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作品名:十年戦記 作者:朧 蝙蝠

第7回   緑と赤が森の中で A

「アリヴィン。勘違いしているようだが、遭難したのは俺たちの所為ってわけじゃないんだ」
「いや、完全に私たちの落ち度ですって」
「物事への認識がまだまだ浅いな。いいか、こんなところに森があるのがいけないんだ」
 私の正論をサラリと否定するルビニさん。その横顔を焚き火の熱が幻想的に照らす。
 普段どおりに訪れた夜は底が深く、炎の届かない場所では輪郭を失った木々が、闇と完全に一体化していた。私たちの周囲を取り囲む影は、人一人くらいなら容易に呑み込んでしまいそうなくらいに色濃い。暗緑色の暗闇はそれ自体が異形の怪物だった。
「でも、隊長の言い分もわかります。だって、オレたち別に遭難するようなヘマしてねぇし」
「そのヘマをした結果が今の状況だというのが、君には一生わからないだろうな」
 騎士の証である銀鎧を脱ぎ払った私たち五人は、簡素な食事を済ませて、焚き火を囲んで雑談に耽った。テントも張ったし、調査用紙もすでに書き終えている。あとは睡魔が訪れるのをダラダラと待つばかりだった。
「しかし、隊長。確かに、これまでの旅路を少し見直すべきではないですかな?」
「ん? どういうことだ、トルコ」
「遭難する以前より、進行日数に遅れが見られております」
 深刻そうに眉根を寄せたトルコさんが、荷物袋から数枚の紙を取り出す。カルネオルが残した調査用紙の写しだ。これには彼とサフィールがアラクネに遭遇するまでの道のりが、すべて記載されている。
「これがどうしたって?」
 ルビニさんが横からそれを覗き込む。寝衣に着替えた彼の身体は、十四歳の私と比べても遜色ないほど肉付きが悪い。病的といっても差し支えないほどた。
 トルコさんは人差し指で用紙をトンと叩いた。
「これによると、彼らは森までの草原を三日で越えたとあります」
「ああ、本当だ。俺たちは五日もかかったのにな」
「はい。それに、この森は二日で抜けられる程度のものと書かれているけれど、我々はこうして四日間も彷徨っております。これら大幅なペースのズレの原因を早々に突き止めておかねば、今後の進行にも支障をきたす恐れがありますぞ?」
 調査隊として派遣された騎士には、目にした土地の地形や天候、そこで見かけた動植物などの情報を調査用紙に書き込まなくてはならない。これを元に〈地図〉が作られるからだ。
 しかし、武術にばかり長けている私たちには測量の技術がない。かと言って、どんな危険な黒痣がいるとも分からない旅路に、戦力にならない測量士を同行させてはリスクが高すぎる。
 なので、私たちは距離のかわりに、その土地を抜けるのに費やした日数をメモするのだ。調査用紙を地図化する際に、その日数を人間が一日の内に移動できる距離の平均に換算することで、おおまかな距離を算出するのである。
 よって、騎士たちは距離よりも日にちに重点を置く傾向がある。
「ふぅ〜む……」
 ルビニさんが顎に手を当てて唸る。
 今のところ予定日数の超過よる不利益は発生していないけれど、隊長としてこの自体は看過できないと、今まさに頭の中であらゆる可能性を渦巻かせているのだろう──という、私の幻想は三秒後に砕け散った。
「……あいつら、そんなに歩くの早かったのか」
 ガクッ、と私とトルコさんは前のめりに崩れ、童顔は呆れたように嘆息する。
 垂れ目だけが可笑しそうに高らかな笑い声を響かせた。

 反省会は気の抜けた感じで終わり、夜の雑談は騎士養成学校での思い出話へと変わった。
 我が国において、国民は最低限の武術を身につけることが法律で定められており、十歳を迎えた子供は騎士養成学校に入学させられるのだ。そこで最低半年間、戦いのための肉体をつくり、各々が選択した武器の扱い方を仕込まれる。
 半年を過ぎると、ほとんどの者は学校を去って勉学や家業に専念することになるが、騎士を志す者はさらなる学費を払い、もう何年間か在学して技の研鑽に励む。私も三年間ほど通い続けたものだ。これでも短い部類である。
 年齢に関係なく共通した話題は、静かな夜を明るく華やがせた。
「え〜! あの斧使いの教官、そんな昔っからいたのかよぉ〜!」
「昔って……僕はまだ三十代だから、ほんの二十数年前の話だろう?」
「え、やっぱり昔っから口開くたびに『たるんどるわぁ!』だったんすか?」
「口癖というほどでもないが、わりと頻繁に言っていたかな」
「うっひゃ〜! 人って変わらねぇもんだなぁ!」
 垂れ目の爆笑が森の木々を揺らす。動物たちから騒音被害を届けられかねない大声量だ。
「そういえば、隊長」
 腹を抱える垂れ目の背中をさすってやりながら、トルコさんが何気ない調子で言う。
「隊長は確か、サフィールやカルネオルとは同期でしたな」
「ああ、そうだ」
 顎を引くルビニさんを見て、私は彼と特級騎士たちとが同い年であるのを思い出す。年齢が同じなら養成学校に入った時期も同時だ。そして、そうゆう相手を私たちは同期≠ニ呼んで身近に感じている。
「やはり連中は当時から異彩を放っていたのですか? なにせ十五歳で一級騎士になっただけでなく、その中でも特に秀でていたため、先代国王陛下より直々に特級騎士という地位を設けられた天才児ですからな。さぞかし優秀な生徒だったのでしょう?」
「う〜ん、まぁ、優秀には違いないんだろうが……」
 目を伏せて、ややうつむく。
 その思索の仕草に、私は若干の違和感を覚えた。それは懸命に過去の情景を思い出そうとしているだとか、等身大の人間を表現するのに的確な言葉を決めかねているという類のものではなく、まるで悪夢に苛まれているかのような苦々しい雰囲気を醸しているのだ。
(……あまり友好的な関係じゃなかったのかも)
 そう直感する。同期だからといって全員が仲良しなわけじゃない。
 それを裏付けるように、ルビニさんは苦しそうに言葉を落とした。
「なんというか……たしかに凄いやつらだったが、決定的に冷酷でもあったよな」
「冷酷、ですか?」
 飛び出してきた物騒な単語に、トルコさんが目を丸くする。
「連中はすぐに教官を追い越したよ。才能が桁外れだったんだろうな。しかも、それにあぐらかかず、誰よりも真面目に鍛錬に打ち込んでいた……でも、やつらは冷たかったんだ」
 そう言う声自体が、かすかな冷気で張り詰めている。
「そうだな、具体的な話をすると──野外授業のときって何人か倒れるやつがいるだろ?」
「そうですね。私も倒れたことがあります」
 あれは夏の盛りに素振りをしていたときだった。模擬刀を振り続けていた私は、やがて視界が琥珀色になるのを感じ、ハッと目を覚ますとベッドの上に寝かされていた。気絶していたらしい。周囲に目を向けると、よく見知った同期がほかにも三人運び込まれていた。
「で、そうゆうときって、普通は周りのヤツが騒いだりするよな?」
「はい」
 こっくりとうなずく。事実、私が倒れたときも、隣にいた子が最初に気付いたという。
「でも、あいつらはそれをしないんだ」
「それをしない?」
「眼中にないんだよ、他人のことなんて」
 炎を映したルビニさんの瞳が、どこか醒めたふうに光る。
「あいつらは同期や教官との関わりを徹底して避けた。なんというか……この世には互いしか味方がいない、そう言いたげな態度だった。いつも二人一緒に行動して、周りとは目すら合わせようとせず、二人っきりの世界で修練に明け暮れていたよ」
「…………」
「特に、親に対しては殊更に冷たかったな」
 南方調査を完遂した特級騎士の意外な一面に絶句していると、ルビニさんはさらなるエピソードを語る。
「あいつら、騎士になってからは騎士団寮に入ったんだが」
 十級以上の騎士になると、国から騎士団寮の一室を与えられることになっている。部屋の使い方はまったくの自由で、そこに住み込む者もいれば、私のように単なる荷物の置き場として利用している者もいる。
「なぜか祭事のときですら親のところに帰らないんだ。連絡も一切なし。それじゃあまりにも両親が不憫なんで、俺は『たまには会いに行ってやったらどうだ?』って勧めたんだ」
「で、それを拒否したんですか?」
 いくらなんでもそれはやりすぎだ、と私は不安たっぷりに先を促す。
 すると、ルビニさんは首をゆっくりと横に振った。
「いや、いずれ会いに行くってさ」
 それを聞いて、私はホッと胸を撫で下ろした。
 だが、それは仮初の安心だった。
 ルビニさんは辛そうに眉を歪めて、こう続けたのだ。
「いずれ会いに行く。やつらの出棺のときにでも──だと」
 ルビニさんがチッと舌を打つ。苛立ちと憐憫が綯い交ぜになった独特の音だった。
 全員が一斉に口をつぐむ。
 不自然な沈黙の中、それぞれが異なる表情を湛えていた。
 トルコさんは不愉快そうに口をへの字に曲げている。三人の息子を持つ彼にとって、親不孝な子供の話というのは他人事ではないのだろう。サフィールとカルネオルの所業に、腹を立てているのは明白だ。
 逆に、どこか寂しげに目線を逸らしているのは童顔だ。その哀愁は何やら意味深で、人の心を解せない獣の無知を憐れんでいるようにも見えるし、自分の同類が存在していることを嘆いているようにも見える。この人もなんらかの闇を抱えているのかもしれない。
 そんな二人の真摯さを嘲笑うように、童顔はボンヤリと宙を仰いでいる。彼の心情は簡単に読み取れた。オレもあんま母ちゃん好きじゃないんだよねー、といったところか。
 唯一、私自身がどんな顔をしているかだけ、判然としなかった。仕方ない、荷物に鏡を入れ忘れてしまったのだから。
「…………」
 だが、サフィールとカルネオルの冷徹っぷりは、すぐに意識の外へと消滅した。
 私と彼らにはなんの接点もない。彼らがどれだけ非情な人間であろうと、私の隣にいるわけじゃないのだから、特に気を回す必要もないだろう。私にとって重要なのは、今、さまざまな表情を浮かべている四人の仲間たちに尽きるのだ。
 それぞれの感情が入り混じった静寂の中、私は頭を上げて、夜空を見つめた。
 木々の合間から一面の紺色が広がっている。そこに貼り付けられた三日月が、よほど居心地が悪いのか音を立てぬよう、灰色に濁った月明かりをそっと垂らしていた。


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