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作品名:鬼父の子 作者:ツジセイゴウ

第1回   前編
「カエルの子はカエル」
良くも悪くも、子はその親に似るという意味で使われる。著名な政治家の子はなぜか政治家になる。オリンピック選手の子も、またオリンピック選手になる。全てがそうではないかもしれない。でも、この世にはえてしてそういうことがよくある。そういう親を持てた子は本当に運が良かったと思う。
「いや、あまり親が偉すぎると、返ってそれが重荷で」、なんて言うのは、この僕から見れば、とんでもなく贅沢な悩みである。自分の親は、せめて凡人であって欲しかった。有名でなくてもいい、何の特技もなくていい、カエル以下でもいい、そんな親の方がよっぽどマシである。少なくともこの僕にとっては。なぜなら僕は鬼父の子だからである。

思い返せば、僕は子供の頃からよく変な夢を見た。その夢はいつも同じ場面から始まった。どこだかわからない。とにかく目の前に真っ白な空間が広がり、どこか遠くの方から子供の泣き声が聞こえる。その泣き声は次第に大きくなり、やがて火がついたような叫びに近い声に変わる。その声が終わると、次は暗い影だ。その影は僕の視野の片方から僕の上に覆いかぶさるように迫り来る。その瞬間、僕の体は大きく温かいものにすっぽりと包まれ、言いようもない息苦しさに襲われる。苦しくて、苦しくて息が出来ない。僕の夢はいつもここで終わった。
夢か現か分からない、それ程リアルな夢のせいで、いつも僕の鼓動は言いようもなく速くなり、胸から脇の下にかけてネットリとした汗にまみれた。こんな夢を、僕は月に1回は経験した。いつも同じである。原因はわからない。不思議であった。
転機が訪れたのは、僕が高校2年の夏休みのことであった。書棚の片隅にある一冊の古ぼけた単行本の中からそれは出てきた。2歳くらいの男の子の写真。ヨチヨチ歩きを始めたばかりと思われるその子は、公園の砂場で楽しそうに砂遊びをしていた。かなり時間が経っているのか、わずかに色褪せたその写真は、一見してかなり古いもののように見えた。しかし、この写真が悪夢の始まりであった。そう、このたった一枚の写真が僕の人生を大きく狂わせることになる。
「母さん、この子は。誰。」
何とはなしに母に写真を手渡した時の僕は、まだ全然そんな意識すらなかった。ごく普通に、普段と変わりなく、普通の話をしたくらいに思っていた。
ところが、母の反応は微妙に違っていた。どこがどうとはハッキリ分からない。恐らく、僕が小学生であったなら、分からず仕舞いだったかもしれない。でも、僕はもう高校生、母の心の奥底のごく微細な揺らぎが、僕の心に触れた。
「あっ、こ、これね。これ、あなたよ。ほら、覚えてない。といっても無理かな。まだ、この時は2つくらいだったし。でも、こんなものよく見つけたわね。どこにあったの。」
 母は、そんな心の動揺を隠すかのように笑顔を浮かべた。僕は、無言で写真が入っていた単行本を差し出しながらも、母がウソをついていると思った。何かを隠すため、口から出まかせの取り繕いをしたように思えた。
 普段なら、そんなことは考えもしなかった。自分で言うのも何だが、僕はそれほど意地悪なたちではなかった。母とは親子ゲンカ一つしたこともない。優しい母に、真面目な息子、世間レベルから見ればごくごく普通の幸せな家庭であった。
ただの一点を除けば。そう、わが家が母子家庭であるということを除けば。
「ふーん、そうなんだ。でも、この公園、どこかなあ。あまり見たことないけど。」
 母は、また動揺の色を見せた。
「こ、これはね。前、住んでたマンションの近くよ。ほら、覚えてないかなー。」
一度ウソをつくと、それを取り繕うのは難しい。どんどんとほころびが広がっていく。うちの家が引越しをしたことがあったなんて初めて聞かされた。
「えっ、うち、引っ越したことがあったんだ。」
 母は、しまったとばかりに右手で口を塞いだ。
「そ、そう。この1年くらい後だったかなー。ご、ごめん。別に隠してたわけじゃ。」
「いいよ。別に、そんなこと。どうだって。」
 僕も、それ以上は聞くまいと思った。多分、父のせいだろうと思った。父は、僕が2歳の時に突然家を出て行ったと聞かされていた。何の前触れもなく、そして理由もなく。いわゆる世間で言う突然離婚というやつである。
 僕が、初めてその話を聞いたのは小学校1年生の時。まだ離婚の意味もよく分からなかった。ただ、わが家にはもう父親という存在がいないんだ、これからもずーっと、ということを知って、無性に悲しく、涙が止まらなかったことだけはよく覚えている。父からは、その後、一切音信もないという。
幸い、母の実家が、資産家というほどではないにしろ、金銭的にはしっかりした家であったこともあり、母も、僕も、生活面ではあまり苦労はせずに済んでいた。祖父も祖母も時々は家に遊びに来てくれるし、いつもお小遣いもくれた。何不自由のない生活であった。強いて言えば、母一人子一人の生活が少しだけ寂しい気がしていた。
「さあて、卓也が折角いいもの見つけてくれたから。これ、アルバムに入れておこうか。」
 母は、少し気を取り直したように、書棚に向かうとアルバムを探し始めた。その間にも、今一度その写真を手にした僕は、再び母のウソに気付いてしまった。しかも、今度は隠しようもない決定的なウソ。僕の母に対する強い不信感が初めて芽吹いた瞬間であった。
 写真の右下隅、わずかに赤く印字された日付は「1993年4月10日」となっていた。今から16年前、とすれば僕はまだヨチヨチ歩きどころか、ハイハイも出来ない赤ん坊であったはず。では、公園で元気よく遊んでいるこの子は一体誰、そして、母はなぜあのようなウソを。
 こんな些細なことに、こんなどうでもいいようなことに拘泥した自分が悪かった。しかし、この日を境に僕の運命の歯車はおかしな方向に回転をし始めた。
 母は、例の写真をさっさとアルバムの奥底に仕舞い込むと、二度とその話はしなくなった。多分話したくない何かがあるのだろうと思い、僕の方からも敢えて尋ねることはしなかった。
 それにしても解せないことが一つだけあった。いくら離婚した父親といっても、いくら勝手に家を出て行った父親といっても、その父のことを思い出させるような物は何一つ我が家には残されていなかった。名前はおろか、写真1枚も、である。父はなぜ自分たちを捨てたのか、今どこで何をしているのか、それも分からない。そしてさらに不思議なことに、母は父のことについてはついぞ話をしたことがない。いくら離婚したからといって、ここまで厳重に父のことを隠し通す必要があるのだろうか。少なくとも、結婚してから何年かは一緒に暮らした間柄、写真の一枚や二枚あってもいいはずだ。しかし、わが家にはそれがない。まるで、パソコンの中の全データを初期化したかのように、父に関する情報はきれいにわが家の中から消し去られていた。一体どうなっているのか。

そんな悶々とした日々が続いていたある日、次の出来事が起きた。その日は、ことのほか暑い夏の日であった。仕事から返ってきた母はブラウスを脱ぐと、タオルで汗を拭いすぐに着替えを始めた。その母の後姿に僕は見てはならないものを見てしまった。母の右肩から背中にかけて、ざっくりとした傷の痕があった。傷痕は一見すると古いもので、もうすっかり癒え切ってはいるが、十針は縫ったと思われるほど大きなものであった。
今にして思えば、これも不思議なことであった。母は、夏でもあまり人前で肌を出すことを嫌った。どんな暑い日でも必ず袖のある服を身に付け、子供会の行事でプールに行っても決して水には入らなかった。恐らく、この傷のことを気にしてのことだったのだろうか。
でも、なぜ今まで気がつかなかったのだろう。何年も同じ屋根の下で暮らしてきた家族なのに。そして僕がもっと小さい子供だった頃には一緒にお風呂にも入っていたのに。恐らく、母がこの傷を見られまいと巧妙に隠してきたのか、それとも僕がただ意識していなかっただけのことなのか。多分、後者だろう。普段気にならないことが、何かを契機に気にし出すとすべて気になる。このところの過敏症のせいで、つい目に留まってしまったのかもしれない。
「母さん、これどうしたの。」
 僕は、母のすぐ後ろに近づいて、尋ねた。
「えっ、何、これって。」
 母は、最初何のことか分からず、肩越しに僕の方に振り向いて尋ねた。
「これだよ。この傷跡。」
 近づいて見ると、その傷跡は余計大きく、そして醜く見えた。色白で肌理の細かい母の肌が、その傷跡を一層際立たせた。僕は、人差し指でその傷跡をそっとなぞってみた。母の背中がビクンと動いた。まるで思い出したくない過去を思い出すかのように。そして、母は一瞬躊躇するような素振りをして見せた。
「あっ、これ、この傷のこと。あらいやだ、前に言わなかったかしら。まだ、子供の頃、自転車に乗ってて坂道で転んで。あの時はホント、死ぬかと思ったわ。生まれて初めて救急車に乗ったのよ。」、
母は、急に雄弁になり快活に話をし始めた。しかし、僕は感じた。この前の写真の時と同じ奇妙な感覚を。何かを隠しているような、そんな戸惑いのトーンが母の声の中にあった。母の話が本当なら、子供の頃坂道で転んだのが本当なら、なぜ母の声はこんなによそよそしく、緊張したトーンになるのだろう。やはり触れられたくない何かがあるんだ。
しかし、僕がその答えを見出す前にも、母はさっさとTシャツを着て傷跡を隠してしまった。まるで、知られたくない過去を大慌てで隠すかのように。僕の心の動揺は日増しに大きくなった。どうしてだか分からない。ただ、母が古い写真と古い傷跡を隠したというだけで。すぐに忘れてしまえば、どうということなく過ぎたかもしれない。でも、僕の心がそうはさせてくれなかった。

「母さん、どうして隠すの。」
 そして、その日の夕、ついに僕は禁断の一言を発してしまった。別に母を責めるつもりはなかった。
ほんの軽い気持ちだった。
「隠す? 隠すって何を。」
 母は、とぼけたような返事をした。
「だから、この前の写真、それに今日の背中の傷。変だよ。母さん、絶対何か隠してる。」
「何のことかと思ったら、あのこと。だから、言ったでしょう。あの写真は、あなたの小さい時の、それに背中の傷は自転車で転んで・・。」
 母は、ニコニコしながら同じ答えを繰り返した、でも、僕には母のニコニコ顔が作り笑いのように見えた。
「ウソだ。そんな見え透いたウソをついたって、僕には分かる。」
 初めてであった。母の前でこんない声を荒げたのは。駄々っ子のむずかりではない。僕は心底から母の態度に不信感を抱いていた。あんな経験は初めてであった。
「おかしな子ね。急に。どうしたの。」
 母は、僕の声の調子に少し動揺した素振りを見せたが相変わらずニコニコと平静を保っている。
「だって、あの写真、日付が1993年になってた。今から16年前。僕はまだハイハイも出来なかったはず。それが、どうして公園の砂場にいるの。」
 グサリ。母の顔色が明らかに変わった。やはり図星だった。あれは、僕ではなかった。誰か別の子だったに違いない。だとしたら、母はなぜあんなウソをつく必要があったのか。母は、しばらく中空を仰いで、言い訳を探し求めるように大きなため息をついた。
「そ、そう。おかしいわね。きっとカメラの日付の設定がおかしかったのよ。間違いないわ。あれは、あなたよ。」
 僕には、乱れる母の心が手に取るように分かった。母の声は震えていた。そして、母は、これで話はおしまいとばかりに席を立とうとした。
「待って、まだ話は終わってないよ。じゃあ、あの背中の傷は。自転車で転んだくらいで、あんなところに十針も縫う大怪我なんかしないだろ。やっぱ、おかしいよ。どう考えたって。」
 僕は、さらに話を突っ込んだ。別に母をいじめるつもりはなかった。ただ聞いてみたかっただけだ。でも、母の動揺はさらに高まったように見えた。
「あ、あれは。う、運が悪かったのよ。丁度転んだところが工事現場で、いろんな道具や資材が置いてあって。お医者様も、あと5センチずれてたら大変だったかもって。」
 もう、僕は何を聞いても驚かなかった。どうせ母は、端からウソの創り話をするだろうと思っていたからである。
 結局その日の夜、2人は静かな夕食をともにした。会話はなかった。何となく気まずい空気が部屋に充満し、声を出すのが憚られるような、そんな気がしたからである。

 あれから半月、相変わらず僕の不信感は消えなかった。何か満たされないような、もどかしい感じが常に心の中で渦巻いていた。僕は、何か他に手掛かりがないかと、事あるごとに部屋の中を漁り回った。ひょっとすると、あの母の隠し事は、別れたという父と関係があるのかもしれない。しかし、何日探し回っても、ついに父に結びつくような手がかりは何も出てこなかった。
そして、僕はついに決心した。これ以上、この家の中を探し回ってみても、あるいは母を問い詰めてみても、何も答えは得られない。こうなったら祖父の家に行くしかない。祖父なら何か知っているかもしれない。そして教えてくれるかもしれない。タイミングよくというか、この次の土曜日、母は会社の仕事で休日出勤するという。母抜きで祖父の家を訪ねる絶好のチャンスであった。
 その土曜日が来た。僕は、母が出かけるのを確認した後、家を出た。祖父の家は、わが家から電車で一時間くらいの郊外にあった。年に何回かはお泊りにも行っていたので、別に一人で訪ねるのは難しいことではなかったが、なぜか今日はドキドキした。いつもなら。あっという間の一時間が、今日は無限の時間のように長く感じられた。
 駅を降りて、バスに乗り継ぐ。次の停留所で祖父の家の前というところで、僕は見てはならないものを見てしまった。その人は、深々と日傘を差していたが、間違いない。母であった。今朝家を出て行く時に着ていた水色のブラウス、あの服を見紛うはずはない。どうして母がこんなところに、そして一体ここで何を。
 僕は次の停留所でバスを降りるかどうか迷った。今ここでバスを降りれば、母に追いつけるかもしれない。そこで母を問い詰めれば、あるいは何か分かるかも。でも、僕は止めた。こんな所をウロウロしているのを母に見られるのもまずいだろうし、何よりもここで母に話をしても、また体よくはぐらかされるのが落ちである。
僕は、身をかがめて、バスの車窓から追い越しざまに母を見た。確かに母であった。そして、母は手に一抱えの花束を携えていた。まるでこれからお墓参りにでも行くかのように。少し俯き加減に歩く母の後姿はなぜかすごく寂しそうに見えた。暗い過去を背負うたかのように、母の足取りは重くゆっくりとしていた。
僕は、停留所を一つやり過ごし、次の停留所でバスを降りた。幸い母には気付かれなかったようである。僕は、ここでどうするか迷った。このまま祖父の家に行くべきか。でも、もしそこで母と出会ったらやはりまずいだろう。その時、僕の脳裏にある考えが浮かんだ。そうだ、お墓だ、お墓に行ってみよう。間違いない、母はきっと誰かのお墓参りに来たに違いない。まさか父の。
僕は、幼い頃の記憶を辿った。あれは僕がまだ小学校1年生くらいの時だったように思う。母に連れられて祖父の家のお墓参りをした。というかまだ子供だった僕には、墓に参るということがどういうことなのかもよく分からず、ただ暑い日差しの中を嫌々歩かされ、線香臭い中で手を合わさせられたという記憶しか残っていない。
今日も、あの日と同じくらい暑かった。強烈な日差しの中、せみの声がうるさいほどに耳に衝く。僕はお墓参りを済ませた母と鉢合わせをしないように、わざと遠回りをしてから墓に向かった。祖父の家の裏から続く小道を進み、池を回りこんですぐのところに小さな鎮守の森があった。墓はそのすぐ裏手である。幸い、母の姿はもうなかった。
墓といっても、街の大きな霊廟と違って、ここは田舎町の小さなお墓。全部で百もない石塔の中からわが家の墓を探すには5分と掛からなかった。お盆までまだ少し日のあったこともあり、どの墓にもまだお花やお供え物はなかった。お陰で、すぐにそれと分かった。間違いなかった。母はここに来ていた。
「藤本家の墓」と書かれた石塔の前には、先程母が手にしていた花が供えられ、わずかに燃え残った線香の煙が微かに漂っていた。
 僕は、そっと墓の前に近寄った。心臓の鼓動が高鳴り、近づく僕の歩みは鉛のように重くなった。じっと墓石を観察するが、特に何の変哲もない普通の墓であった。母は、一体誰のためにお参りに来たのだろう。祖父も、祖母も、まだ健在である。まさか、父の。僕は、恐る恐る墓石の脇の墓碑銘を覗き込んだ。
 墓石の傍らの石板に何人かのご先祖様の名前が記されてあった。その一番右端、一番新しい場所に、その名は刻まれてあった。
「妙元童子、俗名裕也」
妙元童子って誰だろう。童子というぐらいだから恐らく子供であろう。俗名「裕也」、聞き覚えのない名前であった。さらに視線を下に移動させた時、僕は心の中であっと叫んだ。
「享年二歳、平成五年七月没」
 この裕也とやらいう男の子は、わずか2歳でこの世を去っていた。そして、何よりも驚いたのは、その没年である。平成五年といえば1993年、あの写真で見た日付と妙に符合している。もしかして、あの写真の男の子が。そう思った時、僕は背筋に鳥肌が立っていくのを覚えた。
 これですべて辻褄が合う。あの写真の子が裕也ちゃんで、それであの写真を撮ってのち間もなくこの世を去った。でも、どうして。そのことと母が執拗にこの子のことを隠そうとしていることと何の関係があるというのだろう。謎はまた深まった。

 結局、この日僕は当初の目的を果たせず家に戻った。祖父の家には行かなかったのである。無論、そこに母がいたらまずいだろうということもあったが、何よりもあの墓を見たことの衝撃が大きく僕の心の上にのしかかっていた。僕は、悶々として、ただ一人家で母の帰りを待った。
 窓の外がほの暗くなり、ようやく涼しい夕風が吹き始めた頃、母は何事もなかったかのような顔をして家に帰ってきた。
「あら。どうしたの。こんな暗い部屋で。灯りもつけずに。」
 何も知らない母は、いつもと変わらぬ快活な声を上げてリビングに入ってきた。しかし、灯りをつけた瞬間、母の顔色が変わった。それほどに僕の形相が凄かったのだろう。多分、鏡を見ていたら自分でも自分の顔にビックリしていたかもしれない。
 僕の母に対するイライラ感は、もうイライラを通り越して激しい怒りへと変わり始めていた。これまで騙し続けられたということにも鬱積がたまっていたが、それ以上に僕の心の中で何かが変わり始めていた。
「母さん、裕也って誰?」
 ギロリ。僕は邪悪な視線を母に向けた。
 唐突に尋ねられて母は一瞬エッという表情をした。予想だにしていなかった名前が僕の口から飛び出したことで母の狼狽ぶりは尋常ではなかった。何とか心を落ち着けて取繕いの言葉を探そうとしているようであったが、もうウソは通用しない。母は無言のままヘナヘナとその場に崩れ落ちた。
「今日、おじいちゃん家のお墓に行った。誰、あの裕也っていうのは。誰なの。」
 僕は高ぶる感情を抑えながら、出来るだけ言葉を選びながら尋ねたつもりだったが、もう自制の効く状態ではなかった。母は、観念したようにホッと大きなため息を漏らした。しばらく重苦しい沈黙が続いた。まるで、互いが親子でない、全く初対面の人同士であるかのような緊張した空気が流れた。
しばらくして、僕は、母の頬を一筋の光るものがツーと伝っていくのに気づいた。
「ご、ごめんなさい。本当にごめんなさい。これまで黙っていて。別にあなたを騙すつもりじゃなかったの。本当に。」
 母の声は、やがて激しい嗚咽へと変わっていった。
「あの子、あの子は、あの裕也っていうのは、あなたのお兄ちゃんよ。もし生きていれば、もう大学生になってたかしら。」
 僕は仰天した。自分に血を分けた兄がいた。しかもその兄はわずか2歳という短い生涯を閉じていた。全く知らなかった。それまで一人っ子だとばかり思っていた自分に兄がいたなんて。
この母の言葉で、一瞬ではあったが僕の気持ちは和らいだ。やっと母が正直に本当のことを話してくれた。これまで隠されてきたモヤモヤのほんの一端でも話してくれた。
「でも、兄さんがいたなら、何で今まで隠してたの。たとえ見も知らぬ兄さんでも、兄さんは兄さんだろ。それを一人で隠れてコソコソと墓参りなんかして。一体どういうつもりなの。」
「ご、ごめんなさい。今日があの子の命日だったの。そう、16年前のあの日、あなたが生まれて半年くらい後だったかしら。あの子、突然の交通事故で。私がちょっと目を離したスキに。すべては私が悪いのよ、私のせい。」
 母は再び泣き崩れた。その母の涙で、僕の怒りはまた一瞬ひるんだ。どうやら、母は兄が死んだことを全部自分のせいにして、それで自分一人でその重荷を背負っていこうとしていたらしい。
でも、まだ疑念は残る。仮に自分のせいで兄が死んだとしても、なぜ写真に写った兄まで否定する必要があったのか。兄の写真を僕だと言ってウソをつくことに一体どういう意味があったというのか。
 結局、この日、僕の疑念はスッキリと晴れることもないまま、また沈黙の夕食が始まった。

 それから一週間、僕の悶々は晴れないまま続いていた。母はまだ何かを隠している。僕の知らない、そう、僕が知ってはいけない何かを隠している。最近の母の僕に対するよそよそしい態度が余計僕の疑念を掻き立てた。ひょっとして、兄の死と父の突然の失踪との間に何か関係があるのではないか。だからこそ父に関する情報もことごとく消し去られているのではないか。
 そして、その日の夜、僕はついに禁断の質問を母に対して投げかけた。
「ねえ、父さんって、どんな人だったの。」
 僕は、母がどんな反応を示すのか、意地悪く観察した。恐らく、答えに窮して大変な狼狽振りを見せるだろう。僕の胸の中にある邪悪な心が、母が苦しむのを楽しみにしているのがハッキリと見えた。
しかし、僕の予想に反して今日の母は落ち着いていた。全く狼狽する様子もなく、さらりと答えた。
「そうね、どちらかというと、平凡なサラリーマンってとこかしら。」
 母は、不思議なほど落ち着いていた。いつかこんな日が来るのではと、あるいは想定問答を用意していたのかもしれない。僕があー言えば、こう答える。全て緻密に創り上げられた問答集が母の頭の中に出来ていたのかもしれない。
「名前は、年は、それと・・、趣味は。」
 僕は、母を試すつもりで間髪を入れず矢継ぎ早に質問した。答え難い質問をたくさんすれば、一つくらいボロが出るかもしれない。それほどまでに僕の邪悪な心は母をいじめようとしていた。
「名前は、幸男って言うの。いなくなったのは確かあの人が32の年だったかしら。趣味というほどの趣味はなかったけれど、時々釣りに出かけていたわねー。」
 やはり、母は、全ての質問にサラサラと答えた。何の滞りもなく、普段通りの口調で。僕は少し拍子抜けした。答えに窮して苦しむ母の姿を予想していたからである。そして、今度は先手を打つかのように母の方が口を開いた。
「全ては私のせいなの。裕也が交通事故で死んで。あれからすっかり家の中の歯車が狂ってしまった。真面目だったあの人が、急に酒やギャンブルに浸りだして。夫婦喧嘩することも多くなって、そうこうするうちに家を出て行ってしまったの。」
 母はそっと目頭を押さえた。僕の心はその涙に騙された。少なくともこの母の涙は演技などではない、心底より流れ出たものだと信じたからである。僕は、それ以上母を尋問するのを止めた。
 しかし、所詮涙は涙。人の心は騙せても、真実までは消し去ることは出来ない。父のことをもっと知りたいとする僕の気持ちだけは揺るぎようもなかった。

それから半月、僕は再度裕也兄さんの写った写真をこっそりとアルバムから取り出してみた。そこには公園の砂場で遊ぶ無邪気な男の子の姿があった。かわいそうに、わずか2歳という歳で生涯を閉じていった兄は一体どんな思いだったであろうか。僕は今一度改めて兄の写真を見た。その時、僕の目にある文字が飛び込んできた。マンションの名前である。
「クライネハイム東浦和」
 これだ、と僕は思った。一度この場所に行ってみよう、行けば何か分かるかもしれない。母がまだ隠していそうな何かが。止せばよかったものを、僕の探究心がそれを許さなかった。東浦和なら千葉からでも武蔵野線で1時間くらいである。
その次の日曜日、僕はついにそれを決行した。その場所が禁断の聖地であることも知らず、大胆にも僕はその場所を訪れたのである。
東浦和の駅に降り立った僕は、駅前の不動産屋さんを訪ねた。丁度売り物件が出ているとのことで、1分もかからずにその場所は判明した。親切な不動産屋さんは地図までコピーしてくれた。そのマンションは駅から歩いて7分くらい、周囲はたくさんのアパートやマンションが立ち並ぶ住宅街であった。写真の頃とは随分街の雰囲気も変わっていたが、目的のマンションはすぐに見つかった。16年の歳月のせいかクライネハイムの文字は随分と色褪せてはいたが、紛れもなくこのマンションである。
 僕は問題の公園を探してマンションの周囲をグルリと一周してみた。公園はあった。間違いない。僕は写真を掲げながら、その構図にピッタリと合う位置に立った。マンションを背景にしてブランコがあり、その前の砂場は当時と全く変わっていなかった。唯一変わっていたのは、ブランコが新調されていたところぐらいだろうか。僕は、しばらく写真と実際の風景を見比べていた。
 それからしばらくして、僕の探究心はさらに僕を人探しへと駆り立てた。
「あのー、この男の子、ご存じないですか。裕也って言うんですが。」
 僕は、公園で子供を遊ばせていた女の人に尋ねてみた。最初は怪訝そうな様子をしていたその人も、繁々と写真を見てくれた。でも、結果はノー。僕は、別の人にもトライしてみてが、やはりノーであった。そうであろう、16年前といえば、そもそもこの人たちがここに住んでいたかどうかも定かではない。僕は、思い切って尋ねる相手を変えてみた。もう少し年配の人なら何か覚えているかもしれない。
 丁度、そこを通りかかった60歳くらいのおばあさん、16年前であれば多分40台であったろう。この人なら何か分かるかもしれない。僕は、思い切って声をかけた。
 最初は、「エッ」という風だったその人の顔が、しかし、次第に強張っていくのが傍目にも分かった。写真を見たときのあの人の表情は明らかに畏怖の念に満ちていた。なぜ、こんな子がこの写真を、その人の顔にはそう書いてあった。
「この子をご存知なんですか。」
 僕は勢い込んで尋ねたが、その人の返事はつれないものであった。
「さ、さあ。し、知らないね。」
 僕は、この人がウソをついていると思った。写真を返すとき、その人の手が少し震えていたからである。僕は、すぐに母を思い出した。この写真を手にしたときの母の反応と同じであった。またしても、僕は嫌な予感に襲われた。やはり何かある。この写真には、知ってはならない何かが隠されている。
 僕は、続けて別の人に同じ質問をした。やはり同じ反応だった。何か触れられたくない過去に触ってしまった、そんな態度が見られた。そして、それから3人目。
「ああ、この子ね、渡辺裕也君でしょ。」
 『渡辺裕也』、僕は、初めてその子の名を聞いた。でも妙だ。僕の苗字は藤本、渡辺ではない。どうして同じ兄弟なのに苗字が違うのか。
「あのー、渡辺ではなくて、藤本の間違いでは。」
 その人は少し怪訝そうな顔をしたが、ハッキリとした口調で言い切った。
「いえ、渡辺に間違いないわ。だって、あんな事件、忘れようたって、忘れ・・。」
 と言いかけて、その人は大慌てで口をつぐんだ。
「あ、あなたは、い、一体誰。それにどうしてそんな写真を。」
「僕、この子の弟なんです。卓也っていいます。」
「お、弟さん? あ、あらそう。そ、そうだったの。」
 その人は、そう言うと大慌てで僕の前から立ち去ろうとした。
「あのー、済みません。事件って、どういうことですか。何かあったんですか。ここで。」
 しかし、その人は返事をする間もなくそそくさとその場を立ち去ってしまった。
 僕は、俄かに心の中に黒い霧が広がっていくのを覚えた。僕を避けようとするあの人の態度、それに何よりも「あんな事件」というあの一言。あの一言を発した時のあの人の表情は尋常なものではなかった。兄は交通事故で死んだのではなかったのか。それともひき逃げか何か、余程無残な死に方をしたのか。だから「あんな事件」という言葉が口をついて出たのか。
 それからも、僕は何人かの人に同じ質問を繰り返してみたが、結局確たる答えは得られなかった。ただ、僕の疑惑の念だけは一層大きく膨らんでいった。

 僕が悲劇的な結論を知ったのはその日の夜のことであった。家に戻った僕はインターネットにアクセスした。「東浦和、渡辺正二」と入力してエンターキーを押し下げる。
次の瞬間、僕は見てはならない恐ろしい文字を見てしまった。今、思い出しても気が遠くなりそうな程の恐ろしい結末。その文字は非情にもデカデカとディスプレイのど真ん中に浮かび上がったのである。
『死刑囚 渡辺正二』
 自身の実の父親が死刑囚。ウソだ。これは間違いだ、あるいは悪い夢だ。僕は、俄かにがこの事実を受け容れられなかった。時間をかけてじっくりとこれまでの出来事を振り返り、ゆっくり咀嚼しなおした。父の情報が全て消し去られた理由、母が繰り返しウソをついてきた理由、これで全て辻褄が合った。父が、実の父が死刑囚であったことが全ての出発点になっていた。
 しかし、僕がもっと驚いたのは、その後のことであった。僕は、この時インタネーネットという道具を恨めしく思った。何の感情も持たず、何の配慮もなく、問われた質問には即座に回答を表示する。そこには同情心の欠片もなかった。
『渡辺事件、暗闇に包まれた全容』
この瞬間、僕は恐ろしい結末を知った。殺された相手は幼子2人。一人は、もう言うまでもないであろう、裕也兄さん、そしてあとの一人は3歳の近所の女の子。問題は、その殺害のされ方である。それは、あまりに恐ろしく、残酷で、猟奇的であり、ここでは到底筆にすることは適わない。後々、その一端を紹介するということで、この場はお許し願いたい。
 僕は、この恐ろしい画面に何時間も見入っていた。他人の子を殺害し、さらに自身の子までも。一体何が父をこんな残酷な事件に走らせたのか。母は、この悪夢のような出来事を一生涯をかけて隠し通すために一切の情報を僕から遠ざけた。姓も旧姓に戻し、全ての写真を焼き払い、「渡辺正二」という文字を全て我が家から消し去った。 
しかし、実の父が凶悪殺人犯だったという事実は消えない。そう絶対に消えることはない。いくらコンクリートで塗り固めようとしても、いくらペンキを塗りたくっても、真実は消し去れない。あの母の背中の傷のように。
 僕は、必死になってインターネットの画面をスクロールし、いわゆる「動機」というものを探し出そうとした。でも、出て来るのは漠然とした記事ばかり。
「渡辺被告、動機については依然黙秘。」
「精神鑑定は二分。責任能力の有無が争点。」
「闇に包まれた事件。動機解明できぬまま結審。」
 次々と画面に現れ出る見出しは、いずれも過去のことについては何も語ってくれなかった。僕は、困惑の淵に沈んだ。読めば読むほど不可解な事件。当時の新聞によれば、渡辺の家は、ごく普通のサラリーマン家庭、真面目な夫に、よき妻、そして二人の子供。どう見ても、あのような凶悪殺人とは縁遠い平和な家庭だった。
 近所の住民の話も、父の職場の同僚の話も、すべてが「信じられない」、「まさかと思った」というものばかり。父が殺したというのは実は間違いで、別の真犯人がいるのではないかと思わせるような内容ばかりであった。実際、父の責任能力についても、検察側と弁護側で随分と議論があったようである。弁護側は、父の生い立ちを理由に量刑の軽減を求めていた。父は、幼い頃に母親をなくし、祖父一人の手で育てられたという。家の生活が苦しかったこともあるのであろう、父方の祖父は、しばしば父に厳しく、辛く当たり、時には虐待まがいの扱いまでしていたようである。弁護側は、それを理由に父の人格形成に大きな支障を来たしたと主張していた。
 でも、結論は「死刑」。どのような理由があろうと、幼い子供2人の命を、しかもあのような残忍な方法で奪ってしまった。その責任はあまりに重過ぎるとして、裁判長は「極刑をもってしか失われた命に対する償いとすることは出来ない。」と断じていた。
 高校生であった僕には、まだ刑事裁判に関する知識も何もなかった。時折、テレビの刑事ドラマとかで動機だの、時効だのといった言葉を断片的に聞いたことくらいしかなかった。無論、裁判員制度などどこか遠い国の出来事くらいに思っていた。だから、今目の前で起きているこの現実も、俄かには受け容れられなかった。というよりは、まだ夢を見ているような心地だった。
 しかし、次の瞬間、僕はこの恐ろしい話が夢ではなかったことを知ることになる。
「た、卓也、あなた、そ、それって、ひょっとして。」
 後ろから突然声がした。母であった。僕は、大慌てでインターネットの画面を消した。しかし、時すでに遅し。母は、僕が見ていたものをしっかりと目撃してしまった。あの時の母の狼狽振りは一生忘れられない。これまで十余年に渡って隠し続けてきた事実が、絶対に知られてはならない事実が、暴かれてしまったのである。それも、こともあろうにその本人の手で。
 母は、膝から崩れ落ちると、床に額をつけて号泣した。全身を打ち震わせて、何度も何度も拳を床に打ちつけた。母の慟哭の声が、あれがウソでも夢でもなかったことを痛いほどに僕の心に知らしめた。もはや逃げも、隠れも出来ない。僕は、この日から鬼父の子となったのである。

 それから1週間、僕は悶々の淵に沈んでいた。自身の実の親が殺人犯だったということだけでも受け容れ難い重大事である。ましてやその中味が、尋常ではない猟奇殺人となるとなお更である。僕は、あの日から完全に自室にこもったまま、学校にも行かずこの恐ろしい現実を消化しようとしていた。母もそんな僕の気持ちを気遣ってか、無理に学校に行けとは言わなかった。時折そっと食事を差し入れてくれる他は、ほとんど言葉も交わさなかった。
 1日中、カーテンも締め切り、ほの暗い部屋の中で僕はこの現実と戦い続けた。父は、何故あのような事件を起こしたのか。確か、新聞では最終的に「動機不明のまま結審」とあった。動機なき殺人。父は一体何のために2人の幼な子を手にかけたのだろうか。僕は、事の真相を確かめたくなった。とにかく父に会って、じかに父の口から真相を聞きたい。そう考えることで、僕はようやく自室から外に出た。あの日から7日と10時間が経っていた。
 母は、相変わらず無口のままであった。何をどう説明してよいのかさえ思いつかなかったのであろう。可愛そうに、この7日ほどでげっそりとやつれ、何日も眠れぬ夜を過ごしたのであろう。目の下には黒々とした隈が出来ていた。
 僕は、まず受刑者に面会する方法を調べた。最初、僕は物事を簡単に考えすぎていた。刑務所に行けばすぐに会える、あの男に、そう実の父であるあの男にすぐに会えると。しかし、事はそう簡単ではなかった。受刑者に会えるのは、弁護士かごく近しい親族のみ、しかも面会するためにはそれなりの理由も必要とされていた。
 そうであろう。相手は死刑囚、しかも幼な子2人を殺した凶悪殺人犯、簡単に合わせてくれるはずもない。第一、僕があの男の子供であることを証明出来る資料すらない。何しろ我が家からは父に関する一切の記録が消去されてしまっているからである。
 刑務所の受付を突破し、面会室にたどり着くためには、まず僕があの男の実の子供であることを証明する必要がある。いわゆる『本人確認』というやつである。刑務所のホームページにも、面会のためには面会を希望する者と受刑者の関係を証明できる書類が必要とあった。それが何であるのか、僕はすぐには思いつかなかった。何しろ、僕はまだ高校生。戸籍謄本という書類があることすら知らなかった。
 やっとのことで、戸籍謄本が唯一、僕とその男の結びつきを証する書類だと分かった。それには、自分の父親と母親が誰で、自分がいつ生まれたのかが記されているという。戸籍謄本は、戸籍を届けている市役所に申請して入手するのだそうだ。
僕は、やっとの思いで戸籍謄本を入手するところから着手した。市役所に出向くと戸籍事項証明申請書に記入を始めた。戸籍の筆頭者の氏名、必要な人の氏名、・・。しかし、次の欄を記入しようとした僕の手はハタと止まった。そこには、「戸籍証明を必要とする理由」とあった。何と、戸籍謄本を入手するにも理由が必要であった。
 僕は、理由を書くのに躊躇した。別に相手は市役所の人、見も知らぬ人である。毎日何百枚と依頼のある申請書の中味までいちいち詳しく見ているはずはない。そうは思ってみたものの、手が震えてついに「受刑者との面会申込のため」とは書けなかった。どんな相手であれ、身内に受刑者がいる、しかもそれがとんでもない事件を引き起こした死刑囚とあらば、尚さらのこと正直には書けない。僕は、やむなく「バイク免許取得のため」と適当にウソの理由を書いた。
 僕は、戸籍謄本が出来上がるまでの時間、受付のソファに座って待った。正直、僕はこの時まだ、一抹の期待があった。謄本の父親の欄に全く違う人の名前が書いてあるのではないか。これまで調べてきたことが全て偽りの話で、本当の僕の父親は別人なのではないか。僕は、まるで合格発表を待つ受験生のようにドキドキしながら、その時を待った。
 受付番号が呼ばれた。市役所の職員の人は、ドックンドックンと高鳴っている僕の心臓の音など全く聞こえないかのように、無造作に出来上がってきた書類を差し出した。僕は、受け取った戸籍謄本をわざと裏返すとすぐにソファに戻った。僕は恐る恐る戸籍謄本をひっくり返し、件の欄を確認した。
ああ・・。僕の最後の儚い願いは、無残にも打ち破られた。戸籍謄本の真ん中あたり、「卓也」という名のすぐ隣に『父 渡辺正二』という文字が非情にも記されてあった。僕は、その名を今すぐにでも消しゴムで消し去りたかった。しかし、いくらこすっても、その名が消えることはない。そう、一旦彫りこまれた刺青のようにその名前は消えなかった。

僕は、その足ですぐに父が収監されているという浦和刑務所に向かった。これで父に会える、やっとあの男に会い、そして16年前のあの忌まわしい出来事の一部始終を聞きだすことが出来る。僕の足ははやる心でさらに速くなった。無論初めて訪ねる刑務所である。僕の心臓は初めての経験に、これまでにないほどに高鳴った。
駅から歩いて15分くらい。その建物は、あまりに自然に僕の前に現れた。周辺は以外にも普通の住宅地。忍び返しが付けられた高い壁が外界と塀の中を遮断しており、言われなければここが刑務所であるとは誰にも分からない。僕は、そのあまりの平穏さ、日常さのゆえに少し拍子抜けした。刑務所には恐ろしい事件を起こした悪人たちが数多く収監されている。もっとおどろおどろしく、暗く、そして荘厳なイメージを抱いていた僕にとって、それは予想以上に日常的であった。
ゲートで守衛に面会に来た旨を告げ中に入る。中は外から見るよりも広く感じられた。コンクリートの建物が何棟も立ち並び、殺風景である。やはりここは刑務所であった。僕は、高まる気持ちを抑えながら受付へと向かった。受付で面会申請書に記入すると、僕は用意してきた戸籍謄本と自身の唯一の身分証明書である学生証とを併せて提出した。受付の係官は、書類に目を通し一通りのチェックをし終えると、唐突に質問してきた。
「藤本さんは、今回初めての面会ですね。」
「は、はい。」 
 僕は、緊張のあまり、少し掠れた声で返事をした。
「それで、今回、面会を申し込みされた理由は何でしょうか。」
 僕は、答えに窮した。僕の頭の中に、この質問に対する答えが用意されていなかったからである。実の子が実の父親に面会するのに理由など要るのであろうか。答えあぐねているのを見かねた係官が僕の代わりに答えを教えてくれた。
「藤本さんが渡辺受刑者の実の子であることは、頂いた書類で確認させていただきました。ただ、除籍されてもう16年が経っていますから、今になって面会を申し込まれるからには、それなりの理由があると思うんですが。」
 僕は、何と返答してよいのやら分からず、相変わらず黙ったままでいた。
「それと、藤本さんはまだ未成年者ですが、親権者の方は、今日あなたがここに来られることを承知しておられるのですか。」
 親権者? 親権者って何。僕はまずこの言葉の意味が理解出来ずにつまずいた。どうやら、受刑者に面会するのは簡単なことではなさそうである。僕はようやくそのことに気づいた。係官は、これ以上尋ねても無駄と分かったのであろう。
「では、面会の日時を知らせる通知状をお送りしますので、今度はそれを持ってお越しください。」
 ある程度覚悟はしていたが、やはりすぐには面会できなかった。何しろ相手は死刑囚。たとえ家族と言えども、除籍されて16年も経って、しかもハッキリした理由もなくいきなり面会に来ても、会わせろという方が無理な話であった。仕方なく、僕は受付から退散した。
 その日から1週間後くらいに通知状が来た。しかし、運悪く、というか当然のことながらその手紙は母の目に留まるところとなった。
「た、卓也。こ、これって。」
 母は、突然の通知状の送達に狼狽した。まさか僕が、母に内緒で父に面会しようとしていたなどとは思ってもいなかったのであろう。
「あの人に、あの人に、父さんに会いに行くのだけは止めて。お願いだから。」
 母は、懇願するように僕に取りすがった。そんな母を僕は冷たくあしらった。
「実の子が実の父親に会いに行く。それのどこが問題なの。」
「だって、あなたは、あの人が本当はどういう人なのか知らない。もし、それを知ったら絶対後悔する。」
 母は、確信を持ってそう言い切った。まるで父が、鬼か蛇か、とでも言いた気な口振りである。それほど父とは恐ろしい男なのか。確かに2人の幼な子を訳もなく殺し、死刑囚となった。恐ろしくないはずはない。でも、どんな鬼にも血は通っているはず。ましてや父は死刑囚。いつ死刑執行がなされるかも分からない。父に会わずして、そう父がどういう男だったのか知らないままに、済ませてしまうことなどこの僕には到底出来ない。生まれてこの方16年間も隠され、騙され続けてきた。その端緒をようやく掴んだというのに、このまま通り過ぎることは出来ない。僕の決意は固かった。
 しかし、結論から言うと、この母の考えは正しかった。あの時、この僕が素直に母の忠告を受け容れて父への面会をしなければ、少なくとも僕と母は共に平和で幸福な一生を送っていたかもしれない。僕が、父に会いに行ったがために、悲劇の劇場の幕が開いてしまった。


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