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作品名:UBASUTE 作者:ツジセイゴウ

第7回   6 友情
飯野家。
「どうしよう、大樹。お父さんに連絡しようか。」
 明子は、懇願するように大樹の意見を求めた。
 当然である。しかも出来る限り早く三郎に連絡すべきであった。永久の荘行きを決断した最大の理由が肝臓ガンの告知であった。それが誤診、いやでっち上げの人違いだったとなると、そもそもの意思決定の前提が崩れてしまう。何としてでも知らせて、三郎を取り返す必要がある。
 しかし、大樹は思案に暮れていた。一体、どうやって三郎に連絡を取るのか。電話は危ない。大樹の直感が、三郎へ電話を架けることを思いとどまらせた。万が一、電話が盗聴されていたら。これだけ大規模でかつ組織的な計画であれば、それくらいの監視体制は出来ているかもしれない。
 そして、もし大樹と三郎の会話がその監視網に掛かったら。三郎の命が縮まる恐れなしとしない。やはり電話は避けた方がいいかもしれない。
 その頃、永久の荘。三郎は、毒薬を盛られているかもしれないことをどのように明子や三郎に伝えようかと思案していた。電話は危ないかもしれない。そこは親子、以心伝心で、大樹の思いは遠く離れた三郎にも伝わっていた。
 三郎は、じっくり思案をして受話器を上げた。
「もしもし、ああ母さんか。」
「ああ、あなた。今丁度電話をしようと思ってたところなの。」
 大樹は、明子に話し方に注意するよう目配せした。明子は、一瞬受話器の口を押さえてゆっくりと頷いて見せた。
「その後、どうだ。皆元気か。」
「ええ、元気にしてるわ。そっちは。」
 三郎は言葉を選びながら話をした。
「うん、肝臓ガンが少しずつ大きくなってるようだ。医者から新しい薬を処方してもらっているんだが、なかなか体調がよくならなくて。半年持たんかもしれんな。」
「そ、そんな。」
 受話器を握る明子の手がプルプルと震えた。覚悟を決めて永久の別れをしたつもりでも、この同じ空の下でまだ夫が生きているかと思うと、そういう話を耳にしただけでも辛さだけが増した。
 いくら手厚い看護が受けられるといっても、やはり送り出さなければよかった。家を無理にでも処分すれば免除申請の資金くらいは工面できた。明子の胸のうちは後悔の念で一杯になった。
「あなた、実は・・」
 明子が思わず例の件を口にしようとしたので、大樹が慌ててそれを制した。
「実は・・、どうした?」
「実は、その。私・・・、明日で73歳になるの。」
 大樹に差し止められて、明子は大慌てで、喉まで出掛かっていた言葉を飲み込んだ。
「おう、そうだったかな。これは、これは、失礼しました。お誕生日おめでとう。」
「あ、ありがと・・。それでね、今日は大樹が来てくれてて。」
 明子は、涙声となった。
「バカだな。何で泣くんだ。おめでたいのに。いいか、大樹には俺は元気だって伝えてくれ。じゃあ、また電話するから。」
 少しして、カチッと電話の切れる音がした。
「どうだった、父さん、何て。」
「体調がよくなくて、新しい薬を飲んでるって。やっぱりガンだったのかしら。」
「いや、逆だ。薬を飲まされてるんで、体調が悪くなってるんだ。もしガンでなければ、何もしないのに体調が悪くなるはずがない。」
「大樹、どうしよう。まさかこんなことになるなんて。お父さんがかわいそう。半年持たないかもしれないって。どうしよう、ああ・・・」
 明子は、再び大粒の涙ポロポロと落として泣き崩れた。
 半年持たない。やはり。入所者の全てが半年間も極楽生活を送らせてもらえるはずがない。それは全くの税金の無駄遣いである。施設側にとってみれば、一日も早く死んでくれた方が大助かりである。そして、どのような手段を講じて命を縮めても、誰にも何も分からない。何しろ入所者の多くは重篤な病気を抱えて永久の荘に来ている。たとえ入所後3ヶ月目に亡くなったとしても、家族も何も言うまい。寿命だったんだろうね、の一言で終わりである。まさに密室の中の出来事であった。
「とにかく、何とかして父さんにこのことを伝えなきゃ。そして、何としてでも永久の荘から助け出さなきゃ。」
 そうは言ってはみたものの、大樹は、事の重大さを知るにつれ、途方にくれてしまった。

その頃、永久の荘北村理事長室。
「とうとう、官邸の方からアレを使えと言ってきた。」
 北村理事長は渋い顔で居合わせた4人に告げた。
「やはり言ってきましたか。」
 木田事務局長は、自身の意見具申が的を射ていたとばかりに胸を張った。
「で、時期はいつ頃。」
「それはコチラに任せると書いてある。実行の日時だけを知らせてくれれば、後の対応は全て官邸の方で引き受けるとのことだ。」
 理事長は、大きなため息を漏らした。
「70歳以上の高齢者の致死率は50%、これで入所者の半分が一気に処分できます。当施設のベッド繰りも大きく改善されます。」
「しかし、ヘルパーや介護士にも多くの犠牲者が出るだろう。」
「施設の主だった職員には、すでに予防接種を実施済みです。それと特効薬のタミシリンの配布も完了しました。後は、理事長のご決断次第です。」
 事務局長は、手際よく説明を続ける。
こいつ、俺に内緒で準備していたな。北村理事長は一瞬ムッとした表情をしてみせたが、それを押し殺して事務局長の説明に耳を傾けた。
「ウイルスの散布方法は簡単です。施設の中央にある空調設備のダクトから粉末にされた散布剤約30キログラムを流します。この方法による初期感染率は約5%、潜伏期間は約3日です。後は、初期感染者からの空気感染により館内全体に感染が広まるのに一週間程度。全てのオペレーションが終了するのに2週間も見ておけばよろしいかと。」
「で、我々はその間どうなるんだ。」
「私たちは、完全に隔離された別棟で待機します。万一の場合に備えて、予防接種とタミシリンの配布を行いますのでご安心ください。」
「アウシュビッツと同じだな。密閉された空間で人々がもがき苦しんで死んでいくのを我々は隣から高見の見物か。」
「理事長、お言葉を・・。これは列記とした国の施策として行うものです。この国を救うためには仕方のないことなのです。ヒトラーがやったこととは根本的に目的も使命も違っています。そのあたりのことは・・・」
「分かった、分かった。いいから、後を続けたまえ。」
「初期感染による死者が100人を超えたところで、当施設で新型のインフルエンザの感染が確認されたことをマスコミ発表します。記者会見での想定問答は既に用意されておりますので、理事長にはあらかじめお目通しをお願いします。後は、官邸から自衛隊の特殊医療部隊が派遣され、全てのオペレーションを引き継ぎます。我々の役目はそこで終わりです。」
「それで、君も、俺も、めでたくクビということか。」
 北村理事長は、木田事務局長の説明を聞き終わると、どっかりとソファの上にのけぞった。
 永久の荘の設立から5年、当初は自立が困難な高齢者たちに安楽な余生の場を提供する目的であったが、それがついに地獄のガス室に切り替わる時が来た。致死率の高いインフルエンザウイルスが、2万人の高齢者たちが暮らすこの密閉空間に撒かれようとしていることを三郎はまだ知らない。

永久の荘、三郎の部屋に、思いがけない珍客が入ってきた。
「おーい、サブちゃん、久しぶりだな。」
「け、健ちゃんでねえか。おめえ、一体なんでここに。」
 三郎は突然の来訪者に目を丸くした。つい一ヵ月半ほど前、永久の別れをしたはずの中山健一の姿がいま眼前にあった。車椅子には乗っていたが、相変わらず元気そうな様子であった。
「なんでおめえがここに。おめえんとこにも令状が来たのか。」
三郎は、再会の喜びに相好を崩しながらも、同じ質問を繰り返した。健一は、三郎の質問にはすぐに答えず、ニコニコ微笑みながら三郎のベッドの脇まで車椅子を滑り寄せた。
「申請したんだ。例の、乙種っていうやつを。」
 乙種適格であった。自ら志願して、日本のため、人のために、自らの命を捧げる。その行為を礼賛して、人々は乙種申請者を「志願兵」と呼んだ。しかし、その華やかな呼び名とは裏腹に、志願兵の実体は、身寄りがない、あるいは単独での生活が難しい等、主に生活困窮者が利用する手段となっていた。どうせこのまま生きていても碌なことはない。自暴自棄に陥った孤独な老人が、自殺も出来ず死場を求めて志願するというのが、乙種適格の真の姿であった。
「バ、バカな。どこの世界に自ら進んで、自分の命を縮める野郎がいるんだ。このバカ。」
 三郎は、健一を叱りつける傍らで、目の奥の涙腺が緩んでいくのを感じていた。
「前にも言っただろう。俺は、もう一人で生きていくのが辛くなったんだ。身体もだんだんということをきかなくなってくるし。これからのことを考えると、怖くて、怖くて。」
「だからといって・・・」
 三郎は、何かを言おうとしたがそれ以上は言葉にならなかった。三郎は、健一の目に薄っすらと光るものを見た。しばらく重苦しい沈黙が続いた後、健一がボソリと呟いた。
「半月前だ。雅夫が逝った。」
「えっ、何だって」
「だから、雅夫が、雅夫があの世に逝っちまったんだよー。」
 その時、健一の目からすっーと一筋の涙が頬を伝った。
「そ、そうか。雅夫が。あんなに元気だったのにな。あの、雅夫が・・」
 一ヵ月半前、入所の日にはまだ見送りに来れるほど元気だったあの雅夫が、まさか自分より先に逝くとは。三郎は突然の悲報に絶句した。
 人の命とは判らないものである。周囲を見回せば、そこら中に高齢者が溢れている。もう誰が先とか後とか言っていられない状況にあった。先程は、志願した健一を罵ってみた三郎も、もう口に言葉はなかった。
 とにかく、甲種だろうが、乙種だろうが、残り少ない人生の最後の一時をまた幼馴染の健一とともに過ごせる。そう考えるだけで、三郎の心の中に渦巻いていたこのところの不信感と不安感は少し和らいだ。
 しかし、次の瞬間、そんな三郎のささやかな喜びの気持ちは一瞬にして消え失せた。
「えっ、そ、それって、どういうことだ。」
 健一は、車椅子から身を乗り出して、人目を憚るように三郎の耳元で囁いた。その瞬間、三郎の頭の中は真っ白になり、絶壁の上から奈落の底に落ちていくような感覚に襲われた。
「だから、おめえのあの健康診断書、甲種適格を決める根拠になったあの診断書が、人違いだった可能性があるってことよ。」
 健一の口から驚愕の言葉が続く。「肝臓ガンで余命が後半年」、つい三ヶ月ほど前に受けた告知の瞬間が鮮明に三郎の脳裏に蘇ってきた。国立がんセンターの偉い先生の診断だから絶対間違いない、そう言われて信じ切っていたあの診断が人違いだった?。しかし、どうしてそんな大事なこと、人の命を左右するそんな大切なことに間違いが起きるのか。ひょっとして・・。
「で、明子や大樹はこのことを。」
「ああ、無論知ってるさ。というか、おめえの奥さんから、このことを聞かされたんだ。診断書か間違ってたかもしれないって。それで、大ちゃんがもういっぺん国立がんセンターまで聞きに行って。」
「それで。」
「けんもほろろだったとかさ。何しろあっちは肝臓ガンの専門の偉い先生だ。端から話にならねえ。」
 今、三郎はようやく目が覚めた。これまで、自分が抱き続けてきたもやもやとした不信感がいよいよ確信へと変わり始めた。自分は政府によって仕組まれた強大な陰謀に巻き込まれつつある。いや、自分だけではない、日本全国にいる何十万人という高齢者が、今この瞬間にも恐ろしい陰謀によって抹殺され続けている。国を救うという美名の下、何十万という尊い命が合法的に奪われ続けているのである。
「奥さん言ってたよ。おめえにとんでもないことをしちまったって。どうやってこのことをおめえに知らせたらいいんだって。そして、どうやっておめえを取り戻したらいいんだろうって。」
 三郎の脳裏に、診断書が間違っていたということを知って狼狽していく明子の様子が浮かんだ。そう言えば、つい先日のあの電話。明らかに明子の様子がいつもと違っていた。恐らく、明子はこのことを自分に知らせようとして、それで。三郎は、明子が早まったことをしないよう心の底で祈った。
「そ、それで。おめえ、まさか、まさか、そのことを知らせに。そのためにここへ。」
 揺れ動く三郎の心は、今度は健一に向けられた。幼馴染の親友の命が危ない。それを知らせるために健一は、自らの命を張って、ここへ。
「バ、バカ言え。俺はそこまでお人好しじゃねえさ。俺は自分のために、自分で決めて、ここへ来たんだ。」
 健一は、その後プイと窓の外に顔を向けてしまった。三郎はその横顔に深い深い友の情けを感じた。


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