三年ぶりに祖国の門をくぐると、唐突に真紅のマントを押しつけられた。 「サフィール様! どうぞこれを羽織ってください!」 俺の困惑などよそに、質素な防具を着た門兵は善意に満ちた笑顔で迫ってくる。 視線を真横に逸らしてみると、三年間の相棒であり九年間の親友であるカルネオルもまた、すぐ隣で俺とまったく同じ状況に陥っていた。橙に輝く頭髪の下で、若者らしい精悍な顔立ちが苦笑で歪んでいる。 「……ずいぶん上等なものだな」 わけもわからぬままマントを受け取り、手袋越しにその質感を検めてみる。生地はビロードだろう。指の間をサラリと撫でる感触は、滔々とたゆたう清流を彷彿させる。 その評価を受けて、門兵はますます相好を崩した。 「当たり前じゃないですか! 我が《エルジュ王国》に三人といない特級騎士であり、かの南方調査を完遂した英雄殿に、中途半端なものを着せるわけにはいきませんからね!」 無駄に甲高い声は、青年というより少年じみている。 「いやあ、まさか自分が高台で見張り番をしている日に、サフィール様とカルネオル様が帰ってこられるだなんて! 遥か草原の彼方から威風堂々と歩いてくる人影を見て、すぐにお二人だとわかりましたよ! 騎士の証である銀鎧が美しく輝いていましたからね!」 「あー……そうかそうか」 なんと返していいものかわからず、曖昧な相槌しか出てこない。 せめて愛想笑いのひとつでも優雅に浮かべられたのなら、この幼稚な門兵を軽くあしらえたのかもしれないが、それが絶対に不可能であることくらいは自覚している。努力では解決しえない現状が煩わしく、つい自分の蒼髪をグシャグシャと掻きむしってしまう。 そんな醜態を晒しても、俺の苛立ちが門兵に伝わることはなかった。 「お二人のご帰還を急いで王城に伝えたところ、ただちに国を挙げて凱旋パレードを行うとの報せを受けましてね! そこでお二人にもパレードに相応しいお召し物をと、急遽、自分が用意したものなんです!」 「そりゃあ、まあ……勝手なご苦労を」 「どうです? 急ごしらえにしては立派なもんでしょう?」 「そうだな。このくらい高価なマントで覆い隠さなければ、俺たちなんて人前に出せたもんじゃない。そういう意味では実に助かったかな」 精一杯の皮肉を込めるが、俺の顔が無表情のままなので威力は半減してしまっただろう。相手が鈍感ならなおさらだ。俺の台詞は強者の謙遜と解釈されてしまったらしく、門兵はにっこりと満足げな笑みを咲かせた。 「ささ! あちらに金の馬具で飾った馬も手配しています! お二人はそれに跨って、王城までの大通りをお進みください!」 「……わかったよ」 どんな嫌味も空回りするだけだと悟って、素直に彼の指示に従うことにする。 豪奢なマントを肩から羽織った俺たち二人は、馬が繋がれているという部屋に行くため、そこに通じている石壁の通路を進んだ。 その途中、先ほどまで口を噤んでいたカルネオルが、人を小突くような声を上げた。 「サフィーってば、ちっーとも似合ってねぇの!」 へらへら笑いながら人差し指を突き出してくる。タチの悪い酔っ払いのような絡み方だ。 しかし、その締まりのない笑顔を見た途端、俺の胸にわだかまっていた不機嫌があっさりと消えてなくなった。 「カルネ、おまえに言われたくない」 門兵と話していた時とは真逆の、まったく刺のない声で果敢に反撃する。 「そのニヤケ面に高級品は不釣り合いだ。学芸会の衣装のように安っぽく見えるぞ」 「おまえの陰険な蒼い髪よりはマシだって。その髪に真っ赤なマントなんてセンス悪っ!」 「いや、そっちのド派手な橙髪の方がアンバランスだろう。とにかくクドすぎる」 じゃれ合いを楽しみたいがためにそんな悪態を並べてみせるが、実際のところ、そのマントはカルネによく似合っていた。翻る裾は彼の長身をより際立たせ、橙と真紅のコントラストは神に祝福された聖火を思わせる。 それに、いつも安っぽい笑顔を張り付けているのでわかりにくいが、カルネは鼻筋の通った品のいい顔立ちをしている。そんな男が値の張るマントを羽織ると、まったく服に呑み込まれることなく、嫌らしさのない仄かな高貴を香らせるのだ。 しかし、俺はあくまで普段のカルネの方が好ましく感じる。 マントの裾からチラチラと覗く、三年間の長旅の果てに傷まみれになった銀鎧こそが、この男が纏うべき正装だ。未開の大地で猛々しく大剣を振るい続けた剣士に、血と泥を知らない新品の服なんて馴染むはずがない。 間もなくして、俺たちは門兵が用意したらしき馬を見つけた。 「……一頭しかいないようだが」 「一緒に乗れってことなんじゃん?」 そういうことなのだろう。門兵の意図を汲み、俺たちは順番に跨った。いかにも大切に育てられてきたであろう黒毛の馬は、見ず知らずの男二人に乗り込まれても、身じろぎもせず手綱が引かれるのをジッと待っている。 「おおー、イイコだぁー」 感心したカルネが鬣を撫でてやるが、馬はつんと澄ましたままだ。 「無愛想なやつ」 俺は不快感をあらわに鼻を鳴らす。しかし、カルネは機嫌の良い猫のように目を細めた。 「いいじゃん、別に。オレはこうゆうヤツってわりと好きだし」 「こうゆうヤツ?」 「感情が態度に出ないヤツ」 俺に挑発的な眼差しを寄越しながら、あっけらかんと続ける。 「サフィーみたいなヤツ」 「……ったく」 疲労感たっぷりに呟き、降参の意を込めて両手をひらつかせる。カルネのストレートすぎる好意に免じて、この馬の無愛想には目をつぶってやるとしよう。 「おまえは変わり者だ」 「サフィーだって変わりもんさ」 カルネが歯を見せて笑う。 「オレみたいな笑いっぱなしの楽天家とツルんでて、まったくムカつかねえんだから」 「別におまえは楽天家ってわけじゃないだろ」 「まー、傍目から見たらってことで──」 そんな雑談に興じていると、やがて出口の方から呼びかけられた。言葉遣いこそバカ丁寧だが、要は国民が待ちわびているのでさっさと来てくれ≠ニいう催促だ。 「じゃあ、見世物になってくるとするか」 俺は手綱を握って、馬をゆっくり歩かせた。 城下町へと通じる扉は大きく開け放されており、そこから白々しい陽光と怒涛の歓声が流れ込んでくる。おそらく、扉の外では老若男女の国民たちが蟻の行列さながらに群がって、それぞれが喉の限界を超えて何かしら声高に叫んでいるのだろう。 その群衆の中には騎士団の連中や……俺の両親の姿もあるに違いない。 「…………」 俺は無言でカルネを見た。こいつも同じことに気を回していたらしく、口の両端を吊り上げたまま、困ったようにひょいと片眉を下げてくる。 「……しゃーねぇよ。こればっかりは」 「だな」 渋々とうなずき合う。諦念も二人で分かち合えば、それなりに味わい深い。 「こうなりゃ開き直ってやろうぜ。今の俺たちにできる、最高の顔で登場してやりゃあいい」 「ああ、そうしよう。それが一番だ」 自嘲と悪戯心が綯い交ぜになった強がりを交わし、俺たちはついに、その扉をくぐり抜けた。
……結果から言うと、パレードは滞りなく終了した。 俺とカルネは興奮しきった国民たちに手を振り、差し出された花は両手で受け取って、パレード中盤ともなれば調査記録≠掲げるというパフォーマンスさえ自発的に行ってみせた。民衆が描く特級騎士≠完璧に体現したと言っても大袈裟ではない。 しかし──最後まで、俺の石膏めいた無表情は和らがなかった。 それと同様に、カルネのわざとらしい笑顔が引っ込むこともなかった。 涙ぐましいほど青い空の下、変わらない表情を晒しての行進は一時間ほど続いたが、その終盤の記憶はほとんど残っていない。視界がぐにゃぐにゃと歪み、腹からせり上がってくる生暖かいものを抑えるのに腐心していたからだ。 俺たちの精神力は三年間にわたる長旅に耐え抜いた。 だが、大自然で鍛えたそれは衆人環視を相手にしたとき、信じられないほど脆く崩れる。 城下町をやり過ごし、城門に入って人目から開放された直後、俺は馬の背中に吐瀉物をぶち撒けた。
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