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作品名:続・不可思議情報の私的考察 作者:ツジセイゴウ

第18回   「1−1=0」が悩ましい
これは小学校1年生の算数である。しかし、改まって「1−1」がなぜ「0」になるのかをきちんと説明せよと言われるとこれが存外悩ましい。最も簡単な説明は、かごの中にリンゴが1個入っている、そのリンゴ1個を食べてしまうとかごの中は空っぽ、つまりゼロになる、という説明である。ここまでは簡単で、とてもわかりやすい。
しかし、上の数式を少しだけいじくって「0=1+(−1)」と書き直すと、途端にややこしいことになる。数学が嫌いの人でも、「1−1=0」と「0=1+(−1)」が同じであることはすぐわかる。でも、後者がなぜ成り立つのかを小学生に説明せよと言われても難しい。なぜなら、−1個のリンゴというのがイメージしにくいからである。全く何もない状態からモノがある状態を作り出すのが難しいのである。
物理学の用語で、全く何もない「無」の状態から粒子が生じることを「対生成」という。対生成は、無から粒子(+1)と反粒子(−1)が同時に生まれることを意味する。反粒子は、粒子と全く同じ性質を持っているが電荷(電気的性質)がマイナスなだけである。この反粒子という奇妙な物質は、SFのお話ではなく、実際に粒子加速器という機械を使って作り出すことができる。ただ、反粒子は生まれ出た次の瞬間には、粒子と合体して消滅してしまうため、非常に観察がしにくい。これを物理学の専門用語で「対消滅」という。
先程のリンゴの例で言えば、何もないかごの中で(外から何も加えることなく、あるいは手品とかのインチキもせず)リンゴ1個を作りだすには、反リンゴを1個作らなければならないという説明になる。これを小学1年生に説明せよと言われても確かに難しすぎる。
我々が住んでいるこの世界あるいは宇宙には粒子しかない。反粒子が存在していないからこそ、我々はじっと存在していられる。もし反粒子がいっぱいあったら、リンゴは言うに及ばず、我々の体から地球全部に至るまで一瞬のうちに対消滅を起こして消えてしまうことになる。
やはりこの世界は、「1−1=0」ではなく、「1±0=1」(つまり、何も足さない・何も引かない)であってほしい。


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