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作品名:新旧七不思議合戦! 作者:朧 蝙蝠

第3回   図書室にて

 扉を開いた瞬間、厚ぼったい血生臭さが鼻を刺した。血だ。向学心旺盛な中学生たちで賑わう図書室、その中央で四肢の千切れた殿山が、夥しいほどの鮮血を溢れさせている──なんてことはまるでない。
 オレンジ色の陽光が差し込む室内は、古びた紙の放つカビ臭さが薄っすらと漂い、カウンターに司書教諭の女性がいるだけで、生徒の姿なんて一切見当たらない。普段どおりの光景だ。放課後の図書室なんて、こんなものである。
 勿論、殿山はちゃんと五体満足の様子だった。入り口から最も離れたところにある隅っこの椅子で、図鑑か辞典のような立派な本を開いていた。そこが彼の特等席なのだ。
「よ、殿山」
 僕が手を振りながら近づくと、本へと傾けられていた端麗な横顔が、すっと持ち上がった。
 その拍子に、校則では禁じられている蜂蜜色の頭髪が、さらりと光の粒子を振り撒く。細やかな髪の束が揺れる様子は、まるで黄金の河が波打つかのようだった。
 長い睫に飾られた凛々しい眼差しが、僕たちを気怠げに見留める。
「……三成と鳴子か」
 瞬間、せっかくの奇跡的なまでに形の整った柳眉が、くしゃりと潰れた。
「なんでおまえらが俺のところに来るんだよ」
 悩ましく湿った声も、トーンが若干低い。
 いつもどおりの愛想の悪さだ、と僕と鳴子は肩を竦めた。
「じゃあ逆に聞くけど、どうして僕たちがおまえのところに来ちゃいけないんだ?」
「俺を訪ねていいのは、活字と新刊、そして可愛い女の子だけだ」
 当たり前のことを聞くな、と煩わしそうな眼差しで睨まれる。
 前述したとおり、殿山の性格には多少の難がある。この男は困ったことに、自分が生きていくために必要なのはパンと水ではなく、読書と女の子であると信じ込んでいるのだ。
 確かに、彼を観察していると、まるで紙に印刷された文字を食べて、女の子たちとの語らいで呼吸をしているように見えることがある。もしかしたら、根津木殿山とは、そういう生物なのかもしれない。
「たしかに、僕たちは読み物じゃない」
「それに、私は殿山くん好みの女の子じゃないしね」
「わかってるじゃねぇか。なら、今すぐ俺の目の前から消えてくれよ」
 長い脚を組み直しながら、神聖なる読書の時間を邪魔するな、と無言で圧倒してくる。
 このままじゃあ取りつく島もない。
 僕は咄嗟に、話題を殿山が読んでいる本へと移した。
「それ、面白いのか?」
「これか?」
 案の定、殿山の表情から刺々しいものが抜ける。この男の機嫌を直すには、晴天の日に幽玄なる景色を見せてやるよりも、本か女の子の話に興じさせるほうが遥かに効果的なのだ。
「俺は小説とか伝記のほうが好きなんだけどな、たまにはこうゆうのも悪くねえ」
 単なる美少年になった殿山は、本を掲げ、その表紙を僕たちに見せつけた。
 白地の装丁には、動植物の写真と世界の不思議生物図鑑≠フ文字が、カラフルながらもバランスよく印刷されている。
「知ってるか? コアラはユーカリの葉さえ食べていれば、ほかの食糧を、水さえ口にしなくても生きていられるんだぜ」
「あ、ごめん。それは知ってる」
 言ってから、別に謝る必要はなかったと気付く。
「じゃあ、プラナリアって知ってるか? 目のあるナメクジみてえな生き物なんだが、そいつは尾を切り離されても、頭を切り離されても、尾と頭を切り離されて胴体だけになっても、二週間もすれば再生して元通りになっちまうんだとよ」
「そりゃあすごい」
 新しく得た知識に対し、僕は率直に驚いた。
「プラナリアなんて初めて聞いた名前だ。日本にも生息しているのか?」
「ああ、山間部の川辺なんかで多く見られるらしい。岩をひっくり返すと貼りついてたりするそうだ。ちなみにれっきとした肉食らしい」
「へえ、わりと身近なところに変な生物がいたりするもんだ」
「そうだ。この世の中には神様が悪戯でつくったとしか思えない、奇妙奇天烈な生命体がそこかしこに存在しているんだよ。興味深いったらありゃしねえ」
 笑みを深くしながら、殿山が図鑑を閉じる。
 どうやら機嫌はすっかり直ったらしい。切れ長の瞳が僕を友好的に映している。
 すかさず、後ろに立っていた鳴子が本題を切り出した。
「殿山くん。新・七不思議のことなんだけど──」
「ああ、あれか」
 心当たりがあるように小さく頷き、前髪を鬱陶しげに掻き上げる。
 髪の根本がちらっと窺い見えた。黒や茶の部分がまったくない、金塊を思わせる純然たる金色だ。不自然な色ムラも見当たらない。
 外田野高校では頭髪を染色することは禁じられており、もちろん金髪なんて以ての外なわけだけれど、殿山は自身の髪色について「生まれつきだ」と主張している。たしかに生まれついてのものなら校則でも咎められない。
 しかし、それが真実である可能性はかなり低かった。
 なぜなら、殿山は自分の容姿やら習慣やら癖なんかの説明を、すべて生まれつき≠フ一言で済まそうとする傾向が強いのだ。
 これは僕や鳴子、怪談倶楽部の全員にも言える。
 凡庸な外見のために影が薄いのも、胸の発育が芳しくないのも、髪色が金なのも、あたかもプラナリアが切断されても再生できるのと同列であるかのように、のべつまなく生まれつきなのだと言い張ってしまう。
 なぜそんな横柄な対応をしてしまうかというと、僕の場合は単に懇切丁寧に説明するのが面倒くさいからであるし、ほかの連中も概ねそんな理由だろう。僕たちのような自堕落人は、省いてはいけない手間まで省きたがるものだ。
「なんか最近、ちょっとした話題になってるよな。まあ、そもそも旧・七不思議は落ち目だったし、このままじゃ新・七不思議のほうがメジャーになっちまうかも」
「だから、旧とか新とかって、どうゆうことだよ」
 僕が苛立たしげに口を挟むと、殿山は演技でない驚きの表情を浮かべた。
「なんだ、三成。おまえ知らないのか?」
 そこで鳴子がさっと答える。
「そうなの。だから、要約上手な殿山くんに教えてもらおうと思って」
「そうゆうことか」
 納得顔で頷く殿山は、意外にも渋る素振りをせず、むしろ得意気に胸を張ってみせた。
「いいか、三成。至極簡潔に話すとだな──」
 そう前置きしてから、一気に捲し立てた。
「おまえが知っている七不思議は、今や旧・七不思議≠ニ呼ばれている。なぜかと言うと、つい最近、よその学校から別の七不思議がうちに伝わってきちまったんだ。その伝わってきた七不思議が意外と定着しつつあり、生徒たちからは新・七不思議≠ニ呼ばれて幅を利かせているってわけだ」
「四行以内にまとまっている、たしかに簡潔だ」
 つまり、今の外田野中学校には二つの七不思議が存在し、対立し合っているというわけだ。しかも、僕たちと馴染みの深い旧・七不思議のほうが敗色濃厚ときている。 
「で、その新・七不思議がどうしたっていうんだよ?」
「どうしたっていうよりは、どうしたいっていう話なんだけど……」
 鳴子が適切な言葉を探すように、目線を天井に漂わせる。
 間もなく、選び抜かれたその言葉を、何気ない調子で口に出した。
「滅ぼしちゃいたいのよね」
「は?」
 戦争や犯罪沙汰、あるいはフィクションの中でしか使われないであろう台詞に、ギョッと面食らってしまったのは僕だけだった。
殿山は、ククッ、と低い笑い声で喉を震わせている。
「穏やかじゃねえな」
 幸い、この場所は司書教諭のいるカウンターからは死角になっているし、僕たちの声量もさほど大きくなかったので、場を包む不穏な空気が周囲に伝播する心配はなかった。
「だって腹立つじゃない」
 そう主張する権利が自分にあると言わんばかりに、鳴子が唇を尖らせる。
「なによ、他校から伝来した七不思議って。いつから怪談は輸入品になったの?」
「でも、輸入雑貨はオシャレで可愛いものばっかりだから好き、って前に言ってたよな?」
「怪談と雑貨は別よ」
 くだらない計算ミスでもしたかのように、素気なく叱られる。
「ぽっと出のよそ者に、自分の敷地を踏み荒らされた気分だわ。七不思議は私の居場所みたいなものよ。それを勝手に塗り替えられちゃ、堪ったものじゃないわ」
「居場所って……大袈裟だなあ」
 僕の嘆息に、殿山が首肯することで賛同した。
 怪談倶楽部のメンバーは旧・七不思議によって繋がっているわけだが、それに傾ける情熱の度合いは、個々人によってかなり差がある。鳴子と綾南のように敬虔な信者に引けをとらないほどの強い拘りを持っている者もいれば、僕と殿山のように語り継ぐ必要性をまったく見出していない者もいる。当然、その中間のやつだっている。
「ねえ、三成くん、殿山くん。なんとか新・七不思議を廃れさせる方法はないかしら?」
 鳴子が真剣な眼差しを、縋るように殿山へと注ぐ。
 いくら七不思議に対してドライな僕たちだって、顔見知りの女の子の純真を蔑ろにあしらえるほどの冷血漢には徹せない。根負けした僕たちは同時に息をついた。
「ま、鳴子がそこまで言うんなら……」
「そうだな──それに俺も新・七不思議については気になることがあったし」
「気になること?」
「まあ、あまり関係はねえと思うんだが……」
 殿山の端整な顔立ちが、腐った果物でも齧ったかのように歪んだ。
「最近、一年生の女子が三人ほど行方不明になっているだろ?」
「なっているんだ?」
 鳴子に視線を向けると、小ぶりの顔がこっくりと下に垂れる。
「言ったでしょ? ちょっと物騒だって」
「ああ、そう言えば、出会いざまにそんなこと言ってたっけか」
 ついでに、それなら今日の部活はよしておこうかと提案した気遣いを無下に一蹴されたことも思い出したが、敢えて蒸し返すこともない。
「一週間くらい前だったかしら? 三人とも同日にいなくなっちゃったらしいの」
「で、その子たちと七不思議になんの関係が?」
「ああ、ちょいと奇妙な話を聞いてな」
 まるで、その奇妙≠視界に入れてしまったかのように、殿山が苦々しく目線を下げる。
「失踪当日、最後に彼女らが見かけられたのは、放課後に校舎内で新・七不思議巡り≠しているところだったらしいんだ。複数の生徒が目撃しているから間違いない。反対に、彼女たちが校門から下校しているところは誰も見ていないそうだ」
「おいおい、ちょっと待てよ」
 殿山の言わんとしていることを察し、僕は慌てて口を突き出した。
「まさかおまえ、その子たちは新・七不思議によって神隠しにでも遭った──なんて考えているのか?」
「まさか!」
 心外だ、と殿山が肩を竦める。
「いくら小説ばかり読んでいるからって、現実と虚構の区別くらいはつくつもりだ」
「そうか。なら安心した」
 実際、僕はかなり安堵していた。
「ただ、新・七不思議ってのは、今じゃ使われてねえ教室やトイレ、あと人気のない校舎裏なんかを題材にしているものが多いんだ」
「それがどうした?」
「ドアの立てつけが悪くなっていたり鍵が錆びていたりして、彼女たちが閉じ込められているなんてことになっている事態もなくはない。大声を出して助けを求めても、そもそも人がまったく寄りつかねえ場所だからな。仮に、本人たちでなくとも、何かしらの手掛かりや痕跡が見つかるかもしれない」
「なるほど」
 いつもながらの推理力に舌を巻く。
 いきなり事故と結びつけるあたりが、やや飛躍気味なので想像力と称したほうが正しいのかもしれないが、発想自体は現実的で論理的だ。何より具体的でわかりやすい。少なくとも嫌な予感≠セけで動くタイプの人間よりは頼もしく感じる。
「あと、誘拐なんかの事件に巻き込まれたと仮定しても、現場を調べる価値はあるしな」
「もしかして、血のダイイングメッセージが残されているかも」
「それでなくとも、そもそも老朽化したまま放置されている場所なんて危ねえだろ? リンチやレイプをするには格好のスポットだからな、女の子が興味本位で近づくべきじゃねえ」
 男子の心配なんてこれっぽっちもしないのが、殿山の実直さが清々しいほど顕れている。
「本当なら、その場所そのものを修繕なり撤去なりするのが一番なんだろうが、残念ながら権限も財力もねえ俺には実行不可能だ。それならせめて、結果的に人寄せになっちまってる新・七不思議を消しちまいてえって気持ちは、俺にも少なからずあんだよ」
「じゃあ、決まりじゃない」
 鳴子が満面の笑みを湛えて、手をポンと打った。
「三人で新・七不思議を撲滅させちゃいましょう。私は腹の虫がおさまらないから、殿山くんは事故防止のために」
「ちょっと待て。僕には理由がないんだけど……」
「三成くんは私のため。ボランティアよ、立派なことね」
「…………」
 大人しそうな黒目をキラキラと輝かせる鳴子を説得するのは、世界を蝕む環境問題の解決より難しそうだった。長いものには巻かれろ、と心の中で唱えて、がっくりと肩を落とす。
「けど──撲滅するって言ったって、何をすればいいんだ? 広まりかけている噂話を収拾させるのって一筋縄じゃいかないだろ?」
 怪談が相手では、説得や武力行使が功を奏すはずもない。
「そうだな……」
 思案顔で呟いたのは殿山だった。
 それに対して、そもそもの提案者である鳴子は、思慮深さとは縁のないあどけない面持ちのまま黙り込んでいる。眼差しに潜めた期待の念から察するに、殿山の口から画期的なアイディアが飛び出すのを待ち構えているのだろう。新・七不思議を壊滅させる意気込みは強くとも、その算段については他人に丸投げするつもりらしい。これを無責任と呼ぶか、それとも女性特有の強かさと呼ぶかは、人によって意見の分かれるところである。
「たしかに、一朝一夕で跡形もなく……ってわけにはいかねえな」
「一兆? 一兆円かけても噂って消せないものなの?」
 素っ頓狂な横槍が入っても、殿山の涼しげな目元はまったく崩れなかった。
「金額じゃねえよ、時間の話だ。つまり長期戦を覚悟しろってこった」
 人のあしらい方に関しては、僕より殿山のほうが上手らしい。
 鳴子が「なるほど」と素直にうなずく。
「じゃあ、みんなで新・七不思議の悪い噂でも流して、少しずつイメージダウンさせてやりましょうよ。私、そうゆう陰湿なのは得意よ」
「そんなことで胸を張るなよ……」
「いや、それじゃあ駄目だ」
 水を得た魚のようにはしゃぐ鳴子を、殿山の恬淡とした声がぴしゃりと制す。
「悪評だって噂には違いない。変に存在を強調させちまうと、今以上に興味を惹かれちまう可能性があんだろ? 第一、怪談なんてのは不気味でなんぼのもんだ。逆にイメージアップになっちまう」
 好意的でも悪意的でも、情報を流せば人寄せにしかなりえないということか。
「じゃあ、あくまで自然消滅を狙わなきゃならないんだな?」
 口に出してから、それはとても困難なことなんじゃないかという不安が押し寄せる。形はなくとも確かに存在しているものを、人が手を加えないで、塵も残さずに風化させてしまうだなんて、それこそ怪談の域ではないだろうか。
「じゃあ、放っておくしかないのかしら?」
「それも駄目だな。今の勢いだと、新・七不思議が定着しちまうだろ」
「それなら……新・七不思議なんて嘘だった、って噂を流すのはどうかしら?」
「悪くはない、が……」
 にやり、と殿山の唇が狡猾に笑んだ。誰かを陥れることの喜びに浸った、悪魔的な笑いだった。けれど、その柔らかな美貌はちっとも翳らず、むしろ艶めきを増しているように見える。
「もっと手っ取り早い方法がある。なぁに簡単だ」
 殿山が身を乗り出し、低めた声音をそっと落とす。吐息と微笑とか綯い交ぜになった吐息には、まるで物言わぬ書物に寝物語でも語り聞かせるかのような、濡れた夜を感じさせる趣があった。
「噂の根本を──バッサリ断ってやりゃあいいんだよ」
 その瞬間、開けっ放しにされていた窓から、一陣の微風が流れ込んできた。微かな音を立てて、本棚の隙間をゆるりと吹き抜けていく。
 どこからか、紙の捲れる音が聞こえてきた。


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