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作品名:colors 作者:朧 蝙蝠

最終回   1
 
 もう、今回ばかりは逃げ切れない。
 私はそう確信しました。それでも走るのを止める気にはなれず、懸命に足を動かし続けるのです。
 カンカンカンッ、とスピードを全く落とさずに登る階段。響く足音は一つじゃなくて二つ。私の少し後ろから聞こえてくる足音。彼の足音だ。二色の微妙に異なった音のみをバックミュージックにして、私は――私達は登る。長い、長い階段を。
 この高校で最も多い段数を誇る階段。その終点が、今、見えてきた。
 扉。小さくもなく大きくもない、極々有り触れた長方形のそれ。
 そこに貼られている「立ち入り禁止」の紙を私は軽く無視し、無我夢中でドアノブに手を掛け、あらん限りの力を込めて開く。
 瞬間。目の前に飛び込んできた――青。雲一つない青空。空。空。
 生徒の出入りは固く禁じられているその屋上に人影はなく、頭上に広がる青空を堪能することのできるスペースが、妙にがらんとした雰囲気を伴って存在しております。
 私は開けたドアを閉めずに、また走り出しました。ドアを閉めなかったのは忘れていたわけではなく、後から来る彼の為。
 屋上なんてどこの学校でも、そんなに広いものじゃありません。私はものの数秒で、転落防止の為に設置された胸の高さまである白い鉄柵へと辿り着いてしまいました。
 もう、走れる場所はない。完全に逃げ場を失ってしまったのです。
 不思議と失意の念は浮かんできませんでしたが、走り続けた為に息は荒く、私は縋るように、鉄柵の上に片手を重ねました。

「轟さん」
 後ろから彼の声。首だけを回して、その姿を確認する。
 身長170センチ後半。私より年下の癖に、頭一個分も背が高い彼。人目を引くショートカットの金髪は少し乱れているけれど、全然おかしくは見えない。赤色の双眼はまるで夕焼けのように美しく、私はその瞳を抉り出したいという欲求に幾度となく駆られたことか……。
 彼もここまでずっと走り続けて来たのだから、当然私と同じように肩で息をしているのだけれど、その表情は清々しさに満ちておりました。それは、見ていて涙ぐむほどに眩しい。
「轟さん」
 試合を終えたスポーツマンのような表情をそのままに、彼はゆっくりとした足取りでこちらに歩いてきます。
「今日はどうしたんですか? こんな狭くて走れない場所に来ちゃうなんて、轟さんらしくないですよ?」
 全く持ってその通りだ。こんな所に来たら、どうあっても捕まえられてしまうというのに……。
 私は返せる言葉もなく、ただ無言で彼を見つめ返しました。ここには鏡がないので分からないけれど、多分、今の私はおそろしく生彩に欠いた顔をしているのでしょう。
 それでも彼は気にする様子もなく、
「けど、御陰でやっと追いつけましたよ」
 へらり、と子供のようにあどけない笑みを浮かべる。可愛い笑顔。私には絶対に真似できない、彼の愛らしい笑顔。その天使の容貌を、私はただ黙って見つめることしかできません。もう、どちらの呼吸も整っておりました。
 気の抜けるほどに澄んだ青空を背景に携えて、ニコニコした彼が、どんどん近づいてくる。真っ直ぐ、真っ直ぐ、ゆっくりと。
 私は鉄柵に手を置いたまま、一歩たりとも動けなくなっておりました。


 * * *


「轟さん。俺、あなたが好きです」
 今年の五月。彼は私の目の前に突然現れ、挨拶もなしにそう言ってきた。
「俺と付き合ってください」
 照れた様子もなく、冗談めいた含み笑いもなく、真っ直ぐで真摯な目をしており、それが本気の告白であることは誰の目から見ても明らかでありました。無論、彼の赤い瞳が映しているのは私ただ一人です。
 男性のことには人一倍興味を持たぬ私でありましたが、彼が一般的に美形の部類であることはすぐに分かりました。顔のパーツは個性的ではないけれど、一つ一つが均等のとれた良い形をしているし、金髪に赤眼という少し奇抜な色合いとよくマッチしていると思う。背も高い。ボディラインも美しい。少し男にしては色白ではあるが、全く貧相な感じは与えず、むしろ御伽話の王子様のような優美な印象を受ける。
 こんな目の保養になる男子に本気の告白を受けたのなら、普通は即効「はい」で、そのまま桃色のハッピーエンドに傾れ込むのが定石でしょう。
 が、私はそうするわけにはいきませんでした。何せ私が彼の告白を受理するにあたって、大きな、とてつもなく大きな問題があったからです。
「あのですね、君。少し落ち着いて下さいませんか?」
 私がやれやれと溜息混じりに言うと、彼のルビーの瞳は爛々と輝きました。
「あっ、やっぱり誰にでも敬語なんですね、轟さんって」
「ええ。常に礼節を心掛けるというのが、私のポリシーでしてね。犬猫やハゲ頭のサラリーマンに対しても敬語でお話しますよ」
「その割には、学校中で『口が悪い』って評判が立ってるんですけど……」
「まぁ、この話は置いておくとして」
 私はこの話題に見切りを付け、早々と本題に移ることにしました。
「君、よく聞いて下さいな。あのね、君のお気持ちは嬉しいのですけれど……いえ、ぶっちゃけ言っちまいますと、気持ちすらものすげぇ迷惑なのですけれど」
「えぇ!? 何でですかぁ!?」
 彼は驚いたというよりも、今にもショックで泣き出しそうな悲鳴を上げました。眉は垂れ下がり、兎のような赤い目が微かに潤んでいる。
 その姿があまりにも哀れで可愛らしかったので、不覚にも私は「つーわけで、とっとと帰りやがれで御座います」と吐き捨てるはずだった言葉を飲み込んでしまいました。
 そんな慈悲深さを気取っているような自分の行動に呆れた為か、かわりに口を衝いたのは力のない呟き。
「本当に……分かりませんか?」
「えっ? ん〜……」
 彼は手を顎に当て、首を捻り始めました。
「俺が年下だからですか?」
「…………」
 我が校では、学年ごとに学年カラーなるものが存在し、その色は主にジャージや上履きのラインなどに使用されております。三年生の私は青、二年生は赤、一年生は緑。彼の上履きを見ると、そこには緑色のラインが引かれているので、彼が一年生、つまり私より二つ年下であることは容易に分かりました。
 けれど、
「全然ちげぇです」
私はキッパリと否定してやります。私は恋愛においても友情においても、特に年の差を意識する気質ではありません。
「もっと根本的な部分です。気付きませんか?」
「ええっと……。じゃあ……」
 彼はますます首を傾げて、自信なさげに答えます。
「ここが教室だから……ですか?」
 確かに、それも一理ある。
 実を言いますと、私達が今こうして向かい合っているのは、私が所属している三年×組の教室、そのど真ん中なのです。それも授業中。先程からずっと、クラスメイト達による驚愕と困惑の視線は、絶えず私達に注がれたままですし、その授業の担当教師の怒鳴り声も止む気配は一向にありません。
 確かにこれも重大な問題でしょう。昔、何かのテレビ番組で、屋上から愛の告白をするというものがありましたが、元来、告白というものは人目を避けて行われるものであり、告白する側される側、どちらの名誉を損なわぬ為にも、それが一番望ましい形なのです。今回は神経の太い私であったから良いものの、こんな見せ物のような告白をされては、気の弱い子ならばその場で泣き出してしまいます。
 ですが、今回の場合、問題というのは彼の無神経さに拠るものではない。
「残念ながら、それもちげぇです」
「えぇっ!? これも違いますかぁ!?」
「確かに人によっては打ち首ものの重罪ですが、私、人の目は気にしないタチなので」
「じゃあ、授業妨害しちゃってることとか……」
「んな真面目ちゃんじゃねぇです」
 どうせどの授業も、堂々と白紙のノートで受けている私です。その点は全くと言って良いほど問題にはなりません。
「それじゃあ、俺が好みのタイプじゃないとか」
「いいえ。君は普通に格好いいと思いますよ。特に金髪と赤眼、凄く綺麗です」
「あっ、これ生まれつきなんです。珍しいでしょ?」
 褒められたことが嬉しかったのか、彼は自分の髪をつまんで、晴れやかに微笑みました。
 しかし、またすぐに肩を落とし、意気消沈の顔色で私を見つめてきます。
「あの、轟さん。俺、自分で言うのもあれですけど、勉強も運動も、人並みよりはできます。料理とか家事とかも得意です。車はまだ無理ですけど、バイクなら乗れるんで、足にも便利だと思いますし……。あと、絶対に轟さんの嫌がることだけはしません。何でも轟さんの都合に合わせます。轟さんが幸せなら、俺、なんだってやります」
「それは素晴らしいことですね。そこまで言って頂けると、私も嬉しいです」
「じゃあ……!」
「でも駄目です」
「何でですかぁっ!?」
 馬鹿か、こいつは。私は涙目の彼を前に、そう冷ややかに思わざるを得ませんでした。
 普通そろそろ気付くだろ。というか、最初から疑問を持て。何だお前は、あれか? 最近流行っている天然系というやつか? いーや、こいつはただの馬鹿だ。世界中の馬鹿な細胞を馬鹿みたいに集め、馬鹿な研究者達が馬鹿な方法で凝縮させた、1%の知性も含まれておらぬ、究極のお馬鹿さんなのです。
 その他にも私は心の中で×××や△△△など、物凄く汚い言葉を彼に浴びせましたが、それで事態が変わるはずもない。多分、この一年生は絶対に気が付かないぞ、このままじゃ。
 
 そう思った私は遂に、彼に言ってやることにしました。
「君、ちょっと聞いてもらえます?」
「はい!」
「私、君と全くの初対面なんですけど」
 そうなのです。目の前の彼は何故か私の名前を知っているのですが、私は彼に関する一切のプロフィールを知らないのです。
 勿論、私に恋をしたぐらいですから、彼は過去にどこかしらで私を目撃しているのでしょう。だからと言え、当の私自身は彼を知らないということぐらい、余程のナルシストでない限り、気が付くはずです。
 まるきり面識のない相手からの告白など、ナンパ風でない限り気味が悪いだけです。例え、相手がどんなに美形であったとしても。少なくとも私はそうですし、一般的な感覚からしても同じでしょう。
「つーわけで、さっさと御自分の教室に戻って……」
 これでようやくサヨナラできるぞと、私はヒラヒラと彼を手で追い払うような仕草をしながらお別れを言おうとしたのですが、
「あぁ! そうゆうことでしたか!」
 パッと顔に花を咲かせた、彼の嬉々とした声に掻き消された。
「すいません! 俺って本当に気の付かない男で……!」
「あの……。ですから、とっとと帰って……」
「俺、綾凪って言います!」
 彼は満面の笑みで言いました。
「綾凪ひさし、一年生です。得意教科は英・数・国。苦手教科は道徳とか倫理とかです。なんか、教科書や教師の意見と、いつも食い違っちゃうんですよ。それでよく怒られてて……。
 趣味はガキっぽいかも知れませんが、モデルガン収集です。好きなんですよ、銃って。だって格好良くないですか? ですから過去に何度も戦争で志願兵になろうとも思いましたし、映画とかは銃撃戦の多いギャングものばっかり観ちゃうんです。
 あと……特技はクレーンゲーム、かな? あんまり経験があるわけじゃないんですけど、初めてやった時から一度も、外したことないんですよ。それとですねぇ……」
 そんな調子で延々と続く、彼のマシンガントーク。
 何とおめでたい頭の男だ。私は彼の言葉の羅列を前に、心底呆れてしまいました。
 知らないなら教える。これで問題は解消される。彼はそう考えたらしいのですが、その一見すると非常に合理的かつ有用そうな理論は、突き詰めるとこうなのです。
「お嬢ちゃん、おじさんと一緒においで。遊園地に行こう」
「でも、ママが知らない人についていっちゃいけないって……」
「ふむ……。じゃあ、こうしよう。おじさんは山田というんだ。ほら、これで知らない人じゃないだろ? さぁ一緒においで」
「うん、行く!」
 んなわけねぇでしょうがボケェェェッ!
 おじさんが自分の名を明かしたとて、得意・不得意教科や趣味や特技の類を教えたとて、それで女の子が誘拐犯にほいほいついて行くはずがねぇのです。
 
 私は饒舌に話す彼の救いようのないアホさ加減に軽い目眩すら覚え、これ以上は聞くに堪えられませんでした。
「ちょっと、君」
「はい!」 
 キラキラと邪気のない笑顔を煌めかせる彼こと、綾凪君。
 いつの間にか教室中が静まりかえっており、教師さえもが彼の支離滅裂で健気な恋の行方をジッと見守る中、私はキッパリと言ってやりました。
「さっさと自分の教室に帰ってください」
「えええっ!」
 またも大仰に叫び、ガクンと崩れ落ちる彼。
 これでようやく終わったかと思いきや、彼は小綺麗な外見の割には諦めの悪い人ならしく、
「俺、そんなんじゃ引き下がれませんっ!」
なおも食い付いてきます。
「だって轟さん、俺のことちょっとは格好いいって言ってたじゃないですか。それに別に嫌いではないでしょ? なら明日フッても良いですから、試しに付き合うだけ付き合ってくれませんか?」
 涙目の彼の声はほとんど嗚咽でしたが、そこには絶対に揺るがない意志が込められておりました。
 いよいよ私も焦りを覚えます。参ったなぁ、これは思ってたより厄介そうだぞ。あぁ、髪や目が綺麗なんて褒めなきゃ良かった、そうすれば「金髪赤眼の人はお断りなんですぅ」とでも理由にできたのに……。
 私は自業自得という重い荷を背中いっぱいに背負わされた気分でしたが、代わりの抗弁はすぐに思いつきました。学力はなくとも気転は利く方なのです。
「綾凪君」
 私は彼の赤い瞳を直視しました。
「私、私より足の速い人とじゃなきゃお付き合いするつもりはないんです」
「え?」
 きょとんっ、と目を丸くする彼。
 その唖然とした顔を前に、私は我ながら上手い断り方を考えたものだと、自分の頭を大絶賛したくなりました。
 だって私、何を隠そう頭は悪くともスポーツ万能、特に徒競走においては男子相手だろうと負けたことがないのです。私の女子高校生離れした足の速さはスポーツ業界からすらも認められており、彼らから未来の金メダリストとまで言われちゃってるほどなのです。えへへ。
 そのずば抜けた走力の理由。それは私が物心ついたときから速いものが大好きで、幼稚園の頃から既に毎日の走り込みに明け暮れていたことに起因します。
 つまりは時間と努力の賜。それを目の前にいる優男に易々と抜かれるはずはない。私は彼に向かって、心の中であっかんべーをしました。
 ところが、
「分かりました」
 彼は全く戸惑うことなく、むしろ逆に醒めきった態度で凛然と言い放つのです。
「俺、明日から毎日、学校内で轟さんと追いかけっこします。それでもし捕まえられたら、付き合ってくれるんですよね?」
 何という前向きチャレンジャー思考。私は彼の単純さに飲まれ、浴びせるべき罵倒を思いつけませんでした。
 けれど、素人が一朝一夕頑張ったところで、私の神速を追い越せるものですか。
 私は勝ち誇って、フフンと不敵に笑って見せました。
「どーぞお好きに。ただし、私を捕まえられたらの話ですけど」
「はいっ! 俺頑張りますっ!」
 嫌味たっぷりに言ってやったにも関わらず、彼はニッコリと屈託ない笑顔を満面に浮かべる。
 変な奴……。私がそう思った直後、
「頑張れよッー一年坊主―ッ!」
 教室中から歓声が沸き起こりました。
 こうして、私と彼との鬼ごっこが始まったのです。

 初日は私のブッち切りでした。追いかけることが馬鹿らしくなるほど、絶望的にして圧倒的な実力の差を見せつけてやったのです。その次の日も次の日も、私の独走でした。
 なのに、下校時間ギリギリまで彼は追いかけてくる。毎日毎日。私のクラスメイト達からの声援すら全く意にかけず、直向きに私のみを求めて走り続けていました。
 その熱意が実を結び始めたのか、次第に私も本気で逃げようとしなければならぬ日が増えてゆきました。
 私は全力で走りながら、己の軽率さを深く後悔するのです。
 追いかけっこ。彼は勝負をそれに持ち込んできた。私はまんまと彼の知略にはまっていたのです。
 明確なルートが決められている徒競走とは違い、追いかけっこは自由なコース選択が可能です。曲がり角の内側と外側は勿論、下り階段を一段一段踏みしめるも、一気にハイジャンプで飛び降りるも本人の意志次第です。
 それを利用して彼は最短ルートを割り出すのは勿論、疾走しながらも私の心情をコントロールし、自分の有利なルートへ私を誘導することすらありました。
 この勝負方法はもはや足の速さなど二の次で、ある種の頭脳戦とも言えました。
 そうなれば、テストの学内順位が下から数えて10位以内の私と、実は全国模試で毎回5位以内に入っている彼とでは、流れが彼の方に傾くのは時間の問題でした。
 そして遂に…………私は完敗と対面することになってしまったのです。


 * * *


 なんとまっさらな空なのでしょう。私は穏やかな晴天をぼんやり眺めましたが、そんな余裕はすぐに持っていかれます。
「轟さん」
 気が付けば、彼はもう私の至近距離に、2、3歩進めば私に手が届く距離にまで迫っておりました。
 ドクンッ、と高鳴る心臓。全身に走る緊張。今の私に語れる言葉はありません。
 身を固くした私を見て、彼は少し困ったように……と言うより、照れたように微笑みました。
「本当に、本当に。追いつけちゃったんですね……」
 指先で頬を掻きながら「夢みたいだ」と呟く彼。
 そのあどけなさを残した顔が、出会ったあの日と全く変わっていなくて、私は無性に顔が火照るのを感じました。
 
 私は……彼に捕まるのか。
 改めて意識を覆うその認識。すると、私は胸からフッとつかえが落ち、ようやく口を開くことが出来ました。言葉はすんなり出てきます。
「綾凪君」
「はい」
 やはり彼は従順に返事をする。けれど、最初の頃の子犬のような興奮したようすはなく、とても落ち着き払った、全てを悟りきった仙人のように澄んだ雰囲気を纏っております。
 それに対し、私もまた、妙に醒めておりました。
「まだ私を愛しておりますか?」
「はい」
「まだ私と付き合いたいと?」  
「だから追いかけてきました」
「では……」
 言いかけて一瞬、私は続きを言うことを躊躇いました。
 が、その躊躇いは本当に刹那的な迷いでしかなく、一呼吸後、私の口は彼に尋ねておりました。かねてより……ずっと疑問だったことを。
「君は私のどこに好意を抱いているのですか?」
 何だかんだで、今の今まで知らないままにされていた不思議。
 端整な顔立ちで性格も紳士的な彼が、何もかも出鱈目で無茶苦茶な私のどこを好きになったというのでしょう。ずっと聞けずにいたことでした。何で聞けなかったのでしょう。
 その理由は分かりませんが、馬鹿な私にも確信していることが、たった一つある。
 綾凪君の回答。その答え次第で、私はこの手摺りを飛び越え、空中を舞い、コンクリートの地面に叩きつけられるつもりなのです。
 何がどうして、彼の一言で私が投身自殺しなくてはならないのか、これも明確な理由が分からないのですが、おそらく私は彼に失望したくないのです。期待しているのです。何かとてつもなく大きなことを。
 多分、この期待は最初から持っていたわけではありません。彼が毎日毎日少しずつ私との距離を縮めたように、私も少しずつ彼に淡い希望を託し始めたのです。
 その人生最初で最後の光の行方。それの選択権を持っているのは……綾凪君ただ一人。
 私は彼の返答を無言で待ちました。

 すると、私のただ事ではない真面目な視線を一身に受けた彼は、なんの戸惑いも怯えもなく、私以上に透徹な眼差しを向けてくるのです。
「轟さんと俺は同じだから」
 彼は静かに語り出しました。
「俺は全てが全て、とにかく世界の全部がつまらないと思っていました、小さい頃から。退屈と憂鬱。それしかなかったんです。そんな俺の鬱憤は誰にも理解して貰えませんでした。
 親に話しました。友達に話しました。女の子にも話しました。彼らはみんな俺の話を真剣に聞いてくれましたよ。でも……分かってくれた人は誰もいなかった。その理由はすぐに分かりました。
 みんなは根本から俺と違っているんです。俺はみんなが楽しんでいるようなお手軽な娯楽と幸せじゃ満足できないんです。もっと遠くて果てない高み、そこにしか俺の笑顔はありえなかった。でも、手近なもので満ち足りてる人達じゃあ、俺がそこへ行くのに付いてきてくれる人はいなくて……」
 そこまで凛と饒舌に喋っていた彼は、突然言葉尻を濁しました。
 それがなぜか私にはすぐに理解できませんでしたが、彼の瞳が心配げに潤んだのを見て、私はようやく気が付いたのです。
 私は泣いておりました。ボロボロと信じられないくらい大粒の涙を惜しげもなく流しているのです。
 私はあまり人前で泣く子ではない。それ以前に、泣く前に行動する子でした。その私が止め処なく涙を流している……。溢れる涙は自分の意志では止められません。
 涙の理由は瞬時に理解できました。
 私も彼と同じ……彼言うところの退屈と鬱憤に取り憑かれていたのです。
 そして、やはり彼と同じように周囲の人達が楽しげに語る幸福論に共感できなかった。私の充実は手の届くところには有り得なかった。
 今思えば、幼い私が速さに固着していたのも、並大抵のスピードでは到達不能の、私の求める楽園に辿り着きたかったが為でしょう。
 しかし、その求める心を私はいつしか失ってしまった。積み重なる倦怠感に蝕まれ、自身の幸福を見限って、諦念と共に何の情動もない学生生活を送っていたのです。
 でも彼は…………綾凪君は諦めなかった。諦めないでいてくれた。大衆では想像すらつかない幸せを掴む為、自分と同じ、今はまだ指先すら届かない幸福の境地を一緒に目指すことの出来る同志を探し続けてくれた。そして……私を選んでくれた。

「轟さん」
 彼は優しく微笑み、色白の腕を私へと伸ばしてきました。
 その間も、私の歓喜の涙は止まらない。でも止める必要なんて無い。私も彼も、それをよく理解しておりました。
 私へと伸ばされた彼の手は、目の前で広く広げられ。彼は今までで一番綺麗な笑顔を浮かべるのです。
「俺と同じ、魂の双生児であるあなたとなら頑張れると思うんです。傷の舐めあいとかじゃなくて、2人でなら誰も与えてくれなかった幸せを掴めると思うんです。だから、」
 歌うような彼の口調。この世の何よりも純粋で可愛らしい笑顔。私にはもう、ここから飛び降りるという意識は残っておりませんでした。
「一緒に行きましょう」

「はいっ!」
 私は堪らず差し出された手を無視して、彼の身体に思いっきり抱きつきました。
 瞬間。頭の中に響いた遙かなる福音。それは神だか天使だか、とにかく何かとても崇高で尊いものが一気に世界を塗りかえる旋律。
 ずっと叶うことのなかった夢。諦めるしかできなかった共感。投げ捨ててしまった世界への希望。それらは私の目には、どれも灰色がかって見えていたものなのに、今になってやっと鮮明な輪郭を現しております。
 彼の両腕が私の背中へと回されます。私達は固く抱き合いました。
 離ればなれになっていた双子が、片方が諦めなかったおかげで、再び巡り会うことが叶った。涙と孤独で磨かれ続けた願いが奇跡となって舞い降りてきたのです。
 天を覆う空は、もうただの単純な青色ではありません。世界はもうつまらないだけの存在ではありません。
 私達はようやく、薔薇色の景色へと辿り着けたのです。  




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