20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:偽装過疎 作者:ツジセイゴウ

第12回   12
 二日後の朝、隆は西伊豆にある土肥町の港に降り立った。前日は沼津にあるホテルに泊まり、朝一番の連絡船に乗った。ここへのアクセスは陸路よりも沼津からの船の方が便利であった。土肥は西伊豆の海に面した風向明媚な温泉町であったが、首都圏からの交通の便がよくないこともあって、未だ鄙びた雰囲気を残していた。
 隆は港の前のバス停からさらに新島村行きのバスに乗り込む。乗客は隆の他に、観光客らしい若い女性が二人と地元の人と思われる老人が一人であった。
 土肥港を出発すると間もなくバスは海沿いの狭い道路を唸りを上げながら走り始めた。山が海までせり出し、その裾にへばりつくように道が付けられている。バスは狭いカーブを曲がる度に右に左にと大きく揺れながら半島を回っていく。座っていても吐きそうなくらいに体が左右に揺れる。隆は思わず手すりを握り締めた。
「はい、網町。」
 走り始めて十分、気だるいアナウンスとともにようやくバスは停車した。ここで若い二人が下り、代わって大きなクーラーボックスを肩に担いだ老婆が乗ってきた。このバスは観光客を運ぶと同時に、地元民の生活の足でもあった。そんなことを何度か繰り返しながらも、走り始めて約四十分ようやくバスは終点の新島村に着いた。
 村は入り組んだ海岸にある小さな入り江に面していた。百個ほどの小さな集落であろうか。どの家も庭先に魚の干物が所狭しとばかりに並べられ、折からの小春日和の柔らかな陽射しに照らされてムンムンとした臭いが漂っていた。港には今朝漁から戻ったばかりの漁船が十数艘係留され、静かに波に揺れていた。隆は終点のバス停で帰りのバスの時刻表をチェックした。
 一日五便しかないため一本逃すと大変である。隆は目指す福山真の家を探し求めて歩き始めた。村中の家はいずれも小さな家ばかりである。猫の額ほどの庭先には手入れし終えた網が掛けられ、ムッとした潮の臭いが鼻を突いた。
「確かこの辺りのはずだか。」
 隆は持ってきたメモと照らし合わせながら何度も住所を確認する。表札はいずれも「福山」となっていて、どれが目指す福山真の家か分からない。このような田舎ではよくあることだが、一集落の半分以上が同一姓なのである。特に親戚というわけでもないのだが、ずっと遡れば根は同じなのかもしれない。
 隆は仕方なく番地を一つ一つ当っていった。探すこと約二十分、隆はようやく福山真の家の前に辿り着いた。その家も他の家に勝るとも劣らぬ小さな東屋で、かなり傷みが激しかった。隆は恐る恐る家の中を窺うが、もう長い間人が住んだような気配はなかった。わずかばかりの庭には雑草が生い茂り、屋根瓦はあちこち剥げ落ちて無残な姿を晒していた。表札は既に字が読めないほど朽ち果ててはいたが、かろうじて福山という字が読み取れた。
 隆は何か福山真に繋がるものはないかと探し回るが、古びた家以外には何も目に付くものはなかった。家の前をウロウロすること十分、一人の漁師が海の方から坂道を上がってきた。赤銅色に日焼けした太い腕には、大きな定置網が掛けられている。漁師にとっては網は命の次に大切なものである。今朝浜辺で手入れしたばかりなのであろう、ところどころ丁寧に紡いだ後が見えた。
「あのー、ここに住んでいた福山真さんをご存じないですか。」
 隆は、漁師を呼び止めた。
「知らないね。」
 男はじろりと隆の顔を睨み付けると、ぶっきらぼうに答えた。隆がさらに声を掛けようとする間もなく漁師は坂道を上がって行った。しばらくすると今度は上の方から一人の老婆が下りてきた。足が少し悪いのであろう、杖を突きながらゆっくりと坂道を下ってくる。隆はゆっくりと老婆に近付くと声を掛けた。
「あのー、ここに住んでいた福山真さんをご存じないですか。」
「はあー。」
 老婆は歳に似合わない大きな声で聞き返した。どうやら少し耳が遠いらしい。
「ふ・く・や・ま・ま・こ・と、ご存じないですか。」
 隆は今度は老婆の耳元で大きな声で繰り返した。
「あー、真ちゃんね。」
 意外にも老婆ははっきりした声で真の名を繰り返した。
「ご存知なんですか。」
 隆ははっとして聞き返した。
「ああ、知ってるよ。小さい時からね。でも最近見ないねー。どこで何してるのか。」
 やっぱり福山真はここに居たのである。しかし、最近はいないという。無論そうであろう。福山真は今野辺山村にいるのである。
「そ、それで、どんな人だっんです。」
 老婆は少し怪訝そうな顔をして見せたが、すぐに話し始めた。
「あれは四十年も前のことだったかねー。真ちゃんのお母さん、照代さんっていうんだけど、急に東京の嫁ぎ先から帰ってきてね。何でも旦那さんが急な病で亡くなったとか。かわいそうだったよ。すっかりやつれてね。若かった時は、この村でも一、二を争ういい娘っ子だったのに。人が変わったみたいで。」
「東京?。」
「ああ、照代さん、東京のお金持ちの坊に見初められてね。あれは終戦間もない頃だった。夏休みにここに遊びに来ていた学生さんと深い仲になって。確か東大出の偉い人だとか言ってた。あっちのご両親は随分と反対したらしいんだけど、最後は押し切られて。それがこんなことになるだなんて。苦労したんだねー、きっと。それから間もなくのことだったよ、照代さんも重い病気で亡くなって。あんな悲しいお葬式はなかったね。」
 老婆はそこまで話すと、当時を思い出したのかそっと目頭を押さえた。隆はショックを受けた。福山真を一番よく知るはずの人が既にこの世にはいなかった。それよりも何よりも、そんな若くにして相次いで両親をなくした福山真という人物に哀れみさえ感じ初めていた。
「そ、それで、お子さんは。」
「真ちゃんは気丈だったよ。お葬式の間も一度も涙は見せなかった。それどころかじっと人を見据えるあの目つきは空恐ろしい感じがした。余程のことがあったんだろうね、きっと。結局、真ちゃんは照代さんのお母さん、真ちゃんから見ればおばあちゃんだけど、初さんていう人が引き取って…。東京の家から時々養育料が入るって言ってたから、暮らし向きはそんなに悪くはなさそうだったけどね。でも東京の方からは一度も顔を出さなかった。冷たいもんだねえ。」
 老婆は当時を懐かしむかのように、皺の多い顔をさらにくしゃくしゃにしながら話を続ける。最初は怪訝そうな顔をしてはいたものの、年寄りというものは存外話を始めると多弁なものである。隆の方から聞くまでもなく、次から次へと言葉が口をついて出てくる。
「じゃが、その初さんも真ちゃんが高校生の頃に亡くなったさ。それから後のことはあたしもよくは知らないねえ。時折プラリと家に帰ってきてはまたいなくなる、どこで何してるのかさっぱり。そう言えば、ここ三年ほどは見かけなかったかねえ。」
 福山真は確かにここに住んでいたようである。ただこの村で漁師の仕事をしていた訳ではなさそうである。では一体どこで何を。
「それで、その照代さんの嫁ぎ先の人の名前は分かりますか。東京の偉い人というのは一体どこのどういう人だったんですか。」
「確か、名前は田辺とか言ってたかねえ。もう四十年も前のことだからよくは覚えちゃいないよ。照代さんも、東京でのことはあまり話したがらなかったしね。一体どこに住んでたんだか。」
 老婆は必死に思い出そうとするかのような仕草をしてみせたが、そこから先は言葉にならなかった。隆はガッカリした。残念ながら福山真の手掛かりはここでプツリと途絶えてしまった。隆は四十年という歳月の重みを感じた。
 しかし、このような年寄りを責めてみても詮無いことであった。いやそれどころかむしろ感謝しなければならない。これだけの情報でもないよりはずっとましである。少なくとも福山真の生まれ育ちには人知れぬ深い不幸の色が刻まれていたことがわかった。そしてまた福山真の旧姓が「田辺」という名であったことも。隆は老婆に丁重にお礼を言うとバス停の方へと下って行った。

「そうかそんなことが…。済まない、僕が診療所を留守にしたばっかりに。」
 翌日の昼過ぎ、野辺山村に戻った隆は早々に彩から件の出来事についての報告を受けた。
「いいえ先生のせいじゃないわ。」
 一部始終を報告する彩は言葉少なであった。あの日以来、毎晩うなされて食事も喉を通らない状態が続いていた。どんなに忘れようとしても、あの強烈な光景と臭いが脳裏に焼き付いて離れなかった。さすがに気丈な彩も、隆の姿を見てホッとしたのか薄っすらと目に涙を浮かべた。そんな彩の心の内を百も承知の上で、しかし隆にはまだ聞かねばならないことがあった。
「で、やっぱり連中は、この前と同じで現場検証も検死も自分たちでやると。」
 彩は黙って頷いた。
「でも…。」
 彩は一瞬戸惑いながらも、必死になってその後の言葉を続けた。
「でも、あれは焼死じゃないわ。」
「えっ?、焼死じゃないって。」
「ええ。私、人工呼吸をするような振りをして咄嗟に口を開いて覗いてみたの。それで、それで…。」
 彩は鼻も口も分からないほど焼け爛れた恐怖の顔面を思い出しながら、やっとのことで自らの結論を口にした。
「口から喉の奥はきれいだった。全身はすすで真っ黒だったのに。そこだけは今にも息をするんじゃないかと思えるほどきれいで…。」
 その一言で隆は全てを理解した。火事が発生した時生きていたとすれば口から喉の中もすすで黒くなる。火事の犠牲者はほとんどが煙を吸い込むことで死亡するのである。火傷が原因になって死ぬことはむしろ少ない。喉がきれいだったということは、犠牲者が火事が発生する前に既に死んでいたことを意味した。
「そうか、よくやったね。よく落着いてそこまで観察したね。」
 隆は恐怖の記憶をじっとこらえて説明を続ける彩の肩にそっと手をかけた。その瞬間、彩はわっと泣き崩れて隆の胸に飛び込んだ。
「せ、先生、私、もう怖くて怖くて。何がなんだか…。」
「ああ、もう大丈夫だ。大丈夫。全部忘れるんだ。」
 隆は震える彩の体をしっかりと抱き締めると、繰り返しねぎらいの言葉を掛けた。

 その日の夕刻。
「お帰りなさい。お疲れになったでしょう。」
 旅館の女将が丁重に玄関まで出迎えた。女将も福山真のことが気になるらしかった。隆を居間に呼び止めると、いつものように急須を傾けながら、膝を前に進めた。
 無理もない。これまで何十年と無風であった村長選挙に全く身も知らぬよそ者が突然立候補したのである。女将でなくても、村の人間であれば誰だって気にはなる。
「その後どうですか。選挙戦の方は。」
 隆はすぐに切り出した。選挙の告示があってから既に三日が経っていた。そろそろ形勢が見え出す頃である。
「それが村長さん、昨日の街頭演説の最中に倒れられて。」
「倒れた?」
 隆は思わず聞き返した。
「ええ、でも大したことはなかったようなんですけど。この所の心労で少しお疲れに。もうお歳ですし、それに慣れない選挙運動なんかなさったりしたものだから…。」
「そうですか。」
 隆はやれやれと胸を撫で下ろした。診療所の医者が不在の間に重病人が出たりすれば一大事である。それも村長が病人となればなお更である。気の毒に、あの福山真がいなかったら全く平穏な選挙であったろうに。七十歳を過ぎて選挙戦を戦うことになろうとは、当の本人ですら思ってもみなかったであろう。
「村長さん、あまり分がよくないようですわ。マインランドの人足たちに加えて、村人の中からもかなりの票が流れているとか。」
 勝てば官軍、負ければ賊軍である。村人全てが村長の味方ではなかったのである。これまでは村長の独裁を快く思っていなかった向きでも、勝てない戦と諦めていたのかもしれない。それがここへ来て全くの第三者が現れたのである。その者が何者であろうと、村長の長期政権に終止符を打ってくれる者であれば、誰でも構わなかった。
「そうですか。」
 隆は何となく事態が好ましからざる方向に動いているような気がして、ほっとため息をついた。
「ところで先生の方は如何でした。何かわかりましたか。」
 今度は女将の方が切り返した。
「大したことは何も。でも福山真は幼い頃に病気で両親を亡くして、その後はおばあちゃんに育てられたとか。」
「そうだったんですか。お気の毒に。」
 女将は真剣に気の毒そうな顔をして見せた。人柄なのであろう、相手が善人だろうが悪人だろうが、あるいは敵だろうが味方だろうが、可哀想な相手には正直に同情した。
「福山真の母親は一時東京の人と結婚していて、その頃は田辺という名だったそうです。それがご主人を急な病で亡くされて、その後西伊豆に子供を連れて戻っていたらしいんです。」
「どうしてまた実家に。」
「よくは分かりませんが、もともとは結婚自体が田辺の家の意に沿わないものだったようですね。四十年も前のことですから、きっと身分だの家柄だのって問題がまだあったのかもしれません。」
「まあ、ひどいこと。」
 女将はまたしても気の毒そうな顔をして見せた。
「じゃあ、福山真っていう名前は、実際は田辺真…。」
 そこまで言い掛けて、女将はあっという小声を上げた。そしてしばらく何やら考える仕草をしていたが、やがてぽつりと隆に尋ねた。
「先生、その母親の名は聞かれましたか。」
「ええ、確か『照代』とかいう名…。」
「やっぱり。」
 隆が言い終わる前にも、女将は大きく頷いた。
「な、何か心当たりでも?。」
「渡辺照代さんだわ。その方、きっと田辺でなくて渡辺っていうんじゃないかしら。」
 なるほど、田辺と渡辺では一字違い、あの西伊豆の老婆の記憶違いということもある。何しろ四十年も前の話では無理もないかもしれない。
「で、もしその渡辺っていう人だとしたら。」
「もう四十年も前のことですわ。銀山の事務所に渡辺さんという新しい所長が転勤してきて。まだ三十と少し位の若い人でしたが、何でも鉱山会社の幹部候補だとかいう肝入りで。その奥さんが照代さん。それと確か真ちゃんという十歳くらいの男の子がいらしたわ。」
 隆ははっしと膝を打った。間違いない。これで福山真とこの村が繋がった。福山はずっと昔この村にいたことあったのだ。隆が感心している間にも、女将の話は前に進んでいく。
「でも新しい所長の任務は銀山を閉鎖することでした。戦争が終わって鉱山会社はどこも不況でした。ここの銀山も大赤字だって聞きました。それで会社の方は銀山を閉鎖することに決めたらしいんですが、なかなかうまくいかなくて。組合と、それに村の方も閉鎖には大反対で。」
 そうであろう。百年以上もの間幾多の利益を産み出してきた伝統ある銀山を閉鎖するのは並大抵のことではない。リストラというのは今も昔も大変な大仕事なのである。
「渡辺さんは赴任当初からご苦労の連続でしたわ。毎日毎日夜遅くまで組合や村の代表に責め立てられて。傍で見てても気の毒でしたわ。交渉が上手く行かないのは分かっているのに、会社の方からは閉鎖までの期限を切られるし。
 奥様もすっかり憔悴仕切って、きれいなお方でしたのに、ここに来て三ヶ月も経たないうちにげっそりと痩せられました。真ちゃんも可哀想でした。村の小学校ではいつもいじめられて、よく泣きながら一人で河原で遊んでいるのを見かけました。親が憎いと子まで憎いとは本当によくいったものですわ。子供たちも知らず知らずのうちに真ちゃんを敵と見ていたんでしょうか。」
 隆は次第に明らかとなる福山真の暗い過去の話に驚嘆の思いで聞き入っていた。しかし、この後隆は女将の口からさらに恐ろしい言葉を耳にした。
「あれは渡辺さんが赴任されて半年ほど経った暑い夏の日のことでした。渡辺さん、裏の川に入水されて…。私も知らせを聞いて、大慌てで河原に行きました。ショックでした。発見したのは何と真ちゃん自身だったんです。いつものように河原に遊びに来ていて…。」
 女将の声は涙声になって後が続かなかった。何という哀れな話であろうか。わずか十歳足らずの子供が自分の父親の水死体を発見したのである。そのショックの大きさは到底筆舌に表わせるものではなかったであろう。隆はゴクリと喫唾すると、小声で尋ねた。
「それで、その後は。」
「渡辺さんの死で流石の組合も村も折れたんです。それから一週間後閉鎖の決定が。人は残酷なものですわ。後少し早く同意してあげてれば。」
 女将はそっとハンカチを目に当てた。
「それから後のことは。照代さんが実家に返されて、しかも亡くなられたなんて全然存じませんでした。」
 ここでようやく女将の恐ろしい回顧談は終わった。福山真とこの村との間には忌まわしい過去の因縁があったのである。福山真が村長選挙に立候補したのは全くの偶然ではなかった。最初から企図されたものであったのである。
 とすればマインランドの話も恐らくでっち上げなのであろう。工事をしているように見せかけて、その実密かに村を乗っ取る計画を進めていたのかもしれない。自分の息のかかった者を次々と村に送り込み、選挙権が生じる頃を見計らって立候補の意思表明をする。出来過ぎた計画である。
 しかし、一体何のために。隆は腑に落ちないことばかりであった。こんな山奥の寒村を乗っ取ってどうしようというのか。福山真にはまだ人知れぬ隠された何かがあるのではないか。今回の件といい、あの坑夫の変死、それに毎週末の集会、そして坑道の奥の立入禁止区域、何もかもが怪しげな空気に包まれていた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 22