「なんかの遠征なんですか?」
床に転がったバスケットボールを手に取り、尋ねる。
「ん?あぁ、これ?違うよ。ただの一人旅。遠征やったら女の子なんか呼んだら怒られるやろな!はっはっは。しかも俺まだまだへたっぴやし。」
「私も高校の頃ハンドボールやってたんだけど、バスケとは関わりなかったかなぁ。」
「なんで?体育館じゃなかったん?」
「うん、私の高校はハンドのコート外にあってね、サッカー部とかととり合いだった。だから体育館のバスケ部とかバレー部とかとは関わりなかったなぁ。」
「ふーん、そっか。ハンドも俺やったことあるで!」
「えっ?部活?」
「いや、クラスマッチ。」
「そっか、クラスマッチか。」
「クラスマッチってわかる?今もあんのかな?」
「あるよ!あ、バスケ始めたきっかけは?」
「そら、スラムダンクやな。」
「やっぱり!」
「間違いないわ!スラダンはみんな見とるよ!俺大好きやもん。」
「私も普通に見てたよ。マンガで。あれ感動するんだよね!」
久しぶりのまともな会話。 何でもないことだけど、何故か気分が軽くなる。
私たちはこの後も盛岡のこととか東京(その人が東京に住んでるから)のこととか、色んな話をした。気がつけば自然と笑顔になっていて、その人と言葉を交わすだけで今までの自分が自分でないように変化していることに気づいた。
部屋に入った時から思っていたが、その人はスラムダンクに出てくる、私の一番好きなキャラクターによく似ていた。
それにしてもその人は楽しそうに話す。 初対面の風俗嬢によくこんなに深い内容を話せるものだ。東京のバーでぼったくられたことや、台湾の風俗店で現地の警察にガサ入れにあいそうになったこと。
もちろんそっち系の話だけでなく、今日高松ノ池に行ったことや、じゃじゃ麺を食べたこと、バスケッとのこと、オーストラリアに行った彼女のこととか真面目な話もしてくれた。
私は高校を卒業してこの仕事に就き、日に日に心が荒んでいく自分をどうしようもないと感じていた。だから、その人が色んな失敗も経て、さらにその先を見ていることがとても輝いていたせいか妬ましく思えた。
そんなカンジで気がつけば二十三時四十六分。五十分のプレイ時間も残り三十分となっていた。
「そろそろシャワーしよっか。」
「うん、シャワーいこ!」
九割九分の客がすぐシャワーを促しプレイ時間を楽しむのに(普通はそうだと思うが)、私からシャワーを促したのは初めてのことだった。
何か変な感じ。
それでもその人の無邪気な顔を見ていると、その人の焦らない生き方が表れているようで、少しだけ私も心のバリアを緩めることができた。
私は白のTシャツを脱ぎ、ピンクの縞模様のタンクトップと黒のレギンス姿になる。
なんか視線を感じる。
「うん?」
その人はパンツ一丁になって、私の方をじーっと見ている。
「なに?」
「なぁ、パンティ何色?」
「・・・。」
ちょっと待っていればすぐわかる答えなのに。私はその人がわくわくしているのが瞳をみてわかった。
「白?」
「違うよ。」
「じゃあ、黒!」
「・・・。」
ほんとに楽しそう。 私はピンクのタンクトップと黒のレギンスを脱いでみせる。そして髪をとめて、と。
「うわっ!何これ!?」
「ん?このリボン?」
「エッチ!!」
その言葉さえも変な下心があるわけでもなく、純粋に興味津々な感じだった。自分からパンティの色聞いておきながら、すぐ別の話題に移る。
ほんとに変な人。
「エッチかなぁ?パンティの方のリボンはかわいいんだけど、ブラの方はちょっと色落ちしてるんだよね。」
そう言って、ブラジャーの方のリボンを指差し、教えてあげる。
「えっ、そうなん!?」
「ここ・・・。」
「あー、ほんとやね。ちょっと色が薄いかも。」
何だろう、この感じ。
今まで何人もの人と卑劣なことをしてきたのに、その人がブラジャーのリボンに触れるだけで妙に鼓動が高鳴った。
「とってあげよっか?」
「えっ、・・・自分でやります。」
突然の積極性に要求を拒んだ。 するとその人は言った。
「自分で服脱ぐのは娼婦だけだよ。」
「私、風俗嬢だけど・・・。」
認めたくないけど、現実はそうだ。 私は男の欲望を体で満たして、金をもらう風俗嬢。客の性欲だけを満たしてあげればそれでいいのだ。
「そうかなぁ・・・。でも、俺が見てきた娼婦とは、なんか違う。」
「・・・。」
「普通の女の子に見えるけど。」
「・・・。これも仕事ですから。」
とっさにそう言って、その会話を終わらせた。その人はちょっと残念そうだったけど、これでいいのだ。
「じゃあ、こっちにどうぞ。」
「おう!」
ごく普通のビジネスホテルのシャワールーム。ボディソープとシャンプー&リンスが備えてある。
お湯のカランを開き、温度を合わせる。その人はバスタブの中でブルブルと小刻みに震えている。三月の半ば、ここは岩手県盛岡市。福岡県のその人にとっては寒いのは当たり前だ。もっとも私は慣れているが。
「寒い?」
「寒い・・・zzz寒くないの?」
「寒いね。でもシャワーあたってるから。」
「ずるーい。」
仕事柄、客にそういう思いをさせてはいけないのだが、その時はちょっといたずら心が働いた。というよりも、私がただじゃれ合いたかっただけだった。久しぶりに会った人間味のある人、その人とふれ合いたいだけだった。
「ふふっ。」
「なんだよ。」
予想通りの顔だ。ちょっとふてくされた顔もスラムダンクのあのキャラクターにそっくり。「普通の女の子に見える」、そう言った時のその人よりも、私にはこっちの方が気が楽でいい。
あの時のそれは単なる私の思いすごしかもしれない。それならそれでいい。
私の太ももにあたっているシャワーの温水。ちょうどいい温度になったところで、その人にシャワーを向けた。
「熱っ!!」
飛び上るように体を反らせ、声を上げたその人。私はとっさにシャワーの口を自分の方に向けた。
「熱かった!?ごめん。」
「びっくりしたー!」
「そんなに熱かった?」
私がいつも浴びている温度はその人にとっては高温だったようだ。
「ごめんね。」
再度、温度を調整し、その人の適温に合わせてあげた。少しだけ背の高いその人。背中の方からもシャワーをあててあげる。
「あったまった?」
「うん。ありがと。」
「ありがとう」、その言葉一つで受ける印象がだいぶ変わる。少なくとも嫌な気持ちにはならない。その人の口調は仕事を仕事として感じさせないような、優しい気持ちにさせてくれる。
私も自然と笑顔がでた。
それからボディソープと消毒液、イソジンを混ぜ、体を洗ってあげる。手の先から順に脇、胸・・・。そして下半身。
「・・・。」
その人の一物は通常状態だと普通のサイズといったところか。
「・・・。」
シーンと静まり返ったバスルーム。私はその人の体を洗いながら、ちらっと顔を見た。
「ん?どしたの?」
「・・・なんでもないです。」
「ねぇ、これ何?」
「ん?どれ?」
どうやら黒茶褐色の液体が気になったようだ。
「あー、これはイソジンだよ。」
「イソジン!?あのうがいのやつ?」
「そう。小学校の頃、保健室とかでも怪我した時塗ってたでしょ。それ。」
「ふーん。なんでこんなの使うん?」
「前の店の先輩から言われたんだけどね、消毒効果が高いんだって。」
「へぇ、そうなんや。」
「あと、性病とかだとこれが沁みるからわかるの。痛くないでしょ?」
「うん、痛くない。」
シャワールームの中でさえ、その人との会話は思わぬ方向へ突き進んでいく。ルーチンワーク化しているこの作業でさえ、どこか楽しく感じさせる。不思議な人だ。
「なぁ、今日、北見川の河川敷でな、バスケの練習してたんやけど、あそこから見える山はなんていう山?あの雪が上だけ積もってて富士山みたいできれいなやつ。」
「やま?んー・・・。なんだろう。」
「そっか。わかんないか。ならいいや。」
岩手山のことを言っているみたいだったが、その時はわからないと答えてみた。
「はい、じゃあ流すから後ろ向いて。」
「あーい、お願い。」
「・・・。」
「はぁ・・・気持ちいい。」
「寒くない?」
「温かいよ。」
「はい、じゃあ今度は前ね。」
「はーい。」
私は左の手の先から泡を流してあげた。するとその人は突然バンザイをしてきた。
「初めて見た。バンザイする人。」
「だってあれやん。ちゃんと取れんかったらベトベトするやん。」
確かに。中途半端に腕をあげられても落ちるわけがない。もっともだ。これまでの人の行動の方が異常に思えるほど、その人の行動には自信と理論が備わっている。
「ふふっ、そうだね。ベトベトするもんね。」
くすりと笑いながら、残りの部分を丁寧に流してあげた。
「はい、終わり。じゃあ、出て体拭いてて。」
「うん。」
「あ、ここってグラスないの?」
「あー、テレビの下の棚んところにあるで。あれか。ちょっと待っとって。」
そういうとグラスを取りにシャワールームをでた。私は自分の胸と手、指、陰部と順に洗っていった。
「ほれ!うがいやろ。」
「うん。」
そう言うと私はイソジンをグラスに入れ、水で薄めて渡した。その人は二、三回ガラガラとうがいをし、口をゆすいだ。そして体を拭こうとバスタオルを手にした。
「なぁ、この仕事やりだしてどれぐらいなの?」
「ん?一年ぐらいだよ。」
私が体を流している間もその人との会話は続いた。
「何歳?」
「十九だけど。」
「大学生?」
「違うよー。」
「あ、そうなの?てっきり学生だと思ってた。」
「学生だったらこんな仕事しないよ。」
「そうかな?この時期の学生って休みやし、結構こういうのやってる子もいるよ。」
「えっ!?そうなんだ。知らなかった。」
「こうやって話してると、普通の十九歳の女の子に見えるんだけどね。」
「・・・。」
その言葉の後、体を洗っていた手をとめ、しばらくうつむいていた。私だって普通になれるなら、普通になりたい。
「どしたん?」
「ううん。なんでもない。」
「そう?ならいいけど。」
「・・・。」
「ここまだ泡ついとるで。」
首の後ろ側を指差して、教えてくれるその人。今日会ったばかりなのに、色んな部分を見られている気がする。私はその人に小さい笑みで返答した。
「なぁ、早くでようよ。」
「先に出てていいよ。」
その人と話をしていると、仕事を忘れそうになる。だから少し一人になりたくて、そう応えた。
いつもなら客はさっさとシャワールームを出て、ベッドでタバコをプカプカとふかしながら待っている。そんな客ばかりと接してきたせいか、少しやりにくさを感じていた。
でも、そんな考えもその人には通じないようだ。
「えーっ!俺一緒に出たい。」
「・・・。」
「一緒にシャワーして、一人で出るってなんか寂しいやん。」
あまりそう思ったことはないが、普通の人はそう感じるのだろうか。普通のカップルは一緒にでるものなのだろうか。それとも単にその人が寂しがり屋なのか。
「・・・。」
「嫌・・・?」
その大きな瞳で見つめられたら、嫌って言えないよ。もう、あまり深く考えるのは止めよう。私はさっきよりもにっこりほほ笑んで返した。
「ふふっ。初めて言われた。」
「だって一緒に出たいんやもん。」
「もうちょっとシャワーするから待ってて。」
「うん!じゃあ、バスタオル持ってきてあげる。」
「うん、ありがとう。」
ほんとに変わった人だ。 どっちが仕事してるんだか。でも、こんな男の人が傍にいてくれたら私でも変われるのかな、なんて一瞬思ったりした。
「このピンクのバスタオル、いい匂いがする。」
「ん?」
「アタックの匂い。アタック使いよるん?」
「うん、よくわかったね。」
その人は私の自前のバスタオルを手に取り、くんくんとにおいをかいで、にっこりしている。幸せな人だ。 『幸せは結構身近なところにある』
そういう風によく聞くけど、何か今はわかる気がする。シャワーが気持ちいいとか、洗ったバスタオルがいい匂いがするとか、きっとそういうことなんだと思う。
これまでの私だったら、そんな幸せは見つけられなかっただろう。ずっと心を閉ざし、ずっと男を憎んで、ずっと人を信じず、ずっとその意思を貫こうとしていた私には。
「ほらバスタオル。」
「うん、ありがとう。」
私も一度顔に近づけ匂いをかぐ。アタックのいい匂いだ。私もにっこりほほ笑んで、体を拭く。そして一緒にシャワールームをでた。
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