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作品名:UBASUTE 作者:ツジセイゴウ

第10回   9 想定外
 都内、新宿近くの東都大学病院救急救命棟。
 酸素マスクを被せられた茂樹が救急車から下ろされ、ストレッチャーで運ばれていく。時折、ビクンビクンと肩が痙攣を起こしている。一見して重篤な状態にあった。
「何時ごろから、こんな状態に。」
 当直医が、三郎に尋ねる。
「昨日の夕方頃からです。少し、咳が出てたのと、それと熱が。てっきり風邪かと思ってたら。明け方ごろからこんな調子で。」
「悪性のインフルエンザの疑いがあります。念のため隔離病棟へ。それと、お父さんですか。あなたも隔離します。感染しているといけませんから。」
 三郎を乗せたストレッチャーもあっという間に、茂樹のストレッチャーの隣に滑り込んだ。酸素テントの中でのた打ち回る茂樹。医師たちは痙攣発作を起こしている茂樹を革のベルトで固定すると、素早く酸素吸入器、心電図モニター、点滴と処置を続けていく。
「おーい、患者から採取した検体をすぐにウイルス研に送付しろ。ウイルスの型を特定するんだ。急げ。それと院内消毒もだ。エントランス、廊下、この患者が通ったところは全て消毒しろ。」
 胸に「山口」という名の入った胸章を付けた当直医は、いかにも手慣れた風に次々と指示を出していく。そして、この山口医師の判断は、結果的に正しかった。もし、ここで適切な処置が成されていなかったら、茂樹が撒き散らすウイルスは止まる所を知らず拡散し、日本全国を覆いつくすパンデミックに発展していたかもしれなかった。
 それにしても、不思議なことが一つあった。父三郎である。重篤な状態に陥った茂樹に対し、三郎にはほとんど症状が出ていなかった。あるいは、まだ潜伏期間なのかもしれない。これから、三郎にも恐ろしい症状が出るのか。
通常のインフルエンザであれば、高齢者や病弱な者が真っ先に犠牲になる。しかも三郎は、こともあろうに永久の荘のリネンカートの中に何時間もいた。ウイルスにまみれていたかもしれないシーツに何時間も包まれていたのである。その三郎がピンピンしていて、一番壮健なはずの茂樹が今ベッドの上でもがき苦しんでいる。これは一体どういうとか。

その頃、この疑問に対する答えが、まさにその永久の荘で現実になろうとしていた。
「何か変だ。どうしたんだ。一体何がどうなってるんだ。」
 木田事務局長は、怪訝そうな表情で、何度もパソコンのキーボードを叩きなおした。先程から、画面に表示される患者数と死亡者数の伸びが鈍化してきていたのである。予定通りであれば、もうとっくにマスコミ発表の時間を迎えていてもおかしくない時限であった。ところが、死亡者数はまだ60名そこそこで止まったまま、患者数も同様に800人近くで伸び悩んでいた。
 その時、理事長室の扉が大きく開け放たれ、戸田内科部長が血相を変えて駆け込んできた。
「大変です。救急病棟で、若手研修医や看護師の中に犠牲者が出始めました。」
「な、何?、スタッフ全員には予防接種とタミシリンを配布したんじゃなかったのか。」
「はい、確かに。でも何か想定外のことが起きているようで。私にも、原因がよく・・」
 そこで、内科部長が激しく咳き込んで、どっと床に倒れた。木田事務局長は思わず顔をそむけ、手で口を覆った。
「多少の犠牲は覚悟の上だ。構わん、オペレーションを続けろ。私は官邸に連絡を入れる。」
 木田事務局長が、電話の受話器を上げる。
 一方、北村理事長は、室内に設けられた監視カメラで、救急棟の中の様子を見て、卒倒した。そこでは、信じられない光景が繰り広げられていた。
「おーい、しっかりしろ。大丈夫か。」
 介護用ベッドから起き上がった高齢者が次々と床に倒れた医師や看護師を助け起こしている。それも1人や2人ではない。何十人というスタッフが床の上でのた打ち回り、それを助けようとする数多くの高齢者たちが次々と不自由な身体を押してベッドから下り、倒れたスタッフたちに寄り添っていた。
「くそっ、何てことだ。」
 その一言を残し、北村理事長は理事長室から飛び出していった。

 その夜、飯野家。
明子と大樹が不安そうにテレビのニュースに聞き入っていた。
「政府は、つい先程、伊豆高原にある後期高齢者収容施設「永久の荘」で、大規模なインフルエンザの感染が発生したと発表しました。関係者の話によりますと、このインフルエンザは致死率の高い強毒性のもので、すでに入所者やスタッフにも多数の死者が出ている模様です。」
 明子は、両手を口に当てて、ワナワナと肩を震わせた。
「お、お父さん。大丈夫かしら。もしものことがあったら、どうしよう。」
 大樹も、繰り返し三郎の携帯に電話を入れるが一向に通じる気配はなかった。その間にも、ニュースは先に進んでいく。
「このインフルエンザはH5N2型の鳥インフルエンザウイルスに由来するもので、人から人へ感染する能力を獲得しているとのことです。それでは、インフルエンザウイルスに詳しい東都大学ウイルス研究所の山村教授にお話をお伺いします。先生、今回の件を、如何お考えでしょうか。」
 テレビカメラがグイッと引かれて、山村教授の顔がアップになった。
「私どもウイルス研では、このような日がいつかは来るのではと予想してはおりましたが、最悪の場所で起きてしまったという気持ちです。永久の荘には約2万人の高齢者の方が入所されておられます。もし、この中で人から人へ感染する能力を獲得した強毒性のウイルスが広まれば、その感染率は80%以上、そして致死率は50%。ざっと見積もっても死者の数は8千人に上る可能性があります。」
 教授の口から、驚愕の説明が続く。キャスターの額にも汗が滲み始めた。
「患者だけを隔離して、他の高齢者を永久の荘から避難させるわけにはゆかないのでしょうか。」
「それは、返って危険です。今、永久の荘の門を開くことは、日本全国にウイルスを撒き散らすことにもなりかねません。そうなれば、パンデミック、いわゆる全国的な大感染に繋がる惧れがあります。最善の措置は、永久の荘全体を完全隔離し、その中で適切な治療と感染源の追求を進めることだと考えます。」
「先生、有り難うございました。今回の事態を重く見た政府は、すでに陸上自衛隊特殊医療部隊の派遣を決定、永久の荘の周囲20キロメートルには報道関係者も含め一切の車両の立ち入りを禁止しました。繰り返します、南伊豆「永久の荘」で大規模なインフルエンザの感染が発生しました。皆さん、南伊豆地方には近寄らないようにお願いします。繰り返しま・・・」
 プチッ。大樹がテレビのスイッチを切った。
「大樹、どうしよう。死者8千人だって。もうお父さん、ダメだわ。かわいそうに、ああ・・」
 明子は、突っ伏して大声を上げて泣き崩れた。大樹も両手で膝頭をわしづかみにしたまま首をひねるしかなかった。
 その時、電話の呼び鈴がけたたましくなった。ギョッとする2人。間違いない、三郎の死亡を知らせる悪夢の電話だ。2人は直感した。震える手で、明子が受話器を上げる。
「もしもし。」
「ああ、明子か、俺だ。」
「お、お父さん、お父さんなの?。本当に。」
 明子の声が上ずり、ヘナヘナとその場に倒れ込んだ。大樹も、信じられないという表情で、受話器に耳を近づける。
「大丈夫なの。お父さん。」
「大丈夫って、何が。」
「だって、今、テレビで大騒ぎよ。永久の荘でインフルエンザの大流行だって。」
「イ、 インフルエンザの流行?」
「えっ、知らないの。」
 一瞬の沈黙が、流れた。
「いいか、よーく落ち着いて、よく聞いてくれ。実は、茂樹に助けられて永久の荘を抜け出して来たんだ。ところが、その茂樹が今大変なことになってる。すぐ新宿の東都大学病院に来てくれ。もういっぺん言うぞ、新宿の東都大学病院だ。いいか、すぐだぞ。急いでくれ。」
「あ、あなた・・」
 プチッ。その間にも電話はもう切れていた。明子は、何が何だか訳が分からず、受話器を手にしたままウロウロと歩き回った。
「行かなきゃ、大急ぎで。行かなきゃ。」
「どうしたの、母さん、何があったの。父さんは何って。」
「東都大学病院、東都大学病院。東都・・」
 明子は、病院の名を忘れまいと繰り返しながら、大慌てで玄関を出て行った。

 東都大学病院、隔離病棟。
「飯野さん、でしたね。落ち着いてよーく聞いてください。ご子息さんですがね、簡易検査でインフルエンザの陽性反応が出ました。間違いなくインフルエンザです。詳しい型は、ウイルス研の正式検査結果を待ってみないと何とも言えませんが、あの症状からみて恐らく強毒性のものかと思われます。すでに肺全体に重度の肺炎が広がっていて、かなり危険な状態です。」
 防護服に身を包んだ山口医師が説明を続ける。
「先生、お願いです。あの子を助けてやって下さい。あの子にもしものことがあったら、私は死んでも死に切れない。先生、先生、お願い・・」
 三郎は、声を上げて泣いた。茂樹の発病以来既に48時間が経過しようとしていた。ところが、一番接触が多かったはずの三郎にはまだ何の症状も出ていなかった。
「で、もう一度お伺いしますが、お2人は、どこへ行かれたんですが。とこで感染したのか、お心当たりは。」
 三郎は、迷った。まさか永久の荘から抜け出してきたとも言えない。もし。それを言ったら最後、茂樹の努力も健一の捨て身の決断も全て水泡に帰す。永久の荘に送り返されて、すぐに処置室に。
 しかし、すぐ隣で苦しんでいる茂樹を見ていると、三郎の心は複雑に揺れ動いた。三郎はそっと目を閉じた。茂樹、明子、大樹、裕樹、家族の顔が次々と目の前に浮かんでは消えていった。そして次に三郎が目を開いたその時。
「実は、その・・」
直後。
「おーい。感染源が分かったぞ。永久の荘だ。2人は永久の荘からの脱出してきた人たちだ。」
 山口医師の一声は、たちまちスタッフの間に広まった。
「永久の荘からの脱走者。」
「永久の荘って、今強毒性のインフルエンザで封鎖されている、あの永久の荘か。」
「いいのか、このまま治療を続けて。厚生労働省に知らせなくては。」
 スタッフは口々に顔を見つめ合い、囁きあった。その時、茂樹の心停止を知らせるモニター音が鳴り響き、山口医師が無菌テントの中に駆け込んだ。
「この人たちが誰であろうと、どこから来た者であろうと、絶対助ける。それが俺たちの役目だ。」
 山口医師はすぐさま心臓マッサージを始めた。隣のベッドに横たわる三郎は、なすすべもなく、ただ心の中で合掌するだけであった。

 
その頃、永久の荘。
 救急棟の中は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図が広まっていた。廊下でのた打ち回る若い医師や看護師、それを助けようと必死で介護する高齢者。まるでどちらが患者で、どちらがスタッフなのか分からない混乱状態に陥っていた。
その中に、あの北村理事長の姿もあった。
「おい、しっかりしろ。こんな所で死ぬな。」
 理事長は、必死になって倒れた看護師をベッドに運ぶ。
「私も、もとは医者だった。眼科だったがな、腕の方は確かだ。手伝うぞ。」
 入所者の一人が腕まくりをしながら、患者に人口呼吸器を装着する。
「俺も手伝うぞ。年寄りだってバカにするなよ。こう見えても、昔は、相撲部屋にいたこともあるんだ。序の口までだったがな。」
 次々とサポートを申し出る高齢者たちが救命棟の中に溢れた。不思議なことに、新たに感染するのは若い医師や看護師たちばかり。入所者の多くは、軽い咳程度で済んでいる者が多かった。攻守は完全に逆転し、入所者は、障害のある者も含め、危険を顧みず必死で倒れた者を助け起こそうとしていた。
その中に、あの中山健一の姿もあった。三郎の身代わりで電動ベットに飛び乗り廊下を逃げ回った健一は、ついにはセキュリティーに取り押さえられ、すぐさま処置室に運ばれる手はずになっていた。ところが、間一髪、健一が処置室に運ばれた時、そこでは既に大騒ぎの一端が始まっていたのである。
「お、おい、しっかりろ。バカ、死ぬんじゃねえ。こんな年寄りを置いて、先に逝くやつがどこにいるんだ。」
 健一が、一人の若い女性介護士を助け起こした。茜であった。本当だったら、今頃茂樹と二人で手を取り合って、幸せなデートをしていたかもしれない、その茜が今ここでまさに生死の境にいた。
「お、おじいちゃん。も、もし飯野茂樹って介護士を見かけたら、こ、これを、渡し・・・」
「い、飯野茂樹って、ひょ、ひょっとしてシゲ坊のことか。」
健一がそれを聞き出す前にも、虚空を掴んだ茜の手はダラリと床の上に落ちた。健一は静かに茜の身体を床に下ろすと、その手に握られていた小さな携帯電話を取り上げた。茜に向かって合掌する健一の頬にツーっと一筋の涙が流れた。
しかし、健一には、茜の死を悲しんでいる暇はない。感染者の数は次から次へと増えていく。
一方、理事長室に残っていた木田事務局長のもとには、官邸からの連絡が入っていた。
「北村理事長は、今救急救命棟へ出て行かれました。はい、では私が代わってお伺いします。」
 木田事務局長は黙って、電話に聞き入った。時折、ハイを繰り返す以外は、全くの無言で、その表情は次第に固くなっていった。
「はい、委細は承知しました。それまでに全員を病院棟に。了解しました。」
 事務局長は、静かに受話器を置いた。
「予定の変更だ。三時間後に自衛隊の特殊部隊が到着する。それまでに入所者全員を病院棟に移送せよとの指示だ。」
「いよいよ、自衛隊にオペを引き継ぐわけですね。」
 理事の一人が、やれやれという表情で嘆息を漏らした。
「だと、いいが。」
 事務局長は、少し早い自衛隊の派遣指示に一瞬いやな予感がしたが、急ぎ足で部屋を出て行った。


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