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作品名:十年戦記 作者:朧 蝙蝠

第4回   青と橙が雪山へ C

 二十三匹のラピットとの一戦を皮切りに、俺たちはさらに三度、ラピットの群れと遭遇するハメになった。おそらく別の群れが交戦の音を聞きつけたのだろう。
 それらをすべて無傷で退けると、辺りは夜の色にすっかり染まり切っていた。
 あれだけ苛烈だった吹雪がいつの間にか立ち消え、頭上の雪雲もだいぶ薄らいでいる。暗黒の夜空には白い穴がぽっかりと開いていた。満月だ。こちらを圧殺するように無言で月光を落としてくるそれは、これからよからぬことが起きる兆候のようにも見える。
 本当だったら、今頃には山頂に着いているはずだった。
 しかし、ラピットとの戦闘でペースが遅れてしまったので、俺たちは未だに傾斜のきつくなった坂道を歩いている。頂上に直結している、最後の坂道だ。
「だからさ、オレは思うんだよね」
 俺の半歩ほど前を歩くカルネが、ラピットの返り血でドス黒く汚れたマントを翻しながら、気怠そうに言う。
「オレたちが〈地図〉を完成させたところで、それって結局は次への下準備なんだよな」
「下準備?」
 天候が回復してきたとは言え、降りしきる雪のみは視界から消えてはくれなかった。
 ざくざくと積雪を踏みつけながら相槌を打つ。
「そ。なんか国の連中は〈地図〉を完成させること自体を目的にしちゃってるけど、実際のところ〈地図〉ってのは国を発展させるための道具に過ぎねぇんだろ? だから、オレたちがやってることって、つまりは別の誰かが使うための道具を作ってやってるだけなんだな、って」
「それで下準備か……まあ、やや悲観的な物の見方だが、そうゆうことなんだろうな」
「なんつーか……世の真理だぜ」
 ざっ、とカルネが雪を蹴飛ばす。
「オレらが人生を賭けたところで、ひとつの仕事はこなせても、偉業なんてのは成し遂げられねぇんだな。本当に意味のあることを成すには、一人分の命じゃちっとも足りやしねぇ。大勢で受け継いでいかなきゃなんねぇだなんて」
「その言い方だと、人生はまるでリレーだな。どんなに懸命に走ったところで、俺たちがゴールすることはなく、辿り着けるのは次の走者のところが精々」
「そうそう。華やかにゴールテープを切ることができんのはアンカーだけってな」
 なぜ俺たちが、こんな斜め横に捻くれた人生観を語り散らしているのかというと、ただ単に登頂までの沈黙を埋めるために過ぎない。山頂はもはや目視できる距離にまで追いつめている。そこに至るための中途半端な時間を潰すには、毒にも薬にもならない雑談がちょうどよかったのだ。
「オレたちの人生って丸ごと、他人の御膳立てのために消費されてんだよな」
「まあ、世の中なんてそんなもんだろ。努力だろうと人名だろうと、とどのつまりは、何者かに搾取されるのがオチだ」
「うっわ、それはさすがにネガティブすぎ。親友でも引くレベルだわ。クヒヒ」
 言葉こそ否定的だが、その語調は屈託のない好意でリズミカルに跳ねていた。
 そのとき、不意に冷たい風が楚々と流れた。
 風はカルネの髪を掠め、明るい橙色がパラリとほぐれる。
 それを目にした瞬間、何かが俺の胸の底を衝いた。切ない感情が去来する。
「…………」
 つい我を忘れて、カルネの後頭部を食い入るように凝視する。
 あらゆる色彩が夜と雪によって削ぎ落とされた景色の中、その麗々しい橙だけが、燦然と光輝を放っている。それが暗闇に灯る松明に見えた。誰からの援助も期待できない暗闇の中で、唯一、行く先を明るく照らしてくれる優しい道標。
(カルネは……どう思っているんだろうか……)
 その髪色は目に痛いほど眩しくて、俺は無意識に目を細めていた。
(こいつは俺の髪のことを……どう思っているんだろうか……)
 ……正直に告白すると、俺は自分の髪色が大嫌いだ。虐待の原因というトラウマも多少は関係しているのだろうが、それ以前に、暖かな春の陽光さえ毒の雨に変えてしまいかねない辛気臭い紺碧を生理的に忌避している。実にみっともない色だ。周りがこの髪を嗤っているんじゃないかと、被害妄想めいた羞恥心に駆られ、自らハサミを入れたことだって一度や二度じゃない。
 自分でさえ愛せない、不吉なダークブルー。
 果たしてそれが、目の前で煌びやかな頭髪を靡かせている親友の瞳にどう映っているのか。
 ただ、それだけが無性に気になった。
 気になって気になって、頭がおかしくなりそうだった。
 だから、思い切って尋ねてみることにしたのだ。
「なあ、カルネ」
 俺たちの間に気兼ねなど一切ない。言葉はスムーズに出てきた。
「ちょっと聞きたいんだが」
「なに? あ、もしかして疲れた?」
「馬鹿、そんなわけあるか。頂上を目前にヘバる特級騎士なんているはずないだろう」
「そう? いきなり黙り込んじまったから、てっきりバテたのかと」
「いや、その──おまえは俺の髪のこと……」
 だが、俺は喉まで出かかった疑問を即座に引っ込めた。
 怖気づいたわけじゃない。
 眼前の親友だけを見据えていた俺の目に、突如として奇妙なものが映り込んだのだ。
 煌々と輝きを増す満月──その中央に異形の影がぽつんと浮かんでいる。

 白い満月に浮かび上がった影。それはどんどん巨大化していく。
 違う。それは大きくなっているのではなく、遠近法で小さく見えていたものが、本来の大きさに戻ろうとしているのだと気付く。とてつもなく大きな何かが、こちらに向かって落下しているのだ。
「カルネ!」
 とっさにカルネの腕を引き寄せる。
 直後、あたかも爆弾でも投げ込まれたかのように、前方の積雪が一気に爆ぜた。
 撒き上がった粉雪によって視界がボヤける。
 周辺の温度が急激に下がった。一気に体温を奪われる。それでも持ち前の冷静さだけは凍りつかず、俺は目を細めて、目前に落下してきたそれ≠フ把握に視神経を注いだ。
 幸いにも、それはとてつもなく特徴的なシルエットをしていたので、分かりやすかった。
 端的に言おう。それは薄墨色の蜘蛛だった。
 ただし、非常識なほどデカイ。胴体だけでも二階建ての家に匹敵するだろう。それよりも高い位置にある八本の脚など、樹齢何百年の杉の如く堂々とそびえている。
 さらに、そいつには特筆すべき点がもう一つある。
 カルネもそれを見落とさなかったようだ。警戒に張り詰めた声が飛ぶ。
「サフィー! こいつは黒痣だ!」
 蜘蛛独特の丸っこい胴体に巻きついている模様。それは黒痣の証明に違いなかった。
「…………」
 記憶の蓋を開けてみる。俺たちは南方調査の際に、さまざまな黒痣と出くわしていたが、蜘蛛型の黒痣には心当たりがない。
「新種、だな」
「クヒヒッ、こいつが雪山の親分なのかもな」
「名前はどうする。一応、第一発見者は俺とおまえなんだが」
「サフィーに譲る。オレってネーミングセンスねぇし」
 そう言われ、俺は数秒だけ逡巡した。
「……じゃあアラクネ≠ナ」
「アラクネ? なんで?」
「何かの物語に、そうゆう名前の蜘蛛が登場していたような気がした」
「安直すぎ!」
 カルネがケタケタと笑う。ネーミングセンスに関しては同レベルのようだ。
「じゃあ命名も済んだことだし、次は生態調査といきますか」
 カルネが下唇をペロリと舐めて、鞘から大剣をゆっくり引き抜く。
 俺も隣で〈マリアとフランチェスカ〉を構えた。
 こちらの戦闘準備が整うと、まるで剣先から放たれる闘気を感知したかのように、アラクネと名付けたその黒痣が動き出した。二本の脚を、それぞれ俺とカルネに向かって振り下ろしてくる。
 ひゅおうっ、と切り裂かれる大気の悲鳴が轟く。
 なかなか素早い。だが、目で追えない速度じゃない。
 槍のように突き出された脚を、カルネは片足で跳んで楽々と回避する。
 反対に、俺はその場に踏みとどまって、迎撃の構えをとった。〈マリアとフランチェスカ〉を×の形に交差させ、それを頭の前に掲げる。
 アラクネの鋭利な足先が迫る。
 目は閉じない。まばたきも禁じる。意識のすべてを視神経につぎ込んで目標を補足する。
 脚が俺の脳天を貫こうとする直前、
「──……そこだっ!」
 俺は力任せに〈マリアとフランチェスカ〉を左右に振り払った。
 キン、と甲高い金属音が鼓膜を刺し、目前に迫っていた一撃を寸でのところで弾く。
「この感触……?」
 脚を弾き返されたことでアクラネは一瞬バランスを崩したが、すぐさま別の脚が支えとなって、自らの巨体がふらつくのを抑え込む。
 一拍遅れ、刀身が受け止めた重い衝撃が鞘を伝って、俺の手首から肩を駆け抜ける。
「カルネ、ちょっと聞け」
 俺はカルネの横に移動した。
「今、ヤツの攻撃を受けてわかったが、あの脚は生身じゃない」
「生身じゃない? つまり肉じゃないってこと?」
「なんらかの鉱物だろう。しかも刃物のように研ぎ澄まされている」
 弾いたときの手応えを思い出す。あれは研磨された刃特有の感触だった。
「ま、たいした相手じゃないけどな」
 思ったままをきっぱりと告げる。
「おまえとならまだしも、俺と力比べ競り負けるようじゃ、ちょっと速かろうとタカが知れている」
「だな」
 カルネも余裕綽々といった感じに、率直な感想を述べる。
「あの馬鹿デカイ脚じゃ、振り下ろすか横に薙ぐかが精々だ。攻撃パターンが限定されてる分、動きが読みやいわな」
 要は、巨大な大鎌を八本同時に相手するのと同じだ。八本という手数こそ脅威であるが、それらが繰り出せる攻撃手段というのは、実のところ極めて少ない。しかも一撃のモーションが大振りなので、こちらが避けた瞬間、相手には致命的な隙が生じるときている。決して苦戦を強いられるような敵じゃない。
「でも、身体が鉱物ってのが面倒だなぁ。関節とか脆そうな部位でも砕いちまうか」
「いや、その必要はなさそうだ」
 俺が首を横に振ると、カルネはきょとんと目を丸めた。
「なんで?」
「どうにも頭部と胴体はただの肉体らしい……見てみろ」
 俺は剣先を上空の満月に向けた。それを真下にいるアラクネへとまっすぐに下ろす。
「ほら、あいつの脚はかすかに光っているだろ。あれは脚が月光を反射しているんだ」
「わ、本当だ」
 アラクネの禍々しい八本脚は、数秒間隔で、チカチカと銀色の明滅をこぼしていた。
 しかし、頭と胴体の部分は、夜のつくる暗い影に呑み込まれてしまっている。
「胴体は光ってない。これが何を意味するかわかるか?」
「なーるほど。刀は光を反射しても、ベーコンは反射しねぇもんな」
 鉱物の例えに刀を挙げたのかはわかるとして、なぜ肉体の例えに敢えてベーコンが採用されたのか。理由は至極単純だ。焼いたベーコンはカルネの大好物である。
「じゃあ話は簡単じゃねぇか。頭か胴体を狙えばいいんだろ?」
「狙いやすいのは胴体だな。サイズが大きい分、攻撃を外す心配がない」
「ってことは、だ」
 パチン、とカルネが指を鳴らす。
「オレが攻撃を一手に引き受けて、その隙にサフィーがあいつの胴を刺す……どう?」
 まったくもって大雑把なその作戦に異論はなかった。短く顎を引く。
「そうだな。一撃で殺すのは無理かもしれんが、確実に深手を負わせられるだろう。弱ったところをおまえが首を斬り落としてもよし、アラクネが生存本能のままに逃走してもよしだ」
「じゃあ、作戦開始ってことで。いってきまーす」
 カルネが、これから散歩にでも出かけるような気安さで、手をヒラヒラと調子よく振る。
 そして、即座に駆け出した。
 親友の背中が瞬時に小さくなる。マントをはためかせるカルネは、大剣を両手でガッチリと握りこんだまま、引き絞られた矢のようにアラクネへと一直線に走っていく。その疾走には恐怖からくる躊躇いが微塵もなかった。
 数秒待ち、俺もその軌跡をなぞる。
 こちらの思惑どおり、アラクネは先に接近してきたカルネに反応した。先ほどの攻撃は小手調べだったのだろう。今度は四本の脚がカルネ一人に襲いかかる。
 だが、カルネの対応は早かった。
 アラクネの脚が動いた瞬間、カルネはすぐさま踵でブレーキをかけ、その場で迎撃するための態勢を整えていた。両肩をわずかに上下させている。浅い呼吸を繰り返して、剣を振るうのに絶好のタイミングを計っているのだ
 そして、それは最高の瞬間に繰り出された。カルネの両腕の筋肉が猛々しく隆起する。
「でおりゃあああっ!」
 雄叫びと共に、大剣が猛然とした勢いで真横に振るわれる。
 刹那、強烈すぎる衝撃が闇夜を揺るがした。
 放たれた渾身の一撃は、カルネを貫こうとする四本の脚をすべて同時に薙ぎ払った。
 またもアラクネが体勢を崩す。
 だが、今度は先ほどのようにすぐさま立ち直れず、その巨体を不安定に揺らした。身体を支える脚の本数が足りないのか、それとも自分より遥かに小さい生き物がこれほどの怪力を発したことに精神的ダメージを受けているのか、あるいは百戦錬磨の豪傑のみが有する灼熱の覇気に呑まれてしまったのか。
 とにかく、アラクネの猛攻がピタリと止んだ。
 激戦の合間に不自然な空白が生まれる。それはたったの一瞬だった。
 しかし、そのわずか一瞬で、俺がやつの胴体に飛び乗るのは造作もない。
「今だ、サフィー!」
 友の声援が背中を押す。俺は膝を屈め、全身全霊の力で地面を蹴とばした。
 大地から足が離れる。
 跳躍が限界点にまで達する。
 そこには空がいつもより近くにあった。俺は満月と対面していた。
 背中を弓なりに逸らせて眼下を見やると、だいぶ小さくなったアラクネが雪の上にぽつんと落ちていた。カルネの姿は目視できそうにもない。俺は一体、何メートル跳んでしまったのだろうか? 些末的な疑問が過ぎり、すぐに頭の隅へと追いやる。
(今はほかにやるべきことがある……)
 俺は曲芸師さながの動きで、身体をクルリと回転させ、頭を真下に向けた。
 そして、右腕だけを突き出し、地を這う蜘蛛の胴体を狙う。
 あとは──落下するだけ。
 身体をくるんでいた浮遊感がプツリと途絶え、俺は重力に全身を引っ張られた。
 耳元で風が轟々と唸る。
 景色のすべてが垂直に流れていく。
 中空にいた俺が、禍々しい模様にまみれた胴体に到達するのは、あっという間だった。
「────」
 迷いはない。意思も感情もない。俺はただ機械的に、右腕の剣を眼前のものに突き刺した。
「くたばれ」
 脳を抉るような、あからさますぎる手応えが全身に伝播する。
 断末魔はなかった。
 だが、俺の体重と落下速度を味方につけた愛刀は、まるでそこが自分の収まるべき鞘だと勘違いしたかのように、刀身のすべてをアラクネの肉体に埋めている。残っているのは柄の部分だけだ。それは生命の強奪を証明するのに充分な光景だった。
 傷口から、体液がじわりと滲み出る。
 もう間もなく、この黒痣は音を立てて雪に沈むことだろう。
 俺は体内に残った微熱を発散するために息を吐いた。そして胸中の滾りを宥める。
 戦いは終わった。あとは皮膚に残った心地よい火照りを味わいながら、この激闘が終着するそのときが訪れるのを、ただ静かに待つとしよう……。


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