く噛んでいるばかりだ。 決定権は隊長のルビニさんにある。私は横目で彼の様子を窺った。 四人の絶望と渇望を一身に背負う青年は、色のない表情で床を睨んでいた。思い詰めているようにも見えるし、もう既に答えを出しているようにも見えるが、その唇が固く結ばれたままなので真意を測ることはできない。 重苦しい静寂が、室内にゆっくりと充満していく。 やがて、それを振り払うかのように、ルビニさんの喉から決断が絞り出された。 「……すまん。一晩だけ考えさせてくれ」 その決断に、ますます息を詰まらせたのは私だけではなかったはずだ。
同日の晩、村長宅のキッチンを借りて夕食の支度をしていたところ、真剣な面持ちのルビニさんから声をかけられた。 「誰か、手の空いているやつはいないか? 話があるんだ」 すると、鍋の番をしていた童顔が、私の手から包丁を奪い取って耳元で囁いてきた。 「君が行ってこいよ。階級的に考えれば君が副隊長なのだから」 含みのある声色は明らかに別の意図があるとしか思えなかったが、今回ばかりは目を瞑ることにし、私はルビニさんの背中を追った。 連れ出されたのは三階のベランダだった。料理の湯気で火照った頬に、ひんやりと染み入ってくる夜気が心地よくて、私はうっとりと目を細めた。 「助かりました。さっきまで村長さんの家の包丁を借りて料理していたんですが、それが信じられないくらいに切れ味が悪くって、ちっとも野菜の皮が剥けなかったんです」 「そうか」 私の軽口を、ルビニさんは素っ気なく受け流す。 鉢植えの並べられたベランダは頑丈な作りだけれど、免責には乏しくて、私とルビニさんが並んで立つだけで身動きがほとんど取れなくなってしまった。 手摺には小ぶりの燭台が置かれている。星のひとつすら瞬いていない暗黒の夜に、ロウソクのささやかな明かりが仄かに揺れる。いつ消えてもおかしくない、とても小さな灯だ。 「なんですか、話って」 私は単刀直入に尋ねた。先ほどの態度から察するに、遠回りは余計だと判断したのだ。 すると、ルビニさんも真っ向から打ち明けた。 「雪山のことだ。お願いだ、俺に登らせてほしい」 ロウソクの炎に縁取られる横顔は、太陽の下にいるときより黒ずんで見える。 「そうですか。では、明日の明け方にでも出発しましょうか」 「……反対しないのか?」 「しませんよ。私たちだって、挑戦もせずに逃げ帰るなんて癪ですから」 それが私たちの総意だった。ルビニさんが部屋に閉じこもっている間、私たち四人はキッチンでこっそりと雪山のことについて話し合い、どうせ諦めるなら実際に登った後の方が良いという結論に落ち着いたのだった。 それを話すと、ルビニさんは申し訳なさそうに眉を下げた。 「そうか。……すまんな、俺の身勝手におまえたちまで付き合わせて」 「身勝手じゃありませんよ。すべては〈地図〉のためでしょう?」 「いや、そうじゃなくて……」 まごつくように目を泳がせる。 だが、彼はすぐさま顔を持ち上げ、語気を強めてこう言い放った。 「俺はあの二人に、サフィールとカルネオルに勝ちたいだけなんだ。俺が生きている内に」 「え?」 勝ちたい、生きているうち──まったく予期していなかった言葉が、私の意識の死角を鋭く刺した。なんのことかと問い質すより早く、ルビニさんが夜空に向かって声を転がす。 「アリヴィン、俺は生まれつき死病を患っている。あまり長くないんだ」 その告白で、私の胸に大きな風穴が空いた。 とっさにルビニさんの横顔を確認する。闇の中でもくっきりと浮き出るほど白い肌は、彫刻のように滑らかで美しいけれど、特に何の異常も見受けられない。額から顎の先までじっくり凝視しても余命幾許≠ネんて刻印は施されていなかった。 「母親譲りの遺伝性のものだ。安心しろ、感染したりはしない」 私の沈黙の理由を勘違いしたのか、ルビニさんは聞いてもいないことを言う。 「俺を出産して間もなく、母はその病気で亡くなった。そして、俺もまた産まれて間もなく、母と同じ病気に罹っていることが判明したらしい。幸いにも、姉さんには遺伝されなかったようだ」 心から姉の無事を喜んでいるらしく、ルビニさんは口元に微かに笑みを浮かべた。 「父さんは病気の治療に尽力してくれたよ。この病気はあまり前例がなく、国内でも研究が進んでいなかったが、父さんが国中の医者に多額の資金援助をしてくれたおかげで、なんとか進行を遅らせる薬の完成にまで漕ぎ着けてられたんだ」 「薬……」 その単語がスイッチとなって、今朝方の遣り取りが頭に過ぎる。 「まさか! 朝に飲んでいた錠剤って……」 「そうだ、ビタミン剤なんかじゃない。定期的に検診を受け、あれを欠かさず飲んでいることで、なんとか延命できているんだ。あの薬がなけりゃ五年前には死んでいたな」 ははっ、と弾ませた笑い声に、強がりは感じられない。 「それでも、根本的な治療は見つかっていなくてな。正確なところはわからんが……医者の言うには二十五まで持たないらしい」 「二十五!?」 平然と吐かれた数字に、背骨が裂けるようなショックを受ける。 現在、ルビニさんは二十一歳。目の前で喋っている人間が、四年後には存在していないだなんて、にわかには信じられない。 「そうだ、俺にはもう時間がないんだ」 絶句している私をよそに、ルビニさんは抑揚の欠いた声で言う。 「アリヴィン、俺がサフィールとカルネオルを良く思っていないのは知っているな?」 そのことは昨夜の会話で確信していたが、喉から声が出てこない。 ルビニさんは構わず続けた。 「俺は父さんのおかげで生き存えている。だから、親という存在を蔑ろにするあいつらは、どうしても許せないんだ。でもな……」 ふっ、とルビニさんの瞳から光が消える。 「俺はそれを言ってやれなかった。あいつらに面と向かって意見できなかったんだ」 星のない夜空を映す瞳は、当然のように黒く染まっている。 「そうだ。俺は養成学校の頃から、あの類希な才能と実力に気圧されて、あいつらに対してずっと卑屈になっていたんだ。やつらは俺より強い、俺より優れている、俺より偉い……そんな引け目に縛られている自分に気付いた瞬間、俺は自分に失望したよ」 堰を切ったように吐き出される吐露。その言葉のすべてに赤色の苦悩が滲んでいる。 「だから、俺は北方調査に志願したんだ。あいつらにできなかったアラクネの討伐をやり遂げれば、もう誰かに気後れすることなく、これからは胸を張って自分の主張を貫き通すことができると思って……だから……」 そこから先は聞き取れなかった。つらつらと胸の内を重ねるほどに、ルビニさんの声は夜闇に沈んでゆくのだから。ただ、もはや吐息よりも微かになった声色に、触れがたく侵しがたい感情が込められているのだけは確かだった。 私はルビニさんから意識を外し、黒く塗りつぶされた空を見上げた。 そこには冷たい漆黒が広がっているばかりだ。こちらを圧し潰さんばかりに立ち込める暗黒が、惨劇の前兆のように思えて、足首に拭いようのない不安が巻きついてくる。 (明け方には出発か……) ふぅ、と小さく息を漏らす。 その微かな空気の流れに煽られたロウソクの灯は、何かに怯えるように大きく震えた後、音もなくその熱を闇夜に散らせて消えたのだった。
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