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作品名:UBASUTE 作者:ツジセイゴウ

第2回   1 家族会議
時を遡ること30年、2030年の2月。
「ついに来たか。」
「ああ、今年当たり危ないんじゃないかって思ってたんだが、やっぱり。」
 長男の大樹が、沈痛な面持ちで、赤色の紙片を次男の裕樹に手渡した。飯野家では、家族4人が集まって、深刻な面持ちで家族会議が開かれていた。
「それで、おやじはこのことを。」
「まだよ。私の口からは到底切り出せなくて。」
 明子は、そっと目頭を押さえた。赤い紙片は、裕樹の手から大樹の嫁の恵子、最後に明子へと順々に回された。「入所通知令状」と書かれたその紙片の差出人は、厚生労働省高齢者対策局。紙の中央あたりには、ハッキリと見えるように「入所期限2030年3月20日」と記されていた。
「で、どうするんだ。免除申請するのか。」
 裕樹は、後の3人の顔色を伺うように切り出した。その声は、いかにも歯切れが悪く、誰かが否定してくれないかなという期待感がこもったような曖昧なトーンであった。
しかし、他の4人の口からは、いくら待ってもイエスともノーとも答えは出てこなかった。口を開くことが憚られるような重苦しい沈黙だけが続いた。そして、その沈黙を破るかのように、明子の号泣する声が飯野家の居間に響いた。

 2030年、世は超高齢化社会を迎えていた。年金財政は5年前に既に破綻し、自助努力できない高齢者が巷に溢れ始めていた。政府が取った究極の対策は、後期高齢者特別収容施設「永久の荘」の設立であった。介護が必要な高齢者を強制的に収容施設に集め、国全体の介護負担を減らそうという試みであった。大泉内閣の試算では、この制度により年間3兆円以上の高齢者給付予算が削減できるとしていた。
 永久の荘は、全国10ヶ所に設立された。南関東地区では、温暖な南国の地、伊豆に、5年前総額3千億円の巨費を投じて建設された。総収容人員2万人。なだらかな伊豆高原の山々を切り開き、50棟を超える居住棟に加え、病院、温泉療養施設や数多くのレクリエーション施設棟が立ち並んでいた。単なる施設というよりは、むしろその一体が一大都市空間を形成しているといった方が当たっていた。
 誰が見ても、これ以上のものはないと思われるほど贅を尽くしたこの街には、しかし、それだけの巨費を投じるに値する理由があった。なぜなら、この施設に入所する者は、白い箱に収まらずして再び外に出ることはなかったからである。

「で、誰がおやじに鈴をつけに行くんだ。」
「俺はいやだね。そんな残酷なこと・・・」
「やっぱり、母さんしかないだろう。」
 家族会議は、もう何時間も続き、居合わせた全員の顔に疲れの表情がにじみ出ていた。
 飯野三郎、この家の世帯主であり、妻明子の良き夫として、そして四人の子供たちの良き父親として、長年一家を支えてきた。それが、3年前脳梗塞で倒れてからというもの、ほとんど寝たきり状態となり、さらに悪いことに最近肝臓にガンが見つかった。
送られてきた、入所通知令状には、入所要件として以下の三項目が記されていた。
@ 年齢が満75歳以上であること
A 政府指定の健康診断で「甲種適格」と判定された者であること
B 高齢者給付金の受給額が、三年連続して200万円を超えること
令状には、それに続いて以下のような文言が記されてあった。
『高齢者対策法第十条に規定に従い、永久の荘入所要件の全てに該当する者にこの令状が送付されます。令状記載の入所期限までに遅滞なく入所手続きを済ませられますようお願いします。なお、免除申請される場合は、この令状送達の日から三週間以内に所定の申請書を市役所に提出してください』
「甲種適格」とは、要介護4以上でかつ重度の不治の病を患い余命が長くないと医師が認定することが、主たる要件となっていた。これに対し、「乙種適格」というのもあった。健康診断上は問題ないものの、自ら申請して入所する場合をいい、主に所得が少なく単独で生活することが困難な者が利用していた。
三郎の場合、令状が来たということは、この甲種適格に該当していた。令状が来れば、原則として入所が義務付けられるが、家族の同意のもと免除申請をすれば認められる場合もある。しかし、そのためには、医療、介護費用の名目で、最低でも500万円の一時金を国に納付しなければならない。そして、その後も、介護、疾病の度合いに応じて免除継続申請金が発生していく。

 その日の夕刻、家族会議は、結局結論を出せないまま中断した。唯一決まったことは、この事実をまず当の本人に伝えること、そしてその役目を明子が担うこと、の2点だけであった。長男の大樹が、不測の事態に備え、その日の夜は飯野家に泊まることとなった。
 明子は、三郎の寝室にそっと足を踏み入れた。短い冬の日差しは既に西に回り、赤々とした夕陽の色が窓ガラスに映えていた。三郎は眠っているのであろうか、返事がない。脳梗塞で倒れてからというものほとんど寝たきり状態で、わずかに右手を動かすことが出来るだけであった。先月まで近くの特別養護老人ホームに入っていたが、その費用も払えなくなり、今月からは自宅療養に切り替わっていた。
「あ、あなた。」
明子は、夫に悟られまいと、出来る限りいつもと変わらない様子で話しかけた。しかし、そこは50年も夫婦をやってきた仲である。
「来たんだろう。例の紙が。」
 三郎は、窓の外に顔を向けたまま、ボソリと呟いた。明子は、ドキリとした。ゆっくりと時間をかけて、心の準備を整えて、それから言葉を探して、しかるべく夫に告げようと思っていた矢先に、夫の方からよもや思いもかけなかった言葉が飛び出した。
「な、何ですか、例の紙って。」
「すっ呆けたってダメだ。お前の顔に書いてあるさ。令状が来たって。」
 三郎の顔がゆっくり動いて明子の方に向き直った。窓から差し込む夕陽のせいか、夫の顔色は窺い知ることが出来ない。対して、三郎の方からは、明子の表情が手に取るように見えた。明子は、いま後悔していた。やっぱりこの役目は自分には無理、大樹に頼めばよかった。そう思った瞬間、両足が小刻みに震え始め、立っていられなくなってきた。
「いいさ。俺もそろそろ潮時かなと思っていたし。これ以上、ここで寝て暮らしたって何の楽しみもない。聞けば、永久の荘って天国みたいなところだそうじゃないか。一度でいいから死ぬまでにそんなところで、ゆっくりしてみたいもんだ。」
 明子は、返事をする代わりに、緊張の糸が切れたようにベッドの脇に崩れ落ち、そのまま号泣した。
「どうして泣くんだ。お国のため、家族のため、皆のために、いや自分のためにもだ、あそこへ行くんだ。それで何が悪い。」
「でも、あなた。あ、あ、あああ・・」
 明子は、結局一言もしゃべることなく、残酷な使命を全うすることとなった。

 翌日、三郎の寝室。
「『永久の荘』、か。なかなかいい名前をつけたじゃないか。うん、これは楽しそうだ。温泉なんかもう何年も入っていない。でも、ここじゃ寝たまま温泉に入れるそうだ。最高じゃないか。」
 三郎は、わずかに動く右手で、入所通知令状に同封された入所ガイドを繰りながら目を細めた。もう隠しても仕方がない。こうなったら、一日も早く本人に告知し、その意思を確認しなければならない。
永久の荘では、人生の最後の半年を過ごすために贅を尽くした最高のサービスが、完全な無償で用意されていた。最高の医療設備に、最高の介護スタッフ、そして最高の食事、ありとあらゆるサービスが整っていた。しかし、これらのサービスは全ていずれ訪れる旅立ちの日のための序章に過ぎなかった。
 三郎は、まだまだ恵まれた方であった。身体の不自由があるとはいえ、傍には明子もいるし、2人の子供も時折は顔を見せに来た。世の中には、子供たちからも完全に見放され、病院で看取る人もなく息絶える人も数多くいる。
とはいえ、飯野家においても、経済面から今の生活をいつまでも続けることが困難になりつつあった。政府が支給する年金も当初の計画の半額となり、医療費についても三郎のような重症患者の場合、保険適用後でも月々40万円程度はかかった。生涯豊かに暮らすのに十分と思っていた貯えも底をつき、今では子供たちから送られてくるわずかな仕送りだけが頼りとなっていた。
「あなた、早まらないでくださいな。今、大樹たちが免除申請のための費用を工面しに行ってくれてるから。」
「免除申請?、バ、バカな。あんなもの申請したら、最低でも500万円はいる。そんな無駄金使うんじゃない。そんな金があったら孫たちのために使った方がよっぽどましだ。もう決めたんだ、俺は。誰にも否やは言わせん。」
 三郎は、キッパリと強い口調で言い切ると、不自由な右手に力を込めて、明子に背を向けた。明子には、そんな三郎の心の内が手に取るように読めた。三郎の背中には、ハッキリと涙の後が見えた。

入所期限まであと3週間、大樹の自宅。
「あなた、どうしようというの、通帳なんか持ち出したりして。まさか・・」
 恵子は、大樹を呼び咎めた。
「決まってるだろ、免除申請・・・」
「やめて、あなた、お願いだから。それだけは。それは祐太のために、祐太のために、せっせっと積み立ててきたものなの。それがなくなると、あの子大学にも行けなくなる。」
「しかし、人の命には替えられんだろう。」
「あなた、私たちとお父さんとどっちが大事なの。」
 恵子は、必死に大樹に取りすがった。大樹の家も決して余裕があるわけではなかった。住宅ローンの返済に、子供の学費、人生で最も出費の多い時期であった。そんな中、大樹が内緒で実家へ仕送りを続けていることも、恵子は知っていた。長男である以上親の面倒を見るのは仕方のないことと諦め、恵子は、その分生活を切り詰めてきた。しかし、我慢するにも限度があった。
 「どっちが大事」と尋ねられて、大樹は一瞬、答えに窮した。そして、言い表しようのない憤りを覚えた。
「どっちも大事に決まってるだろ。当たり前のことを聞くな。祐太の学費のことなら何とかなる。でも、親父の方は待ったなしだ。ここで決断しなければ、後で一生後悔することになるぞ。」
「でも、免除申請は今回だけじゃないんでしょう。もし、お父様が長生きされたらまた来年も・・」
「うるさい。そんなこと言わなくても分かってる。お前も所詮は、飯野の家の者じゃないんだ。親父がどうなろうと、自分さえ良ければ・・・」
「ひ、ひどい。私、何もそこまで言うつもりは・・・」
 恵子は、テーブルに突っ伏して、大声で泣き出した。
「どうしたの、ママ。パパ、ダメだよ、ママをいじめちゃ。」
 何も知らない祐太だけが、恵子をかばおうと駆け寄った。

 入所期限まであと2週間。
「サブちゃん、ついに来たんだってな、例の紙が。」
「ああ。」
「俺も行く。おめえだけ一人行かせてなるもんか。」
「いいよ、無理しなくても。それにお前んとこには、令状まだ来てねえんだろう。」
 今日は、幼なじみの中山健一が三郎を見舞っていた。
「そんなの関係ねえ。自分で申請すれば、「乙種適格」の診断が下りるさ。俺ももうこんな身体だ。そう長くはない。甲種だろうが乙種だろうが関係ねえよ。」
 健一は、要介護2で、まだ身の回りのことはほとんど自分ですることが出来た。ただ、身寄りがなく、一人暮らしがもう5年も続いていた。高齢者の一人暮らしは辛いものがあるし、危険も伴う。つい先日もストーブをつけっ放しで眠りかけ、危うく一酸化炭素中毒になるところであった。たまたま、巡回の介護士が気づいて事なきを得たが、あと一時間遅かったらどうなっていたか。
「三丁目の雅夫も、もうだめらしいぞ。先日血ぃ吐いたって。あそこも大変だよな。息子はアメリカにいるそうだ。いくら東大出たって、冷たえもんだ。結局は、親子といえども赤の他人さ。」
 三郎は、静かに頷いた。自分はまだいい方なのかもしれない。曲がりなりにも、こうやって心配してくれる家族がいる。それに比べ、健一や雅夫は。
「そうだ、三人で一緒に行こう。昔みてえに三人そろって。よく三人で遊んだなあ。ほら、覚えているか。園城寺の境内で、止めとけっていうのに、雅夫のやつが柿取りなんかして。あの時は、あそこのクソ坊主にこっぴどくしかられたなあ。」
「ああ、石段のところで座禅組まされて。足が痛いのなんのって。」
 ようやく、三郎の顔に笑顔が戻った。
「あの、坊さんも三年前、入所したってよ。若い頃から、不摂生してたんだろう。坊主のくせに糖尿病とかで目が見えんようになって。身寄りもなくて、ついに観念したのかね。」
 こうやって話をしていても、ついつい入所の話に戻ってしまう。三郎が再び暗い顔に戻ったので、健一は口をつぐんでしまった。
「す、済まねえ。そんなつもりじゃ。」
「いや、いいんだ。」
「それで、入所期限は。」
「3月20日だ。今、大樹たちが免除申請のための金策に走り回っているらしい。」
「そ、そうか。」
 健一の口にもう言葉はなかった。健一は重い腰を上げた。

 入所期限まで後10日。
「だから、茂樹、あと10万円、何とかならないか。」
 大樹は、懇願するような声で電話に向かって話をした。
「無理だよ。俺には、あれで精一杯だ。」
 電話の向こうに、面倒くさそうな茂樹の声が聞こえた。
「精一杯って、お前、まだ30万円しか出していないんだぞ。俺なんか、苦しい家計の中から何とか250万円用意した。それに裕ニイだって100万円頑張ったんだ。」
「兄貴と一緒にするなよなあ。兄貴はいいさ。いつも親父に可愛がってもらってさ。大学の費用だって、結婚式の費用だって、みーんな出してもらって。それに引き換え、この俺は、親父にしてみれば、どうしようもないドラ息子だろう。未だに定職にも就かずニート生活だし。金なんかあるわけねえだろう。」
「何だ、その言い種は。お前、親父がどうなったっていいのか。」
「知るかよ、そんなこと。こっちは明日の飯代の心配もしなきゃいけないんだよ。」
 プッ、という音ともに電話が切れた。
「くそっ、何てやつだ。」
 大樹は受話器に向かって罵りの言葉を吐いた。

 入所期限まで後1週間。飯野家。
「母さん、今日までに何とか400万円集めた。後100万円、もう少し待って。」
「大樹、もういいんだよ。もういいの。」
「いいって、何が。」
 大樹は、明子の様子からわずかな異変を感じ取った。1週間前に会った時に比べて明らかに何かが変わった。確かに入所期限が迫って来ている。明子のストレス状態は、既に尋常なものではなかった。何日も眠れぬ夜を過ごし、食事も喉を通らない。そうでなくても小さな明子の身体が、あの日以来、さらに一回り小さくなったような気がした。
 大樹は、明子が何かを隠しているような気がした。明子は、いつも隠し事をした時、視線をそらす癖があった。今日の明子は、明らかに大樹の視線を避けていた。一体、何があったのか。二人の間に、重苦しい沈黙の時間が流れた。
「もういいの、全ては終わったのよ。何もかも。」
「終わったって、母さん、ま、まさか。」
「昨日、市役所、市役所へ行って・・・」
 事の次第を説明する明子の声は、感情の高ぶりのせいで既に涙声となり、もう自制の効く状態ではなくなりつつあった。
「入所申請書を出してきたー。」
 その一言ともに、明子はどっと身体を折り曲げて、泣き崩れた。
「な、何て、早まったことを。早く取り下げに行かないと。」
 立ち上がろうとする大樹を、しかし、明子は制した。
「大樹、いいの、これで。お父さんと二人で決めたことだから。」
「でも、親父は本音では納得していないんだろう。そんなこと、母さんが一番よく分かってるはずじゃ。」
 その時、大樹はふと自分の名を呼ぶ声を耳にした。
「大樹、大樹、だいきー。」
 その声は、奥の寝室の方から聞こえてきた。三郎であった。大樹は、その声に吸い寄せられるように三郎の寝室に入った。三郎は、身動きできない身体をよじりながら、何かを訴えるように大樹の方に顔を向けた。
「父さん、聞いたよ。何てバカなことを。もう少し待っていてくれれば。」
「大樹、一番辛いのは母さんなんだ。わかるだろう。俺が動ければ自分で行くところだった。でも、この身体じゃなあ。俺は、母さんに、百回同じことを頼んだんだ。どうしても嫌だっていう母さんにな。昨日のことだったよ。母さんはやっと市役所に行ってくれた。お前に分かるか、この母さんの気持ちが。」
 大樹は、何かを言いかけたが、喉に引っかかって声にならなかった。
「大樹、言っておくがな、俺は何もお前たちのことを思って決めたんじゃない。正直、もう生きているのが辛くなったんだ。こんな身体じゃ、好きなことも出来ない。それに、今度は肝臓にガンだ。この先、ベッドの上でのた打ち回って死んでいく自分を見るのが怖いんだ。俺には、そんな勇気も気力もない。」
「だからと言って、父さん。どこの世界に、母さんや子供たちを捨てて、勝手に先に逝く親がいるんだ。そんな身勝手、僕が許さないから。」
 大樹は大粒の涙をポロポロと流した。
「バカだな。男のくせに。お前は、この家の長男だろう。」
「父さんはいつもそうなんだから。長男、長男って。何かあればいつも・・・」
 その後は声にならなかった。
「あさって、役所の方から迎えが来るそうだ。」
「あさって? そんなバカな。間に合わないじゃない。」
「間に合わないって、何が。」
「決まってるだろ、皆呼ばなきゃ。もう一回、家族会議だ。」
「まだ、そんなこと言ってる。何回会議を開いたって結論は同じだ。もう、決めたんだ。」
 大樹は、大急ぎで立ち上がった。これ以上、何を言っても無駄。後は、何とか金策をして、無理やりにでも免除申請するしか手は残っていなかった。
「大樹、おい大樹、どこへ行くんだ。おーい、明子、明子はどこだ。」
 三郎は、わずかに動く右手を高々と上げて、大樹と明子の名を呼び続けた。明子、居間のソファに突っ伏したまま、慟哭の淵に沈んでいた。


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