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作品名:偽装過疎 作者:ツジセイゴウ

第13回   再び四のハへ
 村長選挙を明日に控えたその日、先日廃坑の中で採取した湧水の分析結果が隆のもとに届いた。
「な、何だ?、この数字は。」
 結果表を見る隆の目が釣り上がった。
「そんなに悪いんですか。先生。」
「悪いなんてもんじゃない。取水口の濃度ですらWHOの基準値の千倍はあった。ここの値はさらにその一万倍。つまり掛け算すれば、この分析結果は基準値の一千万倍の濃度になる。この値であれば、コップ一杯で一生子供の出来ない体になる可能性がある。」
 茫然自失。そのような猛毒がなぜそんな場所に。隆はまだ信じられないという表情で言葉を続ける。
「とにかく自然界でこのような異常な値が出ることはまず考えられない。あそこには何かがあるんだ。あの金網の向こうの閉ざされた空間にきっと何かが…。」
 隆はそこで言葉を止めた。二人の間に沈黙の時間が流れた。その沈黙を破ったのは彩であった。
「もう一度行きましょう。先生。もう一度、あの場所に。」
「いや危険すぎる。明日は村長選挙だ。廃坑の中は連中が固めているかもしれない。」
「いいえ先生、村長が決まってからでは遅すぎるわ。そう村長が決まってしまってからでは…。」
 彩は力強く言い放った。先日の事件以来ショックで塞ぎ込んでいた彩の目に久しぶりに輝きが戻った。廃坑のことになると彩は異常に拘泥した。幼少の頃、自分の庭のようにして遊んだあの場所が未知の物質に汚染されているという。何としても原因を探し出し、この村に平和を取り戻したい、彩の目はそう語り掛けていた。

 その夜、二人は廃坑への突入を決行することにした。夜八時過ぎ、診療所を後にした二人は夜陰に紛れて廃坑の裏口を目指した。厚手の防水ジャケットにヘルメット、そして懐中電灯といういでたちはこの前と同じであった。二人は足早に銀山跡地の方角へ急いだ。
 しかし、村外れに達する前に、二人は異様な光景を目の当たりにした。村人たちが銀山跡地へと通じる道を続々と集結し始めていた。ある者は角材や金属バットを手に、ある者は日本刀や猟銃を手に、三々五々村外れへ集まっていく。
「このまま、村をあいつらに渡してなるもんか。」
「ああ、こうなったら力尽くであいつらを追い出すしかねえだ。」
 村人たちは口々に罵り合っていた。約八ヶ月間の忍従の期間を経て村人の怒りが爆発した。このまま手を拱いて見ていれば、なし崩し的に村の全てがあの怪しげな宗教団体に乗っ取られる。しかも合法的にである。いくら歯ぎしりをしてみても法では何も解決しない。とすれば残された手段は只一つ、無法に訴えるしかない。
「大変だわ。止めなきゃ。」
 彩は思わず駆け出しそうになった。その彩の手をグイッと引き止めたのは隆であった。
「だめだ。あの調子じゃ、もう何を言っても手遅れだろう。それどころか僕たちも巻き添えになる。そうなったら本当に何もかもおしまいだ。」
「で、でも……。」
 隆は強引に彩の手を引くと砂利道を先に進んでいく。彩がビックリするほど強い力で、もう否やを言わせないというムードであった。仕方なく彩は黙って隆に付き従った。
 村人の集団が押し寄せる前にも二人は銀山跡地の傍らを小走りに通り抜けた。もう寝静まったのであろうか、銀山跡地の中は真っ暗でシーンと静まり返っていた。あるいは村人の来襲を察知し、密かに迎え撃つ手はずを整えているのか。二人は不気味な程に静かで暗い銀山跡地の高い塀の脇を足早に走り抜けた。
 そこから先は漆黒の闇である。僅かな月明かりを頼りに山道を急ぐ。暗闇にサーサーという沢の音が響く。同じ場所でも昼間通るのと夜通るのとでは全く趣が異なる。懐中電灯の光の帯に照らされて鬱蒼とした木の枝が現れては消え、また現れる。この前来た道なのに夜歩くと途方もなく遠く感じる。二人はようやく件の取水口の所に出た。ここまで来れば廃坑の入口まではもう一息である。二人は息を切らせて廃坑の入口に到達すると中へと潜り込んだ。
 懐中電灯の光がさっと廃坑の壁に乱反射した。暗闇の中で開ききった瞳孔には、廃坑のトンネルの中は返って明るく感じられた。二人は慣れた道を急いだ。この前来た時の半分の時間も掛からずに、二人は大坑道に出た。坑道を右に走り、階段を下へと下ると、あっという間に四のハ坑道に立った。
 二人は懐中電灯を照らしながらゆっくりと四のハ坑道の奥へと進む。昨晩降った雨のせいて四のハ坑道の中はいつもより出水が多く、湿気を含んだ空気がひんやりと頬に当たる。濡れた天井や壁に懐中電灯の光が乱反射して怪しげに輝く。やがて二人の目の前にあの見覚えのある鉄柵が見えてきた。この前と同じように鉄柵には厳重に鎖が巻かれ、「危険、立入禁止」の札が掲げられていた。
 隆は慎重に柵の中の様子を観察した後、用意した金ノコで鎖を切り始めた。傍らから彩が懐中電灯で隆の手元を照らす。真っ暗闇の中で、キイキイという金属音だけが坑道内にこだまする。やがてチャリンという音とともに鎖が切れ下がった。隆は二重三重に絡まった鎖を丁寧に外すと、そっと鉄柵の扉を開いた。ギィという音ともに扉は内側に開き、ポッカリと開いた真っ暗な空間が更に奥へと続いている。
 幾筋かの水の流れがチョロチョロと音を立てて坑道の下の方へと下って行く。床はぬかるみ足場はすこぶる悪い。二人は身を石のように固く強ばらせ、懐中電灯を奥へと差し向けながら一歩一歩進んでいく。
 坑道は意外にもすぐに行き止まりとなった。天井から崩れ落ちたと思われる土砂が行く手を塞いでいる。どこか抜け道はないかと、隆は慎重に周囲の壁や天井を調べるが、トンネル内はアリ一匹這い出る隙間もないほど土砂が積もり、完全な行き止まりとなっていた。かつてこの坑道で落盤があったというのはどうやら本当であったらしい。とすれば、ここに長居は無用である。昨晩の大雨で地盤はかなり弛んでいるはずである。いつ何時また崩れるとも限らない。
「何もなさそうだね。引き返そう。」
 隆は当てが外れたことで少々ガッカリしたトーンで彩に声を掛けた。その時である。
「あれ、これは何かしら。」
 発声と同時に彩は床の片隅にしゃがみ込んだ。彩は懐中電灯を壁に照らしながら泥をかき出す。やがて白っぽい板状のものが泥の中に微かに浮び出た。隆も傍らから泥のかき出しを手伝う。その物体は一見するとプラスチックか何かのような材質で、所々腐蝕してでこぼこと穴が開いている。隆は板の端を掴むとエイッとばかりに引っ張ったが、板はピクリとも動かない。どうやら奥の方まで土砂で埋まっている所為であろう。仕方なく隆はさらに土砂をかき出す作業を続けたが、間もなくそれが無駄な作業だと分かった。
 板は一枚ではなかったのである。泥の中から姿を現した板のすぐ上にも別の板が重ねられ、さらにその上にも、そしてその上にも。隆が泥を一かきする度毎にダラダラと土砂が崩れ、次々と板の端が姿を現した。二人が撫で回すように懐中電灯で照らし出すと、その板状のものは天井に届くまでびっしりと隙間なく積み上げられていた。崩れないように丁寧に互い違いに積まれていた。
「一体これは何だ。何故こんなものがこんな坑道の奥に…。」
 隆はしばらく放心状態で積み上げられた板の壁を見上げていたが、やがて雷に打たれた如く声を上げた。
「ひょ、ひょっとして、これは…。」
 その瞬間である、二人の背後から強烈な光がさっと差し込んだ。


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