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作品名:仏教と物理学の奇妙な関係 作者:ツジセイゴウ

第1回   「色即是空 空即是色」すべてはここから始まった
仏教と聞くとお寺、お墓、仏壇、お経…等々、葬式に関係するような言葉ばかりが思い浮かぶ。誰もがお寺や仏壇の前で手を合わせてはいるが、ほとんどが形式だけで心底から信心している人は少ないと思う。しかし、これが最先端の素粒子物理学に深く関係していると言えば、少しは信じてみようという気持ちになるであろうか。実際、仏教と物理学の奇妙な附合性について真剣に考えている物理学者も多い。
で、何がどう附合するのかと言うと、仏教の最も基本的な経典である「般若心経」の中にその一節はある。「色即是空、空即是色」、これを直訳すると「物質(色)はすなわち無(空)であり、無はすなわち物質である」というような意味になる。これだけでは文字通り何のことだかさっぱり訳が分からない。
現代物理学の最先端の領域である量子力学によれば、全く何もない真空中でも常に極微のエネルギーのゆらぎが存在し、それがゆえに無からでも物質が生じるという。ただし、この場合の「無」とは「物質が無い」という意味で、その元となる「エネルギー」は存在している。
これを、物理学の専門用語で「対生成」という。量子力学によると、真空の中でも絶えずこの対生成により粒子と反粒子が発生している。反粒子とは、粒子と全く同じ性質を持っているが、電荷(電気的性質)が反対なだけの物質である。映画「天使と悪魔」で反粒子爆弾の原料としても登場したことのある有名なモノである。
この反粒子は、別にSFの世界の話ではなく、実際に粒子加速器という装置を使って作ることもできる。ただ、その存在が極めて不安定で、反粒子は生まれ出るとほとんど瞬時に粒子と合体して消滅してしまう運命にある。これを専門用語で「対消滅」という。
アインシュタインは、かの有名な式「E=MC^2」(Eはエネルギー、Mは質量、Cは光速)で、物質がエネルギーに変換できること、またその反対にエネルギーが物質に変換できることを証明した。
これを小学生にも分かる算数で表現すると「0⇔1+(−1)」となる。つまりゼロから+1が生まれる時には必ず−1が同時に生まれる、あるいは反対に+1と−1が合わさるとゼロになる、ということをこの式は表現している。現にあなたという存在が今ここにあるのは、あなたが「+1」だからである。もしゼロしかなかったら、あなたもそしてその他のあらゆる物質も文字通り「無」になる。では「−1」はどこへ消えたのか。それが現代宇宙物理学でも最大の謎の一つとされており(一般的には対称性の破れによって消えたと説明されているが)、反粒子が本当に消えたのかあるいはどこかに切り離されて隠されているのかもよく分かっていない。
真っ平らな鏡のような水面も、石を放り込むと(つまりエネルギーを加えると)波が立つ。波には、必ず山の部分と谷の部分ができる。山だけの波、谷だけの波は存在しない。これと同じである。そして、現れ出た波の山と谷は次の瞬間には打ち消し合って対消滅を起こして消えてしまう。そんな目に見えない波が、あなたの周辺の空間のそこら中に満ちている。ただ、そんなゆらぎはあまりに小さいため、人の五感はおろか電子顕微鏡ですら観察することは絶対にできない。
「色即是空、空即是色」は、まさにこの対生成・対消滅を表現したものである。いや、そんなのはこじつけで、単に諸行無常のことを別の言い方をしているにすぎないという反論がありそうだ。確かに「色即是空」は、形あるものはすぐに壊れて消え去るということを言っているように見える。しかし、「空即是色」の方は、無から物質が生じると言っているのであるから、これはいくらお釈迦様でも無理な禅問答である。
やはり、般若心経は素粒子物理学に裏打ちされた現実世界を語っているのではないかと思える。


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