20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:UBASUTE 作者:ツジセイゴウ

第4回   3 疑惑
一週間後、飯野家。
「何、それ。それってどういうこと。」
 大樹の言葉に裕樹が眉をひそめた。
「俺にもよく分からない。ただ、寝たきりだったとはいえ、あんなに元気だった親父が肝臓ガンだったなんて、未だに信じられないんだ。」
「でも、国立ガンセンターの専門のお医者さんに診てもらったんだろう。」
「ああ、その時の先生は、あと半年、よくて1年だろうって。」
 大樹の手には、一枚の診断書と健康診断の結果表が握られていた。診断書の医師の所見欄には確かに「肝右葉に直径3センチ大のへパトーム(肝ガン)、リンパ、胆管への浸潤の可能性・・・」と記されてあった。
「肝臓ガンは進行が遅いし、あまり症状も出ないって言うぞ。」
「ああ、確かに。でも、セカンドオピニオンは求めなかったのか。」
「セカンドオピ・・?」
「そう、セカンドオピニオン。誰か別のお医者さんの意見も聞くということだ。万一ということもあるからな。」
 大樹は、医師からの告知の際に自らが立ち会わなかったことを後悔していた。明子は、全く医師の言いなりで、詳しい説明も求めることもなく告知は終了していた。しかし、明子にそのような重大な役割を期待する方が間違っていたのかもしれない。
 何しろ、最愛の夫が3年前に脳梗塞で倒れて半身不随となり、それに追い討ちをかけるように今度は肝臓ガン。冷静に医師の説明を聞いて来いという方が無理な話である。明子がかろうじて覚えていたことと言えば、三郎のガンが手術の難しい部位にあり、余命がそう長くないであろうということだけであった。
 三郎には、とりあえず化学療法と放射線治療によりガンが小さくなった後に手術するという説明をした。ただ、当の本人がそんな説明を真に受けるはずもない。三郎が今回あっさりと「永久の荘」行きを決断した背景には、無論寝たきりの生活が3年近く続いているということもあったが、ガンの告知が最後通告となったのは間違いない。
「それに、おかしいと思わないか。肝臓ガンだっていう告知があって十日も経たないうちに、例の紙が来た。まるで、待ってましたと言わんばかりに、だ。」
「そ、それは・・・。でも、ただの偶然じゃないのか。」
 裕樹は一瞬、言葉に窮した。大樹は一体何を言おうとしているのか。まさか・・・。裕樹は大樹の心の内を想像するうちに、背中に冷たいものが走るのを覚えた。
「ああ、そうかもしれない。俺も、こんなことは考えたくはない。皆が納得して、人事を尽くして、全ての可能性を調べ尽くした上で辿りついた結論だったら諦めもつく。ただ、中途半端なまま、時間に追われるように親父を送り出してしまったことが、未だに悔やまれてならないんだ。」
 裕樹は、大きく嘆息を漏らした。
「で、母さんには、このことを。」
「未だだ。いや、むしろ言わない方がいいのかもしれない。母さんも何日も何日も寝ずに考えた挙句に決断したことだ。それが、間違いだったかもしれないなんて口が裂けても言えるもんか。」
 大樹の言うことももっともであった。三郎を送り出す大前提となった肝臓ガンの診断が誤っていた可能性があるなどと告げるのは、明子に死ねと言うようなものであった。
「とにかく、俺はこの診断表を誰か詳しい人にもう一度見てもらおうと思ってる。」
 大樹が、三郎の診断表を封筒に入れようとしたその時。
「何を話してるんだい。二人そろって。」
 明子が部屋に入ってきた。
「い、いや特に。親父、今頃どうしてるんだろうね、って。」
 裕樹は、思わす背筋を伸ばして座り直した。
「あ、ああ。そうそう。その後、親父から連絡は?」
 大樹は、三郎の診断表の入った封筒をそっと机の下に隠しながら、相槌を打った。
「一昨日電話があったわ。元気そうだった。」
 明子は、裕樹の隣に腰を下ろしながら、話の輪に加わった。
「私ね、やっぱり決断してよかったと思ってる。だって、あんな元気なお父さんの声、久しぶりに聞いたもの。家族って、皆そろって家にいるのが一番だと、ずっと思ってた。でも、それは皆が五体満足で、元気でいられる時だけのこと。お父さんは、寝たきりになってからものすごく周囲に気を遣ってたみたい。私やお前たちにいらぬ心配や負担をかけたくないと、そればっかし。それが返ってお父さんを苦しめていたのかもしれない。」
 明子は、しんみりと語った。大樹は、明子の話に驚いた。あれだけ、献身的に三郎の介護を続けてきた明子の口から、よもやこのような言葉が出てくるとは思ってもみなかったからである。三郎を送り出したことで一番傷つき、そして苦しんできたはずの明子が、今目の前で、あれは間違いではなかったと言っている。大樹は、母親の言葉がにわかには信じられなかった。
ただ、このように改めて言われてみると、明子の話には奇妙に説得性があった。常識的に考えれば、食事や下の世話など、よほど親しい者にしか頼めないことである。しかし、それが介護される側の精神的な負担になっているとしたら、返って全くの赤の他人の方がいいのかもしれない。どんなに汚いことでも、相手はそれが仕事である。対価も払っていると思えば、遠慮は無用である。
しかし、本当にそれだけか。家族愛なんて、そんなものだったのか。大樹は、何となく納得がいかなかった。

 入所後一ヶ月。
「飯野さんも、ついに魔の二ヶ月目を迎えられましたな。」
 三郎の電動ベッドの隣に、車椅子が擦り寄ってきた。
「あっ、桜井さん。何ですか、その魔の二ヶ月っていうのは。」
 巨大なガラス張りの窓の外には、遠くに伊豆の海原が輝くのが見渡せた。三郎は、電動ベッドを少し起こしながら、車椅子の男に尋ね返した。桜井友男、三郎より一月ほど早く入所したこの男、どういう素性かよくわからないが、しばしば三郎の脇に寄って来ては話し込んだ。
 歳は八十過ぎ、やはり脳梗塞で下半身が不自由だという。三郎も遠慮があって詳しくは尋ねてはいなかったが、どうやら身寄りもなく、自ら手を上げて入所したらしい。歳の割りには元気がよく、しばしば車椅子を駆っては、この広大な館内をあちらこちらへと行き来しているようであった。
「魔の二ヶ月目。要は里が恋しくなる季節っていうところですかね。誰しも、最初の一ヶ月は毎日がビックリの連続でさあ。それまで寝た切りで、ベッドに縛られていた人が、ここじゃ文字通り「自由」を得る。温泉に入るもよし、うまい物を食うもよし、映画を見るもよし、読書をするもよし、大抵のことが自分で出来る。誰にも気兼ねは要らない。」
 三郎は、なるほどとばかり、コクリと頷いた。この老人の言うことは、全く今の自分に当てはまっていた。それまでは、明子や大樹に遠慮して、言いたいことも言えず、ただひたすらベッドの中で文字通り「いい子」にしてきた。それが、家族にとってベストだと思ってきたからである。
「でも、そんな生活も一月もすれば飽きてくる。2万人が暮らす巨大都市と言っても、所詮は檻の中だ。あの大海原に比べりゃ、ちっぽけな囲いの中に過ぎん。見るものがなくなれば、思い出すのは家族の顔だけだ。入所して二ヶ月を過ぎる頃からですよ。帰りたい、家族に会わせろ、と言い始める人が必ず出てくるんです。」
 三郎は、ドキリとした。一ヶ月前、家族には二度と会うまいと固い決意をして入所してきたつもりであった。しかし、この男の一言で、三郎のそんな固い心の内が微妙に揺れ動き始めた。残してきた明子や大樹の顔が、走馬灯のように目の前をグルグル通り過ぎた。
「飯野さんも気をつけられた方がいいですぞ。あんまり騒がしくすると、隔離棟行きになりますからな。」
「隔離棟?」
「おや、まだご存じなかったんですか。ここじゃ、施設の秩序を乱す人を隔離する別棟があるんですよ。まあ、刑務所の独房みたいなところでしょうな。私も詳しくは知りません。行ったことがないもんで。」
 三郎は、永久の荘に入所して初めて暗い話を耳にした。当初は、見るもの聞くもの全てが天国のように思えた。ここで暮らす人たちは、皆が笑顔で幸せそうに、まさに自らに残された天寿を静かに全うしているように見えた。ただ、この男の話を聞くと、必ずしもそうではなさそうである。
確かに、三郎も入所当初から、この館内に漂う静かさが少しは気になっていた。いくら覚悟を決めて入ってきたとはいえ、半年後に迫り来る最期の日を前にして、よくもこれだけ多くの人々が平穏でいられるものだと感心したこともあった。一人くらい、泣き叫ぶ人がいても不思議ではなかった。
「まあ、いいですがね。遅かれ早かれ、ここじゃ全ての人に等しく死が訪れる。それだけは間違いない。まあ一つ、お互い死ぬまで静かに天寿を全うしましょうや。」
 桜井友男はそう言い残すと、静かに車椅子を転がし始めた。
 三郎の心の内は何とも言えない嫌な気分に覆われ始めた。それまで一点の曇りもなかった青空に微かに暗い影が差し込んでくるのを感じた。

「そうですね。これだけの資料では何とも言えませんが、肝臓ガン、しかも末期の肝ガンを診断するにしては、いささか簡単すぎるような気も・・・」
 医師の口からは歯切れの悪い答えが返ってくる。大樹は、三郎の診断書を持って、都内の病院を訪ねていた。裕樹とも相談した結果、裕樹の友人の紹介で消火器外科の専門医にセカンドオピニオンを求めていた。
「がんセンターではMRIも撮って、それで見つかったんです。」
「MRIまで撮られたんだったら、まず間違いはないとは思いますが。ただ、肝ガンの診断は専門医でも難しいですから、通常であれば腫瘍マーカーによるテストも必ず併用するようにしています。」
「腫瘍マーカー、ですか。」
「そう、腫瘍マーカー。少し専門的な話になりますが、ガン細胞は増殖する際には必ず特殊なたんぱく質を放出します。患者さんの血液中のたんぱく質の濃度を調べれば、腫瘍か良性か悪性かがすぐに分かるのです。五年前にヘパトームの診断に用いられる新しい試薬が発見されてからは、ヘパトームの診断率が格段に改善しました。今じゃ肝ガンの診断には欠かせない検査です。がんセンターなら、MRIを撮る前にも必ず実施するはずですが。」
 医師は、三郎の診断書をひっくり返したりしながら何度も点検するが、結局それらしき検査結果の記録は見つからなかった。
「通常の血液検査の結果を見る限り、確かに肝機能がやや低下しているようです。ただ、残念ながらこれだけでは肝ガンかどうかの診断は無理です。ご存知のように、肝臓は沈黙の臓器と言われてまして、たとえガンになっても相当進行するまで目立った症状は出てきません。申し訳ありませんが・・・」
 結局、大樹が訪ねた医師の口からは確たる回答は得られなかった。ただ、大樹の疑いの気持ちだけは確実に深まった。がんセンターは、なぜ腫瘍マーカーテストを実施しなかったのか。あるいは単に診断表に結果を記載しなかっただけなのか。だとすれば、なぜ記載しなかったのか。今となっては、当の本人もいないため、再検査のしようもなかった。

「厚生労働省は、今年度の老齢年金支給総額が昨年に比べて1パーセント減少し、62兆円程度にとどまるとの見通しを発表しました。計画より2年前倒しで目標が達成できた理由として、同省は高齢者特別収容施設「永久の荘」の設立を上げており、今後さらに同様の施設を増設建設するかどうかが新たな課題として浮上してきました。」
 食堂のテレビから流れるニュースを三郎は複雑な思いで聞いていた。
 年金基金の運用資産は5年前に底を尽き、政府は毎年60兆円を超える高齢者給付金の大半を特別国債の発行によってまかなっていた。国の借金の残高は既に1500兆円を超え、金利も10パーセントを超える水準に達していた。
 誰が見ても、どうにもならないと思われていたこの国の財政を立て直すために取られた窮余の一策が「永久の荘」の設立であった。この世の楽園と安楽死をセットにしたこの制度は、しかし、大ヒットとなった。特に、身寄りのない寝たきりの高齢者の応募が殺到した。例え半年後に確実な「死」が待っているとしても、このまま誰に見取られることもなく孤独な死を迎えるよりはずっとまし。
 少なくとも、永久の荘に行けば半年間の贅沢三昧が保証される上に、没後は国によって手厚く葬られ、その御霊は大和神社で永代供養される。永久の荘行きを志願する高齢者にはこうした打算が強く働いていた。
「今日の厚生労働省の発表について、大泉総理大臣は次のような談話を発表しています。」
 キャスターのアナウンスに続いて、画面には大泉総理大臣の自信に満ちた顔がアップで映し出された。まだ五十過ぎという異例の若さで与党民自党の党首に抜擢された大泉総理は、行政改革推進者としてのリーダーシップを発揮し、のし上がってきた。「永久の荘」は自らの構造改革の最終仕上げとして、まさに政治生命をかけて着手したものであった。
「いやー正直、私自身も驚いています。大成功ですよ、これは。高齢者給付金の伸び率がマイナスになったのは実に32年ぶりのことです。来年度はさらに3パーセント程度の削減が見込まれています。わが国の財政は、ついに暗くて長いトンネルから抜け出す準備が整ったということです。私は、今ここで永久の荘に志願した人々に、心底からの敬意を表したいと思います。自らの命を掛けて、この国の危急を救おうとされた勇気ある行動は間違いなく後世に長く語り継がれることになるでしょう。」
 大泉総理の顔は、緊張と興奮で赤くなり、額には玉のような汗が吹き出していた。
「けっ、いい気なもんだぜ。何が永久の荘だ、何が志願だ。おらあ、特攻隊じゃねえぞ。このバカ。」
 三郎の隣でテレビに見入っていた一人の男が怒鳴り声を上げた。三郎と同じ日に入所した男であった。入所式の日もプンプンと酒臭いにおいをさせていたが、今日はそのにおいが一段と鼻を突くほどになっていた。本当かどうかは分からないが、本人曰く、これまで心筋梗塞の発作を二度も起こし、医師からも匙を投げられたとのことであった。そうこうするうちに例の紙が来て入所の日を迎えたのだという。
「ねえ、そうは思いませーんか。飯野さんよ。」
 三郎は、酒臭い息を吹っかけられて、思わず顔を背けた。もともと酒はあまりやらない三郎にとって、酔っ払いの吐く息の匂いはたまらなかった。
「おんや、俺も嫌われたもんだぜ。全部ばらしちゃおうかな。俺知ってんだ、何もかも。何もかも、ぜーんぶ。」
 男は、独り車椅子の上で踏ん反り返っていた。その騒々しさに、何人かの入所者たちが思わず振り返って、眉をひそめた。
「困ります。また、昼間っからこんなに飲んで。」
 ヘルパー二人が、酔っ払い男を包み隠すようにして、車椅子を押した。
「てやんでー、酒飲んでどこが悪いんだ。どうせ、もうすぐあの世行き。早く殺せー。このバーカ。」
 男は、運ばれて行く間中、館内に響き渡るほどの大声でわめき続けていた。
 その夜、三郎は昼間の出来事が気になってなかなか寝付けなかった。
確かにテレビの報道内容は腹立たしい限りであった。『お国のために命を差し出す』、いつかどこかで聞いたようなセリフだなと、三郎は思った。二十世紀は戦争の時代、二十一世紀は繁栄の時代と言われて久しい。今のような平和な時代に、まさか国のために命を差し出すことがあろうとは、考えてもみなかった。
人間はやはり残酷な生き物なのかもしれない。その昔、姥捨て伝説が語られたこともあった。それは、貧しくて今日明日の食い扶持もままならないような時代の出来事だとばかり思っていた。今のように物資が満ち溢れたこの飽食の時代に、まさか同じようなことが、しかも国家の手によって行われることになろうとは誰が想像したであろうか。
 そこまで考えて、三郎は、ふと桜井氏が昨日言っていた言葉を思い出した。これは、ひょっとして『魔の二ヶ月目』というやつでは。自分では絶対後戻りはしない、どうせ先のない人生、と思って入所してきた。しかし、これまでのところ体調もさして悪くない、食い物もうまい、毎日が天国のような暮らしである。人間、楽をすると、どうやら「生」に対する執着心が生まれてくるようである。自分は、もう少し頑張れたのではないか、もう一度人生をやり直せるのではないか、家族を捨てて入所したのは本当に正しい選択だったのか・・・。三郎の心は一晩中揺れ動き続けた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 3641