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作品名:十年戦記 作者:朧 蝙蝠

第2回   青と橙が雪山へ A

 あの悪夢のような凱旋パレードから一週間後、俺とカルネは兵舎を抜け出して城下町を散策した。三年ぶりだというのに、小さいながらも活気に溢れる街並みに変わりはなく、俺たちが贔屓にしていた喫茶店もかつてと同じ場所に建っていた。
「らっしゃい」
 中年の店主の気のない挨拶まで、ちっとも変わっていない。
 それが無性に可笑しくて、俺は心の中でほくそ笑む。
「マスター、そんな態度だから客足が伸びないんだぞ?」
 客のいない店内を見渡しながら、三年ぶりの軽口を叩くと、カウンターで暇そうに頬杖を突いていたマスターが、勢いよく顔を持ち上げた。
「サフィールとカルネオルか!」
「そんなに驚くなよ。俺たちの帰還は国中に広まっているはずだろ?」
 言いながら、ゆったりとカウンター席に着く。
 ここは軽食やデザート類を出してくれる店なのだが、もともと酒場だった建物をそのまま使っているらしく、内装もどちらかと言えば夜の店の趣が強い。板張りの床が瀟洒な風情を醸し、壁際に据えられている立派な木棚は、それこそ酒瓶を並べるのに都合が良さそうだった。唯一、そこかしこに飾られた観葉植物の瑞々しさだけが、昼間の喫茶店にふさわしい健全さを演出している。
「いや、じきに来るだろうとは思っていたが……」
 目を白黒させるマスターだが、その手は周到に二人分のグラスを用意している。
「まさかこんな早くに来るなんて意外だった。今は城でゆっくり休んでいるもんだと……」
「あんな場所で息がつけるものか──ソーダ水とプティング」
「オレはフルーツジュースね」
 それぞれのオーダーを済ませて、俺たちは嘆息と共に愚痴をこぼした。
「パレードの様相もおおよそ正気じゃなかったが、城内はもっと陰湿で狡猾なものが充満していた……下級騎士たちの質問攻め、上級騎士や同期たちの妬み、大臣からの機嫌取り」
「んで、あの肥満国王からの謝礼」
 ウヒヒ、とカルネが喉を引き攣らせて笑う。
 我が《エルジュ王国》を統べる国王は、その頭上に燦然と輝く王冠さえなければ二足歩行の野豚と勘違いされかねないほど、腹に贅肉と傲慢をたっぷりと抱え込む醜男だ。国務はすべて大臣に丸投げしているため、玉座で寛ぐくらいしか仕事がないくせ、なぜか常に倦怠感をまとっている。まだ三十代らしいが、そのうらぶれ具合は五十代が醸すそれに近い。
「あいつ、まぁた腹回りがパワーアップしてたぜ」
 カルネが片手で丸々とした曲線を描く。
 俺たちがその威厳の欠片もない巨躯を拝んだのは五日前に遡る。南方調査を命じた国王の御前に立ち、それを完遂した者として調査用紙≠提出したときだ。その際、国王が見せた歯の黄ばみは夢の中にまで現れた。
「そいつぁ大変だったなあ!」
 夢のくだりを話すと、マスターは盛大に噴き出した。
「しかし、ほれ、調査用紙を受け取ってもらったんだからいいじゃないか。これで任務は無事に終了したし、ついに《エルジュ王国》でも南方の〈地図〉が作られるんだからよ」
「〈地図〉ねぇ……」
 その単語を、カルネが釈然としないふうに呟く。
「なぁ、〈地図〉ってそんなに重要か? 別にんなもんなくったって、今まで国は平穏無事に発展してきたんだから、そんな躍起になって作っても意味ねんじゃないかな?」
「そう言うなよ」
 俺が嗜めると同時に、ソーダ水の注がれたグラスを差し出された。涼やかな色で満たされたグラスはよく冷えているらしく、まだらについた水滴が、その表面にいくつもの筋を垂らしている。
 水滴の輝きに目を奪われながら、俺は訥々と語った。
「俺たちの祖先は悠久の旅路の末、この豊饒な大地に辿りつき、ここが自分たちの楽園だと《エルジュ王国》を築いた。事実、彼らの目に狂いはなかった。温暖な気候は作物や家畜を育み、周辺には森も河も、採掘場になる岩場もあったのだからな」
「だから建国から今日までの二百年、この国は何事もなく成長し続けた──だろ?」
 何を今さら、といった感じにカルネが首をかしげるが、それに構わず続ける。
「そうだ。すべての資源が自給自足で事足り、周辺に敵となるような他国もないのだから、そもそも争いが起こる理由も何もなかったというわけだ──まあ、それでも黒痣≠ゥら国民を守るための騎士団は設立されたわけだが」
 黒痣とは、異常な闘争本能を持ち、捕食や防衛以外の目的で人間に襲いかかってくる、極めて危険な野生動物だ。種類が多様なため、大陸のあちこちに生息している。全身に黒い痣のような模様があることから黒痣と呼ばれているが、埃かぶった古書によると、かつては魔物≠竍魔獣≠ニ称されていたらしい。
「そうやって安穏とした大地に籠もり、他国との交流を求めずに孤立し続けてきた《エルジュ王国》は、永い年月の中で地理学を──〈地図〉を失ってしまった」
 これは幼少時に誰もが習うことだ。平和のぬるま湯に浸かって開拓精神をなくした結果、祖先が遺した尊き英知がひとつ、誰に惜しまれることなく風化してしまったのだと。
 よって現在、この国には世界地図はおろか大陸地図すら存在しない。
「だーかーら、その失われた〈地図〉を復活させんのがオレらの仕事なんだろ?」
 カルネが痺れを切らしたように口を挟んでくる。
「オレとサフィーが東西南北の果て≠ノ赴いて、その道中の地形や気候、動植物や黒痣なんかを調査用紙にメモってくる。で、それを元に国のお偉いさんたちが〈地図〉を作るっていうのが、五年くらい前に立案された一大プロジェクトってわけだ」
「そう、騎士の最上位である特級騎士≠フ俺たちに任されるくらいの、非常に危険度の高い任務だ。なんせ未開の土地だからな、そこにいる未知の黒痣との戦闘が不可避になる。並大抵の騎士じゃあ命の無駄遣いにしかならん」
「だからぁ、それがわかんねえって言ってんの!」
 ニヤけた唇が、鬱陶しそうに繰り返す。
「そんな危険を冒してまで〈地図〉って必要か? 別にいいじゃねえか、今まで問題なくやってきたんだから、これからも大人しく自国に閉じこもっててればさ」
「ああ、ワシもそう思う」
 プティングにフルーツソースを垂らすマスターが、何気ない調子で同意を示す。
〈地図〉の制作は国を挙げての計画だが、実のところ、その必要性を感じている国民はそう多くない。半数以上がカルネやマスターと同じ見解をしているのが現状だ。かく言う、俺だって〈地図〉なんかなくとも有意義な人生は送れるものと考えている。
「まあ、そこは上の事情ってやつだろうよ」
 俺は誤魔化すように肩を竦めた。
「ただ、この計画を立案した御方は『閉鎖した文明には滅びの道しかない。他の国と交流を築き、多様な発展をするためにも地図の制作は必要不可欠だ』と、この国の未来を危惧なさっておられたようだ」
「ふーん、なんか説教クセぇ」
 詳細を知らないカルネが不満そうにぼやく。
 その反応はこちらが期待していたとおりのものだった。可笑しくて仕方ない。事の全容を知っている俺は、さらなる喜劇に胸を奮わせながら、早々と種明かしをしてやる。
「……カルネ、その御方が誰なのか教えてやろうか?」
「あっ、サフィーは知ってんだ?」
「……おまえもよく知っている御方だ」
 無表情を保ったまま、しかし内心では込み上げる笑いに腹を捩じらせて、そっと囁く。
「先代国王様」
「へっ!?」
 カルネの薄笑みが即座に凍った。奇妙に引き攣った両頬から、みるみるうちに血の気が失せていくのが分かる。先ほどの自分の発言をよほど後悔しているのだろう。
 それは当然の反応だった。
 皮下脂肪にしか恵まれていない現国王と違い、厳粛な名君であらせられた先代国王様には、俺もカルネも随分と可愛がってもらった身なのだ。まだ十九歳の俺たちが、こうして特級騎士という地位に就けているのだって、先代国王様の計らいによるところが大きい。四年前に天に召された今でもなお、恩人である先代国王様への畏敬が薄まることなどありえなかった。
「サフィー、おまえ……知ってて言わせたな?」
 カルネが恨めしそうな視線を絡ませてくる。
 俺はそれを飄々と受け流した。
「つまり俺が言いたいのは、〈地図〉の必要性なんか二の次でいいってことさ」
 ふふんと鼻を鳴らす。
「先代国王様のご遺志の成就、そのためだけに尽力すればいいじゃないか」
「まー……そだな」
 先代国王様の名を出されては、カルネも嘆声まじりに首肯せざるをえない。
「先代様の役に立てるついでに、国費であちこち旅できるっつー役得もあるしな」
「だろ? だから俺は〈地図〉制作において不満なんてちっともない」
 軽々しく言い切り、ようやくソーダ水を喉に流し込む。
 このとき、俺は大好物であるプティングを注文したことを少しだけ後悔していた。すでに口の中には、親友をまんまと言いくるめてやった愉悦の甘味が、たっぷりと広がっていたのだから。

「ところでよお……」
 マスターが声を落として切り出してきたのは、俺がプティングを味わい尽くして一息ついたときだった。皺の目立つ顔を俺たちにグッと寄せて、いかにもこれからいかがわしい話をするぞ≠ニいう雰囲気を匂わせてくる。
「おまえら、あれだろ? 南の果てまで行ったんだろ? ならよぉ……」
「ああ、素晴らしい絶景だった」
 まさか景色の話ではないだろうと確信しつつも、俺は快活にそう答えた。その事実は是非とも伝えておきたかったからだ。
 俺とカルネが南の果て──つまり大陸の最南端で目にしたものとは、遥かなる空と海とが深く結合する様だった。太陽の光輝を受ける深い青が波を打ち、その白い飛沫がまっさらな空へと還る。還った白は乳白の雲に姿を変え、地平線を目指して泳ぎ、そこでまた海へと溶けていく──そんな永久の循環。
 それを浜辺で眺望していた俺たちは、言葉を失ったまま立ち尽くし、その景色がもたらす無尽蔵の生命力に打ちのめされてしまったものだ。
 しかし、やはりと言うべきか、その滂沱の感動にマスターは関心を示さなかった。
「そんなんじゃねぇよ! ほら、おまえらは立派に任務をこなしたってわけだ。しかも国王勅命の最重要任務だ。つまりだ、その……」
 歯切れの悪い語尾は、低俗な好奇心で上擦っていた。俺はすぐにピンとくる。
「報酬か?」
「そう! それだよ!」
 マスターが景気よく手を叩く。
「そうとうな額なんだろ? もう受け取ったのか? それともこれから……」
「もう受け取ったよ」
 隠すようなことでもないので、俺は率直に答えた。
「調査用紙を渡してすぐ、別室に呼ばれて報酬についての相談を大臣に持ちかけられた」
「つっても、面倒だったから、相手の希望金額をそのまま呑んでやったんだけどさ」
 カルネが億劫そうに口を尖らせる。そうした交渉は五分程度で決着したのだが、その五分さえ、こいつにとっては耐えがたい退屈だったのだろう。
「で、いくらだったんだ?」
 あまりにも直球すぎるマスターの問い方に、俺は内心で苦笑しつつも、これまた正直に答えてやった。隠しておきたいほど価値のある情報でもない。
「────」
 俺が一言にまとめた金額を聞いて、マスターはギョッと目を見開いた。
「そいつはスゲエ! 使用人つきの豪邸が三軒は建つじゃねぇか!」
「ということは、オレとサフィーのを合わせりゃ六軒か」
「うひょお!」
 演技ではない歓声をマスターが上げる。
 だが、羨望に満ちたその声すら、俺の耳にはどこか空々しく響くのだった。マスターを見つめるカルネの眼差しもまた、囚人が鉄格子に空を見上げるような、虚しい諦観を帯びている。
「……って、なんだ? おまえら、あんま嬉しそうじゃねぇな?」
 俺たちの冷ややかな態度にマスターが気付いた。
 俺はこっくりとうなずく。
「あんま≠カゃない。ちっとも嬉しくないんだ」
「そうそう。この世の中、金をいくら積んでも手に入らないものって意外と多いぜ?」
 俺たちが心からの憂いを込めたその台詞は、誰がどう聞いても持つ者たちの嫌味≠ノ違いなく、貧困に喘ぐ人々への侮辱に他ならなかった。その自覚は充分にある。だから、先の一言で心を痛めた者が報復を企てたのなら、俺たちはそれを甘んじて受け入れるつもりだ。
 だが、マスターは不快を示さなかった。俺とカルネの事情を知っているからだ。
「いつもの『こんなものじゃ俺は笑えないし、カルネも泣くことはできない』ってやつか?」
 俺の口癖を真似るマスターの眼差しは、色の濃い憐憫を湛えている。
 この中年男は知っているのだ。俺が物心ついたときから表情を失くしたことも、カルネが作り笑顔しか浮かべられなくなったことも、それを理由に俺たちが幼少の頃から周囲に倦厭され続けていることも、すべて理解してくれている。
「そうだ。山のような金を前にしたって……俺は笑うことができない」
 自然とこぼれた声は、自分でも驚くほど弱々しく萎れていた。
 そんな俺を見かねたカルネが、ぽん、と慰めるように背中を優しく叩く。
「オレたちの所為じゃねえって。だって感情自体はちゃんとあるわけだし。悪いのは怠けっぱなしの表情筋だけさ。サフィーにはなーんの非もねぇよ」
「にしても不思議だよなぁ、顔が固まったままなんて。何が原因なんだろうな?」
 マスターが独りごちるように言う。
 すると、カルネの笑顔が一瞬だけ強ばって、そこに痛々しい悲しげな陰を滲ませた。
「……知らね」
 そう呟くと、いつもの作りものめいた笑みに戻る。
「でもさ、オレは思うんだよね。もしも世界の果て≠サフィーと二人で拝めたのなら、この強情な顔もようやく降参して、二人とも表情を取り戻せるんじゃねぇのかな……って」
「ああ、そうだ……きっとそうだとも」
 カルネの根拠のない憶測に、俺は無条件で賛同した。それは祈りにも似た行為だった。叶う見込みのない願いを、あれこれ理由をつけて、努力さえすれば成就するものと信じ込もうとしているに過ぎない。
 そんな俺の嘆願を、神様が聞き入れてくれるかどうかは不明だった。
 だが、傍らにいる親友にはしかと届いたらしい。突如、カルネは勢いよく叫んだ。
「サフィー! 明日にでも出発しようぜ!」
「は?」
 脈絡のない提案に目を回す。
「おい、カルネ、ちょっと待てってくれ。俺の頭の回転が遅いのか? まったく話が見えてこないんだが……」
「なんだよ、サフィーって耳悪いの? ちゃっちゃっと出発しようって言ってんの」
「だから、どこに?」
 訊き返すまでもなかった、と気付いたのは一拍遅れた後だった。
 カルネが声を高くして答える。
「調査だよ、調査! こうしてジッとしてても悶々とするだけだし、城にいたって疎まれるだけなんだから、また奔放な冒険生活に戻った方が気楽でいいじゃねぇか! ま、ベッドで寝れないのはちと辛いけどよ」
 それは明らかに俺を気遣っての提案だった。帰国してからというものの、俺は慢性的な嘔吐に悩まされ、気持ち的にも落ち込みやすくなっていた。いっそ外に連れ出した方がいいと踏んだのだろう。
 親友の厚意を無下にできるはずなどない。俺は即座に首肯する。
「そうだな、明日にでも国王に頼んでみるか。きっと一週間くらいで準備してくれる」
 俺の賛同を受けると、カルネは目を細くして微笑んだ。
「次はどこに向かわされるんだろうなー」
「俺たちが決めるんじゃないのか? 南方のときもそうだったろ?」
「じゃあ、前は南だったから、次は北にしようぜ」
「北か……」
 その言葉に反応し、俺の首は自然と北側の窓を振り返った。
 窓枠の中に収められた眺めは、さながら壁にかけられた風景画のように鮮やかだった。上空には清々しいスカイブルーが広がり、地面には煉瓦造りの街並みが伸びている。そして、その中間を埋めるように聳えているのが、頂きを鋭利に尖らせた純白の山だった。
 かねてから不思議だった。《エルジュ王国》の周辺は温暖な気候だというのに、国からいくらも離れていないその山にのみ、なぜだか大粒の雪が降り積もるのだ。もしかしたら、実際にあの雪山を登ってみれば、その謎を解明できるかもしれない。
「いいな、北。また珍しいものが見れそうだ」
「よし! 次の目的地は北の果てだ! で、それが終わったら東! それも終わったら西!」
「それも終わったら?」
 マスターが意地悪く尋ねる。
 だが、カルネは怯むことなく即答した。
「そしたら海の向こう! 世界進出だ!」
 幼稚なくらい快活な切り返しに、マスターは声を上げて笑った。その気風のいい笑顔の下では、頼んでもいないソーダ水のおかわりがグラスに注がれており、透明な気泡が絶え間なく生まれている。


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