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作品名:鬼子の父 作者:ツジセイゴウ

最終回   読み切り
私は、いま刑務所の中で刑に服している。罪は殺人。動機は語りたくない。警察にも、検察にも、そして弁護人にすら、話すことは何もない。思い出したくもない。一切を黙秘する。本当は死刑でもよかった。自殺する勇気もない、こんな不甲斐ない中年男を笑いたければ笑えばいい。
でも、私は間違ったことをしたとは思っていない。この世の中には本当にいるものだ。鬼という魔物が。そのことを伝えたいがために私は敢えて生きる道を選んだ。生きて、生きて、本当は何があったのかを、後の世の人に語り伝えるために。それが私に残された使命である。なぜなら私は鬼子の父だからである。

思い返せば7年前、息子が高校1年の時にそれは始まった。別に難しい話でもない。どこの家庭でもよくあるアレである。私が夜10時過ぎいつものように遅い夕食をとっていた時、妻が話しかけてきた。
「ねえ、あなた、一度真人によく言って聞かせてくださいな。」
「言うって何を。」
「学校の成績ですよ。」
私は、一瞬またかと思った。もうこの話はこれで3度目である。息子が高校に上がってからというもの、妻の教育ママ振りは余計度を増した。
「そんな悪いのか。」
「悪いなんてもんじゃないわ。この前の期末試験15番だったのよ。」
「15番だったらそんなに悪くないじゃないか。」
「そんなことないわよ。中学校の時は5番より落ちたことないのよ。」
「もう高校生になったんだからいつまでも5番っていう訳にはいかんだろ。それに、真人の高校は都内でも有名な進学校だし。それだけ出来る子も多いってことじゃないのか。」
まったく妻の教育熱心にも困ったものである。別に息子の自慢をするつもりはないが、真人は自分の子供にしてはよくできた方だった。中学校での成績はいつもトップクラス、2年生の時には学級委員長まで務めた。まあ世間並みよりは上をいっていたのは間違いない。
でも、この中途半端がよくなかった。出来るのであればダントツの一番、出来ないのであればどうしようもないビリケツであった方がよかった。中学校での出来具合など所詮は井戸の中での背比べ、池に放たれればすぐに化けの皮が剥がれる。それを真に受けて有頂天になっていただけのことである。
私の妻も同じ過ちを犯した一人だった。いや妻一人のせいにしてはあいつが可哀想だ。一番悪いのはこの私だ。そう、この私が不甲斐なかったがゆえに、我が家の子供教育は悲劇的結末を迎えることになる。
「ねえ、あなた、わかった。この次の日曜日。お願いしますよ。」
妻は一方的に念押しした。
「ああ。」
私は渋々生半可な返事をした。その日曜日が来た。私の帰宅時間がいつも遅かったせいもあり、普段は3人そろって食卓を囲むことなどなかった。
久し振りの日曜日の朝、3人そろって少し遅めの朝食が始まった。息子は高校に入ってから急に背丈も伸び、大人らしさが増した。親として、嬉しくもあり、一方で少し寂しい気もした。子供の頃の可愛らしさが消え、薄っすらひげの伸びた息子の顔が、なぜかよそよそしく感じた。黙って新聞を読んでいた私に向かって、妻はチラッと横目で念押しの合図を送ってきた。仕方なく私は重い口を開いた。
「おい、真人、最近調子はどうだ。」
「どうって、何が。」
不機嫌そうな息子の声が返ってきた。
「学校だよ。高校の勉強難しいか。」
いきなり成績の話はせず、出来る限り遠回しに聞いたつもりたったが、勘のいい息子の反応は冷たかった。
「別に。」
いつも妻から言われているのであろう、息子は、またかという顔をして見せた。
「成績、落ちてるそうじゃないか。頑張らなくちゃ。」
私は別に息子を叱るつもりはなかった。正直、私自身の学校の成績も大したものではなかったので、偉そうなことを言えたものではない。でも息子の反応は微妙なものであった。朝食のトーストを半分残したまま席を立とうとした。
「真人、ちょっと待ちなさい。まだ話終わってないでしょう。真人ったら。」
息子は妻の声を無視するかのように、そそくさと席を立つと、面倒臭そうな足取りで2階へ消えていった。
「あなた、きちんと言ってくださいな。いつもあの調子なのよ。」
私は、新聞を開きながら、大きなため息を漏らした。毎日の仕事で疲れていて、息子を叱る気にもならない。妻の教育熱にもうんざりだ。叱って成績が上がるなら誰も苦労はしない。こんな些細なこと、そうどこの家にでもありそうなこんなちょっとしたことが、ここ我が家ではそれで済まなかった。

あれから3ヶ月、妻の教育熱は相変わらず続いているようだった。そして、それに呼応するかのように息子の成績は更に落ち、口数も少なくなった。中学校の頃はうるさいと思うほどによくしゃべっていた息子がほとんど口を聞かなくなった。何となく気まずい雰囲気が家の中に漂い始めたなと感じた時、次の事件が起きた。
丁度会社の昼休みだった。携帯にメールが入る着信音が鳴った。妻からであった。私は一瞬、嫌な予感がした。自宅から会社に電話やメールが入るのはどうせ禄な話ではない。緊急でなければ、夜家に帰ってからでも間に合うからである。渋々メールを開いた私の目は、しかし、一瞬にして点になった。私は即座に妻の携帯に電話を入れた。電話の向こうには妻の動揺した声があった。
「あっ、あなた、どうしましょう。私、どうしたらいいの。私…。」
妻の声は、話している間にも既に涙声になりつつあった。そうであろう、誰だって、いきなり警察から電話が架かってくればビックリする。それも我が子が補導されたとなるとなおさらのことである。正直、私も突然のことで我を失った。あの真面目で、どちらかと言えば内気な息子と警察がどうしても結びつかなかった。
とりあえず会社には母親の具合が急に悪くなったと言って早退した。もっとも私が家に着いた時には、全てが済んだ後だった。息子が補導された理由は、真っ昼間から学校にも行かす友達4人とゲームセンターで遊んでいたところを巡回中の警察官に見咎められたということであった。警察へは妻が行き、他の子供の親御さん共々1時間程度ご指導を頂き、すぐにお解き放ちになったようだ。
まあ思春期の子供にはよくあることだと言ってしまえばそれまでだが、妻にしてみれば警察に呼ばれたことの方が余程ショックだったらしく、私が家に着いた時も泣きはらした目で息子を睨みつけていた。息子もさすがに悪いことをしたという意識があったのか神妙な顔つきで小さくなっていた。
「どうしてあんなことをしたんだ。」
私は、じっと息子を睨みつけて詰問した。息子はブスッとした表情で黙っていた。何分待っても息子の口からは答えは出てこなかった。仕方なく私の方から再度口を開いた。
「二度とあんなことしないか。」
息子は黙ったままコクリと頷いた。
「分かったなら行っていい。」
私はそれ以上説教するのを止めた。息子は黙って席を立とうとした。
「ちょっと、あなた、もっとキチンと叱ってくださいな。」
「あっ、あー。」
私が躊躇している間にも、息子はもう済んだとばかり、サッサと2階へ上がってしまった。
「もう、だらしないんだから、あなたがしっかりしてくださらないからあの子がこんなことに。」
妻は口を尖らせた。正直、この時の私にはまだ危機感がなさ過ぎた。どうせ子供のイタズラ、月日が経てばすぐ飽きがくるぐらいにしか考えていなかった。

更に2ヶ月が経った。息子達4人組の非行は相変わらず続いているようだった。しかも事態は私達の期待に反して悪い方に進んでいた。その日も夜10時頃、いつものように残業を終えて帰宅した私を待ち受けていたのは、変わり果てた妻の姿であった。髪は乱れ、目は赤く充血し、疲れ切った表情で呆然と食卓に座っていた。妻は私の顔を見るなり、私の胸の中で号泣した。
「どうしたんだ。一体何があったんだ。」
私は妻の両肩をしっかり掴んで揺さぶった。やっとのことで聞き出した妻の話はこうだった。真人が例の4人組と同級生の一人を脅して金品を奪い取ったというのである。被害にあった生徒の親から学校に訴えがあって発覚したらしい。
「もう私、どうしていいのか…。」
妻は再び泣き崩れた。もう事態は学校の成績云々なんていう話題ではなくなりつつあった。他人を脅して金品を奪う、これはもう立派な犯罪である。私は、怒りのために震えが止まらなかった。別に偉くなんかならなくていい、勉強なんか出来なくてもいい、平凡でもいい、人様に迷惑をかけずに一生を送ってくれるだけでいい。こんな当たり前のことですら、この我が家では難しくなりつつあった。
「真人はどこだ、おい真人」
私は家中に聞こえる程の大声で叫んだ。
「真人はまだ帰ってないわ。」
妻の小声がわずかに耳に届いた。もう夜の11時を回ろうかというのに真人はまだ家に帰っていなかった。私は、リビングのド真ん中にどっかと腰を据えて、じっと真人の帰りを待った。今日という今日は許さん。私の心の内はメラメラと音を立てて燃えていた。
真夜中1時を回る頃、真人は帰って来た。首を長くして待ち構えていた私は、しかし、真人の顔を見てビックリした。一見すれば確かに真人である。しかし、その顔は明らかに違っていた。どこかどうと言われても、ハッキリとは分からない。ただ、いつも見慣れていた真人ではなかった。血走った目、少し頬肉が落ち、顔色もよくない。毎日こんな深夜まで遊び歩いていたら心も体も具合が悪くなろう。そんな真人に、私は一瞬怯んでしまった。それがいけなかった。
「何だよ、まだ起きてんのか。」
ギロリ、真人は邪悪な視線を私たちに向けた。
「お前、友達を脅してお金を盗んだそうだな。どうしてそんなことしたんだ。」
「ちっ。」
真人は触れられたくない場所を突っつかれたかのように舌打ちした。
「盗んだんじゃねえよ、借りただけさ。」
真人は見え透いたウソをついた。
「ウソをついたってダメだ。学校の方から連絡があったぞ。」
真人は、今度は面倒臭そうに脇を向いた。
「一体、お前どういうつもりだ。」
私は、真人の態度に頭にきて、胸ぐらを掴んだ。親と子、相手の息遣いが分かる程に二人の顔が接近した。私は真人の目の奥に異様な殺気を感じた。あれは息子ではなかった。息子の顔をした別の何かが真人の中にいた。再び怯んだ一瞬の隙をついて、私は床の上に突き飛ばされ、惨めな姿を妻の前にさらした。
「るせえんだよ。このバーカ。」
「お、おい、待て、まだ話が。」
立ち上がろうとする私を無視するように、真人は私たちに背を向けると、サッサと2階へと消えていった。呆然としていた私がようやく我に返った時、そこには泣き崩れた妻の姿があった。この日から私は鬼子の父となった。

あれから2ヶ月、相変わらず真人の夜遊びは続いていた。全ては私のせいだ。私がキチンと真人に向き合ってこなかったのが原因だ。全てを妻に押し付け、私は煩わしいことから逃げてきた。でもどうしろと言うのだ。毎日、毎日、朝7時に家を出て夜10時に家に戻る生活。こんな私に何をしろというのか。
「放っておいても子は育つ」、あれはウソか。私は不甲斐ない自分を責めた。でもいくら自分を責めても何の解決にもならなかった。それどころか真人の心に棲みついた鬼はその邪悪な力を密かに増していた。どうすることも出来ぬまま焦燥の日々だけが過ぎていく。
真人は家に帰って来ない日が多くなった。たまに帰って来ても鍵を掛けてほとんど部屋に閉じ込もるようになった。家族3人揃っての団欒がなくなって久しい。一体どこで何をしているのか、後ろに手が回るようなことだけはしてくれなければいいが。祈るような日が続いた。
そして、とうとう最悪の事態が起きてしまった。あのときのことを思い出すと、今でも意識が遠のきそうになる。何を、どこから、どう話してよいやら適当な言葉が思い浮かばない。あの日は夕方からひどい雨だった。別に雨のせいではなかったが、とても嫌な気分が私の胸の中を覆っていた。いつものように午後9時過ぎに会社を出た私は、土砂降りの雨の中を家路へと急いだ。いつもの道程が、その日だけはとても長く感じられた。
その私の不安は的中した。駅から歩いて10分、ようやく家の玄関が見えた時、私は第一の異変に気付いた。玄関の外灯がついていない。いつもは妻が気を利かして私が家に着く頃を見計らってつけておいてくれる外灯が、なぜかこの日はついていなかった。恐らく、この雨で電球が切れでもしたのであろう。私は、気を取り直して、街灯のわずかな明かりを頼りに玄関の鍵穴に鍵を差し込んだ。
その時、第2の異変が私を襲った。鍵が開いている。無用心だからと、いつもは掛けさせていた鍵がこの日は掛かっていなかった。私の、心臓は一気に高鳴った。もしや泥棒でも。もう、気休めの理由付けは思い当たらない。あの、神経質で用心深い妻が鍵を掛け忘れようはずがない。間違いない、何かあった。
大慌てで玄関扉を開いた私は、家の中へと一歩足を踏み入れた。そこには、暗くて冷たい世界が広がっていた。人の気配が全く感じられない。一体、妻はどこで何を、そして真人は。私は、手探りで玄関の明かりをつけた。ボンヤリとしたオレンジ色の光が、リビングに通じる廊下を照らし出した。
リビングも灯りが消えて真っ暗であった。
わずか3メートル程の廊下が無限の通路のように思えた。私は、高鳴る鼓動を抑えながら、一歩また一歩とリビングに向って歩みを進めた。あと一歩というところで、まばゆい閃光と雷鳴がほとんど同時に私の目と耳に届いた。リビングのカーテン越しに輝いた稲光が、わずかに開いたリビングのドアの向こう側を一瞬照らし出した。
何かがいた。はっきりは分からない。ただ、そのモノはソファの影に横たわるように見えた。間違いない。リビングにある調度品ではない。それ以外の何かがリビングにいる。私は、カサカサに乾ききった喉にカラ唾を流し込むように息を止めると、ガバリとリビングのドアを開いた。その瞬間、次の閃光が輝き、私はそのモノを直視した。それはまるで、転がされたマネキン人形のように横たわり、どう見ても息をしているようには見えなかった。
私は、ガタガタ震える手で、リビングの灯りをつけ、ついに悪夢の惨状を目の当たりにした。妻の頭はザックリと開き、大量の血がリビングの床一面に広がっていた。抵抗するために投げたのか、あるいは倒れるときに当たったのか、少し離れたところに割れた食器の破片が散らばっていた。無意識のうちに私の股間を熱いものが流れ下っていく。私は、そのまま意識が遠のいていくのを感じた。
次に私が我に返った時には、辺りには大勢の人がいた。ある者は、妻の傍にしゃがみこんで覗き込むように何かを調べている、写真のフラッシュをたく者もいれば、ビニール袋を片手にウロウロしている者もいる。よくテレビで見かける刑事ドラマのワンシーンが、今目の前に広がっていた。でも
これはドラマではない。夢でもない。そして、なぜこの人たちがここにいるのかも判らなかった。
後で聞いた話から想像するに、私自身が無意識のうちに110番電話をしたらしい。警察が到着した時、私は放心状態でリビングの床の上にへたり込んでいたそうだ。
「詳しくは検死の結果を見てみないと何とも言えませんが、死後およそ3時間、死因は後頭部を鈍器で殴られたことによる失血死と思われます。」
刑事であろうか、私の今の心理状態を知ってか知らずか、淡々と説明を続ける。次第に正気を取り戻した私は、大慌てで立ち上がった。
「救急車はまだですか。救急車は。早く妻を病院に連れてゆかないと。」
「ご主人、落ち着いてください。お気の毒ですが、奥様はもうお亡くなりになられています。今、検死官が正式に確認していますから。」
刑事の説明を聞く間も震えが止まらない。なぜこのようなことが、そして犯人は一体誰。その時、二階から男の声がした。
「おーい、あったぞ。これだ。」
しばらくして、捜査官の一人が見覚えのあるモノを片手に二階から降りてきた。
「これ、ご子息さんのものですね。」
刑事は、そのモノを確認するように私に見せた。金属バットであった。真人が少年野球をやっていた頃、あれが一番よく球が飛ぶと言って再三おねだりされて買ってやったから、見紛うはずもない。私は、黙ってコクリと頷いた。そのバットの先には、まだ乾き切らない妻の鮮血の後がハッキリと付いていた。
その時、私の脳裏に衝撃が走った。私は、うかつでった。「ご子息さん」と言われるまで、真人のことはすっかり私の頭の中から消えていた。本当にバカな親である。まず一番に思い浮かばなければならないはずの名前が、刑事さんの前ではすぐに出てこなかった。
「真人は、真人は、どこです。あの子は無事で…」
真人のことに思いが及んだ私は、狼狽して刑事に食って掛かった。
「ええ、私どもも、今全力でご子息様の行方を捜していますから。」
行方? どういうことだ。真人は家にいなかったのか。あるいは犯人が拉致して行ったのか。妻の殺害現場を見られたので、口封じのために連れ去られ、今頃どこかで…。その時の私は、まだ真人の身を案じるあまり、そのような安直な考えにしか頭が及ばなかった。しかし、次の刑事の一言で、私の頭の中はすっかり逆立ちしてしまうことになった。
「ご主人、ご子息さんの行きそうな場所にお心当たりは。」
私は、最初エッと思った。この人は何を言っているのか。私にそんな質問をする暇があったら早く犯人を追跡して真人を救出して欲しい。しかし、そんな焦燥感に翻弄される私の脳みそに最後の一撃が加えられた。
「状況から判断するに、ご子息様が奥様を金属バットで殴り殺した後、逃走したものと思われます。ですから…」
私の意識は再び薄れていった。

翌日、警察から息子が見つかったと連絡があった。どの道行くところはそう多くない。息子は例の遊び友達の家に上がりこみ、夜通しゲームに興じていたそうだ。友達の話では、人を、しかも親を殺して来たところだという素振りなど全くなかったという。息子はどんな心臓をしているのであろうか。
私はこの時確信した。あれは人の子じゃない、鬼の子だ、息子の仮面を被った鬼の子に違いないと。
それからの1ヶ月は、本当に息つく間もない程の凄まじい早さで過ぎ去った。妻の死を悲しみ、悼んでいる時間などなかった。真っ先にしなければならないはずの妻の葬儀ですら、肝心の妻の遺骸が司法解剖のため警察に連れてゆかれたままで、その準備すら始められない。頭蓋骨が割れた妻の顔を思い出すだけでも息苦しくなるのに、その妻の体がさらに切り刻まれているのかと想像すると意識が遠のきそうになる。もうたくさんだ。どうせ死因はハッキリしている。これ以上何を調べようというのか。
その間、私自身も再三に渡り事情聴取のため警察に呼び出された。息子の生い立ちに始まり、成長の過程から最近の様子まで、それこそ箸の上げ下ろしに至るような細かいことまで何時間も掛けて聞かれた。
恥ずかしながら、仕事の忙しさに追われて息子の教育を全く妻の手に任せていた私にとって、警察の質問に答えられずたびたびつまづいた。警察は、どうやら息子の精神状態を探ろうとしていたらしい。こうした事件の場合、刑事裁判にでもなると必ず被告の責任能力が争点となる。息子のしでかしたことは誰が見ても異常であった。人を、自らの母親を金属バットで殴り殺し、その後平然とゲームに興じていられるなど、常人の業ではない。
10日ほど後、警察での検死も終わり、ようやく妻の葬儀の日がやってきた。葬儀といっても、死に方が死に方だけに表立っては執り行えない。極々近しい親族だけによる密葬とした。妻の頭の傷は、納棺師の手でうまく隠され、白い菊の花に包まれた顔からは、わずかに目鼻と口だけがのぞいて見えた。ただ、今の私にとっては、どのようにきれいに飾られようと、そこにあるのはただの骸、到底妻とは思えなかった。涙もない、声もない、導師様の読経の声だけが空しく葬祭場に響く。私は、ただただ呆然と妻の御霊を見送るより他になかった。
息子は約1ヶ月の取調べの後、検察への逆送となった。通常少年が起こした犯罪は家庭裁判所で審理が行われる。しかし、殺人など重大な犯罪を起こした場合で、刑事裁判が相当と家裁が判断すれば、事件は検察庁へ送致される。これを『逆送』というのだそうだ。息子が起こした事件は、これで押しも押されぬ刑事事件となり、白日の下、地裁において裁判員により裁かれることになる。
無論、少年事件であるからある程度は息子のプライバシーに配慮した審理が行われよう。しかし、マスコミは許してくれない。少年による実の母親殺し、恰好の社会記事ネタである。どんなに名前が伏されようと、知る人に聞けば名前などすぐにバレる。もう我が家には、プライバシーも何もあったものではない。
私は、今後のことも考えて、会社には辞表を提出することにした。事件を起こしたのは息子、なぜ私が会社を辞める必要があるのかと思われるかもしれない。実際、上司からも何度も慰留された。しかし、私には出来なかった。心身ともに精根尽き果てて、仕事をする気力も沸かない。それに、息子があんな大それた事件を起こしてしまった。その実の父親がこの私である。どの面下げて、会社の同僚やお得意様に会えるのか。そんな勇気はこの私にはない。いっそこのまま、どこか誰も知らない遠いところへ行ってしまいたい。そんな衝動にしばしば駆られた。
それから程なくして、息子の弁護人と称する人物が我が家に訪れた。年のころは50過ぎか、頭に少し白いものが混じり始めたその人は、名刺を差し出すなりいきなり切り出してきた。
「さて、ご子息さんの裁判のことですが、親権者としては当然のことながら執行猶予を希望されますよね。」
いきなり難しいことを尋ねられて私は当惑した。まず、「親権者」という言葉を聞いてショックを受けた。息子はまだ未成年、何をするにも親権者が付いて回る。当たり前と言われればそれまでだが、息子は妻を殺した殺人犯でもある。その息子を、私は親権者として保護し、後見しなければならない。妻のかたきが息子、何とも奇妙なジレンマである。私はどうすればいいのか。
当惑している私を見て、少しイラッとしたかのように弁護士先生は説明を続ける。
「お気持ちはお察しします。でもご子息さんの将来のことも考えると、執行猶予を付けてもらって、一日も早い更生を促すのが最善かと存じます。」
私は、またまた困惑の度を深めた。将来? 更生? 実の母親を殺してしまった息子にそんなものがあるのか。先生は気楽なものである。息子を弁護し、刑を軽くしてもらい、あわよくば無罪か執行猶予でも勝ち取れば、それですべて終わりである。
でも世間はそう甘くはない。息子は「親殺し」の烙印を押されたまま、一生寒風の吹く中を歩んでゆかなければならない。法律上は、無罪を勝ち取れば、あるいは刑の執行が終わりさえすれば、普通の人に戻るのかもしれない。でも、息子に押された烙印は消えることはない。そして、この私に押された「鬼子の父」という烙印も消えることはない。いっそのこと、死刑か無期にでもなってくれた方が、本人も私も気が楽だ。こんな考えは不埒であろうか。
私が、いつまでも黙ったままでいたので、先生は話題を変えた。
「一度、ご子息さんにお会いになりませんか。」
私は、その一言でハッと我に返った。そう、そう言えば、あの日から息子の顔を一度も見ていなかった。とにかく忙しくてそれどころではなかったからである。どんな極悪人でも、息子は息子である。裁判の結果がどのようになろうとも、息子には直に会って話を聞かずにはいられない。
先生の話では、息子は今少年鑑別所というところに入れられているそうだ。息子のような重大犯罪を犯した少年を一時的に拘留する拘置所のような所らしい。
「で、む、息子は、どんな様子で。」
話が息子のことに及んだので、私は、思わず身を乗り出した。
「今はまだショック状態が強くて、あまり人とは会いたがりません。ただ、大変なことをしてしまったという気持ちはあるようで、取調べ中も時折涙を見せているようです。」
「そ、そうですか。」
私は、息子の心の内を慮って、大きなため息をついた。
「で、裁判のことですが。」
弁護士先生は、私が少し落ち着きを取り戻したのを確認するかのように、話を戻した。
「残念ながら、ご子息さんの犯した罪状では心身耗弱を理由に無罪を主張するのは難しいでしょう。」
心身耗弱? 無罪? 私は再び困惑した。人一人を殺して無罪なんてことがありえるのか。困惑している私の様子を見て、先生はさらに説明を続ける。
「刑法では、まず責任能力の有無が問われます。罪を犯した時の精神状態に問題があり、正常な判断が出来なかったことが立証できれば、責任能力なしということもありえます。」
「は、はあ。」
私は、ポカンとして生半可な返事をした。しかし、このすぐ後、先生の口から衝撃の事実を知らされることになった。
「でも、今回のケースではそれは難しいでしょう。ご子息さんは、母親の背後から一撃で後頭部を金属バットで殴っていました。警察は、それが致命傷になったと見ています。口論でもしていて、逆上して殴り殺してしまったというのであれば、殺意はなかったとの主張も出来るのですが。」
私の脳裏に、あの生々しい現場の様子が鮮明に蘇った。ざっくりと割れた妻の後頭部、そしてそこから流れ出た大量の血、思い出すだけで目の前がクラクラした。しかし、先生の残酷な話はさらに続く。
「ご子息さん、かなり以前からお母さんを殺そうと思っていたようですね。成績のことやら、日ごろの非行のことで、再三説教をされて、それで殺意を募らせてしまったのでしょう。押収された金属バットに付いた血痕から、何度も何度も繰り返し執拗に殴り続けたと見られています。」
ゲー。私は、胃液が食道を逆流してくるのを感じて、思わず口を覆った。
「それに、その後のことも非常にまずい。ご子息さん、お母さんを殴り殺した後、友達の家に泊まりこみ夜通しゲームをしていたとか。これでは、彼の精神状態は全く正常で、責任能力は十分ありとされても仕方がないでしょう。」
先生の言うとおりである。息子は、妻を殺害した後平然とゲームをして一夜を過ごした。どう控えめに判断しても、「ギルティー」である。結局、この日はそれ以上の進展はなく、とにかくも息子に面会に行くことにした。

一週間後、私は先生に付き添われて少年鑑別所に出向いた。予定の時間より少し早く着いた私たちは面会室で待たされた。何の飾り気もない殺風景な部屋、少し広めのテーブルを挟んでパイプ椅子が3脚ずつ並べられている。僅かに太陽光の差し込む小窓には、プライバシーに配慮してか曇りガラスがはめられていた。
わずか10分ほどであったが、私には随分長く感じられた。待っている間にも、私の脈拍数は次第に速くなっていった。自分の息子に会うのになぜこんなに緊張しなければならないのか。私は、まるで就職面接を待つ学生のように緊張していた。
ドアの外に人の気配がした。私の鼓動は一気に高鳴った。息子は一体どんな顔をして私と対面するのか。ガチャリというドアの開く音を聴いた瞬間、私は直立不動になった。
「お待たせしました。」
まず係官が部屋に入り、続いて息子の姿が現れた。ヘナヘナヘナ。私は全身の力が抜けて行くのを感じた。息子の様子は、私の予想に反して、あまりに自然で、あまりに平穏で、そして日常的だった。ブルーのジャージ姿の息子は、少し伏目がちに促されるまま私の向かいの椅子に座った。少しやつれてはいるが、事件の前と大きくは変わっていなかった。その自然さが返って奇妙にも思えた。あれだけの大事件を起こし、しかも母親が死んだというのに、この日常さは何なのか。
「それでは時間は30分です。私どもはすぐドアの外にいますので、何かありましたら。」
係官は、一礼するとすぐに部屋の外に消えた。
「じゃあ、よろしく。じっくりとお話を聞いてあげてください。」
続いて、弁護士先生も立ち上がった。エッ? 先生は一緒じゃないのか。この殺風景な部屋の中で息子と2人っきり、私の緊張の度合いはまた増した。思えば、不思議であった。こんな気持ちはあの日に始まった。あの日、息子に初めて学校の成績のことを話そうとして、不甲斐なくも中途半端に終わらせてしまったあの日、あの日以来、私はなぜか息子に話しかけるのに緊張するようになった。
何と気弱な、何と頼りない父親か。この頼りなさが今日の悲劇の遠因となった。私は、息子に話しかけるのが怖くて、面倒なことは全て妻に任せてしまった。その結果がこれである。すべては、この私のせいだ。妻が死んだのも、息子を殺人犯にしてしまったのも、全てこの私だ。
息子は、バツが悪かったのか、少し斜に構えて、私から視線をそらしたままでいた。重苦しい沈黙が続く。親子だというのに、まるで初対面の赤の他人のように、2人は押し黙ったまま別々の方向を向いていた。持ち時間は30分しかないというのに、もう1分2分が過ぎてゆく。
「どうだ。元気か。」
ようやく私の唇が動き、乾き切った喉の奥からしゃがれた声が出た。
「ああ。」
一言、息子の口からぶっきらぼうな返事が返ってきた。また沈黙が続く。
「何しに来た。」
今度は、息子が先にしゃべった。私は、答えに窮した。何しに来たと言われても、親が子供に面会を求めて来たのである。それだけである。それ以上の何もない。
「今、弁護士の先生と話をしている。出来るだけ早く帰れるように頑張るから。」
私は、心にもないことを言った。息子は殺人犯、しかもあのような残忍な罪を犯した、どう転んでもいい目が出ようはずもない。息子は、そんな私の心の内を見透かしていた。
「放っといてくれよ。そんなことして何の意味があんだよ。俺は殺人犯、母親殺しの重大犯さ。早く死刑にでも何でもしてくれよ。親父もその方がいいと思ってんだろ。」
ギロリ。息子の邪悪な視線が私を射抜いた。あの時と同じ目だった。息子の非行を注意しようとしたあの時と同じ視線を私は感じた。私は狼狽した。先生と話していた時、ふと感じたあの感覚。母親殺しの烙印を押されたまま苦難の人生を歩んでいくぐらいなら、いっそのこと…。
「な、何を、バカなことを。どこの世界に子供の死を願う親がいる。それにお前はまだ未成年だ。死刑なんてあるわけないだろう。そんなことしたって、母さんが喜ぶとでも思っているのか。」
私は、初めて父親らしく声を荒げ、息子をにらみつけた。私ににらまれて少し息子は怯んだように見えた。しかし、息子の心に巣食った邪悪な心は容易には翻らなかった。
「遅いんだよ。もう遅いんだ。何もかも。あの日に、あの時に、全てが終わったんだ。」
息子は、大きく肩を震わせた。息子の激しい心の葛藤が私の心臓を貫いた。怒りでもない、かといって反省でもない、何ともいえない空虚なやるせなさが息子の心を包んでいた。また、重苦しい沈黙が部屋の中に充満した。少しでも口を開こうものなら、パリンと音を立てて割れそうな、そんな張り詰めた空気に包まれた。
「帰れよ。もう帰ってくれ。」
息子は、自ら席を立とうとしてパイプ椅子をひっくり返した。ガシャーンという音が室内に響くと同時に、ドアが開いた。
「な、何かありましたか。」
係官が大慌てで部屋に入ってきた。
「いえ、ちょっと椅子が倒れただけで。」
私が弁解する間にも、息子は係官の後ろから廊下に出ようとした。
「おい、こら、待て。まだ話が。」
係官は、一礼するとすぐに息子の後を追った。呆然と立ち尽くす私の隣で、弁護士先生がボソリと一言つぶやいた。
「まだまだ時間が要りそうですな。」

あれから1ヶ月、息子は相変わらず面会には応じてくれなかった。私も、週に2回は少年鑑別所に通った。そのたびに門前払い。でも私は諦めなかった。こうなったら、もう根競べである。私は、許される限りの差し入れを、いつも持参した。別にこれで息子のご機嫌を取るつもりはなかった。あのような罪を犯したといえども、息子は息子である。不自由な鑑別所の中で、退屈はしていないだろうか、体を壊してはいないだろうか、心配の種は尽きない。私は、係官があきれる程に鑑別所に通いつめた。
そんな、ある日、その鑑別所から電話があった。
「ご子息さんが、お会いになりたいと。」
私は、夢を見ているような心地であった。やっと、息子の凍りついた心の一端が解けたような気がした。私が差し入れたあるものを見て、息子の心にもようやく変化の兆しが見え始めたのかもしれない。それは、小さなアルバムであった。
息子が小学生だった頃、私もまだ管理職に昇進する前で、たまの休日には家族3人そろって出かけることもあった。あの頃は、本当によかった。息子は快活で遊び好き、妻も明るくて綺麗だった。何一つ文句のない、平和で、平凡な家庭。決して分厚くはない1冊のアルバム、あれが唯一我が家の団欒の名残を留める記録であった。
私は、ワラにもすがる思いで、そのアルバムを息子に差し入れた。そして、3日後鑑別所から電話があった。私は、前と同じ部屋で息子と対面した。息子は明らかに変わっていた。きちんと正面を向いて座り、その視線は私を正視していた。その目からは、邪悪な鬼は消えていた。
「アルバム、見たよ。母さん、天国で怒ってるだろうな。」
息子の穏やかな声が聞こえた。私は、何と言葉を返してよいのか分からず、思わず目頭を押さえた。
「ほら、覚えてるか。遊園地へ行ったときのこと。嫌がる母さんを無理やりジェットコースターに乗せたら、後で一人で下りられなくなって。あの時は大変だったよな。係の人に手伝ってもらって。」
息子は、思わず笑った。笑いながら、大粒の涙をポロポロとテーブルの上に落とした。堪えきれなくなった私も、さめざめともらい泣きした。どれほどの時間が経ったであろうか。息子の声がした。
「親父、母さんの位牌はある?」
「位牌?」
「そう。今の俺に出来ることって、それくらいしかないからな。」
私は、心の底から喜びが沸き立つのを覚えた。息子は、妻の位牌を所望した。墓に参ることも出来ない、仏壇に手を合わせることも出来ない、息子に唯一出来るのは、亡き妻の位牌に向って手を合わせることだけである。私は、すぐにも妻の位牌を差し入れした。

息子の取り調べも一段落し、初公判の日が近づいた。
「ご子息さん、最近は自分のしたことを後悔して、毎日奥さんの位牌に向って手を合わせているそうです。これで裁判もだいぶ有利に運べますな。」
弁護士先生は、いつも裁判のことしか頭の中にないようである。でも、この私にはそんなことはどうでもよかった。息子が自身の犯したことを悔い、心底より妻に謝罪する気になってくれたことの方が余程うれしかった。このまま2人の間に溝が出来たままであったら、死んだ妻はそれこそ浮かばれない。私の心も曇ったままであったろう。
天国にいる妻はきっと息子のことを許してやるに違いない。いや、それどころかあいつをここまで追い詰めたことを悔い、息子に謝罪するかもしれない。そう思うだけで、私の心の負担は軽くなっていった。
事件の日から1年、ようやく初公判の日が来た。少年による実の母親殺し、それだけでも世間を騒がせるのに十分であるのに、それが裁判員の手で裁かれるとあって、裁判所の前は朝早くから大勢のマスコミで溢れていた。証人として出廷することになっていた私は、開廷の1時間ほど前に裁判所に到着した。勘のいいマスコミの1人が目ざとく私の姿を見つけると、マイクを片手に駆け寄ってきた。
「お、お父さん、お父さんですよね。」
その声に、数人のマスコミが反応し、たちまち私の周囲はマイクを持った人たちによって囲まれてしまった。そんなに物珍しいのか。そうであろう。妻を実の息子に殴り殺された不甲斐ない夫、それがどのような顔をして、何を証言するのか。マスコミでなくとも聞きたくなる。しかし、当の本人にしてみれば甚だ迷惑な話である、私は、公衆の面前で晒し首に遭う前に足早に建物の入り口に向った。 
エントランスからは、裁判の傍聴のための整理券を得ようとする100人ばかりの人々の長い列がゲート近くまで伸びていた。そんなに人の不幸を見るのが楽しいのか。私はそんな連中に石を投げつけたくなるような気持ちを抑えながら、マスコミを振り切ってエントランスへと急いだ。
開廷10分前、私は法廷へと入った。もちろん初めての経験である。人間、誰しも裁判沙汰なんて嫌なものである。被告でも、原告でも、とにかくこのような場所には縁がない人生が何よりである。ましてや、私は、被害者でもあり加害者でもあるという複雑な事情を抱えて法廷に入る。そして、探られたくもない家庭内の出来事を洗いざらい明らかにしなければならない。果たして最後まで耐えられるのであろうか。
第5小法廷は、まさにテレビで見たその通りの作りであった。正面には、裁判官と6人の裁判員のための席が並び、その少し前に書記の席がある。中央の証言台を挟むように検察側と弁護側の席が向かい合って並んでいる。私は、弁護士先生に促されるように証人席の一つに座った。定刻の5分前には、ただ一人を除いて、関係者のほぼ全員がそろった。唯一、被告人席だけが空っぽであった。その理由はこの後すぐに判明した。
定刻1分前、裁判長が部屋に入り、続いて裁判官と裁判員が次々と着席した。廷内は一瞬水を打ったように静まり返り、空気が張り詰めていくのが手に取るように読めた。10時かっきり、まるでストップウォッチで時を計るかのように時計を見ていた裁判長が開廷の宣言をした。
「只今より、刑ハ第256号事件の審理を始めます。最初にお断りしておきますが、この事件の被告人はまだ未成年であるため、被告人本人は別室より審理に参加します。但し、裁判員、検察官、弁護人に限りお手元のモニターにより被告人の様子を見ることが出来ます。それ以外の方は被告人の声のみをお聞きいただくことになりますので、ご了承ください。」
私は、一瞬ホッとした。息子を衆目の晒し者にしたくはなかったからである。
「では、最初に起訴状の朗読を行います。被告人、よろしいですか。聞こえていますか。」
「ハイ。」
スピーカーを通して、音声を変えられた息子の声が聞こえた。普通の人が聞けば誰だか分からない。でも、この私には、いくら抑揚が機械で変えられていてもハッキリと息子の声であると分かった。検察官が、長々と起訴内容を読み上げていく。素人目には、何もそこまで事細かく言わなくてもと思うようなことまで述べられる。私は、思わず顔を覆いたくなった。
私にとっては、まさに針のむしろである起訴状朗読も、被告人がいかに残忍な方法で被害者を殺害し、刑罰を受けるに値するかを、裁判員を初めとする公判参加者に知らしめるためのものである。検察官は、全く滞ることなく淡々と起訴状を読み上げ、一段と声を大にして自信満々で結語へと進む。
「……、このようにして殺害を決意した被告は、金属バットで被害者の後頭部を殴打、その後も繰り返し金属バットで殴打を繰り返し、被害者を死に至らしめた。」
「被告人、起訴状の内容に間違いはありませんか。」
裁判長は、別室にいる息子に呼びかけた。
「ハイ、間違いありません。」
息子は、ハッキリとした口調で廷内全員に聞こえるように、罪状を認める発言をした。メモを取るマスコミのペンの音がことさら大きくなった。罪状認否は裁判の最初の山場である。被告人が素直に罪を認めるか、無罪を主張するかでその後の展開が大きく変わってくる。中には、検察の取調べの際に認めていた罪状を、法廷で覆す被告人もいる。そうなれば大騒ぎである。
「被告人、もし付け加えること、言いたいことがあったら、自由に述べても構いませんよ。」
裁判長は、息子に語りかけるように、念押しの問いかけをした。
「いいえ、特にありません。間違いありません。」
再び息子の声がした。
「では、続いて、検察側による冒頭陳述に移ります。」
ここからが本番である。これまでのところは単なる事実関係の確認に過ぎず、争うべきような点もほとんどない。それは、父であるこの私が一番よく分かっている。しかし、検察側はこの後、どのような展開を見せるのか。刑事ドラマなどで見る検察官は、大抵は憎まれ役である。そもそも被告人を罪人として出来る限り重い刑罰に処するためにこの場に出てきているのであるから、それも仕方のないことなのかもしれない。再び検察官が起立した。
「最初に、証拠物件1番を証拠として提出いたします。」
検察官は、いきなり核心に迫ってきた。証拠物件1番を見て、私は瞬時にアレと分かった。ただ、裁判員や傍聴席にいる人にとっては実物を見るのは初めてである。妻の血を吸った凶器は、凶行後1年を経過してもまだ毒々しい外観を放っていた。私は思わず目をそむけた。一方、裁判員の皆さんは興味深げにそのモノを観察していた。
「この金属バットは犯行に使われた凶器であります。裁判長、それに裁判員の皆さん、注意してご覧ください。金属バットからは被害者の血痕が複数箇所に検出されました。それが何を意味するかお分かりでしょうか。普通、金属バットで人を殴ったとき、殴った瞬間にはバットに血は付着しません。頭蓋骨が陥没するか、あるいは仮にその瞬間に出血したとしても、返り血はこのような付き方をしません。これは、被告人が被害者の頭を繰り返し殴打したことを表しています。」
検察官は、大きなビニール袋に入れられた金属バットを片手で持ち上げながら説明を続ける。
「被告人は、1回目の殴打で既に意識をなくしていた被害者の頭を執拗に繰り返し殴った。つまり被害者を確実に死に至らせようとした強い殺意が、この血痕から確認できます。」
「異議あり。」
弁護士先生の右手が上がった。
「弁護人、どうぞ。」
「犯行当時、被告人は被害者から日頃の生活態度を厳しく叱責され精神的にもかなり動揺した状況にありました。そのような中では、被害者を複数回殴打することがどのような結果をもたらすことになるのか、正常に判断できなかった可能性もあります。」
先生は、何とか息子を擁護しようとした。しかし、検察の追及はさらに厳しいものであった。
「仮にそうだったとしても、被告人は犯行後救急車を呼ぶこともなく、そのまま友人宅を訪れ、夜通しゲームをしていたことが分かっています。つまり被害者が確実に死に至ると分かっていて、あえて放置した。殺意があったとしか思えません。」
殺意の有無は、刑事裁判の場合非常に重大な意味がある。仮に殺意がなかったと立証されれば、傷害致死、つまり殺人ではなくなる。まさか死ぬとは思わなかった、ということである。しかし、息子の場合は、全く検察官の言うとおりで、弁解の余地はなかった。先生は、フーとため息を漏らしながら着席した。
「検察官、続けてください。」
「続いて、証拠番号2番、これは少し裁判員の皆さんには辛いかもしれませんが、是非ご確認ください。被害者のご遺体の写真です。」
妻の遺体、覚悟はしていたつもりであったが、私の鼓動は一気に高鳴った。第一発見者はこの私自身、一度は実物を見ていたはずのこの目も無意識のうちに閉じた。「キャー」、女性裁判員の一人から悲鳴が上がった。事前に説明は受けていても、やはりショッキングなものはショッキングである。しかも、妻の場合はただの遺体ではなかった。頭蓋骨が割れて脳みその一部が床に流れ出すほどの痛みようであった。男性裁判員もハンカチで口を押さえている。
「消してください。」
検察官が、写真を消すよう指示した。
「ご覧の通り、被害者の遺体は激しく損傷しておりました。恐らく即死に近い状態であったと推察されます。このことからも被告人の残忍さがうかがえます。」
裁判員の喉からフーという安堵のため息が漏れた。と同時に何人かの裁判員は、大きく頷く仕草をしてみせた。状況は、明らかに息子にとって不利な方向に動いていた。
「さらに被告人には、補導歴もあります。事件を起こす1年程前から未成年者禁止の娯楽場に立ち入ったということで2度ほど警察に保護されています。被告人は、この件でも被害者から叱責されたことを逆恨みし…」
「異議あり。」
再び、先生の手が上がった。
「弁護人。」
「今回の事件と補導歴とを関係付けて論じるのは問題ありと考えます。」
「いいえ、その逆です。大いに関係があります。裁判長、ここで証人による証言を求めます。」
「許可します。証人は前へ。」
裁判長に促されるように、一人の男性が証言台に立った。
「佐藤幸雄、35歳、被告人が通う高校の教師です。」
学校の先生? 私は、初めて息子の担任の先生を見た。傍目には実直そうで控えめな感じのこの人物が一体何を証言しようというのか。少し躊躇するような仕草で、検察席の方をチラリと見たその人は、促されるように驚愕の事実を語った。
「か、彼は、クラスの同級生を殴って怪我をさせたことがあります。」
ま、まさか。私は寝耳に水の話に気が動転した。廷内にも一瞬どよめきが沸き立った。
「お静かに。続けてください。」
裁判長の声が響く。
「あれは、1年半ほど前のことでした。彼がクラスの仲間たちと、同級生の一人を脅してお金を奪おうとしたのです。その際、もみ合いになってその同級生を殴ったと。」
私は、ああ、と思った。妻から連絡を受けて、息子を叱りつけたあの時、息子は金を盗んだだけでなく同級生に怪我まで負わせていたのだ。
「あなたは、そのことを警察に届け出ましたか。あるいは学校の上司の方に報告はされましたか。」
「はい、報告しました。ただ、学校側では、警察沙汰はまずかろうということで示談にすることになりまして。幸い、怪我も大したことはなく、同級生のご両親からも告訴まではしないとの申し出がありましたので、内々に。」
証人の先生は消え入りそうな声で話を結ばれた。この話は知らなかった。妻からもここまでは聞かされていなかった。
「このように、被告人は日頃より粗暴癖がみられ、そのような素地が今回の事件を引き起こす遠因になったと考えます。以上、冒頭陳述を終了します。」
廷内に大きなため息が漏れた。弁護士先生も、腕組みをしたまま再び立つことはなかった。その後、裁判員からいくつか簡単な質問があり、公判初日は終了した。

公判2日目、今度は弁護側の意見陳述が中心となる。
既に、罪状認否、冒頭陳述も終わり、息子の罪状に関して大きな争点はなかった。息子の精神鑑定も異常なし、責任能力も争点とはなりえない。よって、この後の主な争点は、どの程度の情状酌量を勝ち取れるかに移る。
昨日までは検察側の1人勝ちであった。息子の犯行の残忍さ、日頃からの素行の悪さ、息子にとっては不利な事実ばかりが明らかにされた。裁判員の心証も恐らく「実刑」止む無しの方向に傾いたであろう。このようなケースでの量刑はどの程度のものなのであろう。弁護士先生からは最悪、懲役10年程度の実刑との感触を受けていた。 
公判が始まり、まず先生が立った。
「今回の事件は、いわゆるドメスティックバイオレンス、家庭内暴力の一種であり、特別な事件ではありません。どこの家庭でも起きうる可能性があるものです。被告人は、日頃から学校の成績のことやその生活態度のことで、被害者である母親から再三に渡り叱責を受けていました。思春期にある少年の心は脆弱です。親から見れば、ほんの些細なことでも、本人にとってみれば予想以上の重荷として受け止められることもあります。それが時として、暴力という形で表に現れます。」
そこで、先生は証拠の提出を求めた。
「ここに、被告人が中学3年の頃に書いた日記があります。少し時間を頂きご紹介します。」
私は、エッと思った。息子の日記? あの子が日記なんか書いていたなんて知らなかった。
『10月30日金曜日、今日は中間試験の結果発表の日だ。どうせ悪いに決まっている。また叱られるのか。頭が悪いのは親のせいなのに、何でこの俺が怒られなきゃならないんだ。憂うつだ。今夜もまたゲームでストレス解消だ。』
『12月5日土曜日、もう限界だ。今日も塾を休んだ。何もしないのに疲れる。このままでは本当にダメになる。どこか遠くへ行ってしまいたい。』
すさんでゆく息子の心の一端が次々と紹介されていく。裁判員の1人が思わず身を乗り出した。どうやら他人事ではないようだ。年恰好からしても、息子と同じぐらいの子供さんがおありのようだ。
一頻り日記を紹介し終えた先生は、日記帳を高らかとかざしながら弁明した。
「この日記の記述からもうかがえます通り、被告人は中学生の頃から成績のことでかなり追い詰められていたことは間違いありません。それが高校に進学した後、あのような行動に表れたともいえます。」
ここで、裁判員の一人が発言を求めた。
「確かに、被告人にも可哀想な面はあります。でもだからといって、人を、しかも実の親を殺していいということにはならないと思います。昨日の話では、あまり反省している様子も伺えないようですが。」
「裁判長。」
再び先生が手を上げた。
「被告人の最近の状況について、証人による証言を求めます。」
「どうぞ、証人は前へ。」
「山本茂、50歳、少年鑑別所の副主任監督官です。」
私は、その人の顔に見覚えがあった。息子に面会するために鑑別所を訪れたとき、息子を面会室まで連れてきてくれたあの人である。仕事柄、厳しい顔立ちはされているが、性格は温厚そうで、少年たちが更生して少年院から巣立っていったという話を聞くのが楽しみだと言っておられたのをよく覚えている。
「被告人は鑑別所に入所した当初は気持ちが高ぶっていたせいか粗暴な一面もありました。でも、あれは入所後2ヶ月目の頃でした。お父様が一冊のアルバムを差し入れされまして。」
私は、すぐにアレだと分かった。あのアルバムを差し入れた後、息子は明らかに変わった。そしてその後、妻の位牌を差入れることになった。
「被告人は、毎日何度も何度もアルバムを見返していました。この写真が一番気に入っていたようで、私にも何度か見せてくれました。」
先生の合図で、モニターに一枚の写真が映し出された。息子が小学校5年生の時に家族3人そろって出かけた動物園で写した写真である。ゾウ舎の前で三脚を使ってうまく撮ったつもりだったのが、肝心のゾウが妻の影に隠れて写っていなかったのである。出来上がってきた写真を見て、いつまでも3人で大笑いしたことがほんの昨日のことのように思い出された。
「被告人は、1人の時、この写真を見ながらよく涙を拭っていました。彼にとっては、本当に大切な家族との思い出の一コマだったのだと思います。」
写真には、いま少し若かった頃の妻の笑顔と嬉しそうにその妻を見上げる息子が写っていた。私は思わずそっと目頭を押さえた。チラリと見ただけでは何の変哲もない普通のスナップ写真。全く赤の他人にはただの写真でも、私たち家族にとっては今となってはかけがえのない思い出の1枚となった。
「その1週間後でした。被告人から被害者の位牌が欲しいとの申し出があったのは。被告人は決して鬼でも蛇でもありません。普通の家庭で育った普通の男の子、私はその時初めて心の底から被告人を哀れに思いました。彼は、差入れされた位牌に向って毎日欠かさず手を合わせていました。長い時は1時間も、正座したままで…」
ここで鑑別所の係官は、感極まったのか、少し言葉を詰まらせた。
その時、法廷の中に微かな音が聞こえた。その音を聞き逃すまいと、法廷の中は一瞬にしてシーンと静まり返り、廷内全員の耳が立った。その声は、法廷にしつらえられた4箇所のスピーカーから聞こえてきた。訥々と、しかし確実に、その音は人々に訴えるように流れてきた。被告人の、息子の、嗚咽の声であった。息子は、直に参加することの許されない法廷に、壁の向こう側からあらん限りのメッセージを送ってきたのである。
その声に同調するかのように傍聴席からもすすり泣く声が聞こえ始めた。女性裁判員の1人もハンカチで目を拭っている。
「裁判長、被告人は本来このような優しい性格の持ち主でした。その被告人があのような罪を犯してしまったのは本当に魔が差したとしか言いようがありません。そして、被告人は今自らの犯した罪を深く反省しております。最近では、時間を戻すことが出来るのならあの頃に戻りたいと言っているそうです。それでは、最後にもう1人、最も重要な証人による証言をお願いします。」
とうとう私の順番が来た。廷内は一瞬のざわめきの後、波が引いていくようにシーンと静まり返った。廷内の全ての人の視線が一斉にこの私に注がれた。石のように固くなった私の体には、その視線が次々に体に突き刺さる針のように思えた。この人たちは一体いまどんな心持でこの私を見ているのであろうか。妻を殺された哀れな夫、自身の子供1人すらまともに育てられなかった不甲斐ない父親、それともあのような残忍な罪を犯した「鬼子の父」。
それを思うと足が震えてなかなか立ち上がれない。先生に促されるようにしてようやく証言台の前に進んだ私は、頭の中が真っ白で周囲の様子がまるでモノクロ写真のように見えた。
「菊池英俊、47歳、被告人の父親です。」
私の唇が無意識のうちに動いた。
「この度は、私の息子のしでかしたことで、このように大勢の方々に多大のご迷惑をおかけし、また貴重なお時間を頂戴しましたことに心よりお詫び申し上げます。全てはこの私の至らなさから起きてしまったことです。仕事が忙しいことを理由にして、家庭内のことを全て妻に任せてしまいました。息子の成績のこと、非行のこと、全て妻から相談を受けておりました。その都度面倒くさいという気持ちから、ごまかし、ごまかし、逃げ回っておりました。自身でも不甲斐ないと思いながら、まさかこんなことになるとは夢にも思わず無駄に時間を費やしました。全ては、その結果です。」
私は、正直な今の心中をそのまま吐露した。これだけしゃべっただけで私の身も心も消耗し、体がふらつくのを覚えた。ここで、裁判員の一人の手が上がった。
「少し厳しいようですが、私は子育の問題はやじはり親に責任があると思います。どこの家庭でも、大かれ少なかれ子育ての問題では、悩みを抱えられ、苦労されています。でも、それぞれ工夫をされて、ほとんどの家庭では子供たちは真っ当に成長していっています。でも、こうした悲劇を経験される家庭が全くないわけではありません。今後こうした悲劇が繰り返されないためにも、是非、お父様にお伺いしたい。」
 私の萎縮しきった心臓に、さらに裁判員の厳しい言葉が突き刺さった。
「証人は、今回の事件が起きるまでに、この問題についてどの程度被告人と話をされましたか。被告人が既に非行に走っているということを知りながら、それを防ごうという努力をどの程度なさいましたか。そのあたりのことを詳しくお聞かせください。」
 私は、緊張のあまり気が遠くなりそうになるのを堪えながら、そっと目を閉じた。妻に背中を押されながら渋々息子に説教をして聞かせた日々、そして息子に語りかけることになぜか緊張を覚えた不甲斐ない自分、そんな記憶がグルグルと走馬灯の如く頭の中を何度となくよぎった。
「申し訳ありません。正直、正直に申し上げて、ここ1年間ほどは、息子とはほとんど話したことがありませんでした。自身が不甲斐ない父親だということは、よーく分かっています。でも、できなかった。毎日、家に帰るのは10時過ぎ、疲れていて誰とも話す気にもならない。ましてや、それが説教や苦言ともなると、なお一層うっとうしく感じられました。その頃からです。息子と話をするのに、なぜか緊張するようになりました。不思議に思われるかもしれませんか、親が自分の息子に声をかけるのになぜ緊張しなければならないのか。自分でも判りませんでした。目の前にいる息子が、なぜか息子でないような気がして。済みません。本当に済みません。全てはこの私の不甲斐なさが原因です。」
 ここで、私は軽いめまいを感じて、証人席へ倒れこんだ。
「裁判長、申し訳ありませんが、しばしの休廷をお願いします。」
 弁護士先生の声が微かに耳に届いた。

20分間の休憩に続いて、今度は一番左端に座っておられた女性裁判員の手が上がった。グレーのスーツに身を包んではおられたが、一見して専業主婦と判った。
「私にも、同じくらいの子供がいます。正直学校の成績もあまりよくありません。ですから今回の事件は全くの他人事とは思えません。我が家でもいつ起きても不思議ではないという気持ちです。大変お辛いとは思いますが、亡くなられた奥様について少しお聞かせください。奥様は、被告人に対して日頃どのように接しておられたのでしょうか。検察官の方々や弁護士の先生には大変申し訳ないんですが、頂いたお話からだけでは、本当に奥様がどういう方だったのか、そして本当に殺されなければならないようなことをなさったのかが、よく分かりません。」
 他の何人かの裁判員の方も同調するかのように頷いた。そうであろう。検察官にしても弁護士にしても所詮は赤の他人、裁判が少しでも自分の側に有利になることしか頭にはない。その人々の口から出てくる話だけでは、裁判員の判断が揺れるのも当然である。実際、昨日までは検察側の冒頭陳述で、裁判員、いや裁判員だけではない傍聴席にも実刑やむなしの雰囲気が満ちていた。それがわずか一日で、息子に対する同情の空気が漂い始めている。
 私の頭の中は、グラグラと複雑に揺れ動いた。渋る私に、無理やり説教をさせた妻。妻にしてみればごく当然のことであったかもしれない。しかし、あの妻の教育熱がなければ、ひょっとして今度の事件はなかったかもしれない。息子の非行は続いていたかもしれないが、こんな大騒動にはなっていなかったかもしれない。裁判員の質問に、ふとそんな思いが頭の中をよぎった。
「妻には本当に申し訳ないことをしたと思っています。息子の教育のことを全て押し付けてしまい、私はそこから逃げ回っていました。妻からも再三、息子に説教をしてくれとせがまれていました。その度ごとに、私は、うまくはぐらかし、ごまかしてきました。
ただ、正直に申し上げて、妻の教育熱にも少しうんざりしていたのも事実です。言い訳がましくなりますが、学校の成績なんかで人の一生や、ましてや人の価値が決まるというのもおかしな話です。どんなに出来る子供でも、いつかは壁にぶち当たる日が来る。息子もそうでした。中学まではいつもトップクラスでした。妻もよくそれを自慢していました。それが高校に入ってからというもの、ズルズルと成績も落ちて。
そんな当たり前のようなことが、妻には余程大きなショックだったのでしょう。私も、毎日のように妻から息子の成績のことで相談を受けておりました。この私に対してですらそんな調子でしたから、多分息子に対してはもっといろいろと言い聞かせていたのかもしれません。あんまりしつこいので、私からも、あまり成績のことで息子を責めるなと言ったこともあります。
息子が学校を休んでゲームセンターに行ったりし始めたのは、丁度その頃からでした。」
「あ、ありがとうございました。」
質問した裁判員の口から、小声で謝辞の言葉が出た。別に礼を言われるようなことではない。でも、この女性裁判員の人は、間違いなく妻の姿を自身の上に重ね合わせておられたようだ。学校の成績のことで子供を説教する自分、全くの他人事とは思えなかったのかもしれない。
そして、3人目の裁判員の手が挙がった。
「お父様として、被告人、いえご子息さんに、今何を期待されますか。」
 とうとう、核心に迫る質問が出た。被害者の夫であると同時に、加害者の実の父親。この複雑な立場に立たされた私が、どういう答弁をするのか。この後の、私の一言がこの裁判を決する。そんな予感がした。
私は、この時、この裁判員の一言でハッキリと潮目の変化を感じ取っていた。先ほどまで、『被告人』と呼ばれていた息子のことを、この人は『子息』と呼んでくれた。しかも『さん』まで付けで。私はここで恥ずかしくも感涙した。この人は、もはや裁判員としてではなく、1人の人間として、息子のことを思い、私のことを考えてくださっている。そう思っただけで、熱い涙が頬を伝った。
「私は、私は、ただ、ただ、息子が立ち直ってくれることを祈るのみです。あんな息子でも、あのようなことをしでかした息子でも、私の子であることに違いはありません。この世に、自身の息子の幸せを、将来を祈らぬ親がどこにいるでしょう。出来ることなら元に戻ってやり直したい。それが亡くなった妻へのせめてもの罪滅ぼしになるかと…」
 ここで、廷内に号泣する声が響き渡った。その声は廷内の4つの方向から流れてきてワンワンと共鳴するように鳴り響いた。別室にいる息子の声であった。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。僕が、この僕が…」
 その後も、息子は何かを口にしたようであったが、ハッキリとは聞き取れなかった。
すでに廷内のあちらこちらからすすり泣く声が上がっている。裁判員の方々の頬にも光るものがあった。やがて、妻の死を悼むかのように、廷内に沈黙のときが流れた。長い、長い悲しみと苦しみの時間の余韻を閉じるかのように、裁判長が静かな声で閉廷の辞を告げた。

そしてついに判決言い渡しの日が来た。長かった。変わり果てた妻の姿を発見したあの日から1年が経っていた。審問に継ぐ審問、証言に継ぐ証言、数多くの涙と汗が流された。裁判官と裁判員の皆さんは、真人の犯した罪に対して一体どのような判断を下すのか。法廷には咳払い一つもはばかられるような張り詰めた空気が流されていた。別室にいる真人の表情は法廷からは窺い知れない。
定刻の少し前、裁判官に続いて6人の裁判員が着席した。
「只今から、刑ハ第256号事件の判決を申し渡します。被告人、聞こえていますか。」
「ハイ。」
 スピーカーを通して、息子の声がハッキリと聞こえた。声の調子からは、あまり緊張した様子は伺えない。私は、隔離された場所から息子の姿を想像した。真人は一体とんな心持ちで判決を聞くのか。ゴクリ、傍聴席で喫唾する音が聞こえる程の静寂の中、裁判長が徐に判決を読み上げ始めた。
「主文、被告人を懲役5年に処する。但し、執行猶予3年を付する。」
その瞬間、傍聴席にどよめきが沸いた。母親殺害の事件で執行猶予が付くのは異例であった。裁判官は傍聴席のざわつきが静まるのを待って判決理由を読み上げ始めた。
「被告人が自らの身勝手な思い込みにより最も愛すべきはずの母親の命を残酷な方法により奪ったことは到底許されるものではないが、子供の頃より母親に過度の期待を掛けられ、それが長年に渡って被告人の心に重い負担となり、被告人を苦しめ追い詰めていったことは十分に酌量されるべきと思量する。また、被告人はまだ未成年者であり、事件後は自らの犯した罪を悔い、静かに母親の冥福を祈る日々を送っていることに鑑みれば、実刑をもって対処するのは厳し過ぎると考えざるを得ない。よって被告人の今後の更生に期待し、静かに見守るのが最良と判断した。」
判決文を読み終えた裁判長は、最後に別室にいる真人に対して優しく語りかけた。
「判決は以上です。亡くなったお母さんは命を張ってあなたを立ち直らせようとされました。その
意思を無にせぬよう立派に更生されることを、期待しています。」
スピーカーから真人の震える嗚咽の声が聞こえ、廷内には水を打ったような沈黙の時間が流れた。場に居合わせた全員が、この痛ましい事件の終結に心から哀悼の意を表した。
翌日の新聞各紙の社会面は一斉に今日の判決のことを報じた。
「母親殺人に異例の執行猶予付判決」
「裁判員、被告の更生促す温情判決」
「変わる判断、裁判員による意思決定」

3日後、息子が我が家に戻ってきた。あの忌まわしい事件発生の日から1年と10日が経っていた。
わずか1年ほどの間に、息子の背丈はさらに伸び、もう優に私を越えていた。剃り残したひげも一段と濃くなり、大人びた姿になっていた。子供の成長は早い。私は、時の流れを実感した。
息子は、ゆっくりと踏みしめるように玄関の敷居をまたぐと、久々の我が家の空気を満喫するかのように大きな深呼吸をした。息子は一歩一歩を廊下の感触を確かめるように歩みをリビングの方へと進める。
リビング、そこは息子にとっても私にとっても、踏み込むことすら憚られる聖域であった。息子はゆっくりとリビングの扉を開くと、件の場所に跪いた。
綺麗に掃除されたリビングは、1年前そこで行われた惨劇の跡は微塵も残っていなかった。しかし、どのように綺麗に片付けようとも、どのように模様替えをしようとも、あの光景は消えることはない。息子はさらに体を折ると、額を床につけた。その表情は私のところからでは窺い知れない。しかし、ビクビクと震える息子の背中が、息子の心の疼きを痛いほどに伝えてきた。息子は、しばらくそのままの姿勢で、慟哭の時を過ごした。
一頻り涙した息子は、やがてゆっくりと立ち上がると、奥の和室へと足を向けた。リビングの隣の和室にはもちろん我が家で一番大切なものがしつらえてあった。急ごしらえの仏壇はまだ真新しく、我が家には不釣合いである。この日のために、私は精一杯の花と供物で妻の遺影を飾った。遺影になるには若すぎた妻、しわ一つない妻の顔がわずかに微笑んでいるように見えた。
息子はそっと仏前に正座した。そしてかばんの中から徐に例のものを取り出すと、そっと元の場所に戻した。『妙元大姉 俗名敦子』、妻の戒名が痛々しく語りかけてくる。息子は、そっと手を合わせると頭を垂れた。じっと手を合わせる息子の頬を行く筋もの涙が伝った。息子は時が経つのを忘れるほどそのままの姿勢でいた。
障子の外が夕映えで赤々と染まる頃、息子の祈りはようやく終わった。
「久しぶりだな。こうやってお前と食事をするのも。」
その夜は、息子のために出前の寿司を用意した。妻のために、もう1枚皿を用意しテーブルの上に並べた。そこは妻の定席であった。もちろんその主はもういない。息子は、感極まったのかほとんど寿司には箸をつけなかった。男2人、静かな夕食の時間が過ぎる。
「俺、これからどうすればいいんだろう。どうやって生きて行けば。」
「まあ、そう焦ることはない。まずはゆっくりと母さんの御霊を見守ろう。きっと母さんも許してくれるさ。いや、ひょっとすると天国からお前に謝っているかも知れんぞ。」
「母さんが?」
「ああ、自分も言い過ぎた。それでお前を追い詰めてしまった。ごめんねって。あの母さんのことだから、きっとそう言うに違いない。」
息子は、再びテーブルに突っ伏して号泣した。息子の顔に笑顔が戻るには、まだまだ時間を要しそうだった。
それから1週間、息子は信じられないくらい神妙に時を過ごした。毎朝夕、仏前で手を合わせ、長々と妻の遺影と対峙した。妻の墓にも3回もお参りした。非行に明け暮れていたあの頃の影など微塵も感じられなかった。私は、息子の更生を確信した。たとえどんな凶悪殺人を犯した者でも、それを悔い改め立ち直ることは出来る。この先、どんな苦難が待ち受けていようと、この子なら必ずそれを乗り越え、立派に更生出来る。私は、そう信じて疑わなかった。

しかし…
この話には、まだ続きがあった。そう、語るにおぞましい最終章、私が本当の鬼子の父となる瞬間が、もう目前に迫っていることを、当の本人はまだ知らずにいた。
その瞬間は、あまりに突然に訪れた。
「おーい、真人、そろそろご飯にしないか。」
私は、リビングから階段の上に向って叫んだ。息子は、鑑別所から戻ってからはあまり出かけることもなく、自室で過ごすことが多かった。まあ、ほとぼりが冷めるまでは、その方がいいであろう。いくら執行猶予が付いたとはいえ、まだマスコミの連中があの忌まわしい事件の後日談を書くべく、時折我が家の周辺をうろついていた。今、ウロウロと外に出るのは、その餌食になりに行くようなものである。
秋の短い日は、もうどっぷりと落ち、辺りには夕闇が迫っていた。一向に二階から返事がないので、仕方なく私は息子を呼びに階段を上がり始めた。階段を半分ほど上がったところで、私は息子の声を聞いた。ボソボソという話し声ではあったが、その声にはいつにない快活な響きがあった。鑑別所から帰ってきた時の、あの神妙で物静かな声とは明らかに違っていた。
「へへ、ちょろいもんだったぜ。」
息子は確かにそう言った。私は、息子が最初何のことを言ってるのか判らなかった。独り言ではない。明らかに誰かと話をしているように聞こえた。声をかけようかと思った私は、しかし、実際にはその逆のことをした。じっと息を殺し、聞き耳を立て、そして、ゆっくりと一歩また一歩と階段を上った。
「裁判員なんて所詮素人だよな。ちょいと涙を見せてやれば、すぐにホロリとくる。」
また、息子の快活な声が聞こえた。やはり独り言ではない。息子は携帯電話で誰かと話をしていた。止せばよかったものを、私は、その後を聞いてしまった。そう、聞いてはならない地獄劇の最後の台詞を耳にしてしまったのである。
「何だ、お前、執行猶予も知らないのか。執行猶予ってのはな、要するに刑の執行を猶予する、つまり刑務所に行かなくていいっていうことさ。どうだ、すげえだろう。人一人ぐらい殺っても、どうってことないさ。3年間、じっと大人しくいい子にしてりゃ、全部チャラっていうことさ。」
私は、この瞬間全身が凍りつき、絶壁の上から奈落の底に落ちて行くような感覚に陥った。息子が、私の息子が、真人が、やはり鬼の子であったということを確信した瞬間であった。
「親父も、お袋も、自業自得さ。恨むなら、この俺を生んだ自分らを恨めってーんだ。バカな息子に、バカな親ってことさ。」
『バカな息子に、バカな親』、この台詞、そう、この言葉が、私が息子の肉声を聞いた最後となった。その後のことはよくは覚えていない。意識はハッキリとあった。自身の目の前で何がおきているのかも理解していた。でも、私の体は、そう頭以外の私の全てが、手も足もなにもかもが、無意識のうちに動いていた。
次にハッと我に返ったとき、私の眼前にはあの時と同じ光景が広がっていた。リビングにうつ伏せに倒れ、マネキン人形のようにピクリとも動かない体。床一面に広がった真っ赤な鮮血。妻が殺されたあの時と、まさに同じその場所で、同じように転がる遺体。頭はざっくりと割れ、脳みそが半分ほど流れ出ている。そして、私の手には、金属バットの代わりに血の付いたゴルフクラブが握られていた。私が、鬼子を始末した瞬間であった。

私の取調べは1ヶ月以上に及んだ。警察の追及は執拗を極めた。しかし、私は、全てを黙秘した。鬼子から聞いたあの嘲笑の声。『へへ、ちょろいもんだったぜ』私はあの一言を心の奥底に封印した。これだけは口が裂けても外には漏らせない。
マスコミは、天地がひっくり返るほどの大はしゃぎであった。実の母親を殺した少年に執行猶予付きの判決、そのわずか10日後に今度は実の父親がその少年を殴り殺したのである。どう控えめに見ても大ニュースである。
しかし、私は一切の取材を拒否した。裁判でも、「はい」と「いいえ」以外は、一言もしゃべらなかった。そして、裁判員の下した判決は、懲役10年の実刑。しかし、そんなものは今の私にはどうでもよかった。懲役10年だろうが、20年だろうが、無期だろうが、あるいは死刑だろうが、そんなものは今の私には何の意味もない。
私は、亡くなった妻のために、いま毎日位牌に向かって手を合わせている。これは芝居ではない。心底から妻を哀れに思い、謝罪したかった。この不甲斐ない私を許してくれ、人生をやり直せるのならもっとしっかりした他の人と一緒になってくれと。
 唯一の心残りは、息子の裁判のために多大の労力と時間を割いてくださった弁護士先生、証人の方々、そして何より裁判員の皆さん、それらの方々に事情を話すこともなく、お詫びをすることもなく、ここで生き恥をさらしていることである。こんな私をお許しください。
私は、刑務所の中でこの手記を密かに書き終えた。警察にも、検察にも、弁護士にも、裁判員にも、語ることのなかった真実。本当の鬼子の父にしか書くことのできない真実。これを読む人だけにそれを伝えるために。               (了)


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