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作品名:UBASUTE 作者:ツジセイゴウ

第6回   5 謀略
その頃、永久の荘理事長室。
「これ以上は無理かな。」
「もう、ギリギリです。でも霞ヶ関からの要請は日増しに強くなっています。」
「もっと早くしろということか。」
 北村理事長以下4人の幹部は深刻な顔つきで報告書に目を通していた。
「毎日の入所者数だけでも既に300人を上回っています。対して死亡者の数は1日平均200弱、このままでは後1ヶ月ほどでベッドが満杯になります。」
 木田事務局長が淡々と報告を続ける。
「うーん、しかしなあ。これ以上早くすると、入所者に気付かれないか。」
「その恐れは多分にあると思われます。現に、先日も食堂で大暴れした者がおりまして。」
「で、どうした。」
「はい、適切に処置いたしました。」
 永久の荘の成功は大々的にマスコミによっても報道されていた。重度な障害のある高齢者は集中して介護した方が効率性が高まるということを実証したからである。既に高齢者給付金予算は2兆円規模で削減されており、今後もまだまだ減ることが見込まれていた。大泉内閣はこの成果をさらに拡大したいとして、日々永久の荘への圧力を強めていた。
「理事長、アレを使いますか。」
「いくら何でも、アレはまずいだろう。流石の私もそれには賛成しかねる。」
 事務局長の意見に、理事長は渋い表情で腕を組んだ。
「しかし、このままでは遅かれ早かれパンクしますよ。そうなってからでは。」
「君、ここはアウシュビッツじゃないんだから。言っておくが、私は21世紀のヒトラーにはなりたくないからな。」
「どうせ、公園や橋の下で野垂れ死にする予定だった連中ばかりですよ。身寄りも定かじゃありません。そんな連中の千人や二千人、闇から闇で処分しても誰も何も言ってきませんよ。それに北村理事長、ここで大成果を収めれば、霞ヶ関への返り咲きも夢ではなくなり・・・。」
 事務局長の再三の意見具申に、北村理事長の心は微妙に揺れ動いた。心の奥底に巣食っていた悪魔がそろりと顔をのぞかせた。確かにこいつの言う通りかもしれん。ここに入所してくる連中のほとんどはどうせ碌なやつではいない。社会から落ちこぼれ、自分の老後の面倒すら自分で見切れない三流国民ばかりだ。そんなやつらに無駄金を払って生かしておくことの方が問題だ。どの道ここにいる4人は、いや4人だけではない、霞ヶ関にいる連中もだ、もう悪魔の虜となってしまった。今更何を。
「少し時間をくれないか。よく考えてみる。」
 北村理事長は静かに会議の終了を告げた。

「この診断書が何か。」
 がんセンターの佐々木教授は自信に満ちた顔付きでゆったりと話を進める。
 大樹は、明子を伴って三郎の主治医であった佐々木教授への面会を求めていた。明子はこの部屋に見覚えがあった。あの日、あの悪夢のような告知の日も、同じようにこの椅子に座って話を聞いた。あの時は、隣にいたのは大樹ではなく、夫の三郎であった。
 今の時代、ガンはどのような重篤なケースでも本人に告知することが医師法で定められていた。隠すことの方が、返って治療効果を下げるという医療審議会の報告を受けての法改正が10年前になされていた。
「肝臓ガンですね。それも門脈と胆管を塞ぐ形でかなり広範囲に広がっています。手術は無理ですね。」
 明子の脳裏に佐々木教授の冷たい告知の言葉が蘇った。あの時は、気が動転して詳しい話は何一つ聞けなかった。病巣を映し出したMRIの写真も見せられた。確かに、肝臓を覆う白い影が大きく広がっていた。
 傍らでは、三郎が不思議なほど冷静な様子で教授の説明を聞いていた。余命あと半年、残酷な告知にも微動だにしなかった三郎の姿がいまありありと瞼の裏に浮かんだ。
「こっちの診断表は父が3年前の町ぐるみ検診で受けたときのものです。血液検査の数値が全然違っているので不思議に思いまして。例えば、ここの総コレステロールの値なんか・・・」
「あっはは、そんなことですか。」
 佐々木教授は高らかに笑い声を上げた。
「いやいや、いいですか。血液検査の結果なんてその時の体調次第でいくらでも変わりますよ。昨日と今日とだって随分違った結果が出ることだってあります。ましてやこちらの診断表は3年前のものでしょう。そもそも比較の対象にすらなりませんよ。」
「でも、コレステロールの値は個人個人固有のもので、特別な治療をしない限り大きくは変わらないと聞きましたが。」
「健康な人の場合はそういうことも言えるかもしれませんが、あなたのお父様の場合、末期のガンを患っておられた。ガン細胞がコレステロール値を大きく下げることもあるんです。」
「じゃあ、なぜ腫瘍マーカーテストはなされなかったんですか。ガンの診断には不可欠だと聞きましたが。」
「おやおや、これは、これは、どこのお医者様に聞かれたのか。セカンドオピニオンっていうやつですか。全く失礼な。いいですか、当センターで最新式の磁気共鳴装置を使った診断でハッキリと病巣が捉えられたんです。腫瘍マーカーテストなんて必要ありませんよ。」
 残念ながら大樹の質問はそこまでであった。医学の知識が全くない大樹にとって、がんセンターの権威の医者と渡り合おうということ自体が土台無理な話であった。
「で、どうなさりたいのですか。誤診ということで当センターを訴えられますか。必要でしたら、カルテでもMR断層写真でも何でもお出ししますよ。今はそういう時代ですからね。こっちとしても、あらぬことで疑いを掛けられても後味が悪いし。」
 どうやら、これ以上問い詰めても無駄のようであった。先方も自信たっぷりで受けて立つという構えである。やはり、これは大樹の思い過ごしであったのだろうか。
「まあ、得心なされたのでしたら、どうぞお引取りください。私も午後にはオペがありますので。」
 大樹がそれ以上何も言わないのを確認した佐々木教授は早々に立ち上がった。
「ありがとうございました。ご面倒をお掛けしまして済みませんでした。」
 大樹は、座ったまま重い頭をわずかに下げた。

「飯野さん、はいお薬ですよ。毎食後きっちりと飲んでくださいね。」
 ヘルパーは、食事のトレーを片付けながら処方された薬と水の入ったグラスを三郎のベッドの脇に置いた。三郎が体調の不良を訴えたため3日前から薬の量が増えた。白いカプセルが2錠に粉薬の粉薬が1袋、それを一日3回毎食後に飲むように指示されていた。医師の話では、粉薬が抗ガン剤で、錠剤が胃薬とのことであった。
「後から飲みますから置いておいてください。」
 三郎は、すぐには薬に手をつけず、テレビのスイッチを入れた。ヘルパーが下がっていくのを確認した三郎は、徐に薬に手を伸ばすと、ティッシュペーパーを用意した。粉薬の袋を開けると中身を全てティッシュの上に流し込んだ。次いで錠剤の入った袋の封を切ると、やはりティッシュの上に転がした。
 それから周囲に人がいないことを確認した三郎は、手の平の中にくるんだティッシュをそっとベッドの布団の下に隠した。
 三郎は、今ようやく桜井氏の言っていた「気をつけなさい。」という言葉の意味を薄々理解し始めていた。体調が悪くなり出したのは薬が変わって3日目のことであった。医者の説明では、抗がん剤の副作用で、一週間もすれば慣れてくるということであった。それ以上の、詳しい説明は何もなかった。しかし、もしやと思って、薬を隠し始めて2日、体調は徐々に以前の状態に戻り始めた。
 ここに至って、三郎の不信感は強く大きくなった。投薬と称して密かに毒物を摂取させられているのではないか。しかし、もしそうだとしたら一体何のために。ま、まさか。
「飯野さん、お薬は終わられましたか。」
 ヘルパーが戻ってきた。
「はい、今終わりました。有り難うございました。」
 ヘルパーは、何事もなかったかのように、空になった粉薬の袋と錠剤のパッケージを片手で握りつぶすと、水の残ったコップとともに片付けた。
 このヘルパーは、一体白なのか黒なのか。もし薬の中身を知っているとしたら、ここまで平然と笑って後片付けが出来るものであろうか。しかし、用心するに越したことはない。万一、黒であったら、薬を捨てたことを主治医に報告するかもしれない。それは自らの命を縮めることになりかねない。


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