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作品名:不可思議情報の私的考察 作者:ツジセイゴウ

第34回   植物に意識や感情はあるか
よくおとぎ話では、木霊とか木の精とかが出てくる。木がしゃべったり動いたりもする。現実の世界でも、古くて大きな木にはしめ縄が張られてご神木になっている。やはり植物には、擬人化されるような何かあるのであろうか。
面白い実験がある。トマトの栽培に当たって、音楽を聞かせたところトマトの糖度が増したというのである。実際に糖度計で測って顕著な違いが出たというのであるから、怪しげな実験ではなさそうである。しかも、ロック調の曲よりは、クラシック音楽の方が効果が大きかったというから不思議である。トマトは音楽を鑑賞していたのであろうか。これについては、音楽自体に感動して糖度が増したのではなく、繰り返される空気の振動が影響したのではないかという考え方がある。音はすなわち空気の振動である。大きな太鼓の音の傍ではお腹の皮が振るえることもある。同じように、音楽がトマトに目に見えない微かな振動を与え続けた結果、蒸散(水を吸い上げ放出すること)が活性化され、果実にいい影響を与えた可能性もある。
一方、植物は嫌いなものを判断して排除する仕組みももっている。植物は動けないから、嫌いなものが近づいてきても逃げることはできない。それで相手が嫌がる物質を放出して撃退するのである。有名なものにフィトンチッドがある。フィトンチッドはもともとは植物が出す防虫物質であるが、その殺菌効果と癒し効果が人にもよい影響を与えるとして森林浴を推奨する理由ともなっている。この他にも、植物は自分と相性の悪い植物を枯らせてしまう物質を放出するものもある。
こうしてみてくると、やはり植物にも感情があるように見えるが、動物とは決定的に異なる点がある。植物には中枢神経と呼ばれる組織がない。動物はどのような下等なものでも脳を持っており、そこからの指令によって行動の制御を行なうことができる。よって脳を損傷した動物は他の組織や細胞が正常でももはや生きることはできない。
これに対し、植物はどのような巨大な木でも所詮は細胞の集合体でしかない。もちろん植物にも根や幹や葉といった機能の役割分担はあるが、脳のような中央司令塔はない。だから、植物の体の一部を切り取っても、残された部分、切り取られた部分のそれぞれが別の集合体として生きてゆくこともできる。極端な例では、木を切り倒しても切株から新しい芽が出てくる場合もあれば、小枝一本を水に浸けておくと新たに根が伸びることもある。そのすべてに意識や感情があるとは到底言えない。
それでも、植物に意識や感情があると言い張る方々に対しては次のように言いたい。生け花や生け垣の剪定、盆栽いじり等は、人間の勝手都合による植物に対する虐待ではないのか。切られたり捻じ曲げられたりした植物が泣いていますよ。


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