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作品名:UBASUTE 作者:ツジセイゴウ

第11回   10 暁光
 東都大学病院、隔離病棟。
 明子と大樹が息を切らして到着した。
「飯野です。夫は、夫は、どこです。それに茂樹は。」
 明子は、普通にベッドの上に横たわる2人の姿を想像していた。しかし、実際は全然違っていた。ガラス張りの部屋にのさらに奥、無菌シートの張られたテントの中に2人の姿はあった。しかも、茂樹の方には今まさに生きるか死ぬかの治療が続けられていた。宇宙服を思わせる防護服を身に着けた医師と看護師が右往左往している。
 明子は、物々しい治療風景に圧倒され、その場で卒倒しそうになった。一体、何が起きているのか、そして三郎の、茂樹の、病気は一体何。大樹に支えられて、やっとのことで廊下のソファに倒れ込んだ明子は、そのままぐったりしてしまった。
 その時。
「山口先生、ウイルス研の詳しい分析結果が出ました。」
 病理担当の検査技師が隔離病棟に駆け込んできた。大慌てで封を切る山口医師。やがて。
「こ、これは、一体・・・」
 通知書に目を通す山口医師の目はこれ以上ないというほどに釣り上がり、紙片を握る両の手がプルプルと小刻みに震え始めた。
「先生、先生、一体、どうされました。」
 周囲にいたスタッフに緊張が走る。山口医師の手は固く、固く閉じられ、通知書は山口医師の手の平の中で次第にしわくちゃになっていった。
「このウイルスはとんでもない代物だ。型式は通常のH5N2型、強毒性の鳥インフルエンザ由来のものだ。だが、問題はその先だ。このウイルスがどうやって人から人へ感染する能力を獲得したかだ。結論から言うと、1960年代後半に大流行した香港風邪のウイルスとの混合亜種だ。」
「そ、それって、どういうことですか。」
「通常、鳥インフルエンザは突然変異でもしない限り、人から人へは感染しない。ところが、こいつは香港風邪のウイルスの中に入り込み、感染力を獲得した。自然界では、通常このようなことは起こりえない。これは、人工的に2つのウイルスのDNAを掛け合わせた亜種、そう、一言で言えば細菌兵器みたいなものだ。」
「せ、細菌兵器ですって。でも、一体、なぜそんなものが。」
 山口医師は、腕組みをして考え込んでしまった。
「確か、二人は永久の荘からの逃げて来たって言ってたな。ということは、今永久の荘で流行しているインフルエンザも同じものっていうことか。」
 治療に当たっていた全員が、その意味するところを推量しようとした。しかし、どう考えてもそれらしき結論に見当が及ばなかった。
「ま、まさか・・・」
 スタッフの一人が呟いたその時、三郎の祈りも空しく、茂樹の心停止を知らせるモニター音が長く悲しく隔離病棟の中に響いた。
「し、しげきーー。」
茂樹の死に顔を見ることも出来ないまま、三郎の目尻からツーと熱いものが流れ落ちた。

その頃。永久の荘のメインゲート。
 次々と自衛隊の車両が到着し、迷彩服に身を包んだ隊員が下りてくる。
「お待ちしておりました。事務局長の木田です。」
「陸上自衛隊小田原駐屯所の一等陸佐、関口です。今から、私の指揮下の者300余名がオペレーションDを開始します。おーい、用意はいいか。すぐにかかれ。」
 その号令とともに、迷彩服姿の男どもがドヤドヤと一斉に輸送車を降りる。皆、一様に防護マスクで顔を覆ってはいたが、手には医療器具らしいものは何一つ持っていなかった。彼らが代わりに携帯していたものは自動小銃と重火器類。
そして、隊員たちは永久の荘の中には入らず、周囲に散開していく。
「よーし、一人も外に出すな。」
関口陸佐の号令が飛ぶ。
「それでは、後はよろしくお願いいたします。」
やけに厳重な装備に一抹の不安を抱きながらも、陸佐に向かって軽く一礼した事務局長は、理事長車に乗り込もうとした。しかし・・。
「事務局長、どこへ行かれるおつもりです。」
関口陸佐が事務局長を呼び止めた。
「どこへって、決まってるだろ。報告のため官邸に向かう。私たちの役目はもう終わった。後は君たちの仕事だろう。」
「いえ、官邸からは、誰一人永久の荘の外に出すなと言われております。たとえ、それが理事長であろうと、事務局長であろうとでもです。」
「えっ、何かの間違いじゃ。当初の話だと、自衛隊に引継ぎすればそれで終わりと聞いている。」
「いえ、オペレーションDに変更になったんです。」
「オ、オペレーションD、だと。」
木田事務局長は何のことかまだ分からないという表情をしてみせた。その直後、関口陸佐の口から、驚愕の言葉が発せられた。
「そうです。南関東「永久の荘」は、パンデミック状態に陥ったと認定されました。よって、二次感染の防止を最優先とし、インフルエンザの治療を一切中止、永久の荘の周囲20kmを完全隔離します。ここへの出入りは一切禁止され、脱出しようとする者があれば、すぐに拘束して病院棟に連れ戻せとの指示です。場合によっては最終手段を取ることも止むなしとの指示です。」
 と言いながら、関口陸佐はそっと腰に付けたモノに手を当てた。
「そ、そんな、バカな。か、官邸は、俺たち全員を見殺しにする気か。」
 事務局長は、天を仰いだままガクリと膝を折った。
「事務局長、申し訳ありませんが、これもわが日本国のためです。この永久の荘で起こったことは全てが不慮の事故によるもの、意図的なウイルスの散布など一切なかった、そういうことです。よろしいですね。」
「く、くそっ。だ、騙したな。」
事務局長は、ほぞをかんだ。これまで何年にもわたって、官邸のために尽くしてきた。時には、人道的に見ておかしいと思うことがあっても、全ては国のためと思い、自分を騙し続けてきた。それが、こんな結果になろうとは。
「さあ、事務局長を早くエントランスまでお送りしろ。」
 関口陸佐の指示で、すぐさま防護マスクに身を包んだ自衛隊員にしっかりと両脇を抱えられた事務局長は、うな垂れたままズルズルとエントランスの方へと引き摺られていった。
「北村理事長、お許しを。やはり、あなたのおっしゃったことが正しかっ・・」
その時、事務局長は大きく背中を震わせて激しく咳き込んだ。その口角からわずかばかりの鮮血が飛び散っていた。

 再び、東都大学病院隔離病棟。
 山口医師が、三郎のベットの脇で真剣に問診を繰り返しいた。
「では、飯野さんは、香港風邪をひかれたご経験が。」
「ええ、中学三年の時でした。その年は早くから大流行だとか言われていて。私も、高校受験の前日に、急に40度近い熱が出まして。お陰で試験はさっぱりで。」
 三郎は苦笑してみせた。
「やはりそうでしたか。」
 山口医師は、そんな三郎の苦笑いを無視するように話を続ける。
「念のため、飯野さんの血液の抗体検査をしてみましたが、香港風邪に対する抗体が残っていたんです。」
「こ、抗体?、ですか。」
 三郎は、そのような医学の専門用語を使われても、よく分からないでいた。
「ええ、つまり、そうですね一言で言えば、飯野さんは一度香港風邪をひかれたので、香港風邪ウイルスに対する抵抗力があったということです。だから、茂樹君と長時間一緒におられてもインフルエンザに感染しなかった。いや実際は感染されていたんですが、症状が軽く済んでしまった、と言った方が正確かもしれません。」
「じ、じゃあ、茂樹は、その抗体とやらがなくて。」
「そうです。その通りです。1980年代以降に生まれた方は、香港風邪を経験していません。だから抗体がない。それで症状が重くなったんです。」
 三郎は、自らの運命を呪った。何で、こんな寝たきりの老いぼれが生き残り、茂樹のような若い前途のある人間が死ななきゃならないんだ。世の中には神も仏もいないのか。再び、三郎の目に涙が溢れた。
「でも、先生、インフルエンザの予防接種って、毎年受けないと効かないって聞きましたけど。」
「よくご存知ですね。確かにインフルエンザの予防接種による抗体は一年ほどしか持ちません。だから、人は一生の間に何度もインフルエンザにかかるんです。でも、今回は違った。なぜか抗体が残ってたんですよ、飯野さんの血液の中に。60年も前にかかったインフルエンザの抗体がです。そして、恐らく永久の荘に入所しておられる多くの高齢者の方々にもね。」
 山口医師の直感は当たっていた。永久の荘に散布されたインフルエンザウイルスは、官邸の意図とは反対に多くの高齢者を残したまま、若い研修医や看護師の命ばかりを次々と奪っていったのである。

 そして、その10時間後、ついに長かった冬の夜に夜明けを告げる第一鐘が全国に向けて打ち鳴らされた。
「つい先程入ったニュースです。東都大学病院ウイルス研究所からの報告によりますと、いま永久の荘で大流行しているインフルエンザは、H5N2型の鳥インフルエンザウィルスと1960年代後半に大流行した香港風邪のウイルスとを掛け合わせた混合亜種である可能性が高いことが判明しました。研究所の話では、この型のウイルスは自然界で発生する可能性はほとんどなく、何らかの意図をもって人工的にDNAを操作して合成されたものと見られています。
関係者の話によりますと、このウイルスは一昨日南伊豆の永久の荘から抜け出してきたと思われる入所者と介護士の血液から採取されたもので、強毒性であると同時に、人から人に感染する能力を備えていることが、正式に確認されました。東都大学病院では、この2人を完全隔離下に置いて治療を進めているとのことですが、先程1人の死亡が確認されました。
南伊豆「永久の荘」は、既に自衛隊により完全隔離されており、全国的な感染拡大の可能性はないとのことですが、今回の事態を重く見たWHO(世界保健機関)は、既に特別査察チームの派遣を決定しており、感染源の特定と新型ウイルス発生の原因究明が急がれます。」
 この瞬間、何百万、いや何千万という国民が、ある者は家の居間で、ある者は街の通りで、そしある者は車の中で、この玉音放送に聞き入った。誰もが、何かおかしいと感じつつも、仕方のないこととして黙認し、当たり前のように続けられてきた後期高齢者収容施設「永久の荘」は、いま音を立てて瓦解し始めた。
 興奮気味のキャスターは少し上ずった声で、最後通告の記事を一気に読み上げた。
「さらに、東都大学病院の話によりますと、この永久の荘から脱出してきた入所者は、末期の肝臓ガンで余命が少ないとの診断を受けて入所していたにもかかわらず、実際にはガンにかかったような形跡はなく、脳梗塞の後遺症を除けばいたって健康であったということが判明しました。
 東都大学病院では、永久の荘への入所を巡り何か不適切な処理が行われていたのではないかと見て、WHOの査察チームと協力してさらに調査を進めるとしています。」
 まさに、アリの一穴。たった一人の脱走者が開いた穴から、怒涛のごとく水しぶきが上がり始めた。もはや何者もこの流れを押しとどめることは出来ない。政府自らが累々と築き上げてきたはずの地上の楽園が、一夜にして21世紀のアウシュビッツと化す時がやってきた。
 翌日の各紙朝刊の一面トップには、これ以上ない特大の活字が躍動した。
『大泉内閣総退陣、「永久の荘」大疑獄』
『人道主義の勝利、「永久の荘」に国際司直の手』
『ウソに塗り固められた楽園「永久の荘」、崩壊す』


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