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作品名:UBASUTE 作者:ツジセイゴウ

第3回   2 入所
「それでは、よろしいですか、ご家族の皆様。出発のお時間です。お別れのご挨拶を。」
 入所期限まで後5日を残して、飯野三郎の入所の日が到来した。結局、大樹の金策は間に合わず、別れの日がやってきた。
「あ、あなたー。」
明子は、ストレッチャーに横たわった大樹の頬にすがりついた。三郎の目からも大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちている。一旦入所すると、電話、手紙等の通信手段を除き、二度と互いの顔を見ることは出来なくなる。文字通り永久の別れとなる。
明子に続いて、大樹、裕樹と、順々に三郎の手を握り締め、頬ずりしていく。三郎は、家族や友人から捧げられた花束を両手に抱いて、静かに頷いた。
「ひぃーん。」
 明子の泣き声か一際高くなった。大樹は心臓が引きちぎられそうな思いをじっと堪えて、静かに頭を下げた。
ストレッチャーは、厳かに飯野の家の玄関先に出る。傍らから、三郎の口元にそっとマイクが差し出された。
「ご町内の皆様、ご親戚の皆様、長い間お世話になりました。ご存知のとおり、私の命も残り少なくなりました。こうやって声の出せるうちに皆様に一言ご挨拶申し上げたいと思います。私は、この街で生まれ、この街で育ち・・・」
 三郎の挨拶が続く。この町内からの入所者は三郎で5人目であった。挨拶の要領も心得たものである。飯野家の玄関先には、町内会の数十人の人たちが見送りのために集まってきていた。
「茂樹は、まだか。」
 大樹は、そっと傍らに立つ裕樹に声を掛けた。
「あいつは、来ないだろうょ。冷たいもんだよ。実の親といっても、あいつにとっちゃ・・」
 二人が話をしている間にも、三郎の挨拶は結語へと続いていく。
「それでは、ご出発です。皆様、最後のお別れを。」
 合図とともに、送迎用に横付けされた車の後部扉が開き、ストレッチャーの足が折れた。
「あなた、ダメー、やっぱり行かないでーー。」
 明子はストレッチャーにすがりつくようにして号泣した。
「こら、明子、よさないか。みっともない。」
 三郎は、ストレッチャーの上から明子をたしなめようとするが、やせ衰えた右腕はプルプルと震え、その後は声にならなかった。見送る人たちの間からもすすり泣く声が聞こえる。
「貴様とおれとは同期の桜・・・、同じこの街の庭に咲く・・・」
 幼馴染の健一と雅夫の合唱する声が小さく聞こえ始めた。三郎は、自分の姿をこれから出征していく兵隊の姿に重ね合わせてみた。生きて返ってくることが適わないことを承知の上で、国のため、残される人々のため、まさに命を捨てるために出立していくのである。
「見事散りましょう、国のため・・・。」
 二人の合唱の声は、次第にかすれ声で途切れ途切れになり始めた。三郎は、思った。自分の死が、国のため、誰かのために役立つのであればそれでいい。それだけで。そう思わないでは、到底この場をやり過ごすことは出来なかった。
やがて、三郎の手を握り締めていた明子の手がストレッチャーの脇からすべり落ち、明子はついに玄関先にへたり込んだ。傍らから、大樹が明子を抱きかかえるように立ち上がらせようとする。その間にも、三郎のストレッチャーは車内へと滑り込んだ。その後、無情にもバタンと扉の閉まる音がことのほか大きく響いた。
「パ、パアー。」
 大きなクラクション音がもの悲しく響き渡り、車はゆっくりと走り始めた。
「あ、あなたー、あなたー。」
 明子は必死の形相で、車を追いかけようとするが、車影は次第に小さくなり、ついには見えなくなった。
「人は分からないものねー。飯野さん、あんなにお元気だったのに。」
「ああ、てっきり俺の方が先だと思ってたのに。」
「家族の方たちはどうしてたんだろうね。冷たいもんだねー。」
 車が見えなくなるのを待っていたかのように、集まっていた人々は、口々に小声で言葉を交わしあいながら、三々五々解散していった。後には、明子を始め、飯野の家の人たちがポツリと取り残され、いつまでも車が走り去った道を見つめていた。

永久の荘、ホール。
「皆様、永久の荘にようこそ。本日入所されます方々は全部で246名です。私たちが、皆様の貴重な人生の総仕上げのお世話をさせていただきます。どうか、よろしくお願いいたします。」
 ホールに永久の荘のコンセルジュの説明の声が響く。巨大なドーム型のホールの天井は全てガラス張りで、南国伊豆の明るい日差しが差し込み、真冬とは思えないほどの暖かさに保たれていた。ホールには今日入所する高齢者たちが集まり、ある者は車椅子に乗り、またある者はベッドに横になったまま、オリエンテーションを受けていた。大半の人が、多かれ少なかれ何らかの障害を抱えているようであった。
「それでは、続きまして、永久の荘の設備について少し説明させていただきます。」
 コンセルジュの合図で、天井のガラスにシャドーが入り、ホールの中がほの暗くなった。同時に正面の巨大なスクリーンに永久の荘の全景が映し出された。その壮大なスケールに入所者の感嘆の声が上がった。
「この永久の荘は、収容人員2万人。それとほぼ同じ人数のスタッフが皆様の生活をサポートしてまいります。中央には、総合病院と温泉施設、それに各種のレクリエーション施設があり、皆様が普段生活される居住棟とはすべて回廊で結ばれています。館内は完全なバリアフリーとなっており、ほとんどの場所には電動ベッドでも移動できる仕組みになっています。ですから、極端な話、指一本動かせればどこへでも自由に行けるということです。」
 三郎は、次々に映し出される館内の映像に息を呑んだ。廊下は全て電動ベッドが2台優に並んですれ違える広さがあり、エレベーターやトイレのドアも全てワンタッチのリモコンで開閉できるようになっていた。レストランもベッドのままで出入りできるだけのゆとりをもって造られていた。
 圧巻は、温泉であった。普通の温泉旅館の大浴場の十倍ほどの巨大な浴場には、天井から何十という入浴用ベッドが吊り下げられており、これもまた全てワンタッチの操作で自由に上げ下げできるようになっていた。しかも、永久の荘の中には、こうした温泉施設が十数か所も設置されており、寝たきりの人でもまさに寝ながらにして湯巡りが出来るようになっていた。
「こ、これは。すごい。聞きしに勝る素晴らしさだ。」
「こんなところで半年も暮らせるなら、その後はどうなったっていいさ。」
 入所者の誰からともなく感嘆の声が上がった。
「皆様には、専門の医療スタッフが24時間態勢で付き添いますので、何の心配も要りません。全員にお渡しますリモコンのコールボタンを押すだけで、皆様が館内のどこにおられるかを瞬時に把握し、五分以内に救急医療チームが駆けつけます。ですから重い持病のある方でも安心してお出かけになれます。」
 コンセルジュの口から驚愕の説明が続く。
「こりゃ、ぶったまげた。でも、なしてここまで・・・」
「そりゃあ当然だろ。何せこの命をくれてやるんだから、せめて死ぬ前にこれくらいの贅沢はさせてもらわにゃ。」
 入所者の何人からどよめきの声が上がった。三郎も驚きの余り声を失していた。今目の前に見えている光景は夢ではなかろうか。あの日、あの発作で倒れた日以来、二度とありえないと思っていた自由の世界が今眼前に広がっている。寝たきりで何をするにも人の手を借りる必要があった。気兼ねして、頼みたいことも思うように口に出せない。そんな抑うつされた牢獄のような世界から解放されたような気分になった。
「それでは皆様、これから半年、人生最後の楽園生活をお楽しみください。」
 コンセルジュの挨拶と同時に、何人かの入所者から歓声が沸きあがった。

三日後。
「もしもし、ああ、明子か、俺だ。」
「あっ、あなた。」
 入所して初めての電話が三郎から架かってきた。入所したといっても、すぐに永久の別れとなるわけではない。電話や手紙のやり取りは、本人が可能な限り続けられる。今の明子にとっては、電話が唯一夫との通信手段であった。
「す、すごいぞ。想像以上だ。ここの設備はすごい。電動ベッドでどこでも好きな場所に独りで行けるんだ。車椅子じゃないぞ。ベッドだ、ベッドが自由に動くんだ。家にいた頃じゃ考えられなかった。メシもうまい。いろいろなメニューから自由に選べる。専任のヘルパーが介護してくれるから食べるのも楽だ。温泉も毎日だ。寝たまま風呂に入れるんだ。ベッドが自動で動いて・・・」
 三郎は、興奮した状態で立て続けにまくし立てた。
「はい、はい。」
 明子はうれしそうに返事をした。三郎が入所してまだ三日しか経っていなかったが、もう何年も三郎の声を聞いていないような気がした。
 家にいる時は、よく我ままを言って明子を困らせた。腰が痛いだの、メシがまずいだの、数えれば切りがない。一日中でベッドの上にいると、それだけで苦痛である。三郎の愚痴はそんな苦痛を代弁しているかのようであった。明子は、三郎の声を聞くたびに口を尖らせた。
今の明子には、その三郎の声が妙に懐かしく、思わず目頭が熱くなっていくのを覚えた。三郎がいなくなって、明子の負担は大きく減った。食事や下の世話もなくなった。愚痴も聞かなくていい。確実に楽になったはずであったが、あの日以来、明子の心の中にポッカリと大きな穴が開いたままになっていた。
「そ、そう。それは良かったわね。」
 本当は、もっともっと話したいことがあるのに、すぐに声にならない。自分の夫と話をするのにこんなに緊張したのは、恐らくプロポーズの時以来かもしれない。
「どうした、泣いているのか。」
 明子が、何も話さないので、三郎は思わず聞き返した。
「い、いえ。だって、あなたが、ずっとしゃべりっ放しで。」
「そ、そうか。悪かったな。ところで、そっちはどうだ。皆、元気か。」
「はい。あの後、大樹や裕樹が交代で毎日来てくれて。あの子達たったら、私が一人になって良からぬことを考えたりしないか、心配してるらしくて。」
「そうか。何てやつらだ。俺がいる時は一年に一回か二回しか来なかったくせに。やっぱり、子供にとっちゃ母親っていいものなんだな。明子、それはお前の人徳だよ、人徳。」
「まあ、あなたったら。」
 ようやく明子の声に笑い声が混じった。
 明子は、快活な夫の声を聞いて、複雑な思いに駆られた。本当は、これでよかったのかもしれない。三郎の声はわずか三日間の間に随分と明るくなった。家にいた時、三郎が明子を呼ぶ声は悲痛に満ちていた。自分が存在していることが家族にどれほどの犠牲を強いているのか、分かってはいるが自分では何も出来ない。そのもどかしさが、時には怒鳴り声に、時には涙声になって、明子を苦しめ続けた。
 今は違う。食事のことも、下のことも、言えばすぐにヘルパーが飛んできてくれる。全く赤の他人であるがゆえに、返って我ままも言いやすい。まるでロボットのように、何度呼んでも、どんな無理難題を言っても、愚痴一つ言わずせっせと片付けてくれる。三郎は、窮屈な籠から解放された鳥のように思いっきり羽を伸ばしていた。そんな生き生きとした生活の様子が、三郎の声の中に投影されていた。
「明子、お前も一人で寂しいだろうから、これからは毎日電話を入れてやろう。毎日だぞ。覚悟しとけ。毎日、嫌というほど俺の声を聞かせてやるから。」
「はい、はい。分かりました。」
「じゃあ、またな。」
 カチッと電話の切れる音がした。
 明子は、ほっと大きく胸を撫で下ろした。三郎の元気そうな声を聞いて、胸の中のわだかまりが解けていくような気がした。少なくともこの三日間、明子は、自分のしたことを後悔して、悶々として過ごした。大樹が裕樹が来てくれていなかったら、本当に悪い考えを実行に移してしまったかもしれない。
 でも、電話の向こうの三郎の声はまるで人が違ったように快活であった。あの三郎の声を聞けば、今まで家に閉じ込めていたことの方がむしろ罪のように思えた。少なくとも、あの場所に送り出したことは間違いではなかった、これでよかったのかもしれないと思うほどに、心の重石は軽くなっていった。


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