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作品名:新旧七不思議合戦! 作者:朧 蝙蝠

第4回   図書室から各階へ

「つまりさ──」
 殿山を先頭に、僕たちは三階へ移動していた。
 窓から差し込む陽はすっかり薄くなっており、闇を孕んだ廊下は三人分の足音を吸収し、不自然な静謐を満たしている。
「火のないところから煙は立たない、って言うじゃねえか。火元を消してやりゃあ怪談なんてのは、すっぱりなくなっちまうんだって」
 殿山の軽快な歩みは、東側にある女子更衣室の前で止まった。
 かつてはペールピンクで飾られていたのであろう扉は、今やすっかり塗装が剥げ、煤けた白とピンクが奇妙なまだら模様を描いている。
「まずはここだ」
 その扉を、殿山はなんの臆面もなく開き、ごく自然な足取りで中へと入っていった。
 鳴子もそれに続く。
 だが、僕は彼らのようにはいかなかった。男子制服を着ている以上、おいそれと女子更衣室に侵入するのは気が憚れる。結局、何度も首を回し、辺りに誰もいないことを確認してから、できるだけ音を立てないよう慎重に足を踏み入れた。
 手狭な室内に入った途端、充満した埃の臭いが鼻をついた。
「ここって、もう五年前くらいから使われてなんでしょ?」
「そうだ。そして、新・七不思議の〈自殺少女の手形〉の舞台でもある」
 殿山が軽く室内を見回してから、入り口すぐ側の壁を指さした。
「見てみろよ」
 男にしては細い指先が示す部分に、僕と鳴子が顔を寄せる。
 部屋が薄暗いので見えづらいが、じっと目を凝らすと、黒っぽい汚れがあるのがわかった。
「なに、これ……シミ?」
 鳴子の表現どおり、壁を人間の肌に例えるなら、その汚れはシミのように見えた。比喩表現を使わないのなら、誤ってかけてしまった墨汁の拭き残し、といったところだろう。
「さあな、なんの汚れなのかはわからん」
 殿山が悪戯っぽく首を傾ける。
「だが、そのなんの変哲もない汚れがここで自殺した女子生徒の霊がつけた手形なんじゃないか≠ニ囃されているのは確かだ」
 僕は再度、汚れを凝視した。
 確かに、その黒ずみは人の手の形に見えなくもない。
「ここで自殺した生徒なんていたっけ?」
 少なくとも僕の記憶にはなかった。
「私は聞いたことない」
「俺だって心当たりはねえ──でもさ、怪談なんて普通は根拠のないもんだろ?」
 そういうものなのか、と納得しておくが、いまいち釈然としない気持ちが残る。実在しないものをモチーフにしたところで、熱心なオカルトマニアの生徒にでもメッキを剥がされ、すぐさま真贋を立証されてしまうのがオチではないだろうか。
 もし他の七不思議もこんな感じなら、案外、自然消滅させるのは簡単なのかもしれない。そう、僕は事態を楽観的に捉えはじめていた。
「で、この手形をどうするつもりだ?」
「どうって、そりゃあ……」
 殿山がニィと歯を見せて笑う。並びの良い白い歯は、室内の薄暗さと相まって、白い三日月のように輝いた。
「消しちまうんだよ、これを」
「消すって……これを?」
 僕は汚れを指さし、戸惑いたっぷりに訊き返した。
「これ、けっこう年季の入った汚れだぞ? そんな簡単に消せるものかな?」
「近くにトイレがあったろ? そこから漂白剤を借りてくりゃあ一発だ」
「でも、ここだけ不自然に白くなったら、余計に怪しまれないか?」
「そんときゃ、壁全体を掃除してやろうぜ。たまにゃあ美化活動しても罰は当んねえよ」
「…………」
 あっけらかんと言ってのける殿山を前に、僕は愕然と立ち呆けるしかなかった。
 いくら他の教室に比べて圧倒的に狭いとはいえ、この室内すべての壁をブラシで擦る労力を考えると、ギシギシと痛む両腕が容易に想像できた。
 だが、よくよく観察してみると、壁そのものは綺麗な状態を保っていた。これなら汚れを漂白剤で落としても、新たに白い模様が生まれることもなさそうだ。
「つまり、殿山。怪談をつくる材料になっているもの自体を消してやろう、ってのがおまえのアイディアなのか?」
「ああ──駄目そうか?」
「いや、イケそうだ」
 どんな心霊スポットにも、そこが心霊スポット足り得るためのアイテムが存在しているものだ。それは人間の顔に見える木目であったり、陽の傾き加減で悪魔のような影を映す銅像であったりする。そのアイテムが何であろうと、それさえ取り払ってしまえば、その場所は心霊スポットとしてのアイデンティティを失い、人々も興味を失くすというわけだ。
 なるほど、これはなかなか効果的かもしれない。
「じゃあ、手分けして他の場所でも手を打っちゃいましょう」
「そうだな。さして重労働でもないし、分散したほうが効率もいい」
「なら、他の連中も呼び出すか?」
 僕の提案に、殿山は渋い顔をして首を横に振った。
「あいつらに何かできると思うか?」
 随分と手厳しい指摘に、僕は思わず苦笑してしまう。
 だが、それでもやってみなくちゃわからないだろ≠ニ言い返さなかったのは、やはり殿山と同じ思いが頭の片隅にあったからに他ならない。
 九尾、綾南、大舞、笠置。決して彼らを無能だと見下しているわけではないが、誰にでも得手と不得手というものがある。今回のような行動的な場面に関しては、彼らでは圧倒的に向いていないのだ。足手まといななりこそすれ、助力になることは望めそうにない。
「そいじゃあ、俺は三階の〈自殺少女の手形〉と〈音楽室のダイイングメッセージ〉を担当するから、鳴子は二階の〈家庭科室の指縫いミシン〉と〈二年C組の血吸いカーテン〉を頼む」
「任されたわ」
「で、三成は一階の〈鳴らない警報ベル〉と〈呪われた消火器〉を」
「任された──って、あと一つは?」
「最後の〈ヨゴレ様〉っていうのは、いわゆるコックリさんみたいなお呪いでな。消しようがないんだ。まあ、ほかの六つがなくなりゃあ、残りの一つも勝手に消えるだろうよ」
「一つじゃ七不思議は名乗れないものね」
 そうした簡単な話し合いを経て、僕たちはそれぞれの階に散らばった。
 意外にも、無人の校舎を一人で歩き回ることに恐怖心は湧かなかった。任された二つの怪談を、どんな手で隠滅してやろうかと、そればかりを頭に巡らせていた所為かもしれない。
 この時はまだ、自分たちがこの廊下を全力疾走することになるだなんて、もちろん予想だにしていなかった。


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