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作品名:鬼子の母 作者:ツジセイゴウ

最終回   後編
 翌日、弁護士と称する人物がわが家を訪ねてきた。背広の襟元に大きな弁護士バッジを付けたその人物は、いかにも法曹界の住人といわんばかりの硬い雰囲気が漂っていた。
「増田といいます。宜しく。」
 弁護士は名刺を差出しながら一礼した。歳は五十過ぎであろうか、目尻の皺が丸い眼鏡越しに見える。髪は少し薄くなり始め、白いものが目立っていた。増田弁護士はソファに座るなりいきなり話を切り出した。
「昨日、鑑別所の方でA君に会いました。会って話をしました。」
 その一言に私たちの頬に朱がさした。息子が連れて行かれたあの日以来、警察から断片的に洩らされる情報以外、息子の消息を知る手だてがなかった。この男はその息子に会ったという。
「で、息子は、息子は元気でしたか。今回のことで何か言っていましたか。」
 私は勢い込んで尋ねた。夫も好奇の気持ちを抑えられず膝を前に進めた。
「人格障害ですな。人格障害とするしか手がありませんな。」
 弁護士の口から意外な一言が返ってきた。
「じ、人格障害?、ですか。」
 夫が、えっ?という表情で聞き返した。弁護士は突然話を遮られたので一瞬戸惑ったような表情をして見せたが、すぐさま説明を続ける。
「え、ええ。つまり何かをしたいという衝動を理性をもって抑えられない、要するに人としての性格あるいは気質に著しい問題があり、その結果として他人を傷付けてしまったりすることを言うんです。刑法ではまず責任能力の有無が問われます。つまり責任のない者が事件を起こしてもその罪は問われないという考え方です。A君の場合、その人格に著しい障害があったということが立証されれば、責任能力なしということで無罪ということも有り得ます。」
「は、はあ。」
 私たちはまだ何のことかよく分からず、生半可な返事をした。今度は弁護士の方も少しイラッとした口調で声を高めた。
「要するに精神異常ですよ。ご両親ともA君の日記はお読みになられましたか。」
 日記と言われて、私はすぐさま警察署で見せられたあの日記のことを思い出した。「この次はほかの生き物も……」、あの不気味な最後の一言は忘れようはずもない。私たちは黙ってコクリと頷いた。
「あの日記、異常だと思いませんでしたか。誰だって生きた物を解剖するなんて気持ち悪くて、普通は嫌がりますよね。それが面白かった…とか、この次はほかの生き物も…とか、そんなこと考えますかね。やはり精神を病んでいるとしか……。」
 私にはようやく弁護士の意図するところが分かってきた。要するに息子を気狂い扱いしようという訳である。気狂いのやったことだから仕方のないことなんだということで、この問題を片付けようとしているのではないか。
 その時、私の脳裏に昨日の舅の言葉が鮮明に蘇えってきた。「うちの筋に気狂いはおらん。」、確か舅はそう言っていた。そしてこの弁護士先生も今目の前で同じことを言おうとしている。皆が寄ってたかって息子を気狂い扱いにしようとしていた。
「息子は気狂いなんかじゃありません。だって普通に学校に行き、普通に宿題をして、普通に食事もして、いつもと何にも変わったところは……。」
 そう言いながら私の声はみるみる涙声となった。
「奥さん、お気持ちは分かりますが、人格障害はれっきとした病気なんです。奥さんだって、あのA君のしたこと、普通じゃないって思っておられるでしょう。病気なんであれば、きちんと原因を調べてしかるべく治療をしなければなりません。」
 私は返す言葉がなかった。確かに息子のしたことは異常であった。どう説明しようにもまともな答えは見当たらない。
「とにかくこれから二人の精神鑑定医にA君の精神状態を鑑定してもらいます。その結果をもって我々はA君の無罪を主張していきますから、ご両親ともそのつもりでいて下さい。仮初めにもA君がまともだ、正常だというような言動は慎んで下さい。裁判で不利になりますから。いいですね。」
 弁護士は改めて念を押した。私は何となく納得がゆかなかったが、これ以上抗弁のしようもなく、黙って頷いた。

「ところで。」
 息子の人格障害の件がひとまず終わったところで、弁護士は話題を変えた。
「被害者のご両親には、もうお詫びに行かれましたか。」
 唐突に尋ねられたので、私も夫も答えに窮した。そう言えばまだであった。あの日以来とにかく気持ちが動転し、その日その日を過ごしていくのが精一杯であった。大変失礼なことではあったが、被害者の両親のことなどおよそ念頭には思い浮かばなかった、というのが正直なところである。それほど私たちは精神的に追いつめられていた。そう、この事件には被害者がいたのである。私たちの何十倍も苦しんでいるはずの被害者が。
「そりゃあ、まずいですな。非常にまずい。」
 黙っている私たちを見て、まだ謝罪に行っていないと気付いた弁護士は、頭をグリグリと引っ掻き回しながら、嘆息を洩らした。
「仮に人格障害で刑事責任を免れても、民事責任は問われますよ。」
「み、民事責任?、ですか。」
 私たちはキョトンとした顔で弁護士を見返した。弁護士はまたイラッとした表情を見せて、説明を始めた。
「いいですか、A君はM子ちゃんを殺してしまったんです。たとえそれが病気だったとしても、親権者として被害者のご両親への何がしかの慰謝料の支払いは免れませんよ。」
「い、慰謝料ですか。」
 私たちの頭はまだそこまで辿り着いていなかった。そうであろう。交通事故を起こしても損害賠償だの慰謝料だのという話はある。ましてやこれは人一人の命を奪ってしまったのである。それもあのような残忍なやり方で。どのように詫びても許されるものではなかった。
「まあ、先方さんがどのように出られるか分かりませんが、M子ちゃんはまだ五つでしたし、最低でも五千万円というのが相場でしょうか。」
「ご、五千万……。」
 私たちは絶句した。五千万という数字が何度も頭の中を行き来した。夫は再び頭を抱えて沈み込んでしまった。この家の住宅ローンだってまだ三千万円は残っている。その上に五千万などという金額を言われても、一生かかっても払えるものではない。私たちは目の前にいる敵と闘っている間に、ふいに横から槍で脇腹を突き刺されたような気になった。泣き面に蜂とはまさにこういうことを言うのであろう。弁護士はさらに続ける。
「通常こういった民事訴訟の場合、お互いが合意すれば和解という方法が取られます。つまりお互いが納得の上で話し合い、慰謝料の金額を決める。ですからこちらとしては、まずは被害者の心情をよく掴むところから始めなければなりません。被害者に、加害者側も気の毒だと思わせることが出来たら、しめたものです。とにかく一刻も早く……。」
 弁護士は、私たちがまだ被害者宅に詫びにも行っていないと聞いて、苦々しく説明を続けた。手抜かりと言えば手抜かりであった。しかし、今は自らの気持ちをコントロールすることが精一杯で、とてもそこまで気が回らなかった。
「わ、わかりました。明日にでも早速。」
 主人はまるで被害者に頭を下げるように、弁護士に向って深々とお辞儀をした。

 翌日のお昼過ぎ、私たちは取るものも取りあえずM子ちゃんの家にお詫びに行くことにした。弁護士の言うとおり、一万回頭を下げて許されるのならそれもしよう、土下座をしろと言われるのならそれもしよう、とにかくどのような罵声を浴びせられようとも、水を掛けられようが塩を撒かれようが、ただひたすら詫びるしかない。私たちは覚悟を決めて身支度を始めた。
 朝一番に百貨店に行って、M子ちゃんの霊前へのお供え物も買った。そんなもので許されるはずもなかったが、とにかく行くしかない。
 私が何とか心を鬼にして重い腰を上げた、その瞬間、無情にも私の目はテレビ画面に釘付けになった。
「それでは、まだA君の両親からお詫びの言葉もない、ということですね。」
「えー。ひどいものです。自分の子供があれだけひどいことをしたのに、謝りにも来ない。呆れて物も言えません。ほんと引きずり出して、八つ裂きにしてやりたいですよ。M子がかわいそうで、かわいそうで……。」
 テレビからすすり泣く女性の声が聞こえてきた。顔はハッキリとは映されていなかったが、話の内容からしてどうやらM子ちゃんの母親だったようである。
「ご覧のようにA君の両親は被害者に対してもいまだ口を閉ざしたままとのことです。十四歳の少年が五歳の女の子を殺害するというこの異常な事件の真相は依然闇に包まれたままです。M子ちゃんの家の前には、事件から三週間が経った今でもたくさんの花やお菓子が供えられています。時折通り過ぎる近所の人が、家の前で必ず立ち止まり静かに手を合わせてゆきます。以上M子ちゃんの家の前からのレポートでした。」
 プチッ。夫がテレビのスイッチを切った時は、時既に遅し。私が全てを見聞きしてしまった後であった。出鼻を挫かれるというのはまさにこういうことを言うのであろう。テレビを見終わった私の心は複雑に揺れ動き始めた。「八つ裂きにしてやりたい。」、M子ちゃんの母親の涙声が頭に付いて離れなかった。
 夫も微妙に心がぐらいついたのか、多少躊躇するような気色を見せたが、勇気を奮い立たせるように立ち上がった。
「やっぱりダメ。今日はとても行けそうにない。」
 私は居間の床にへたり込んで泣きそうな声を上げた。嘘ではなかった。実際、まだ家にいるのに既に心臓は跳び出さんばかりに踊り狂い、頭もグルグル回り始めていた。
「何を言ってるんだ。あんなテレビくらいで。とにかく行くんだ。」
 夫はしり込みする私の手を引いて無理やり立ち上がらせた。私はヨタヨタしながら玄関まで行き、やっとのことで靴を足につけた。
 わが家からM子ちゃんの家へは歩いて十分ほどの距離であったが、私たちは人目を避けてわざと人通りの少ない回り道を選んだ。ご近所では既に私たちのことを知らない人はいなかった。どこでどんな嫌がらせを受けるかも分からない。私たちにとって、もうこの街は大手を振って歩ける街ではなくなっていた。
 いくつかの角を右に左に折れながら、私たちはだんだんとM子ちゃんの家のある方角に近付いて行った。と同時に私の鼓動はさらに高まっていく。いよいよ後一つ角を曲がればM子ちゃんの家が見えるというところまで来た時、突然私の両膝はガクガクと震え始め、一歩も前へ進めなくなってしまった。顔から血の気が引き、胸は激しく動悸を打ち、全身から冷や汗がタラリと流れ落ちた。私は、いわゆるパニック障害のような症状に見舞われその場にしゃがみ込んでしまった。
 朦朧とする意識の中で、私の脳裏にはM子ちゃんの母親の姿が浮んでいた。顔はよく見えなかったが、姿恰好は間違いなくテレビで見たあのM子ちゃんの母親だった。M子ちゃんの母親は、手に何かキラリと光るものを持っていた。無言のままゆっくりと私の方に近付いてきて、やがて手にしたものを振り上げて……。
「ギャーッ。」
 私は悲鳴とも呻き声とも取れぬ声を上げてその場から逃げ出した。よくは覚えていない。ただ夫が何か訳の分からないことを口走りながら私の後を追いかけてくるのだけは分かった。気がついた時、私は家の玄関にいた。私の両足に靴はなく、はいていたストッキングはボロボロに破れ、足の裏は擦り傷だらけになっていた。
「今日は行くのはよそう。」
 程なく、玄関先に私の靴をぶら下げた夫の姿があった。

 その翌日は比較的平穏に過ぎた。それまでの大嵐が嘘のように静かな日であった。玄関先をウロついていたハイエナたちも一人減り二人減りし、今日は朝から誰もいなくなった。この静かさは何なのか。昨日までの喧騒が信じられないくらい静かであった。居間も、キッチンも、寝室も、家の中の至る所に何事もなかったかのような平穏な空気が流れていた。わずかに、割られた窓ガラスの代わりに貼られたダンボール箱だけか、この一週間の嵐の余波を留めていた。
 夫は相変わらず黙りこくっていた。もともと家では口数の多い方ではなかったが、事件の発覚以来、時々ブツブツと訳の分からない言葉を発する以外は本当に喋らなくなった。傍目に見ても何を考えているのか分からない。怒っているのか、泣いているのかすらも分からない。感情を内面深くに押し隠し、じっと物思いに沈んでいる様子は石膏作りの彫像を思い起こさせた。
 夫は舅の言ったことをどのように受け止めたのであろうか。私と一緒になったことを後悔しているのであろうか。もしそうだとしたら、あの日高架橋のところまで私を探しには来なかっただろう。私は夫の頭の中にあることを想像しようと試みたが、じっと考えに耽ける夫の横顔からはその一端すら垣間見ることは出来なかった。
 まるで時間が止まったかのように静かに一日が流れていく。私はそっとに目を閉じてこの一週間に起きたことを振り返ってみた。一週間前のあの恐ろしい告知の瞬間、忌まわしい家宅捜索の日の出来事、大阪の両親の話、そして息子の異常な日記……、どれ一つを取っても思い出すことすら憚られる忌まわしいことばかりであった。これから一体どうなるのであろう。そんなことをつらつら考えているうちに私はついウトウトと浅いまどろみの世界に落ちていった。
 しかし、このわずかな平穏の時間が、地獄劇の最終章を前にした幕間のひと時であったことを、この時の私は微塵も気付いていなかった。

 どのくらい時間が経ったであろうか、ほんの三十分程度であったように思う。玄関のドアの外で微かに聞こえたパタンという音でハッと目が覚めた。手紙が郵便受けに投げ入れられる音であった。そう言えばあの日以来郵便受けの中を覗いていなかった。特段急ぐ手紙もあろうはずがない、と言ってしまえばそれまでだが、正直今の私の心にはそんな余裕すらもなかった。
 郵便受けの中はかなり混乱していた。手紙やチラシの類がごちゃ混ぜに入れられており、どう見てもだらしなさだけが目立つだけの箱になっていた。手紙は全部で十通程あった。電話代の請求書、クレジットカードの利用明細、そして化粧品のバーゲンの案内……、いつもと変わらぬ日常がそこにはあった。
 一枚一枚手紙を繰っていた私の手はふと一通の白い封書のところで止まった。何の変哲もない普通の白い封書、宛名にはワープロで打ったと思われる字で確かに夫の名が記されてあった。ただ、差出人の名らしきものはどこにも記されていなかった。
 一瞬嫌な予感が脳裏を過ぎったが、私は徐に封を切った。中から白い便箋か一枚出てきた。何とはなしに便箋を開いた私は、一瞬にして眼球が凍り付いていくのを感じた。便箋にはやはり同じようなワープロの文字で次のように書かれていた。
「殺人鬼よ覚悟せよ、お前を必ず処刑してやる。」
 私は慌ててもう一度封筒を手に取り直してみた。その時、封筒の中に微かに指に触れるものを感じた。大きな物ではなかった。私は左手で封筒の口を大きく開くと、逆さにして右手の手の平の上に中に入っていた物を振り落とした。その物はコロリと転がり出た。
「キャーッ。」
 その瞬間、私は全身から血の気が引いていくのを感じ、手の平の上の物を思わず下駄箱の上に放り投げた。私の声に驚いた夫が慌てて居間から出てきた。
「と、どうした?」
「あ、あ、あ、あれ。」
 私は震える手でテーブルの上に落ちたものを指差した。一センチほどの小さな物体は、真ん中の当たりで小さくくびれ、黄色と黒の縞模様が見えた。紛れもないスズメ蜂の死骸であった。しかし無残にも、蜂の頭と羽はもぎ取られ、腹部からはわずかに毒針の先が覗いていた。
「ちくしょー、何てひどいことを……。」
 夫は蜂の死骸を二本の指でつまむと、玄関の外へと放り投げた。
「一体誰がこんなことを。」
 夫はそう言いながら封筒と便箋を私の手からもぎ取った。無論そこには差出人の名前など書いてはなかった。しかし私はあることに気がついた。封筒には切手が貼ってなかったのである。そして消印も。ということはこれを投函した人物はわざわざわが家の前まで来て、自分でこの手紙を投げ入れたことになる。私は身体の震えを抑えるために、両手を胸の前に合わせて縮こまった。
「ただのイタズラだ。気にしなくていい。」
 夫は何とか虚勢を張ろうとするが、もう自制の効く状態ではなかった。顔は蒼ざめ、息遣いは浅く早くなり、手は怒りのためプルプルと震えていた。ハイエナどもがようやく姿を消したと思ったら、今度は禿げ鷹が襲ってきた。どこかわからない遥か遠い天空から我々の苦悩を嘲笑うかのように見守っていたのである。
 そしてこの後、恐怖のジェットコースターは最後の大崩落に向けて一気にスピードを増していくのである。

 翌朝。
「今から会社に行ってくる。」
 夫は一言そう言うとそそくさと着替えを始めた。気が付くと事件の発覚後十日が経っていた。管理職である夫にとっては、もうこのあたりが限界のようであった。これ以上、会社と会社の同僚たちに迷惑を掛けることは出来ない。例えどのようなしん惨な仕打ちが待ち受けていようと、行って全てを自らの口から説明しなければならない。夫の後姿は暗にそう語り掛けていた。
 私は夫は本当に勇気があると思った。夫は一体どういう顔で会社に入っていくのであろうか。そして会社の同僚たちの反応は……。私は、会社の中で周囲から千本の矢を射掛けられる夫の姿を思い浮かべると、とても夫を送り出す気にはなれなかった。
 しかし、そんな私の思いを尻目に夫は淡々と準備を進めていく。
「ねえ、あと一日、二日何とかならないの。」
 私はおねだりする駄々っ子のように夫に訴えた。本当のことをいうと私は夫が家からいなくなるのが怖かった。昨日のこともある。どんな嫌がらせを受けるかもしれない。寄りによってこんな時に会社に行かなくても。私は少し膨れっ面をして見せた。
「大丈夫、すぐに帰ってくる。ちょっとやり掛けの仕事を片付けてくるだけだから。」
 夫は微かに微笑んだ。いや微笑んだように見えた。今にして思えば、その僅かの微笑みが夫の固い固い心の内を表わしていたのかもしれない。

 その日の午後三時過ぎ、学校の担任の先生が訪ねてきた。息子のクラスは二年B組、担任はS子先生。先生になって五年目、今年の春初めての担任を任されたということであった。まだ女子大生のような愛らしさの残る先生は、クラスでも男の子たちの人気の的だとよく息子が言っていたのを覚えている。
 この前訪ねて来られたのは確か梅雨の頃、定例の家庭訪問の時であった。初めての家庭訪問ということで緊張されて、お茶をスカートの上に溢されたのを、昨日のことのようによく覚えている。
 そんな新米先生をいきなり大変な目に遭わせてしまった。私は本当に申し訳ない気持ちで先生と対面した。親としてどの面下げても会えたものではなかったが、私は先生の口から何か息子のことを聞き出せるのではないかと内心期待していた。
「この度は息子がとんでもないことをしでかしまして、本当に何とお詫びを申し上げてよいか……。」
「い、いえ。」
 S子先生の方もすぐに返す言葉が見付からなかったらしく、一言返事ともつかない声が口端から漏れた。私も二の句が告げず黙り込んだ。しばらく沈黙が続いた後、S子先生は徐に口を開かれた。
「A君の日記、お母さん読まれましたか。」
 日記と聞いて、私はすぐにピンと来た。息子が事件を起こす一週間前に書いたカエルの解剖実習の日記のことだろう。思い出すのも忌まわしい、あのグロテスクな内容の日記。
「え、ええ。」
 私は生半可な返事をした。警察に言われて後から読んだなどとは恥ずかしくて口に出せなかった。親として子供の日記も読んでいない。家庭での教育が全くなされていないことを白状するようなものである。
「ご、ごめんなさい。わ、私、まさかこんなことになるなんて思いも寄らなかったので。」
 そこまで言うと、S子先生は突然テーブルに突っ伏して大声で泣き始めた。
「わ、私がもっと注意して日記を読んでいれば……。」
 S子先生はどうやら今回の事件を未然に防ぐことが出来なかったことについて責任を感じておられるようであった。別にS子先生が悪いわけではない。事件を起こしたのは私の息子である。私は毛頭S子先生を責める気はなかった。
「あの日、A君は三匹のカエルを解剖したんです。」
「えっ?」
 私はS子先生の言葉にわが耳を疑った。あの気持ちの悪いカエルの解剖、一度でも嫌なものを息子はどうして三度も……。
「あの日クラスを七班に分けて実習をしたんですが、女の子ばかりの班が怖がって……。
そしたらA君が僕がやってやろうって。」
 何と息子は他の班の分まで解剖をしてしまったのである。私はそれを聞いて背筋に鳥肌が立っていくのを覚えた。精神異常、この前の弁護士の言葉が何度となく私の頭の中にこだまし始めた。息子はやっぱり気狂いだったのか。少なくとも尋常ではない。
「私、A君は勇気があるわねって言って、特段気にも留めずに、そのまま……。」
 そこでまたS子先生はハンカチで口と鼻を覆った。
「でも、警察の事情聴取で、学校での解剖実習が今度の事件の引き金になったんでは、と言われて。それで……。」
 S子先生はぎこちない様子で何どもしゃくり上げながらたどたどしく話を続ける。先生は何かを言いた気な様子であったが、なかなかそのことが切り出せない、そんな風に見えた。その直後にS子先生の口から出てきた言葉に私は卒倒した。
「県の教育委員会の方から言われて。全ては家庭教育の所為にしろと。少なくとも学校には責任はない、指導方針に問題はない、そのことをきちんと説明するようにと……。」
 そこまで言うとS子先生はワッと泣き崩れた。私は開いた口が塞がらなかった。むろん悪いのはうちの息子である。別に学校の所為にするつもりもなかった。でもあの解剖実習のことは今でも心の奥底のどこかに引っ掛かっていた。もしあれがかったら……。そう思うと悔しいやら悲しいやら。それを学校側は全て家庭の責任として片付けようとしていた。
 S子先生は自らの良心の呵責に苛まれているようであった。少なくとも息子の異常について自分は気が付いていた、教師としてそれを見過ごしにした責任はある。先生はそう言いた気であった。
「先生、どうぞお顔をお上げください。」
 今の私はとても人に対して同情なんか出来る余裕のある身ではなかった。ただS子先生をこれ以上責めても詮のないことであった。事件は起きてしまった。そして息子の精神状態に異常があったかどうかは専門家の手によって分析されることになる。
 S子先生はすっかり化粧の落ちてしまった顔で、何度も何度もお辞儀をしながら帰っていった。

 その日の夕方であった。すっかり日の暮れたわが家に、地獄劇の最終章の幕開けを告げる予鈴が鳴り響いた。あの瞬間のことを思い出すと今でも心臓が引きちぎれそうになる。私は、何かとても気持ちの悪い嫌な予感がしてその呼鈴から耳を塞ごうとした。電話に出てはいけない、出たらよくないことが起きる、もう一人の私が耳元で囁いた。
 私は、廊下に出たところで躊躇した。出るべきか、出ざるべきか。私が決断しかねている間にも、電話の呼鈴の音は十回をとっくに超えで鳴り続けている。私は、意を決して受話器に飛びついた。
「ああ、やっとつながった。」
 電話の向こうで、少し上ずった男の声がした。
「奥様でいらっしゃいますでしょうか?、ご主人様の会社の者ですが、実は、あの、その……。」
 男の声の調子から、かなり気が動転しているらしく、なかなかその先の言葉が出てこない。私は咄嗟に会社で夫の身に何かあったんだと思った。ひょっとして、クビ?、それとも降格……。その時の私はまだそんなことを考える余裕があった。
 しかし、次の瞬間私の脳天から爪先に落雷が貫通した。そして何百メートルもの高さの断崖から奈落の底へと落ちていくような感覚を覚えた。
「ご主人様が飛び降り自殺を図られて……。す、すぐに病院に……。」
 男の声が電話口で絶叫していた。私はヘナヘナとその場に崩れ落ち、右手から受話器が床に転げ落ちた。その後のことはよく覚えていない。意識はあった。でも心の中が空っぽで何をどうしたのかよく覚えていない。
 覚えていることと言えば、それからしばらくして何人かの男の人に両脇を抱えられて、そして黒塗りの乗用車の後部座席に押し込められて……。後から聞いた話では、私が電話に答えないので電話を架けてきた会社の人が心配して迎えの車を寄越してくれたとのことであった。
 夫は即死だったそうだ。遺体の損傷が著しくとてもまともに直視できる状態ではなかったらしい。ただ、魂の抜けた私には、そんな恐ろしい光景もただの映像に過ぎなかった。目の前に見えているものが何で、それが何を意味しているのかすら理解していなかったようである。涙もない、叫びもない、何時間も何時間も、茫然自失のまま夫の亡骸の傍に座っていたそうだ。
 私がようやく我に返ったのは姑の悲鳴を聞いた時だった。大阪の実家にはやはり会社の方から連絡が行ったようだ。私が気が付いた時、姑は鬼女のような形相で夫の亡骸に取りすがっていた。あの時の悲鳴は今でも脳裏に焼き付いて離れない。
「お前が殺した。お前が祐司を殺したんや。」
 確か姑はそんな言葉を繰り返していたように記憶している。
 
 三日後、夫の葬儀がごく親しい身内の者だけで執り行われた。このような場合、喪主は本来は妻である私が務めるべきところであるが、舅たちは無理やり夫の亡骸を大阪の実家へと移送した。身内の恥をこれ以上東京の多くの人に見られたくないという思いもあったのであろうが、何よりも夫を私という存在から遠ざけたかったようである。今にして思えば、その時の私は心身ともボロボロでとても喪主という重責を務められたものでもなかったのかも知れない。
 仕方なく私は通夜の当日東京から新幹線で駆けつけることになった。夫の実家は大きな門構えのある旧家であった。あいにくその日は夕方から冷たい霧雨が降りしきっていた。普通であれば門前には花輪や灯明が飾り付けられるはずであったが、そのような装飾は一切なく、家の中も灯が消えたようにひっそりしていた。読経の声が外に漏れることすら憚られるかのように家の窓といい扉といい全てが固く閉じられていた。
 私は玄関口から中の様子を窺いながら、黙って上がるかそれとも案内を乞おうか躊躇していた。その時。
「あれ、昭子さんやない。この度はまたえらいことで……。」
 その声に、ふと振り返るとそこには義兄夫婦がいた。傘から滴る雨の滴を払い落としながら、こんな場に相応しくない大きな声で話し掛けてきた。兄嫁に会うのは結婚式の日以来三度目のことであった。普段は京都に住んでいることもあり、特別の用がない限り滅多に顔を合わせることもない。
 私は突然の来訪者に言葉を失った。自らの恥を何と弁解すればよいのか。恐らくどのように弁解してもこの兄嫁の前では無駄であろう。私の記憶では、確か結婚式の折も散々嫌みを言われたように覚えている。晴れの舞台で随分礼儀を知らない人だと思ったが、後になってそれは私の夫への競争心から出たものだと分かった。
 義理の兄は正直言って出来が悪く、大学卒業後は自力で就職も出来ずに舅の口利きで京都の呉服問屋に勤めていた。対して弟であった私の夫は東京の大学を出た後大手の商社に就職し、いわゆる世間で言うエリートコースを歩んでいた。むろん兄嫁としては面白いはずかない。二度目に会った時は確か結婚してから何年目かの正月であった。帰省した際にたまたまバッタリ会ってしまった。あの折も義兄とあまりうまくいっていないと散々愚痴を言われたように記憶している。
 その兄嫁は今日は勝ち誇ったように胸を張っていた。その有頂天ぶりは声の調子からもハッキリと感じ取ることが出来た。
「なんぼエリートやて言われても、家の中のことがキチンと出来へんようではなあ。ほんまこっちもえらい迷惑や。身内から犯罪者、それも殺人犯なんか出してしもて。幸い東京でのことやさかい、まさかうちが少年Aの親戚やなんて思てる人もおらへんとは思うがな。それにしても……。」
 予想通りネチネチとした嫌みが始まった。何を言われても仕方がない。私は虎の前の猫のように背を丸めて縮こまった。一方義兄はというと、そんな兄嫁の嫌みを止めようともせずただ黙ってさっさと靴を脱いだ。本当に凡庸な義兄であったが、今の私には無口な義兄が仏様のように思えた。
 私は無言のまま口を脱ぎ、義兄夫婦に付き従った。夫の葬儀は離れの仏間で執り行われるらしかった。私はこの家の仏間には一度しか入ったことがなかった。十五年前、夫との結婚をご先祖様に報告するため、舅と姑に連れられて仏壇の前で手を合わせて以来である。長い廊下を渡り、霧雨の降りしきる濡れ縁に出てようやく奥の仏間に灯る灯明の明かりが見えた。 
 もう何人かの親戚の人が集まっているらしく人の話す声が微かに漏れてきた。その声は私を地獄の底へと誘う悪魔の囁きのように聞こえた。親戚の人々は私の顔を見て何と言うのであろうか。先程の兄嫁の嫌みどころでは済まないかもしれない。私は一斉に罵りの言葉が上がるのを怖れて身を固く縮めた。
 その間にも義兄夫婦は何の躊躇するところもドンドンと地獄の入口を目指して歩みを進めていく。私は心の準備が整わないまま仏間の入口に立った。
「どうも、遅くなりまして。」
 こともあろうに兄嫁はまたしても仏間中に聞こえるような大きな声で挨拶した。仏間にいた全員の視線が私たちの方に向けられた。仏間を仕切る襖は取り払われ、二つあった八畳の間が一続きになり、奥の祭壇まで見通せた。祭壇には白い菊の花に包れるように夫の遺影が飾られ、灯明の光がゆらゆらと輝いて見えた。部屋の中には一見して二十人ほどの人が居並んでいた。義理の叔父・叔母、義妹夫婦、それに今まで見たことのない顔もあった。
 そしてその一番奥にあの人たちがいた。黒の礼服に身を包んだ舅は終始無言のまま夫の遺影を見上げている。何日も寝ていないのであろう、目の下には黒々と隈が出来、額には苦悩の皺が何本も走っているのが遠目にもよく見えた。姑は黒留袖を身につけ舅の傍らに小さく蹲っていた。顔を伏せているのでその表情はよく見えないが、三日前東京の病院で見た時よりもさらに一回り小さくなったように見えた。
 兄嫁の声で舅と姑もほぼ同時に私たちの方に向いた。その時の姑の表情は三日前よりもさらに恐ろしく変化していた。髪はバサバサに乱れ、頬は死人のように灰色に変わり、目は空ろに中空をさ迷い、まるで断末魔の声を上げる鬼女のように見えた。そしてそのすぐ後、私はとんでもない光景を目の当たりにすることになる。
「お前は何しに来た。帰れ。帰らんか。祐司は誰にも渡さへん。祐司は私の子や。祐司は私の……。」
 姑はそう言うなり、祭壇の前に仁王立ち
となり、力任せに焼香台を私に向って投げつけた。ガシャーンという音ともに焼香台は砕け散り、辺り一面に灰が舞い上がった。
「な、何すんねん。これ、落着きなはれ。ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ。」
 仏間にいた人々全員が咳き込みながら一斉に立ち上がった。その間にも姑は次々と祭壇に供えられた供物や献花の類を手当たり次第に当たりに投げつけ始めた。怒声と悲鳴が飛び交う中、私は辛うじて兄嫁の叫ぶ声を耳にした。
「昭子さん。何ボーッとしてはるの。早、出て行き。早……。」
 私は思わずその場から裏庭へと裸足のまま飛び出した。仏間の混乱は障子越しにもはっきりと見えた。鬼女が踊り狂い、物を投げつける、それを何人かの男が取り押さえようと走り回る。その様子がハッキリと影絵となって障子に映るのが見えた。私は放心状態のまま、降りしきる霧雨の中に立ち尽くした。喪服はたちまち湿気をたっぷりと吸い込み、頭から頬を伝った滴が顎の先からポタポタと落ちるのが分かった。
 このような恐ろしい屈辱があろうか。嫁が夫の葬儀にも立会えない。その場に居合わせた何十人という人の誰からも声を掛けられることなく、その夜、私は降りしきる雨の中から夫の魂を見送るよりほかなかった。


 翌日、私は東京に戻ることにした。昨夜の霧雨は上がったものの、朝からどんよりとした雲が垂れ込める肌寒い日であった。私は、告別式にも参列せず、夫の棺を見送ることもないまま、静かに実家の前で手を合わせた。もう二度とこの家に来ることもあるまい。不思議と涙は出なかった。心の中が空ろのままで、怒りも、悲しみも湧いてこなかった。 
 全ての感情を失した人形のように私は静かにその場を立去った。が、この時私の心の中には既にある固い決意が芽生えつつあった。
 その日の夕方、私はわが家に戻った。わずか一日空けていただけなのに、私には部屋の中が昨日とは随分と違って見えた。見るもの、触れるもの全てが何故か無性に懐かしく思えた。私はゆっくりと時間を掛けて一つ一つ部屋を回った。
 最初は私たちの寝室。二階の東側に面していたその部屋は既に薄暗くなり始めていた。十畳もある部屋もベッドと洋ダンスが入ると小さく見えた。私はこの部屋で夫と二年間を過ごした。それまでは二LDKのマンションで家族三人「川」の字になって寝ていたが、息子が中学生になったのを機にこの家に引越してきたのだった。夫と二人きりで寝るなんて新婚の時以来であった。何となく心がウキウキして嬉しかったことがまるで昨日のことのように思い出された。
 私は壁際にあった鏡台の前に腰掛け、鏡に映った自分の顔を見て驚いた。そこに居たのは自分ではなかった。髪は乱れ、頬は落ち、目はギョロリと輝き、血の気の引いた青白い顔には死相が漂っていた。そう言えば昨日から化粧もしていなかった。私は鏡台の引出からそっと口紅を取り出すと、唇を拭った。だがそれが失敗だった。口の回りだけが赤く染まり、まるで死肉を食らう獣のような顔になった。私は思わず鏡の上に口紅を何度もこすり付け、不気味な自分の顔を消し去ろうとした。
 次に私の手に触れた物は枕元に置いてあったオルゴールであった。一年前家族三人で箱根に出かけた時に、オルゴール美術館で買った物であった。思えば、家族三人揃って旅行したのはあれが最後であった。息子は中学生になって後、友達と出かけることが多くなり、親と一緒に出たがらなくなった。大人になったなあと思いつつも、少し寂しい気もした。
 私はそっとオルゴールのネジを巻いた。ピンポンポン……、置き時計の形をしたオルゴールが静かに回り始め、「古時計」のメロディーを奏で始めた。オルゴールの音色は何故こんなに侘びしい音がするのか、いつも不思議に思っていた。きっとオルゴールは寂しがり屋なのだろう。誰の伴奏もなく自分一人で音を奏でる。私は今の自分がオルゴールのように思えた。
 しばらくしてネジが巻き戻ってくると、オルゴールが奏でるメロディーは次第に訥々と小さくなり、やがてピンという微かな音とともに完全に止まってしまった。
 続いて私は、すぐ隣の息子の部屋に入った。西側に面していた息子の部屋にはまだ微かな秋の日の残光が差し込んでいた。セピア色の光に照らされた息子の学習机の上には薄っすらと埃が積んでいた。ベッドの上の布団はきちんと整頓され、枕元の目覚し時計が静かに時を刻んでいた。
 ここが、あの恐ろしい事件を起こした鬼子の部屋とはとても思えないほど静かで平和な空気が流れていた。このまま待っていると今にも息子が階下から上がってくる音が聞こえるのではないかと思えるほどであった。私はベッドの端に腰掛けて静かに目を閉じた。ここでこうしていると息子の心と和合できるのではないかという気がして、私はじっと目を閉じたまま精神を集中した。
 どのくらい時間が経ったのであろうか。いつしか夕闇の影が息子の部屋の中にも広がり始めた。しかし息子はいつまで経っても答えてくれなかった。やはりあの子は鬼子だったのだろうか。息子の仮面を被った鬼の子だったのかもしれない。正直、この時の私にはまだ一抹の期待があった。もし息子が鬼子ではなく、私の問い掛けに答えてくれたなら、私の固い決意は揺らいだかもしれない。私は必死に心の中で呼び掛けるがついに返事を聞くことはなかった。
 
 居間に戻った私はついに地獄への旅路の準備を始めた。まず睡眠薬の瓶とコップ一杯の水を用意した。そして化粧台から持ち出した化粧用の安全カミソリ。私は確実に自らの決意を遂行するために着々と準備を進めた。窓の外はもうどっぷりと日が暮れ、居間の中は真っ暗になった。私はカーテンの隙間から差し込む微かな光を頼りにまず睡眠薬の瓶を空にした。二粒、三粒ずつ口に含んでは嚥下していく。朝から何も食べていなかった私の胃袋はスーッと薬効を吸収していった。
 続いて私は安全カミソリを割って刃を取り出した。もちろん初めての経験である。カミソリの刃は不思議なほど簡単に手首の肉の中に入っていった。痛みはなかった。と同時に温かいものがスーッと手の平を伝い、人差し指の先からポタリポタリと滴り始めた。私はそっと目を閉じてソファに背をもたれかけた。もうすぐ全てが終わる。鬼子と決別し、夫の元へ行ける。私の心は大きく温かなものに包まれ始めていた。痛みも苦しみもない。これまでに経験したことのないような安らぎであった。
 私は一人広い道を歩いていた。どこまでも続く広い道は暖かい春の陽射しに満ち溢れ、道端には赤や黄色の花が咲き乱れている。遠くの方は春霞のようにボンヤリと霞んで見え、頬に当たる風が心地よい。今にして思えば、これが臨死体験というものだったのかもしれない。
 しばらくこの広い野原を歩いていた私は、やがて夫らしい人影を見かけた。私は息を切らせてその人影を追いかけた。大声で呼びかけるが、夫は相変わらず歩みを止めない。ゆっくり歩いているように見えるが一向に距離は縮まらない。私は次第に焦りを覚え始めた。一人置いてけぼりにされたような焦燥感に駆られて、必死になって駆け出した。その時、ようやく夫が振り向いた。あんな穏やかな顔の夫を見たのは生まれて初めてであった。
「すまなかったな。一人にして。」
 夫は確かにそういった。遠く離れていたのでよく聞こえなかったが、十五年間夫婦であった、そこは以心伝心である。
「ううん、いいのよ。」
 答える私の頬には、何故だか止め処もなく涙が溢れた。私は手を振りながら夫の傍に走り寄ろうとした。しかし、夫は私の方を向いたままどんどん後ろずさりしていく。どうしたのだろう。ぴったりと等距離を置いて、近づきも遠ざかりもしない。私が足を速めれば夫の遠ざかるスピードも速くなる、私がゆっくり歩めば夫のペースも落ちる。そんなことがしばらく続いた後、夫はやっと口を開いてくれた。
「君はここまでだ。」
 私は最初夫が何を言っているのか分からなかった。変なことを言う人だなと思った。でも私が次の一歩を踏み出そうとした時、夫の顔は急に険しい表情に変わった。
「君にはまだやり残したことがあるだろう。」
「やり残したこと?」
 私が尋ね返した時、夫の姿は春霞の中に溶けるように消え始めた。足が消え、腕が消え、夫の姿がどんどん薄くなっていく。私は必死になって夫の名前を呼び続けるが、夫はニコニコと微笑みかけるだけでそれ以上何も話してくれない。
「待って、待ってーー。」
 私は手を伸ばして、絶叫した。
 その瞬間、私の目の前は真っ暗な闇に変わった。同時に遠くから私を呼ぶ音が聞こえてきた。その音は着実に等間隔で私を呼び続ける。私はクラクラする頭を押さえながらソファの上に置き上がった。ソファの上はぬめぬめした液体でベットリと濡れていた。その瞬間、私の手首に激痛が走り、私は現の世界に連れ戻された。
 私は立ち上がると、フラフラと音のする方向に歩いていった。
「もしもし。」
「ああ、やっとつながった。」
 受話器の向こうに聞き覚えのある声がした。町田弁護士であった。
「A君との面会の日取りが決まりました。」
 A君、息子……、私はようやく夫の言い残した言葉の意味を悟った。そう、私にはまだやり残したことがあった。息子と会って話をしなければならない。何故息子があのようなことをしたのか、そして息子が鬼子であるのかないのかこの目で確かめなければならない。
私はベットリと血糊のついた手首を押さえながら、決意を新たにした。

 それから五日後、息子との面会の日が来た。
 私は弁護士に付き添われて少年鑑別所へと出向いた。私は、手首の傷痕が見えないようにと、思いっきり袖の長いスーツを着ていった。
「面会時間は三十分ですから。要領よく有効に使って下さい。」
 弁護士は少しでも裁判に有利になるようにということしか頭にないようであった。息子に精神異常を思わせるようなところがないか、慎重に様子を観察して来いということであった。
 私は一人面会室の中に入ってその時を待った。面会室は殺風景で、南側に面した窓から見える木々の緑がわずかに彩りを添えていた。中央当たりに大きなテーブルが置かれ、そのテーブルを挟むようにして簡単なスチール製の椅子が二脚ずつ置かれていた。
 待っている間、私は次第に精神状態が高揚していくのを感じた。息子とはあの日以来である。そしてこの二週間余りの大混乱である。自分は果たして息子に会って平然としていられるであろうか。会った途端息子に掴みかかり殴り殺してしまうのではないか、私は突然そんな恐怖に襲われて身を固くした。
 その時ドアの外に人の気配がした。私の心臓の音は一気に高まった。落ち着け落ち着けと心の中で叫ぶが、脈拍はドンドン速くなり、手首の傷痕がドクンドクンと痛んだ。ああ、もうダメだと思った瞬間ドアがガチャリと開いた。
 制服を身につけた男二人に付き添われるように息子が部屋に入ってきた。その姿を見た私は、一瞬にして拍子抜けし全身の力がヘナヘナと抜けていくのを感じた。鬼子ではなかった。そこにいるのは鬼子ではなかった。息子の様子はあまりに自然で、あまりに平凡で、あまりに静かであった。休みの日にいつも家で着ていた青色のジャージ姿、ここが鑑別所でなければまるで普通の中学二年生である。やつれた様子もない。私はきつねにつままれたように息子を凝視した。
「面会時間は三十分です。我々はすぐ外にいますから、何かありましたら……。」
 鑑別所の人たちは、そう言い残すと表に出た。
 部屋の中は私と息子の二人きりとなった。息子はやや伏し目がちに下を向き、私の顔を正視しようとはしなかった。私も何から話していいやら分からず、しばらくは重苦しい沈黙が続いた。持ち時間は三十分しかないのに、もう一分、二分が過ぎていく。息子は相変わらず黙ったままであった。
「どう、元気にしてる?。」
 私は思い切って声を掛けてみた。自分の息子に声を掛けるのにこんなに緊張したことはなかった。わずか二週間程しか経っていないのに、もう何年も会っていないような気がした。
「うん。」
 息子はコクリと頷いただけで、それ以上は何も言わなかった。また重苦しい沈黙が流れた。息子は微かに震えているようにも見えた。私は敢えて事件のことには触れないようにした。ここで息子を叱ってみても詮ないことである。この二週間の出来事が私の心の中から全てを奪い去り、怒る気力すら湧いてこなかった。その時、息子の唇が微かに動いた。
「お父さんは?」
 私は予期していなかった質問に狼狽した。息子にはまだ知らされていない、少なくとも夫が死んだことについてまだ鑑別所から話を受けていない様子であった。私が返事をしなかったので息子はまた同じ質問を投げかけてきた。
「お父さんは、どうして来ないの?」
 息子はどうやら夫にこの場に来てもらいたかった風であった。大声で叱られて、そして思いっ切り張り倒してもらいたい、息子の顔にはそう書いてあった。
「お、お父さんはね。仕事があって、遠いところに出張に行ってるの。すぐには帰って来れないの。」
 私は口から出任せの作り話をした。しかし、息子は鋭敏であった。私の声の調子や仕草から何かを読み取ったようであった。ひょっとすると「遠いところ」という言葉の意味も薄々感付いたのかもしれない。私がそれ以上話を続けないのを見て、息子は突然全身を小刻みにプルプルと震わせ始めた。
「ご、ごめんなさい。僕のせいで。本当にごめんなさい。」
 そう言うなり息子はどっとテーブルの上に突っ伏した。息子の背中は大きく揺れ、激しい心の疼きにじっと絶えているようであった。鬼子ではない。この子は列記とした人の子、鬼子などではない。その時私はそう思った。そして、あまりに激しい息子の慟哭に私の感情の糸もプッツリと切れた。もう何事も言葉にならない。二人とも時の経つのを忘れて面会室の中で泣き叫び続けた。
 どのくらい時間が経ったであろう。息子は高ぶった感情の中で辛うじて呟いた。
「僕、死刑になるのかな。」
 私はまたしても答えが見出せず絶句した。「死刑」という言葉がこれほどの重みを持って聞こえたことはなかった。新聞やテレビでは毎日のように殺人事件や強盗事件の報道が流されている。そうした犯人に死刑判決が出されたという報道もよく目の当たりにする。いつもはまるで他人事のように、凶悪犯は早く死刑になればいいと思っていた。その忌まわしい言葉が今眼前にいる息子の口から流れ出た。私の頭の中を、「死刑」という言葉がグルグルと何度も巡り回った。
「だ、大丈夫。今弁護士の先生と話をしているから。それにあなたはまだ未成年だし……」
 そこで息子はまたワーッと泣き崩れた。私は気慰みのつもりで言ったつもりであったが、本当のところ私の心の中にはギリギリとするような葛藤が渦巻いていた。息子を助けるには息子を精神病患者にするしかない、弁護士はそう言っていた。しかし、現実に今目の前にいる息子は精神病などではなかった。どう見ても普通の男の子であった。気狂いを選ぶのか死刑を選ぶのか、どちらを選ぶのかと言われても、それは答えようのない選択であった。
 この時の私はうかつであった。息子の言葉に自らが取り乱して、左手首のことをすっかり忘れていた。息子は目敏く私の左手首に目を留めていた。息子の視線に気が付いて、私は慌てて手を引っ込めたが既に遅かった。青黒く腫れ上がった手首の肉、それが何を意味しているのか息子は瞬時に悟ったようであった。犯罪者の家庭がどういうことになるのか、もう分からない年齢ではない。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。」
 息子は、再び深い深い慟哭の淵へと落ちていった。
 それからどのくらい時間が経ったであろうか。私が何かを口にしようとした時、無情にもガチャリとドアの開く音がした。
「時間です。」
 ほとんど何も話が出来ていなかった。あっという間であった。まさに面・会である。顔を見るだけであった。息子は男たちに両脇を抱えられるように立ち上がった。部屋を出て行く時、息子はかろうじて今一度私の方を振り返った。その目は明らかに何かを語り掛けようとしていた。何かを訴えようとする悲しい悲しい目であった。

 息子の死が知らされたのは、それから一週間後のことであった。
 鑑別所の部屋のカーテンレールに裂いたシーツを結び付けて首を吊ったということであった。鑑別所からの知らせで病院に駆けつけた時は既に息子の息はなく、目の前には冷たい骸となった息子の姿があった。
 その時の私は自分でも不思議なくらい冷静であった。少なくとも夫が死んだ時よりは、遥かに明瞭にその時の状況を覚えている。鑑別所の人が頻りと申し訳ありませんでしたと謝罪していた。別に鑑別所の人が悪いわけではない。息子は自らの意思で「死」を選んだのである。
 私の心の中は複雑に揺れ動いていた。息子を亡くして喜ぶ親はどこにもいない。でも不思議な安堵感が私の心の中に漂っていた。不埒であると思われるかもしれないが、本当はこれでよかったのかもしれない。息子が生き続けても苦しみは増すばかりである。息子は自らの心の中に棲みついていた鬼子を自分の手で抹殺したのかもしれない。私が成し遂げられなかったことを息子は自分の手で遂行したのだ。
 三日後、市内の葬儀所で息子の葬儀が執り行われた。当初は私一人で密やかな葬儀を行うつもりでいた。しかし、ここでもハイエナたちは許してくれなかった。
「A君、鑑別所内で自殺。闇に包まれた十四年の生涯。」
 息子が自殺した翌日の新聞には早くもデカデカとした見出しが躍っていた。一体この人たちはどこまで加害者を苦しめれば気が済むのか。夫が死に、そして今また息子も死んだ。人の不幸がそれほど面白いのか。私は、泣き叫びたくなるような気持ちを抑えつつ、心を鬼にして息子の葬儀に臨んだ。
 幸い、葬儀所には流石のマスコミの連中も押しかけては来なかった。少年Aが死んだという事実だけが伝えられれば、彼らの用は済んだのかもしれない。肝心の主役も死んでしまえばただの骸。彼らの関心事はもう次の鬼子探しに移ったのかも知れない。
 葬儀所に来てくださったのは、担任のS子先生、少年鑑別所の所長、それと担当の刑事さんの三人だけであった。大阪の舅と姑は無論来ようはずもない。増田弁護士も所用があるとのことで会葬されなかった。後で聞いたことであるが、S子先生は個人として会葬下されたとのことであった。
 私も含めてわずか四人による葬儀がしめやかに始まった。私は、合掌する手の隙間から静かに祭壇を見上げた。そこには白い菊の花に包まれた息子の写真が飾られていた。昨年中学校に入学した時に撮影したものであった。初めて袖を通した制服に少し緊張気味の息子の表情は、およそ少年Aとは程遠い柔らかさに包まれていた。わずか十四年の生涯、息子は何を思い、そしてどんな気持ちで逝ったのか。この写真からは、そんな息子の心の内を知ることも出来ない。
 息子は天国でどんな顔をして夫に巡り合うのであろうか。夫は、息子をぶん殴って、どやしつけるのであろうか。いや。あの優しかった夫のことだから多分そんなことはしないであろう。それどころか、きちんと息子の心と向き合えなかったことをあの子に詫びるに違いない。そんなことを考えながら私は一心に祈り続けた。
その時、焼香台の方から悲鳴が聞こえてきた。S子先生であった。焼香台の前で泣き崩れられたまま、まともにご焼香も出来ない状態であった。やっとのことで、葬儀所の係の方に抱きかかえられるように引き下がられた。私は、またしても申し訳ない気持ちで一杯になった。自分の教え子を救えなかった後悔の念と深い悲しみが、打ち震える先生の背中から痛いほどに伝わってきた。
担当の刑事さんの目にも光るものがあり、合わされた掌に握られた数珠が微かに震えるのが見えた。 
こうして息子の葬儀は恙無く終了した。世間を大騒ぎさせた少年Aの葬儀にしてはあまりに静かであっけないものであった。私の周囲を取り巻く空間が、これまでの出来事を悼むかのように優しく私を包み込んでくれた。温かいシャボン玉にくるまれた私の心は、いつまでもどこまでも飛び続けていった。

 それから二ヶ月が経ったある日のこと、私はようやく一大決心をした。今こそM子ちゃんの霊前にお詫びに行かなければならない。行ってご両親にも詫び、そして何よりもM子ちゃん自身にもお詫びを言わなければならない。事件の発生から二ヶ月余りが経ってようやく私の心は固まった。夫に無理やり連れられて今一歩のところまで行っておきながら、結局怖じ気づいて面会を果たせなかった不甲斐なさを償うべき時が来たと思った。
 ご両親はどんな顔で私を迎えられるであろうか。どのような罵声を浴びせられようと、どのような仕打ちを受けようと、いや殴り殺されても構わない。とにかく行かなければならない。私の決心に揺るぎはなかった。
 年も改まったその日、街中は新年を祝う人々でごった返していた。私は一年前のことを思い出しながら、M子ちゃんの霊前に供える品を探していた。一年前には私の右隣には息子がいた。そしてその息子の向こうには夫がいた。息子を挟むようにして親子三人手を繋いで初詣に出かけた。
 街の様子は時の流れが止まったかのように一年前と何も変わっていない。パン屋さんの前のしめ縄も、おもちゃ屋さんの前の門松も去年と同じであった。でも私の隣には息子はいない。夫もいない。言い知れぬ孤独感だけが私の周囲を包んでいた。
 私は大きな熊のぬいぐるみを買った。確か新聞の記事か何かで亡くなったM子ちゃんが熊のぬいぐるみをとても大事にしていたと読んだ記憶があった。きっと心の優しい子だったのだろう。私の脳裏にぬいぐるみを抱っこしてスヤスヤと眠る幼子の顔が何度となく過ぎっていった。

 その日の午後いよいよ私は運命の面会に向った二ヶ月前泣き叫んでしりごみした街角も今日は難なく通り過ぎることが出来た。角を曲がって三軒め、M子ちゃんの家の屋根が次第に大きく迫ってきた。さすがに私の心臓は次第に高く波打つようになってきた。しかし今日はもう後戻りはしない。泣き叫ぶこともしない。一度死に臨んだ者にもう恐いことなど何もなかった。淡々とM子ちゃんの家の前まで辿り着いた私は、門前で深呼吸をして息を整えた。
 M子ちゃんの家の玄関には白い鉄製のポーチがあり、小さな石段を上ったその奥に茶色の玄関扉が見えた。玄関の脇の車寄せには赤い子供用の自転車が一台置かれたままになっていた。恐らくM子ちゃんのものであろう。今にも玄関からM子ちゃんが飛び出してきてその自転車に乗ってどこかへ出かけそうな、そんな平和な空気に包まれていた。
 私は微かに震える指先で玄関チャイムを押した。しばらくして奥さんらしい声で返事があった。私が名乗りを上げると、一瞬沈黙が流れた。私はその沈黙の意味を推測した。突然の訪問に狼狽したものなのか、それとも怒りが込上げて声も出なかったのか。十分に準備が出来ていたはずの私の心の中にも急速に暗雲が広がり始めた。ほんの十秒ほどであったろうか、そんな長い時間ではなかったが、その時の私には無限の時間のように思えた。
「はい。お待ちください。」
 ようやく小さな声で返事があった。
 しばらくして玄関ドアを開ける音がした。私の緊張は一気に高まった。もし奥さんが包丁を振り上げて出てきたらどうしようか。「八つ裂きにしてやりたい。」、二ヶ月前のテレビのインタビューが鮮明に私の脳裏に蘇った。一瞬にして私の身体は石のように固くなっていった。
 玄関先にはご主人と奥さんの二人が揃って出てこられた。ご主人は思ったよりは年上に見えた。休みの日ということもあり青のジャージにグレーのカーディガン、すっかりくつろいだ様子であった。奥さんはというと、ピンクのセーターにエプロン姿、恐らくお昼の片付けでもされていたのであろう。
 二人は最初訝しそうに私の顔を見ておられたが、しばらくしてどうぞという仕草でポーチを開けて下さった。私は一瞬拍子抜けした。よくて帰れと怒鳴られるか、悪くすれば植木鉢か何かが飛んでくるのではと思っていた私には全く意外であった。私は促されるままにゆっくりと石段を踏みしめて、玄関の中へと進んだ。
 玄関の中も表と同じく平和な空気が流れていた。下駄箱の下には小さな赤い靴が二足、そして幼稚園に行く時に下げていく黄色の傘が寝かせて置いてあった。今でもM子ちゃんが毎日使っているかのようにきれいであった。
「どうぞ。」
 相変わらず奥さんのモノトーンな案内が続く。その表情には、怒りもなく、笑いもない、まるで能面を被ったように無表情のまま、静かに淡々と座敷へと誘導されていく。ご主人も黙ったまま、私の少し斜め後ろから付いて来られた。
 私は二人の心の内を測り兼ねていた。当然地獄の烽火のごとくメラメラと燃えたぎっているはずである。しかし、二人の表情や仕草にはそのようなところは微塵も感じられない。一体この静かさは何なのか。この人たちは何故怒りの言葉を発しないのだろうか。目の前に、憎っき娘の敵がいるのに。
 そんなことを考えているうちに私はとうとう仏壇のある座敷にまで辿り着いてしまった。床の間の隣に置かれた仏壇には今朝生けられたと思われる白い菊の花が飾られ、それに少し隠れるようにしてM子ちゃんの遺影があった。写真の中のM子ちゃんはピンクの幼稚園の制服を身につけ、得意気にカメラに向って笑っていた。こんな可愛い子供に息子は何故あのように残忍なことをしてしまったのか。それを思うと私の胸は張り裂けんばかりで、とても写真を正視できたものではなかった。
「どうぞ。」
 奥さんは再びモノトーンな口調で座布団を奨められた。その瞬間である。私の心の奥底で張り詰めていた糸がプチリと音を立てて切れた。
「申し訳、申し訳ございませんでしたーーーー。」
 私は畳に額をこすり付けて絶叫した。全身がワナワナと震え、身体が萎縮していくのがはっきりと分かった。こうなるともう自制の効く状態ではなかった。私の両眼からは大粒の涙がポタポタと音を立てて畳の上に落ち、両手の爪が畳の目に食い込むほど指が強ばった。このままここで心臓が停止するのではないかと思われるほど全身がピクピクと痙攣した。
「ま、まずは、お手を……。」
 今度はご主人の声がした。奥さまと同じようにモノトーンな調子で、喜怒哀楽の全てを失ったような声であった。ご主人は座敷机を挟んで丁度仏壇の正面くらいの位置に正座したまま座っておられた。私はまたしても不思議な感覚に囚われた。この静けさは一体何なのか。何故この人たちは私を罵倒しないのか。二人が静かであればあるほど、それに比例するかのように私の心の乱れは増幅された。
 どれくらい経ったであろうか。私が少し落ち着きを取り戻したのを確認するかのように再びご主人の声がした。その時、私は決して聞いてはならない一言を聞いてしまった。
「お宅さまの方も大変なことに……。」
 私は一瞬わが耳を疑った。この人は一体何を言っているのだろう。ひょっとして……。ご主人が呟いた一言の意味を咀嚼していくうちに、私の心は驚きの余り次第に凍り付いていった。加害者の親が被害者の親から慰めの言葉を聞く。決してありえないことが今目の前で起こりつつあった。
加害者の父親が自殺したことも、そしてついには加害者本人までもが自らの命を絶ったことも、全てが報道されていた。当然この家の人たちの耳にも届いているはずであった。私はうかつであった。よもや被害者の親の口からこのような言葉が出てくるとは思ってもみなかった。私は何と答えていいのか分からず、我を忘れて絶叫した。
「も、申し訳ありませんでしたーー。」
 私の額はピッタリと畳に押し付けられ、全身がヒクヒクと痙攣した。私の脳裏には死んだ夫の顔、そして息子の顔が次々と現れ、それは次第にボンヤリと輝きを失していった。一体私の人生は何だったのだろう。何のため夫と結ばれ、そして何のために息子を産み、そして何のために今ここにいるのか。私は心の中にポッカリと大きな穴が開いたような気持ちになった。
「さ、どうぞ。」
 今度は奥さんが私を仏壇の前へと促して下さった。私はすっかり化粧が落ちて醜くなった顔をハンカチで抑えながら、仏壇の前へと進んだ。仏壇の前まで進むと先程のM子ちゃんの写真がより大きく鮮明に見えた。パッチリと開いた目、丸い小さな鼻が愛らしさを一層引立てる。口には白い歯が覗いていた。
 M子ちゃんはさぞかし息子を恨んでいることだろう。何のことか分からぬまま、手足を縛られ、身体を切り刻まれて……、そこまで考えると私の心は再び錯乱した。線香を持つ手はプルプルと震え、合唱しようにも両手がうまく合わせられない。全身が硬直して両肩が小刻みに波打った。やっとのことでお供え物の熊のぬいぐるみを仏壇の脇に置くと、膝をついて一歩後ろずさりした。
「どうぞ、座布団を。」
 ご主人の声がした。ふと顔を上げると、丁度奥さまがお茶の入った湯のみを茶托の上に載せておられるところであった。私はまたしても当惑した。塩を顔に投げつけられても仕方のないはずの私の目の前に今お茶が出されようとしている。これは一体何なのか。
「よくご存知でしたのね。」
 奥さまは静かに一言尋ねられた。
「えっ?。」
「熊のぬいぐるみ。死んだM子がとっても好きでしたの。いつどこへ行くのにも持ち歩いておりました。邪魔になるのに置いていきなさいと言ってもきかなくて……。」
 そこまで言うと奥さまはそっとハンカチで目頭を押さえられた。その仕草がまたあまりに気の毒で、ようやく乾き始めていた私の目も再び大粒の涙が溢れ出した。
 その時である。奥さまは急に具合が悪そうにハンカチを口に当てられた。どう見ても普通の鳴咽の声ではなかった。悪心を堪えるかのように、さっと席を立ち座敷の外に出られた。私は急に不安になった。先程まであれだけ静かだった奥さまが。ひょっとして抑圧された怒りを抑え切れず……。今度こそ包丁を持ってこの座敷に……。
「四ヶ月ですよ。」
 その私の不安を打ち消すかのようにご主人が呟かれた。私は一瞬何のことか分からなかった。しかしそれが妊娠四ヶ月を意味していると悟った時、心の底から喜びが沸き立つのを覚えた。他人の妊娠をこれほど嬉しく思ったことはなかった。
「そ、そ、それは、お、おめでとうございます。」
「丁度M子が死んだ頃でした。私にはお腹の子がM子の生まれ変わりじゃないかと思えましてね……。」
 ここで今度はご主人が涙声になられた。
 私の心はこの一言で随分と楽になった。先程まではグレー一色に塗りつぶされていた私の心の中に、一点の朱が灯るのを感じた。もちろんこのことでM子ちゃんが殺されたという事実が消えるわけではない。息子の、そして私の罪が消えるわけではない。ただ私の心の負担は間違いなく軽くなった。どのような些細なことでもいい、被害者の家庭に福が訪れ、加害者の家庭に災いが降り注ぐ。それで息子の犯した罪の千分の一でも償われるのなら、私の心の負担はそれだけ軽くなる。
 結局、この日お二人の口からは一切の譲許の声は聞かれなかった。むろんそんなことは端から期待もしていなかった。ただ私はこの日M子ちゃんの家にお伺いして本当によかったと思っている。あの日がなかったら、私は一生心に鉛色の重りをつけたまま生きていくことになったであろう。いやひょっとするとまたカミソリの刃を手首に当てることになっていたかもしれない。

 あれから五年が経った。私はM子ちゃんの命日には毎年欠かさずM子ちゃんのお墓に参り、霊前にも必ずお線香を上げさせてもらっている。お二人はいつも変わらず、終始言葉少なに私を迎え入れては、また送り出して下さる。特に恨みごとを言われたこともない。ただ、許しの言葉はまだない。恐らく一生その言葉を耳にすることはないのかもしれない。来る年も来る年も同じように静かな会釈が交わされることであろう。
 新しく生まれた女の子も今では丁度M子ちゃんと同じくらいの年になり、差し上げた熊のぬいぐるみを抱えて愛敬を振りまいていた。私はこのまま時間が五年前に戻って欲しいと願った。今目の前にいる女の子がM子ちゃんで、そして何事もなかったように平和な夕飯の時間が訪れ、談笑の声が聞こえる。
私も自分の家に戻り、夫と息子の三人で温かいシチューを分けて…。
 その頃からであった。私はようやく鬼子の夢から解放されるようになった。息子は鬼子などではなかったのかもしれない、本当は心根の優しい人間の子であったのではないか。それがどうしてあのようなことをしてしまったのか、本当のところは今でもよく分からない。
 私は、今年の春からカウンセリングを始めた。いつどこで生まれるか分からない鬼子の母のために。
 今日も全国から多くの電話がかかってくる。私は目の前にある息子の写真を見ながら、受話器を取り上げた。
「はい、こちらは全国少年犯罪加害者家族の会です。」
(了)


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