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作品名:不可思議情報の私的考察 作者:ツジセイゴウ

第27回   ロボットは人間になれるか
SF小説や映画での定番のテーマである。人工的に作られたロボットが人間になりたいと苦悩するストーリーは何度も見てきた。このところのロボット技術の進歩は目覚ましく、このままゆけばロボットが人間になるのも夢でなくなる日が来そうであるが、事はそう単純ではない。
まずは、これまでのロボットの目覚ましい進歩の過程を少し振り返っておこう。一つ目は二足歩行である。人は簡単に二本の足で歩くが、ロボットにはこれが極めて難しい。初期のロボットは足の裏についた車輪で転がるタイプが多かった。人間が歩くように二本足で歩こうとすると、必ず片方の足を上げて前へ踏み出すという動作が必要となる。足を上げた瞬間に微妙に体が傾くのを人は無意識に感知して、転ばないよう足を踏ん張ることができる。昔のロボットにはこれができなかった。最近のロボットは、体の傾き具合や力のかかり具合を感知するセンサーの数も大幅に増え、関節や油圧系統もより細かやかに動くようにした結果、極めて人間に近い動作ができるようになった。そして技術はさらに進歩して、最近ではサッカーやジョギングの出来るロボットも開発されている。運動能力については格段に人に近づいたと言える。
次に難しいとされたのは、握手などの力加減が必要な動作である。握手をする時、人が無意識のうちに行なっている力のかけ具合はロボットには判断が難しい。時には力を入れすぎて、相手に怪我をさせてしまうことも考えられる。これも最近では、センサーの改良が進んだ結果微妙な力加減も感知できるロボットが開発され、実際介護などの現場で補助的に使われているものもある。このように、動作に関する部分ではロボットは一歩一歩ではあるが着実に人に近づきつつある。
一方、知能の面はどうか。最近、コンピューター将棋がプロ棋士に勝ったという報道がなされた。将棋はゲームの一種であるが、単に計算と記憶だけでは人には勝てない。プロ棋士と対等に勝負するためには、自分で局面の優劣を評価できるという、ある意味ファジーな思考パターンが必要となる。このファジーさもロボットには苦手な分野である。もともとコンピューターの思考回路は2進法になっている。要は1と0しかないのである。ゆえにきっちり答えの出る計算は得意だが、曖昧なものを評価させるのは難しい。それがAI(人工知能)の発達によって、こうした曖昧なものも取り扱えるようになってきた。曖昧さを扱う技術は、すでに洗濯機や炊飯器といった家電製品でも多く取り入れられており、微妙な仕上がり具合を実現できるようになっている。この分野でも一歩人間に近づいたと言える。
以上のことは、ロボットをより細かく精密に作ってゆけば、いくらでも人間に近づけることができるということを予感させる。しかし、SF映画や小説でも最も難しいとされる感情の移入については、筆者は無理ではないかと考えている。理由は、動作や知能についてはすべて物理現象の結果であるのに対し、感情は化学反応の結果だからである。
人間は外部からの刺激を五感によって感じ取り、その刺激は電気信号に変えられて脳に伝えられる。ここまでは物理現象であるから、ロボットでも精巧にすれば人間と同じように微妙な違いまで感じ取らせることはできるようになるかもしれない。
しかし、人が感じる喜怒哀楽といった感情は、ドーパミンやセロトニンといった脳内物質の分泌により生じている。人は、これら脳内物質の組み合わせにより、微妙な感情を感じ取っているのである。同じように思える喜びや悲しみでさえ、その程度は千差万別であり、全く同じ刺激を受けても、それを受ける人によって全然感じ方が違ったり、あるいは同じ人ですら時と場所が異なれば感じ方も変わる。これだけ微妙な違いが生じるのは、人が生体だからである。生体は有機物の塊であり、有機物は化学物質の刺激に対して様々に反応する。これに対し、無機物の塊であるロボットに化学物質の刺激に対する反応をプログラムすることは非常に難しい。
仮にこれを無理にやろうとするとおかしなことが起きる。例えば、人にぶたれた時は怒れ、怒りの程度はぶたれた強さにより計算しろというようなやり方で感情表現をプログラムしたとすると、ロボットは単純にぶたれた強さだけで反応する。これが人間だと、ぶたれた強さ以外にも、ぶたれた原因や、その裏に潜む愛情の有無など、様々な背景や要素を感じ取って怒りの程度を計算する。極端な場合、ぶってくれて有難うと感謝することもあるかもしれない。ロボットにはこうした複合的判断が難しいのである。
では、遠い、遠い未来において、原子1個ずつを自由に動かして組み立てることができるような超精巧な技術が開発できたとしたらどうか。人間の体を構成している何億兆個とある原子を1個1個つなぎ合わせてゆけば、やがては人間と同じものができるのではないかと考える人もいるかもしれない。要するに、体がすべて有機物で出来た有機体ロボットである。有機体であれば人間と同じように感情を持ったロボットにもなれるのではないか。おそらく可能であろう。でも、そうやって出来たロボットは果たしてロボットと呼べるのであろうか。それは人間のクローンあるいはレプリカということになるのではなかろうか。


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