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作品名:UBASUTE 作者:ツジセイゴウ

最終回   エピローグ
1ヵ月後、調査を終えたWHOから正式にインフルエンザ終息宣言が出され、永久の荘のゲートが開かれた。梅雨明け間近の雲間から、一条の陽光が差し込み、永久の荘全体を優しく包み込んだ。その中を一人、また一人と、ある者は自力で、ある者は車椅子に乗り、そしてある者は介護士の肩を借りながら、ゲートの外へと歩み出す。
「おじいちゃん、ありがとう。このご恩は一生忘れないよ。」
「よかったなー。元気になって。これからも頑張れよ。」
 入所者も、スタッフも、皆抱き合って喜びをかみ締め、青空に向かって歓喜の一声をあげた。
そんな中に、やつれ果てた北村理事長の姿もあった。いや今ではもう理事長という肩書きもなくなり、一老スタッフとして、感慨深げに永久の荘の建物を見上げていた。その口に言葉はなく、無言のまま深々と黙礼した。その両手には、『事務局長木田俊夫殿』という札のついた白い木箱がしっかりと携えられていた。
「サブ、ついに終わったよ。元気にしてるか。早く会いてえなあ。」
 中山健一の声が聞こえた。結局、健一にもインフルエンザの発症はなく、無事にこの日を迎えた。健一は、手に握り締めた茜の携帯電話を繁々と見つめ直した。茂樹が死んだことをまだ知らない健一は、どうやって茜のことを茂樹に伝えればいいのか考えあぐねていた。

今回のインフルエンザ感染による死亡者数は、最終的に入所者150名に対し、スタッフ635名と報告された。あの山口医師の推測どおり、入所者の多くは香港風邪に感染した経験があった。これに対し、スタッフの方は予防接種を受けていたにもかかわらず、不思議なことに抗体が形成されていなかった。そのために多くの犠牲者を出すこととなってしまった。
WHO特別査察チームの厳正な調査の結果、永久の荘に散布されたウイルスは、防衛大学生物・化学兵器研究所で人工的に合成されたものであったことが判明した。人工的にウイルスを合成したために、抗体形成過程において何らかのアノマリーが発生し、ワクチンの効かない新型ウイルスを発生させた可能性が指摘された。
一方、「甲種適格」で入所を強いられた高齢者のうち、かなりの数の者の健康診断書が捏造されていたことも明らかにされた。事態を重く見た国連安全保障理事会事務局は、正式に国際刑事裁判手続きを要請し、「永久の荘」事件に関った多くの関係者が司直の手によって裁かれる見通しとなった。
歴史は繰り返す。20世紀前半、かの太平洋戦争で死亡した日本人の数は300万人に上ったと言われている。誰もが何かがおかしいと感じながら、国のため、民族のためという美名の下、大量虐殺や玉砕が繰り返された。
そして今日、全国の「永久の荘」で命を縮められた高齢者の数は150万人にも上ると推定された。日本国がそして日本民族が生き残るためには仕方のないこととして諦め、誰もが何かがおかしいと感じつつも、目を塞ぎ、耳を塞ぎ、そして口も塞いでしまった。「UBASUTE(姥捨て)」、この飽食の時代には絶対ありえないと思われたことが、現実に起きてしまったのである。
こうして、「永久の荘」は、日本の歴史の1ページに新たな汚点を残すことになった。

一週間後、飯野家。
今日は、亡き茂樹の49日の法要の日であった。仏間には、白い菊の花に飾られた茂樹の遺影が掲げられ、位牌はしっかりと明子の手に握られていた。
「見てくれ、茂樹。お前のお陰で、こんなに動くようになったよ。」
三郎は、ベッドの上から茂樹の遺影に向かって、静かにつぶやいた。そんな、三郎の身体にも奇跡が起こり始めていた。それまでピクリとも動かなかった右足が、例の逃避行の後わずかずつではあるが動き始めたのである。三郎は、茂樹の遺影にも見えるように右足の足首を上げてグルグルと回して見せた。医者からも、この調子であればリハビリも可能かもしれないというお墨付きも出た。
「親父、よかったな。いつまでも元気で長生きしろよ。」
 仏壇の奥から、茂樹の声が聞こえたような気がした。三郎の目尻に光るものがあった。
「茂樹、許してくれ。あんなひどいことを言ってしまって。ホントはお前が一番親父思いだったのかもしれないなー。俺たちが間違ってたよ。人の命とお金を天秤にかけてしまった。やっぱり、人の命はお金には換えられない。お前は身をもってそのことを教えてくれたんだ。ホントに済まない。」
 大樹は、静かに仏壇に向かって手を合わせた。位牌を握る明子の手も微かに震えていた。飯野家の人々は改めて家族の一人を失った悲しみを噛み締めていた。

 その時、玄関に声がした。
「おーい、サブ。いるか。」
「そ、その声は、ひょっとしてケンか。ケン、ケン、ホントにおめえなのか。」
 三郎の頬に朱がさした。永久の荘であのような別れ方をして後、三郎は何度も後悔していた。自分の診断書が偽物だったことを知らせるために命を張って永久の荘に入り、そしてまた自分の身代わりになって電動ベットにも乗り移った。常人に出来るようなことではなかった。
てっきり戦死したとばかり思っていた、その健一が生きて戻ったのである。三郎は、ベッドから転げ落ちそうになりながら右手を大きく玄関の方に向けて伸ばした。
 程なく、中山健一の顔がひょいとドアの隙間から覗いた。
「やっばり、ケンだ。ホントにケンだ。おめえ生きてたんだ。」
「ああ、俺だ。ほら、ちゃーんと足も二本ついてるぜ。」
 健一は、クルリと身体を一回りさせて、おどけて見せた。しかし、そんな健一もすぐにその場の空気を察した。何かが足りないような気がしたからである。やがて、ゆっくりと仏壇の方に目を向けた健一の目の動きが止まった。
「シ、シゲ坊。おめえ、どうしてそんなとこに。ま、まさか。」
「そうだ。永久の荘を抜け出して2日後のことだっだ。例のインフルエンザで。」
 三郎が事情を説明する。
「そ、そうか。そうだったのか。知らなかった。」
 茫然自失。健一は、ヘナヘナとその場にへたり込んでしまった。最後に見た時はあんなに元気だったのに、それがわずかその2日後に。健一は、ゆっくりと仏壇の前で手を合わせると、徐に例のもの取り出し、ゆっくりと茂樹の遺影の前に置いた。
「そ、それは?」
「茜っていう女の子から預かったものだ。シゲ坊に渡してくれって。」
 三郎はすぐに思い出した。あの永久の荘の廊下、リネンカートの中で聞いた茂樹と茜の会話、「明日の夜、いつものところで。」という約束の言葉が、茂樹と茜の交わした最後の言葉となった。明子は、そっと携帯を取り上げると、三郎の右手に握らせた。
三郎は、ゆっくりと電源をオンにすると、メールの受信記録を開いた。何百通とある着信記録のほとんどが茂樹からのものであった。「茜、元気か今日は何食べた?」、「茜、明日、いつものところで会おう(^o^)」、「茜、・・、」、いつも『茜』で始まるそのメールは日に何通もやり取りされていた。
飯野家の人々は、代わる代わる携帯を回しては、今は亡き茂樹の微笑む顔を瞼の裏に思い浮かべてみた。
「茂樹、よほど好きだったんだね。この茜って子が。」
 明子は茂樹の遺影を見上げて、そっと目頭を押さえた。メールは茂樹が亡くなる2日前、あの永久の荘を脱出した日で終わっていた。その最後のメッセージは。
『茜、今度のことが終わったら、結婚しよう』
 明子は、携帯のフタを開けたまま、茂樹にも見えるように遺影の方に向けて置くと、再び深々と合掌した。

「ケン、お前には二度も命助けられたなあ。」
 その時、三郎が思い出したかのように感慨深げに健一に話しかけた。
「二度もか?」
「ああ、一度はついこの前、永久の荘で。俺の身代わりに電動ベットに乗って。あれがなかったら、いま俺はここにいなかった。」
「ああ、あのことか。もう済んだことだ。いいってことよ。でもあとの一回ってえのは?」
 健一は、何のことか分からないという素振りで天井を仰いだ。
「もう一回は、60年前のあの冬の日のことさ。俺に香港風邪うつしてくれただろう。あのお陰で免疫が出来て、今回死なずに済んだ。もし風邪がうつってなかったら、今頃は・・」
「バカ言え。うつしたのはおめえの方だろうが。」
「いや、高校受験の前の日だったからハッキリ覚えてるさ。この野郎、風邪うつしやがったなって。お陰でこちとら試験はさっぱりで。」
「何言うか、こいつ。そりゃあ、おめえのおつむのせいだろうが。このバカ。」
 2人の言い争う声に混じって、飯野の家に久しぶりに賑やかな笑いの声が響いた。 (了)


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